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(818)  潔 い (いさぎよい) 年 齢 ~ 50 歳

(818) 潔い(いさぎよい)年齢~50歳

日本人の平均寿命は 終戦後5年で およそ50歳であった。以後 グングン延び、今年は女性87歳 男性81歳となった。「平均寿命」という指標が意識されるようになったのは たぶん「織田信長」の「敦盛(あつもり)の舞」にある“人間50年” の謡いに端を発する。

♣ さらに、人生50年という合言葉が人気を得たのは 人間の遺伝子寿命が 50歳であることと関係がある。その考えの根底にあるのは「子孫を通しての生命進化」であろう。子供を生む年限は良くも悪くも全ての人が人類のあり方に寄与できる。しかし、子を産まなくなった年齢以後の生命は「生命進化上 無価値」であり、一般動物なら(生存の意味が消失し)死んでしまう。

♣ 更年期50歳とは うまく言ったもので、人間が 身体的に 人類に貢献する時期は50歳までが有力なのだ。それ以後の人生は「惰性生存」であり、社会貢献する気力・能力が年々落ちる。

♣ 人間社会は大戦以前の歴史で 平均寿命は50歳以下だったが それでも人類は立派に繁栄してきた。今時は むしろ高齢者の全盛時代で介護活動も花盛りだが、だからと言って人々が幸せになったとは言えない。むしろ 惰性で高齢になり、死に時を失い、他方 高齢者の介護経費が社会を非常に厳しくている。

♣ そこで、「過去の人間50歳」が どれだけの業績サンプルを持っていたかが気に掛かるところだ。以下は「人間50年」を考えてみた八例である。政治家・文学者・人気者の順に記す。

①【織田信長(1534-1582)、 †48歳】桶狭間の戦い前夜、10倍以上の戦力を持つ今川義元軍と戦うはめになった27歳の信長は、まず「敦盛」 (あつもり)の一節を謡い 舞って臣下を励ました。それは「人間50年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」と言うもので、幸運にも 見事に初戦を勝ち抜いた。しかし、21年後 本能寺の変によって彼は非業の死を遂げた。つまり彼は長く続いた戦乱の日本を統一する第一歩を50歳以前に達成、という業績を示した。

②【ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)、 †52歳】フランス語を知らない人でも、「パリ と ナポレオン」の語だけは知っている。かの欧州征服王・ナポレオン法典の作者も最期は 絶海の 孤島セント・ヘレナに流刑となり病没した(胃がん?毒殺?)。パリにある立派なナポレオン廟(びょう)を見た人でも、彼の病没52歳を知ってはいないだろう。

③【西郷隆盛(1827-1877)、 †50歳】上野公園の入り口、愛犬を引き連れた銅像の隆盛はナゼか みんなに親しまれる。だが 江戸城の無血開城という業績にも拘わらず、維新政府の意見の相違から「西南戦争」を起こし、政府軍と十分戦ったあと、体に弾丸を受け、「ここらで よか ! 」と言って切腹して果てた。肖像画で見る隆盛が50歳であったとは !

④【ウイリアム・シェークスピア (1564-1616)、 †52歳】ご存知シェイクスピア; “おでこ”の広い肖像が目に浮かぶが、まさか52歳だったとはね ! 深酒のためにこの世を去ったと言われる。

⑤【松尾芭蕉(1644-1694)、 †50歳】1694年10月12日、大阪の御堂前 花屋仁右衛門の座敷で、「旅に病んで、夢は枯野をかけめぐる」を辞世の句として客死した。

⑥【夏目漱石(1867-1916)、 †49歳】「明暗」執筆中の1916年12月9日、胃潰瘍や糖尿病のため永眠した。

⑦【石原裕次郎(1934-1987)、 †53歳】1986年、裕次郎は肝臓ガンと診断されたが 手術は不可能だった。もう26年前のことだが、まだ裕次郎フアンは健在である。私も「おいらはドラマ、やくざのドラマ . . . 」という歌の光景を まだ しのんでいる。1987年7月、東京信濃町の慶応病院で永眠した。

⑧【美空ひばり(1937-1989)、 †52歳】パールのどこかで 毎日 ひばりチャンの歌がながれて居る。戦後の最大の歌手、歌謡曲の女王。肝硬変や大腿骨骨頭壊死などで闘病生活後、間質性肺炎に伴う呼吸不全により永眠した。7,8だけはメタボ病だったか?

♣ どうですか? もしも「40歳の死」であれば、まだ業績が軽い;60歳であれば、人生の垢(あか)が悪乗りする。「50歳の死」は まったく 清くドラマティックで、丁度良い「死に時」を得た という感じがする。我々は 死に時を得て死ぬわけではないが、惰性で 50歳より長命になると「死ぬに死ねず」、「周り迷惑 ―― 本人不満」の人生となりがちである。そのうえ、わが身を「幸せ」と言う人は わずか ひと握りだけ。加えて 介護費は莫大となり、それを負担する現役層は苦しめられる。

♣ ナポレオンは「予の辞書には“不可能”という言葉は無い」とうそぶき、52歳で逝った。我々も、50歳を越えたら 有害な「再生」をあがくのではなく、「感謝」の言葉で締めくくった人々の人生を 尊敬の目で見つめてみて はどうだろうか ―― 五十路(いそじ)越え、感謝の言葉は幾重(いくえ)にも。2102字Ef420

要約: 人間、子孫を通じて肉体は進化し、社会貢献できるのは50歳ころの更年期までであった。それゆえ50歳は人類の遺伝子寿命とも考えられた。昔は遺伝子寿命の届く範囲で立派な社会貢献を成し遂げた人達が数知れずあった。そのサンプルを八つ挙げてみた。 遺伝子寿命を越えると、精神活動を通じて社会貢献をするようになるが、惰性だけで生きるようなら、社会は厳しくなる。50歳は肉体進化・精神進化のつなぎ場年齢であり、以後は感謝の年齢になるのが夢であろう。
 
参考:  新谷、「どこまで生きるの?日本人」、福祉における安全管理 # 408、2013。

職員の声 

声1:(ナース)は人生50年以上を生き、感謝の言葉とともに、他人のお荷物にならないように ピンピン働いている(答;社会貢献に関与しさえすれば、その人が80歳でも100歳でも 若者と同じ 我らの仲間なのだ)。
.
声2: 活躍した年代が若くて 死亡も若ければ 後の世に語り継がれる(答: モーツアルトも35歳で夭折(ようせつ)―― アインシュタインは25歳で特殊相対論を発表、業績が著しければ 長生きしても忘れられる事はない ! )。

声3:私は40歳の時 体が痛くなり 看て貰ったら「ただの40肩だよ」とのこと、50歳の時も「50肩だよ」;いまや60歳に近くなったが「テニス肩」だとの事 ―― ただ単に長生きしても それは自分のためだけに過ぎない ―― やはり“人の役に立つ生き方”こそが意義ありと思う。

声4: 私も丁度50歳なので お話を興味深く聞いた: 「五重路(いそじ)越え 感謝の言葉は 幾重(いくえ)にも」を肝に銘ずる。

(815) 生 き 馬 の 目 、 目 か ら 鼻 へ

 (815) 生 き 馬 の 目 、 目 か ら 鼻 へ
 
 今日は「生活の中の知恵」を考える。

♣ 「生き馬の目を抜く」、これは「生きている馬の目を抜き取るほど、意表(いひょう)を衝いて(ついて)、素早い」ことを表す。「目を抜く」とは「抜け目がない」ことを連想させる。

♣ 田舎から上京した人が、都会の喧騒(けんそう)の中で 早速 スリに財布を抜かれたら、きっと このことを実感するだろう。
2020-10-28 生き馬 (2)
♣ 私が子供の頃「怪人二十面相」という探偵物語がはやっていた。二十面相が日時を予告して、ある家庭の大事なダイアモンドを盗みに来る。家人・警察で厳重に守られているにも関わらず、ダイアモンドが見事に盗まれていく;その カラクリ は「生き馬の目を抜く」ようなスリルがあった。現在で言えば、人気テレビ番組の「ルパン3世」というところだろうか。

♣ 本当の馬の目を抜くことはできない。馬の目は誰にも見える位置にあるし、仮に抜くことが可能であっても、抜かれるほうの馬は、痛みに驚いて抵抗するだろう。にもかかわらず、抜いてしまうのだから、拍手喝采(はくしゅ かっさい)となる訳だ。

♣ 私たちの周りでも、これを見る事がある。「まさか、あの人が !?! 」と思う快挙が 時にある。お相撲でいうと、幕下が横綱 相手に「金星」 (きんぼし)を取るようなものかな。介護の場でも、徘徊・転倒骨折・誤嚥などを見事に事前防止した例の報告を聞くと、私は「生き馬の目を抜いたのだ」、と褒め称える。

♣ 「目から鼻に抜ける」 というのも面白い「ことわざ」だね。目と鼻は すぐ隣にあるので、その意味は「利口で物事を理解する力が素早い;判断も素早い」である。

♣ 一瞬にして「何が求められているか」が分かり、それに応じて行動することだ。これに近いことわざで言うと「一を聞き、十を知る」がある。これは「理解と洞察力を問題」にする。

♣ これに似て非なるものに「クイズ番組の博覧強記」がある。テレビでご覧になるように“クイズ勝者・博覧強記の人”には脱帽ですが、物識りの場合、脳の判断力はとくに問題視されまない。

♣ しかし「目から鼻」なら記憶よりも判断力が問題となる。この能力は、ある事柄に出くわしたとき、「その先を想像して推し測る能力」を言う。これは社会生活の中で とても有用であり、望ましい。そして 誰でも その気になれば、「目から鼻に抜ける」ことができる。

♣ たとえば、あなたが「子の親」であれば、子の危険を先読みして それを「避ける」知恵が おのずと湧いて来るね------鳥類・哺乳類の親は一般に先の危険を読むことが出来ている。

♣ 介護の場では、「相手とあなたとの試合」です:なぜって、「認知症の周辺症状」は相手によってとても個性的なので、教科書で教えられる方法だけでは 先の危険信号を読みきれない 。あなたの臭覚をいっぱいに広げて、 「目から鼻へ」抜けて下さい。

♣ もし、その力を仕事場で生かすことができれば、あなたは100点満点 !! そのとき、あなたの目は輝いて、とても素敵になるだろう。1224字 Cf#362

職員の声

声1: 「目から鼻に抜ける」とは、その反対語が「ノロマ・マヌケ」ですか?(答:語弊 (ごへい)を許して頂けるなら “Yes, yes ! ”。

声2: それは学習と経験によって培われる能力ですね?(答:そうではなく 主に「人の心構え」 ではないだろうか? 人は幼稚園児の頃から 目から鼻に抜け始めるようだ:その核心は”物事に“疑問を持つか 持たないか”にある)。

声3: 「介護のマニュアル」に捉われず、臨機応変な行動ができるか否かが問われていますね(答:その通り;でも孤高 (ここう) にならないよう、「ホウレンソウ」をしっかりしよう)。

声4: 「生き馬の」も「目から鼻に」も面白い教訓です(答: 問題は「受身でボーケー ! 」と時間を過ごさない事だ、と受け止めよう)。


(117) 老 後 に お け る 自 立

 (817) :老 後 に お け る 自 立 

あなたは老人の介護保険設立の基本理念は何だったか 覚えているか?

♣ 私は「措置」の時代からの流れで その理念を受け止めた。私は、60歳前後から100歳にまでなろうとする長生きの老人介護を自宅で行うことの困難さ を良く知っていたので 介護保険そのものはwelcomeであった。つまり、介護保険とは「家族に代わって老人を代理介護し、延命に資すること」と理解していた(図1)。



♣ ところが その正式の理念を介護保険の趣意書で調べてみると 介護の目的とは 「自立と尊厳の確立」を求めることだったのである ! まあ、何と華麗な「理念」なのだろう ! 「代理介護や延命」などは“下世話な話題”に過ぎなかった のだ ! そこで 今日は「老人の自立の意味」を探ってみる。

♣ 一般的に「自立」は三つの状況で述べられる:それらは ① 身体の自立、 ② 精神の自立、 ③ 経済の自立であり、これらは 幼児期・結婚前後期そして老人期に重要である。

♣ 「老人」の場合、上記の①②③のうち、どれも大切だが、介護保険が求める自立といえば、介助の初期には「依存」であっても、時間をかければ、心身ともに「すべて自立し 健康的な生活ができる状態に回復すること」を目標とするようである。でも ここで注意して欲しい ―― 述べたり望んだりするのは自由だが、現場をキチンと理解した上での 理念を語って欲しい。

♣ ①と②、つまり 身体と精神の自立を 老人に向かって説教するのは止めてもらいたい ―― 老人たちは この点で病んでいるのだ;老人の心身病理は若返ることは まずない;老人にそれの自立を目標とするのは酷(こく)ではないか?幸い、愛情と資格を持った介護職員は ①と②の補助をすることに慣れており、①②に関する限り 介護職員に「依存」してもらって何ら不都合はない。

♣ ただし ③ 経済の自立は問題を含む。ナゼって、他人介護は‘金食い虫’だからだ。たとえば 要介護5なら、年間経費は約500万円;これに対して働く職員の平均収入はお一人300万円前後で 老人予算の半額に近い。

♣ もちろん国家が要介護に必要なお金を工面するが、要介護5を10年続ければ 5,000万円;これに対して もし若い夫婦が家を求める際の頭金は2500万円程度;前者は‘逝くための追い銭’であり 済んでしまえば跡形も残らない;これに対して、後者の若い夫婦の場合は 将来建設のための投資金であり、ここから社会の明日が生まれる。

♣ 額においても、意味においても 両者には雲泥の差がある。経済の自立③は老人にも若者にも立ちはだかる問題ではあるが、社会は若者に冷た過ぎると思わないだろうか?それでいいのか?

♣「自立した生活」は、すでにデンマークやスウェーデンなどの国で高齢者福祉の三原則として定着しているという。その三つは次の通りであり、個別に私の意見を付けてみる:―― (1) 自己決定の尊重:いろいろ情報を本人に伝えるが、決定するのは本人である、とする。→ デイや在宅でこれを強調すると、僕は我儘、経費は君持ち ! となるだろう。人は性善説だけでは処しきれないのだ;机上の空論を避けたい。

♣ (2) 生活の継続:在宅での生活が最も望ましいが、施設に入所する場合でも可能な限り生活してきた家具などの持ち込みを行うことにより、これまでの生活の継続性に留意する必要がある。→ パールの初期でこの問題を考慮したが、広い一人部屋でない限り、転室・ ゴキブリ問題・車いす介助移動・地震対策など困難因子が山積だ !

♣ (3) 自立支援(残存能力の活用):残存能力の活用を支援し、自立した生活が送れるようにする考え方である。→ 私は乾燥させた手拭たたみなどを試みたが、二度手間だ ! 子供と違い、介護老人に日々の進歩を期待するのはムリである。基本的には 机上論議で言われるほどの価値ある残存能力は期待できない。B-29 爆撃機を「竹槍」で叩き落とせ、のような 精神主義を介護分野に持ち込まないで欲しい。

♣ ここで私は強調したい: 残念ながら 老人の基本状態は「退行」(たいこう、involution)なのである ―― 登った山から降りて、肩で息をしている状態だ。また、若い犬は芸を覚えるが、歳とった犬は向上せず、日向(ひなた)ぼっこを好むのだ。そこをはき違えて 高尚な机上の美辞麗句(びじれいく)の「自立」を並べ立てても 老人の現場は戸惑う ばかりなのだ。

結論: 介護保険の目的は 本人の「自立」確立よりも、やはり「家族に代わって老人をよく代理介護し、延命に資すること」ではないだろうか?もし これ以上の延命が望めないほどの高齢になったのなら、もう我儘を言わないで欲しい。 世界が何と言おうとも、美辞麗句の空論ではなく、現場を良く知った上での「自立」をアドバイスして頂きたい。人は千も萬もは生きられないのだ(図2 …… 男107歳、女110歳まで生きるのは大変!)。1964字Cf441

職員の声

声1: 私はデイの送迎でバス乗降にもたつきがあると ついお手伝いをする . . . トイレの中で水を自分で流せるか、のレベルの自立で“どこまでの行為が自立か?”を毎日反省する(答:時間の余裕があれば ゆっくり「見守り」ができるが、個人介護の理屈を“集団介護”に適用させるとき、いつも この種の問題が発生する ―― あまり ご自分を責めないで欲しい)。

声2:ケア先のお宅で、自立のために前向きの行動・発言をする人は 稀だ ! ケアを受けるのは当然の権利として “依存的”で、感謝しない人も多い(答:ケアに対しては 協力的で感謝するのが普通だが、認知症の人には これができない ―― その人は 大脳機能が低下した「蛙」 になったのだ、病気がなせる業なのだ、と理解して頂きたい)。

声3: 老人の基本状態は「退行」であることを念頭に置いて あまり背伸びした自立を望まない(答:オーイ、お茶 ! ”と言う人には お茶を出してあげよう;ずるく甘えて 自立に問題があるのかどうかは その場で判定しよう)。

声4: デンマークなどで「高齢福祉の三原則」(本文)が活かされているのに、日本では机上の空論と言われる理由は何か?(答: 「豊かさ」の違いであろう――利用者お一人につき介護者一人の“豊かな”関係なら「三原則の達成」は難しくない;日本は 医療も介護も あちらの 1/5 程度の人員で行うから、理想と現実が泣き別れる のだ)。

(816) 親 と子 の 礼 儀   〇

(816) 親 と 子 の 礼 儀  

  親がせっせと餌を運ぶたびに、黄色い嘴をいっぱいに開けて餌をねだる小鳥の子たち …人間よりもずっと熱心なように思える。

♣ 親はそんなに熱中した子育てしているが、それは 「礼儀」 として行っているのだろうか? もしそうなら子は親への礼儀として、恩返し をする可能性もある。そこで Wikipediaで 「動物の恩返し」 という項目を覗いてみたところ、そんな記事は一言もなかった ! つまり、 "親に恩返しをする動物はいない" のである ! 我々の近くにいる犬や猫も 老いた親への恩に報いている「ふし」は見えない。
2019-7-23 鳥の子育て 1 50 B
♣ それどころか 私が知っている「北キツネの子離れの儀式の風景」 はこうだ:―― 何匹かの子狐が育ったある日、母狐は 突然 子狐たちを襲い 噛みついて 攻撃を開始する ―― 子狐たちは驚いて逃げまどい、それを潮(しお)として “子離れ・親離れ” が完了する。 ある説明によると、母親は 子離れしないと次の子を孕(はら)めないから だ、という ―― そうかも知れないが、親に攻撃されて 追い払われたのでは、親への恩も ‘へちま’ もなくなる だろう。

♣ 人間の過去はどうだったのか? 5万 年前、人が まだネアンデルタール人と呼ばれていた頃、死んだ先祖のお墓に花を供える、という風習があったという。類推すると、ヒトには 子育てのほか、先祖の思い出を弔う習慣があった ようだ。 歴史時代に入っては、親への恩返しは葬祭の礼儀によっても明らかである。

♣ 注意点は “その時の親の年齢” だ。礼儀が社会に定着した千年も前なら平均寿命は 30歳 、江戸・昭和でも 45歳 程度;つまり老親の年齢がこの程度だから、親を ‘介護して看取る’ 礼儀に必要な子供の労力は タカ が知れていた。ところが最近の 30年 このかた、90歳を越える老親への礼儀の形がかなり変わってきた。

♣ その第一の理由は “親の 極端な高齢化” であろう ―― だって「人生 50年 と 90年」とでは「生きざま・死にざま」は 根本的に異なる。仮に親の介護が必要であるとしても、昔は ‘食事・排泄・入浴’ に関する限り ほとんど何の援助も出来ないに等しかったし、’老衰医療’ も同様であった 1) 。老いた老親は 「酷暑・厳寒」で間引かれ 、脱水・医療の欠如で 短期間に逝ったものである。だから 子は最大の礼儀で親を見送ることがムリなく行えた。

♣ ところが今はどうだ? 多くのサラリーマンは 60歳 定年を迎え、伴侶とともに 徒食・年金生活 に入る。ガンのピーク年齢は 75歳 、認知症は 85歳 で人口の約半数を襲う。人生 90年 とは、健康・経済の両面でアルプス登山のようなものだ。親は、身体・精神・社会的な介護を 子から受けるが、問題は 援助者の子自身も高齢による“心身劣化” のため、親介護の長期礼儀が困難になることだ。

♣ 親の長生きを 子が ‘苦痛’ と言えば それは 人倫に悖る( もとる ) ‘親不孝’ であろう。その混迷状態を解決したのが 2000年 開始の 「介護保険」 であった。それは 確かに物理的な介護の手間を専門家に委ねるという良いアイディアであった。―― しかし、 「親と子の 濡れた礼儀」 については まだ理解の余地が残されているように思う。

♣ 動物一般は ‘子を産み育てた後の更年期には寿命が尽きる’ という運命であり、人間も戦前まで そうであった。つまり親は還暦前後には逝ってしまう から、30歳代 の子供から見れば 「親孝行、したい頃には 親はなし」 で済んでいた。

♣ ところが今は 親の平均年齢が‘ 死期猶予30年’ の現象 2 ) によって、昔よりも 30年 以上も高齢化した(親子の世代間隔)ために、その子自身も還暦を越えた老人になり、二世代ともに老人という変な現象で、 「親孝行、したくはないのに 親が居る」 というおかしな時代に移り変わった。つまり、 ‘礼儀’ の余裕は薄くなり、介護と看取りの ’実務’ の苦労 のみが子にかぶさって来たのである。疲れた子のエゴが介護保険の運営に反映される事態は 無理もない。

♣ 西欧では老親介護の法律的責任を免じ、親の老後は社会が責任をもって見る; その方式の良否は国によって異なるだろうが、考えて見ると、長命になった国での親子の礼儀の保持は この方式でこそ良い関係が維持されるのであろう。

♣ 人は どんなに長命になっても やがては逝く ―― その終末期を ‘子の孝行の振る舞い’ で決着をつける 今の方法が 果たして健全と言えるであろうか? ‘西欧式の責任免除’ のほうが より人道的ではないのだろうか? 1909字Cf464

結論 : 我々は礼儀正しい養老の配慮を試みる。 しかし、日本は世界一高齢者の多い国であり 介護と看取りの業務に忙殺され、従来型の親子の礼儀は実際的でなくなっている。 上記の 西欧風の解決が望まれると思うが、こればかりは 「上意下達」 ではムリであろう ―― 明日を考える国民の真意はどの辺にあるだろうか? あなたの意見を述べて欲しい。

参考: 1) 昔の親への介護 = 食事は栄養価について無知; 排泄は布オムツにゴム合羽; 入浴介助はほぼ不可能。老衰医療は’点滴’さえなく、4~5日で脱水死。 2) 新谷冨士雄・弘子:死期猶予 30 年 と介護界、福祉における安全管理、# 460、2014.

職員の声

声1: 敬老の表現は その国に固有の 「親子関係と社会制度」 に依存する ―― 子はたいてい よく頑張るものだが、親も子に依存しすぎないで、自立する心を見せて、子をねぎらって欲しい(答: その通りだが、問題は ‘認知症の合併 ’ にある ―― 親は 要介護4 あたり から 自分の子や環境を認識できなくなる)。

声2: 「親孝行、したくはないが 親が居る」 という川柳 ( せんりゅう )は、先が見えない トンネル のようで気が滅入る ―― 西洋式の親子はサッパリしているが、ネチネチ した親孝行の方が日本人には向いているのかも知れない(答: 日本の親子は しばしば ‘恋人同士’ と言われるものね ーー とにかく 触って ’お世話’ したいのだ)。

声3: 日本式の ‘いたわり’ の礼儀は親子の介護にも表れてしかるべきだ(答: 自分が親にする介護なら是非そうあって欲しい; しかし他人にお願いする介護なら、お願い先に無茶な要求をするのは失礼である)。

声4: 日本は世界一の長寿国、しかし医療・介護の世界一だろうか?そもそも、長生きする老人たちを在宅で または施設で観察すると、要介護度は高く、多くは 哀れで苦しんで生きている . . . そんな実態は 長生き尊厳の ‘本末転倒’ ではないか?(答: 人間は 金持ちになるほど ‘貪欲’ になり、歳をとるほど  ’不幸’ を感じるようになる ―― それを知っていてさえ、人は 金持ちになりたいし 長生きをしたい . . . 神様が造られた “人間” は 失敗作だったようだ)。

(814) モ ノ と イ キ モ ノ 〇

(814) モ ノ と イ キ モ ノ
  
三歳の子供でも、芋虫や蟻が生きているかどうかを見分けることは すぐできる。

♣ しかし「命とは何か」と問えば、おそらく答えられない。科学者や生命学者に質問すると、「時間がたてば壊れてしまうのがモノ、時間がたてば壊れる点では同じだが、その前に増えるので、見かけ上、壊れないように見えるものがイキモノである」、と答えるだろう。

♣ なるほど、これでウイルスからヒトまでを全部説明できるよね。命の定義は考える人によって異なる。生きものの簡単な特徴を云えば「食べて増えるもの」とも言える。
2020-10-7 モノとイキモノ 2
お釈迦様は「生類あわれみ」の思想から、食物としてイキモノを摂取しないように指導された。でも米や麦を召し上がっていた。お釈迦様の心にとって目で見て動かない植物はイキモノとは考えなかったのだろうか(2,400年も昔には、現在のような科学はなかった!)。今では、植物どころか、ウイルスさえもイキモノと考える。

♣ そこで科学者たちは躍起となって 新しい「生命の定義」をしたがる。しかも、宇宙規模では、SF映画で見るような宇宙人・ET (イーティー、Extra Terrestrials) という生命を探し、宇宙人解剖学(ExoAnatomy)という学問さえ用意されている。宇宙規模の中で、生命とは それほど不思議なものと考えられている。

♣ クイズのような話しだけれど、ある子供が大人に質問をした。彼は鶏の卵を手に持ち「これはモノかイキモノか?」と。大人が「イキモノだ」と答えると、子供は「ブー、これは無精卵です、つまりモノです」と答えた。降参しちゃうね。

♣ イキモノの特徴は、「自己複製」することだった(増えること)。また、イキモノの、もう一つの特徴は「代謝」をすること(食べること)だった。でも「介護」をする我々の目からすれば、上に述べたイキモノの定義は一部ハズレになる。なぜって、一号保険者(65歳以上)は「動いて、食べて、代謝するけれど、もう決して増えない」からである。

♣ 増えないものは「生命の定義」から一部はずれる。ただし、人間だけは「例外」となる;人間は更年期以前なら「出産・遺伝」を介して子孫に良き影響を繋ぐことができる。そして「更年期以後の人生」は更年期以前と同じだけの生存期間があるので、遺伝ではなく「学習」を介して「文化を後世に継承」することができる。

♣ つまり子孫に影響を与える方法は2種類あって、一つは肉体的な方法(出産と遺伝)であり、他は非肉体的な方法(知能的な文化搬送)、すなわち これを「ミーム」と言う。ミームとは「模倣子」とも訳され、遺伝子との類推から生まれた概念であって、子孫に影響を与える手段は「肉体的な遺伝子」と「文化的なミーム」の両者なのである。

♣ 遺伝子はイキモノの本体に変化を与える要素、ミームは文化に質に変化を与える要素であって、共通するところは両者が相互に影響しあいながら進化する点である。ミームはヒトにだけ存在し、一般動物や植物には存在しない。

♣ まだ十分ではない。「増えない」ことだけを問題にせず、 私は皆様方にお願いをしたい:どうか「増えて」頂きたい。社会全体で若い皆様方が増えないかぎり、将来、日本にイキモノがいなくなり、人類文化が伝承されなくなる。私は増えることを熱烈に応援する。1071字Cf#55

参考: 新谷 成長率3%は正しいの?;福祉における安全管理 #39, 201

声1: 私は地球と宇宙をつなぐ生命体について想像するのが好きです。その特徴をいろいろ神秘的に考えていましたが、シンプルな「食べ・増え・文化を後世に伝える」イキモノの定義に感心しました。

声2: 食べて増えるの「代謝と自己増殖」はイキモノの特徴、これに加えて学習と文化の継承、これあってこそ人間が単なるイキモノでは」ないことの特徴です。

声3;イキモノは更年期で生命を終える:人間は更年期、それまでと同じだけの期間 生命いが続く。ヒトの人生を考え直しています。

声4: “成長率は3パーセントは正しいの?”というお話がありました);これは「イキモノの定義 = 増える」と合致しません;イキモノは ± 0パーセントが一番安定していると思います(答:中国は“一子政策”を取り、人口は減るはずだったが、現実には増えている:“増える”とは、いずれ死にゆく自分の身代りを創るだけでも“増える”と言えないだろうか?)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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