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(795) 高 齢 者 福 祉 と 少 子 化

高 齢 者 福 祉 と 少 子 化

少子高齢化という掛声にはウンザリしませんか?いつもの「安全管理」の話では「高齢」に視線が当たるので、今回は「少子化」に注目しよう。

♣ 子供の出生統計には「完結出生児数」という考えがあり、これは「結婚後、19年経過した夫婦の 平均的な子供の数」のことである。この数は1970年頃から以降、ずっと2.2人で経過し、最近は徐々に低下して2010年の調査で1.96人と 初めて2.0を割り込んだ()。昔と違って、結婚して平均で2人の子供を産み育てることさえ しなくなった夫婦が増えたのだ。ご自分の周辺で観察する事実とよく一致するのが分かる。

2020-9-11 完結出生児数 (3)[6]

♣「高齢化」は健康・医療・経済発展・福祉の「賜物」だから、理の当然であって、説明はいらない。しかし「少子化」はナゼ 起こるのだろうか? その原因は 大きく三つあろう。

平均初婚年齢は2010年度調査で男性30.4歳 女性28.6歳;過去の5年間で男女とも1歳ほど直線的に高齢化している。第一子は 結婚後 すぐ生まれる(1~2年後)が、第二子がなかなか生まれない。女性が第二子を産むのは30代半ばが多く、そこで夫婦は「高齢不妊」に陥るようだ。つまり「晩婚化」が少子化の主な原因と言えよう——昔は30歳までに 少なくとも2~3人の子供が生まれたものだ。

次の原因は、 「子育て・教育にお金がかかり過ぎて、昔のように沢山は産めない。仕事も楽しい」。政府は「育児費援助」の政策を取っているが、フランスやスエーデンほどに徹底してはいないし、また「子育て支援政策」で少子化が解消しないことは 先進諸国でも実証されている。少額の「支援」では 子育ては難しいと考える。

 逆説的だが、少子化の「真の原因」は 老後を保証する「介護保険の充実にある」と言う話を聞いた。「子育て」というのは、本来、自分の「老後の生活」が掛かっていた、という歴史がある;一定数の子を産まなければ、昔の夫婦の老後は悲惨であったと言われ、子のない人は、養子をしたのだった。

♣ ところが、この重大な問題を 近年の社会福祉が解決してくれるのだから、苦労の多い子育てをパスする夫婦が激増するのは理の当然だろう——30年前から流行った「ダブル・インカム・ノー・キッズ(Double income, no kids.)(夫婦二人で稼いで、子はいない)は、なるほど。子ができない人もあり、個人の責任だけとは言えない。

♣ 中には沢山の若者が 子作りを怠り、人生を謳歌した人もあろう。

♣ ここで未婚を選ぶ若者の数は この15年で2倍に増えている。でも、子や孫が生まれないこの人たちの老後の生活を サポートするのは国の責任となろう。

♣ 年金と老人医療制度が進歩するにつれ、人々の心は 親を看る気持ちが薄くなってはいないだろうか。社会の維持または社会に貢献する責任感は希薄化していないだろうか。政府・行政・善意の学者たちは 真面目に「高齢者の保障」を考えるが、現在は残念ながら「少子化」は進み、その結果 世代間の相互扶養型の福祉プランは崩壊に直面している。国の将来的な体制作りを考えて居るだろうか。

♣ 一つのエピソードを挙げよう:- サボテンは放置しておくと 季節がくれば 自然に花を咲かせ、実を結び、繁栄する。しかし もし水を与え肥料を加え、手を加えると、サボテンは大きくこそなれ 実を結ばず 増えもしない。

♣ 人間も同じことだ:老若男女とも 過保護 は人間の依存心を深め 心を退廃させないだろうか。 生活の保障も将来展望に欠けた政策では 人の心は成長しない。

♣ 日本は このことを 近年の福祉政策を通して 経験したハズである。社会保障は 本来の姿に戻ってノーマライゼーション「すべての住民に自らの成長と自己実現」を取り入れた「住宅も家族との生活・働く権利、人間らしい生活権利」を尊重できる国つくりを皆で考えたい。

♣ 若者たちが 安易に結婚を遠ざけ、または 子供の数を少なく設定している現象を誘発していないだろうか。つまり子を産むことは、昔は「自助」であったものが、だんだん「共助」になり、いまや「公助」を期待しているのではないだろうか?「介護保険」そのものが 少子化を促進しているという意見をどう考えるか?

♣ パールの私たちは「高齢者福祉」の事業に携わっているが、この仕事に熱心であればあるほど「少子化が強まる」 という矛盾があるとすれば割り切れないものを感じる。でも、今の「高齢者・その家族・生活保護者」の一般的反応を見ると、「生活を保護されるのが当然 ! 」という思いが見られないだろうか?あなた自身も 介護保険に守られる 楽な自分の老後を夢見ていないか?

♣ 現実は厳しい。少子化が続く限り、年金も介護保険も 近い内に破綻するだろう、とささやかれている——。あなたも、新しい思考テーマ=「高齢者福祉と少子化の依存関係を認識」し直してみてはいかがだろうか? 2043字  Cf#272

要約: 完結出生児数は戦後「3」近辺であったものが1970年(昭和45年)以降「2」に落ち込み、更に近年は2を割り込み始めた。  その原因は、世界各国で見られるように 一口でいえば「平和」にある。だが、心は「自助」→「共助」→「公助」の気分に変わり、人々は子を産み育てることは「国の責任」が大きいと思うようになったのだ。 少子化は近い将来の高齢者福祉に大きな差し障りをもたらすという意味を再認識したい。

職員の声

声1: 「介護の仕事に熱心であればあるほど“少子化”が進む」とは 初めて聞きます(答:介護の技を磨き、専門性が深まるのは良いことだが、それが社会の少子化に繋がる危惧(きぐ)を理解しよう)。

声2: 私は年金を信用できず、老後のために貯金をしている;今生まれた赤ちゃんが育った後、私のことを介護するなんて考えたことがない(答:昔は 還暦のころ 不安も少なく 静かに逝った、今は政府予算40兆円を掛けているのに 老後は不平・不満だらけ;この「ぬかるみ」から脱しなければいけない)。

声3: 私の解決案: 婚外子を社会が欧米のように認める;若い世代の「投票率」を上げる(答:若者の投票を達成する——ここ一番という危機に際しては考える機会を持つ。)W.チャーチル の主張だが、「民主主義を一日凍結」して、若者を投票所へ連れて行く;若者の票が2倍になると 政治は変わる)。

声4: サボテンは「水よ ! 肥料よ ! 」と世話すればするほど「花も咲かず、数も増えない」とのこと:なるほどナと知った(答:お年寄りには「天然介護」*、子供には「愛の誕生」が一番 望ましいだろう。

* 参考:新谷、「天然介護」;福祉における安全管理、# 260、2012.

(794) 三 つ の 記 憶 と ボ ケ

(794) 三 つ の 記 憶 と ボ ケ

今日は 記憶の話をしよう。 まず、瞬時記憶。

♣ 私どもが「針の穴」に糸を通すことを考えてみよう。目も手もしっかりしていれば、一発で糸が通る。歳をとって、目や手が不自由になっても、糸先を穴の横や上下に当てているうちに、糸は通るだろう。この場合、糸先を「右に当てて通らないなら左のほうへ」と、失敗直前の記憶を頼りに糸を左右に動かすだろう。少なくとも「めくら滅法」ではない。

♣ このような糸通しは「試行錯誤」と呼ばれ、直前の記憶は1秒くらい有効である。これを 瞬時記憶 と呼び、我々が赤ちゃんの頃から一生涯を通じて役立てている記憶メカニズムだ。ただし、この記憶は1秒もしないうちに、跡形もなく消えてしまう。理由:神経細胞の中を通貨する記憶信号は「形」として残らないからでる。(気体のような記憶、フット消える)。

♣ 次に、短期記憶
 認知症の診断のために用いられるものに「長谷川テスト」がある。「100から7を引くと、いくつですか? さらに7を引くといくつですか?」などの問題が9問あり、全部正解で30点になる。20点以下で「認知症」の疑いありとする。

♣ この場合、テストされる記憶時間は約5分程度の時間である。その時間以内に覚えた記憶を、足したり引いたり思い出したりで加工する訳だ。地図を頼りに目的地へ行くのも、この記憶力が役立つ。今日のお昼ご飯の「おかず」は覚えていられるが、一週まえの「おかず」はなかなか思い出せない。

♣ この記憶を短期記憶と呼ぶ。つまり、分とか時間単位で覚えていられる記憶のことだ。この記憶は脳の中の「海馬」という場所にため込まれる、とされる()。時間単位で覚えていられるのは、記憶情報が脳細胞を通過するときに「酵素」が働き、その痕跡が少々残るからだ、とされている。この短期記憶は私たちが一晩寝ているあいだに、夢とともに、あらかた消し去られてしまう。
2018-11-22 海馬 1

理由:海馬の記憶容量は大きくないので、そのメモリーを消しておかないと、次の日の情報操作入力の邪魔になるからだろう。(液体のような記憶、濡れて残るが、蒸発して消える)。

♣ 人間の特徴は「短期記憶を文字化できる」ことである。この操作により「お金をいくら借りた、いや借りていない」などのトラブルが防がれ、文明の礎がきづかれた。

♣ 最後に、長期記憶。もし、ある情報や事件が非常に強力であったり、繰り返されたりすれば、その記憶は脳細胞の中で遺伝子を動かし、「記憶蛋白」を形成する。これは、あきらかに物質であり、記憶を強固なものにする。だから長期記憶と呼ばれる。

♣ 私どもが若いころ覚えた「言語・動作・環境など」は、容易に忘れることができないが、それは「記憶蛋白」が脳の中にガッチリと保存されるからである。理由:記憶蛋白は脳の中の「小引き出し」のなかに収納され、必要に応じて取り出される。(固体のようになって残る記憶)。

♣ 脳の働きは、上記の三つの記憶力によって発揮されるが、一般の動物でも、短期・長期記憶は存在する。

♣ しかし、人間の人間らしい精神作用は、これらに加えて長期記憶の正確さ にある。特に、情報が「視覚的な文字」として記録されると、人間独特な文化が生み出されてくる。もし私どもの生活から「書類」が消えてしまったら、認知症のお年寄りと、どっこい どっこい のトンチンカン になること間違いなし。

ボケとは?私どもの脳には約150億の記憶細胞がある。これらが瞬時・短期・長期記憶に関与する。しかし神経細胞は一般に、歳とともに減少するので、20歳を越えると、毎日10万個ほど減るといわれている。特に、記憶蛋白を必要とする長期記憶が困難となるのだ。歳とともに、新規な記憶が苦手となるのは、このためである。

♣ しかし、精神力となると、かなり高齢になっても衰えることは少ない。それは、記憶が単に、一個一個の脳細胞の活性によるだけではなく、相互の細胞同士がシナップスで連絡し合っているからである。

♣ たとえてみれば、コンピュータは、記憶素子をメガ(100万個)、ギガ(10億個)単位で持っているが、一個の記憶素子の相互連絡シナップスは僅かに「入出」の数本のみである。ヒトの場合、このシナップスが何十本もあり、しかも生命を宿している。このため、記憶の量や質がコンピュータと著しく異なるのである。

♣ しかし、ヒトの記憶素子がいかに上等であっても、その基本の細胞数が150億から100億に減ったのでは、情報操作がうまく行かなくなってくる。たとえば、パールでは今、職員が180人ほど働いているが、もし100人に減ったらどうなることだろう? きっと「ヒヤリハット・レポート」の混乱が増えるかもしれない。

♣ この状態が「ボケ」といわれるものである。パールなら、人を増やすことで解決できるが、認知症の場合、現時点で、脳細胞数を増やす手段はない。だから認知症の現場をよく見知った人の「愛情」が解決の糸口を提供するのではないだろうか。1976字 Cf#xxx

要約:
  記憶には三つの種類がある。
    1. 瞬時記憶(気体のような記憶:1秒くらい)。
    2. 短期記憶(液体のような記憶:主力は1日くらい)。
    3. 長期記憶(固体のような記憶:ほぼ一生)。
  認知症の「ボケ」は、脳の記憶細胞がひどく減ってしまうから起こる。しかし「愛情」を理解することは可能である。

(793) 天 寿 と は 何 だ ろ う ?

(793) 天 寿 と は 何 だ ろ う ?
  
あらゆる生命・社会科学の目的は、終局的に煮詰めれば「寿命を長くすること」であろう。

♣ では、寿命(life span)とは何か? それは「出生の時点で遺伝子に与えられた生存期間」と言えば良かろう。要するに寿命と言えば「自然死」の時期を意味し、その点を強調して「天寿」と呼ばれることもある。

♣ そもそも全ての動物は「子を産み終わったら死ぬ」という自然のサイクルの特徴を示す。その年齢はおよそ体格のサイズによって決まっている。遺伝子を子孫に渡し終ったら、自分は景色の中からサッサと去り、その後に「老年期」はない … だから、動物の天寿は分かりやすい (図1)。
                図1

♣ しかし人間だけは例外で、体の大きさとはほぼ無関係である (図の左下の囲みを参照、そこが人間だ1 ) 。縄文・弥生時代の昔であれば、ヒトは体格の似たライオン並みの 30 歳 あたりが寿命の限度であった。文明・文化が進むにつれ、~ 50 歳 まで延び、さらに「衣食住」足りた上に 「電水熱・医」 のインフラが整うにつれ、更年期の後に 例外的に 長い長い「老年期」を持ち、バラバラの年齢で世を去ることになる。このバラツキの幅が広いため、寿命が何歳だとは一概に言えなくなってきた。そこで人間の寿命の範囲として、その「下限と上限」を定めてみるのが必要となる 2 )

♣ まず 「天寿の寿命下限」とは「多くの人が希望する命の最低年限」としよう。古代は別として、平和な江戸時代ではせめて「更年期の 50 歳ころ」までは生きていたいと 望まれた。その根拠は、江戸時代の 「天皇・将軍各 15 代」 の寿命が参考にされる。江戸~明治までの計算で 3 ) 、 天皇 49.4 歳 (22~85歳) ・将軍 51.5 歳(8~77歳)である。

♣ つまり、天皇や将軍でさえ寿命は 50 歳前後なのだ。ましてや、一般市民の寿命はこれ以上を望むのは無理だった。つまり天寿の「下限」は5 0 歳頃であった、とみられる。

♣ これに対して 普通の人の「天寿寿命上限」はどうか?検討対象として「現在 100 歳」の方々の心身状況の観察してみよう。年齢が 100 歳に向かうと、視力・聴力・残歯の数・血液アルブミンなどは生命維持には不向きなほどに低下、摂食・排泄・入浴・歩行 に問題が発生、認知症は不可避となろう 4 )

♣ 人は長生きの「夢」を まず 100 歳に置くが、実際に 100 歳の人の「容姿」を見ると「おや?」と躊躇(ちゅうちょ)する。還暦( 60 歳)レベルの人ならまだ心身ともに元気だが、米寿( 88 歳)では 明らかに老化が進み、白寿( 99 歳)では仲間の 99 % は死去してしまう。つまり人の寿命の上限を 100 歳と見れば十分過ぎるではないだろうか?

♣ 次に、寿命を「個人の年齢」レベルから 「大人数の人口年齢」レベルで寿命の病態を見てみよう。図 2 は数カ国の代表的な 「人口ピラミッド」 である。各図の頂点は 100 歳、底辺は 0 歳、左右は男女の相対的な頻度である 5 ) 。
          2017-1-30 各国ピラミッド 2
♣ ピラミッドの図を 100 歳の頂点から少し下へ辿ってみると、男女ともに「屈折」span style="font-size:x-small;"> (角 かど) が見える。その屈折が見られる年齢を「屈折年齢」と呼び、その値は各図の下方の数値として示されている。この図の読み方の詳細については 「屈折年齢と福祉」 5 ) で述べたので参考にして欲しい。

♣ 各国の寿命をみれば、0 歳から上に登って屈折年齢までの人口は デコボコはあるが、あまり喪失していなく、しかし、一旦 屈折年齢に達すると 100 歳に向かって直線的に漸減する特徴がある(図3)。この直線的漸減部分には もう デコボコ はなく、各国の異なった事情は全く消える。。
                      図3

♣ したがって先進国の屈折年齢 (70 歳近辺)が ある意味で「寿命の曲がり門」と理解できるのではないか? 換言すれば、70 歳まで人口は あまり間引かれずに生存できる「天然の生存枠」だとみられよう。70 歳を越えると人はそれぞれの環境の中で、天寿に応じて他界し始め、100 歳に至るのだ。

♣ この 70 歳頃という年齢は W.H.O.が説明する 平均寿命 ~ 健康寿命」の模式図で 、先進国の「健康寿命は ほぼ 70 歳」に たまたま良く一致している (これより後は ”要介護寿命” ) ―― つまり近年、人々は屈折年齢まで安定した健康な生活し、それを越えれば、体質などに応じて、天寿の最高値 ≒ 100 歳を目指して世を去って行くのではなかろうか。

♣ 天寿とは誰かが決めるものではなく、動物としての人間の天寿は 30 歳ころ、「衣食住」の獲得とともに 50 歳ころになった。加えて「電水熱・医」のインフラ拡充の現代になって、天寿の幅は 50 歳~100 歳となり、その中央値は 先進国で 70 歳 (屈折年齢) になったのではないだろうか。特記したいことは、日本の老人が ことさら長生きになったのは、医療・介護のほか「冷暖房」のおかげである、とは決して言い過ぎではないだろう。1797字

要約: 人の天寿とは誰かが決めるものではなく、動物的な観察と心身の生理的な実態を睨み合わせて決まるものであろう。 天寿には個人的な幅が認められ、下限は 50 歳ころ、上限は 100 歳を越えないと思われる(もし越えれば「天寿越え」 )。 個人ではなく、多数の人口の健康寿命は 先進国で70 歳ころ(屈折年齢)と推定され、それ以後は、個人の個性によって天寿は変動している。

参考: 1 ) 新谷:「命の設計図」: 福祉における安全管理 # 633, 2017. 2) 新谷:「命の歩幅」;ibid # 620, 2017 (1600 年から明治まで = 後水尾天皇から明治天皇の 15 代。徳川家康から徳川慶喜の 15 代)。 3 )  新谷:「普通の百歳とは?」、ibid # 636, 2017. 4 ) 新谷:「屈折年齢と福祉」、ibid # 579, 2016. 5 ) 新谷:「要介護期間を短縮する」;ibid # 676, 2018.

職員の声

声1: 天寿とは神様から頂いた寿命だろう、人があれこれして追加した寿命は含まれないのでは?(答: 賛成 … つまり天寿とは健康寿命だけと見るべきだ ... 医療・介護による長命は別口で、これは「要介護寿命」と呼ぶ)。

声2: 真の意味で 「天寿を延ばす」 とは、子孫を残せる期間(更年期)を延ばすことではないか?(答 70 歳になっても子を育成できれば(徳川家康のように)、それは万人の認める天寿と見て良いだろう)。

声3: 愛玩用の犬猫の飼育寿命が天然寿命より 2 倍 も長いように、人間だって「介護された寿命」だからこそ 100 歳まで行くのだろう(答: まったく その通りだ、人間を介護する社会態勢が乏しかった戦前の寿命は 50 歳前後だったものな)。

声4: 大型のワニやヘビは大きくなり過ぎるとエサを取れなくなって死ぬ、と聞いたが、もし人間のように介護と食事ケア付きであれば 100 年位の長生きをするか? … (答: Yes ! でも それはきっと子も産まず活動もしない 数字上の 100 年だろう――人間もそうだが、やはり寿命と言うからには 「繁殖の生命サイクル」 が有ってこそ、天寿と言えるのではないか)。

(792) 他 人 の 2 倍 生 き た い

(792) 他 人 の 二 倍 生 き た い  

若い お年寄りに訊くと 冗談ながら、“私は人の二倍 生きたい” という声をよく聞く。

♣ つまり 寿命100歳では足らず 200歳ということだ。“なるほど なるほど、そのお気持ちはよく分かる ”と私は肯定する。でも その前に、ちょっと いろいろ復習してみよう。

♣ 日本は敗戦とともに旧領地を失い、人口も半減、平均寿命は43歳程度で推移した。しかし平和の下で 経済発展とともに戦後10年たつと 念願の平均寿命 “50歳”を達成した。

♣ 戦後の特徴は「年寄りが長生きするようになったこと」である。おかげで 国は繁栄し 人口は1億2千万人に達して安定してきた。平均寿命は毎年上昇し、50歳から ほとんど2倍に近い 90歳 近くになった。しかし、それは平均年齢が50歳から90歳になった 戦後の一期間だけのことであり、それ以後はほとんど増えていない ()。
                      2020-9-16 長生き (2)

♣ 現実の人々は80歳代になると、寿命延長の遺伝子は機能が終了し、逝く人が増え始める。人口というものは生まれる人・逝く人の差し引きだけで決まってくる。この現象、つまり出生数と死亡数が同じ数になった現象が2008年に起こった。それ以後は死者の方が生まれる数を追い越している;それをマスコミは「多死時代」と理解し、あたかも社会がさびれ始めた、とした。

♣ 戦後、死者数が減った理由ははっきりしている。つまり、従来は50歳頃に天寿で死ぬ予定の人々の寿命が、社会の変化によって死期が30~50年近くも延び、その間 死者数が減ったのである。

♣ しかし、こうして80歳代以上まで長生きした人々も、無限に生きられる訳でもなく、死期延長寿命が(50歳頃で逝った人たちの多くが80歳頃まで生きる)終われば、もう それ以上は無理、元のサイクルに戻って世を去り始める . . . それは 生理的に当たり前であろう。

♣ さて、現在は終戦時の約2倍ほど長命になっている訳だが、その上更に「もう2倍 生きたい」という願いがお年寄りの間に広がっている(50歳 →100歳 →200歳、と4倍)。そこで私はこう尋ねる = 今の生活寿命のうち、どの部分を長くしたいのですか?と。たとえば青春時代を2倍にとか、定年後の老年時期を2倍に、とかの希望を訊く。

♣ 「うーん . . . 」 と、なかなか返事が出来ない人が多い。「何となく2倍ですか?」と尋ねる。「何でもよいから2倍にしてちょうだい」と言う人が多い。そこで 説明をつけ加える . . . 漠然と2倍 生きたいのなら、小学校は6年×2で卒業に12年生かかる、中・高も同じく12年、成人式は40歳、結婚適齢期は60歳で、女性の更年期は100歳、つまり80歳まで出産があり得る訳で、仕事の定年は130~150歳、そのあとの50年が自由な老境となる . . . 「それで良いのですか?」。

♣ これでは たいていの人は目を回す . . . 「なに? 成人式が40歳だと? 女性は80歳までお産があるんだって?そりゃかなわんわ !! 」。

♣ 50年前、世界的に「第二次・緑革命」という変化があり、ある種の植物の平均収穫量は約2倍になった。そのメカニズムは「遺伝子寿命の2倍改良」であった。私たちは今 その恩恵を受けて、多量の食糧に恵まれているので長生き出来ているのだ。

♣ だから「他人の2倍 生きたい」と言う願いは 「寿命2倍の遺伝子」をヒトに導入すれば、いずれ食料事情と同じように2倍は可能となるかも知れない。しかし、もし将来そんな時期が来れば、たぶん 基礎教育は2倍の年月が掛かり、女性のお産は80歳まで あるだろう。

♣ 「何となく2倍」ではなく、「老年期だけを2倍にして欲しい」、という申し出の変更があったとする。要するに、ヒトの欲望は「底無し」なのである。. そりゃやめとこうよ、100歳の姿のまま200歳になったら、歯無しのスルメがミイラになるみたいではないか?. .

♣ 世界には、人の寿命は 600歳~1000歳も実現できる、と主張する人もあるが、やっぱり、他人の2倍の希望・200歳でさえ 非現実的なのに、この主張は ミイラ問題なのである。

♣ 今日はおもしろい「話題」だったけれど、お年寄りの期待には沿えなくて残念な結論になった。でも明日には明日の風が吹くだろうし、今から その日のことに気に病んでも しようがないかなー? 1715字 Cf:#113

要約: 日本人の平均寿命は75年前の終戦時50歳、現在は100歳と2倍に増えた。にもかかわらず、お年寄りの中には「更に2倍ほど長生きしたい」という念願がある。 食料植物の場合、2倍の収穫が可能なように「2倍遺伝子」が工夫され、ある種の植物は2倍の収穫が可能となった。 人にも寿命2倍遺伝子が導入されれば寿命は200歳、つまり戦前の4倍になり得るが、100歳の姿で200歳になるのなら、スルメがミイラになった様子を見ることになっちゃうだろう。

参考 新谷、「寿命、え? 1000歳?」、福祉における安全管理 #578, 2016.

職員の声

声1: 80歳まで出産可能 !?とは、生まれて来る子供に対して無責任です(答:そのお子さんが40歳で成人式を挙げるとき、あなたは140歳で、あなたの仕事の定年まで まだ20~30年もあるのだ、嬉しくないか?)。

声2:人間は120歳まで生きられると聞きました;最近は“生きた長さ”より“生きた質”が問われています;つまり“質”とは何か?という哲学問答こそ生きる目的でしょう?(答:寿命は 遺伝子を放置のままなら120歳、遺伝子を改良すれば200歳まで行くだろう;あなた、濃い人生なら短くても良いって言ったのは本心だったのですか?)。

声3: 「長さ」より「質」が大切と思います;全員が200歳で、80歳のお産も普通となれば、今と何も変わりません;時空の世界を変えるより、現状で十分だと思います(答:ナポレオンは200年前にセント・ヘレナ島で死亡した(51歳);要介護6で彼を200年生かすとすれば100億円の出費だろうが、彼は有名な死に方をしたので、いまだに毎年何千億円もの利益をフランスにもたらしている)。

声4: “他者に迷惑をかけない”という遺伝子改良があるのなら してもらいたいです(答:現在の高齢者問題をつぶさに見ていると、夢・幻ながら ほぼ「超高齢=他者迷惑」の実態に近い;昔の100人から今の8万人(800倍)に増えた超高齢者は私たちの先輩だから あからさまに言えないが、全世界で はやはり大問題になっている;特にお隣の中国では)。

結論=寿命100歳を200歳にする必要なし、となったようだ。

(791) 無為意識の技こそ プロの神髄

 (791) 無 意 識 の 技 こ そ プ ロ の 真 髄 
 
介護の世界では いろんな人に出合う。

♣ 脳卒中後の片麻痺の人・認知症で 麻痺はないけれど 思うように動けない人・また逆に 何も思っていなのに「徘徊」で とんでもなく遠くに行ってしまう人 . . . さまざまだ。いずれの人にも共通な原理、それは「筋肉は脳の指令無くしては 動かない」という原理である。

♣ でも、あなたは思うだろう——はて、そうかな?と。 寝相が悪い人は 寝ながら 思い考えて動いているのかな? 野球のバッターは ピッチャーが投げた球を 打つか 見送るかを 判断したあと 打つ動作を始めるのかな?などなど思うだろう。つまり 人の行動は脳の命令なしでも できるのではなかろうか?無意識の技ってあるのではないか? 今日の話は この技を考える。

♣ クラーク・マックスウェルという19世紀の有名な科学者がいる。電気と磁気の働きを解明した人で、現代の電気モーターの恩人である。彼は言う:「私は電気と磁気が同じものだ、なんて ふだん 考えてもいなかった——私の脳の中に住む他人が あの考えを出したに違いない」と--ー電気と磁気は同じものの2側面である。

♣ つまり、彼は 「脳」には「手足を動かす脳」と「ものを感じる脳」があるらしい——ものを感じる脳の中に「自分の脳と他人の脳が混じっているのだろうか?」と言うことなのだ . . . 複雑だね。
2020-9-12 むかで 2

♣ こんな逸話もある。 一匹のムカデ 百本脚を動かして / 元気に歩いていると 蛙に出合った / 蛙が尋ねる / ムカデさん 一本の脚を動かした その次には どの脚を動かすんだい? / ムカデはそんな事を考えたことがなく 返事ができず / 以後 歩く時は 当分 ビッコを引いた。

♣ また、こんな日本話もある:- ある お殿様 何でも知っている物識り爺(じい)を家臣に持っていた / ある日 お殿様は爺に尋ねた / お前の立派で長い「あごひげ」は、夜 寝ている時に布団の中に入れるのか それとも 布団の外か? / 爺は返事に窮した、だって そんな事を意識したことがなかったから / 翌日 お殿様に召されて 爺は語った / それでは お殿様にお聞き申し上げます / お殿様は 厠(かわや)で ご用の後 / お拭きになるのは“前からですか それとも 後ろから?”/ 答えに窮したのは 今度は お殿様であった。ハ ハ ハ だね。
2020-9-12 beard 3 (3)

♣ 私たちは次のことをよく聞く:- ゴルフ・ボールがうまく飛ばないのは 打つ時の姿勢を分析しすぎるからだ; ピアノが上手にならないのは 鍵盤を叩く指の順番に気を取られるからだ; ご馳走がおいしくないのは レシピに踊らされて作るからだ . . . 。つまり、ここに「意識する知恵の脳」と「無意識に働く心の脳」の葛藤(かっとう)があるようで、上記の から の現象は とても面白い観察だと思う。

♣ 私たちは「なにげなく行ったこと」で かえって完全無欠の域に達することがあるようだ。でも その秘密を教えてくれ、と尋ねられても なかなか「言葉では」説明できない。たとえば、鶏のヒヨコが孵った(かえった)とき「おす・めす」の判別をするが、ヒヨコのお尻からは 説明できる何の特徴はなく ただ 名人の手に倣(なら)って訓練を重ねると判別できるようになるそうである。

♣ 私たちの仕事を振り返ってみれば、教訓はいっぱいあるよね。たとえば 「人を面接をするとき」、相手の返事を聞くだけでなく 彼の発する「オーラ」 (体から出る霊的な雰囲気)を掴みとれ; 「利用者の調査に行ったとき」、書類の欄(らん)を埋めるだけでなく、忘れないうちに「印象」を書き残しておけ。

介護の実務は「脳の判断」に頼るのは当然であるが、「脳の指令がなくても、心で手足は動くように訓練せよ」などがある——飛行機の難しい操縦は そうしなければうまく飛ばないという — 知能だけに頼っていると 間に合わない。

♣ 私は このような「無意識の技こそプロの真髄だ」と感じている。つまり ⑥~⑧ の教訓のように、手足の筋肉は 大脳の指令がなくても「心で動く」のである。

♣ でも どうして?その説明は? それは 介護の腕 と同じで「習うより 慣れよ ! 」なのかも知れない。1699字 Cf#384

要約: ヒトの筋肉は「意識的に手足を動かす脳」と「無意識に感じ反応する脳」の二つの異なった脳、そのいずれもが独立した反応する。 そんな例として「野球のバッター、マックスウェルの磁気、ムカデの足、長い顎ひげなど場合」を挙げた。 ここから帰結される結論:「介護の実務は「脳の判断」に頼るのは当然であるが、「脳の指令がなくても、心で手足は動くように訓練せよ」 と言えよう。

職員の声

声1: 私の経験です:区役所の電話番号は 指が勝手に動いて繋がります ~ 誰かに番号を尋ねられても 私の指しか答えられません(答:パソコンのキーについても しばしば そんな感じがあるよね -- でもアキレス腱反射のように”動物的反射”ではなく、「知性」の加わった反射でしょう)。

声2: 無意識に使える技こそプロの真髄です —— 習うより慣れよ !(答:この点はよく自動車運転の心得にたとえられるよね。また、良い介護士さんの会話を聞いていると 惚れぼれすることがある)。

声3: ケアの場合、「手順書に気を取られて」しまうと 肝心の“観察”に 見落とし が出てきます、まさに「習うより 慣れよ」の世界です(答:手順書は 行動の基本を述べるだけであり、決してご利用者が発する“オーラ”を見逃さしてはいけない)。

声4: 昔は「師の技を盗む・見て聞いて覚える」でした:今はマニュアルの時代 ~ でも マニュアルに書いてない事は“できない・知らない・分からない”で平気、となりました(答:今それではダメですよ ! 大事な事は いかにアンテナを張り巡らし ・理解し・取り組み・対応するか、が問われているのです)。
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ふじひろパール

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「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

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