(643) 誰 の Q O L ?

(643) 誰 の Q O L ?  

  QOL は、ふつう「 生命の質」 と訳され (Quality = 質)、福祉の世界では “幸せで生き甲斐のある生命” という意味である。

♣ しかし “Q” は Quantity(量)のQかも知れない … この場合のQOLは「生命の量」(Quantity = 量)、つまり多くの場合「延命」を意味する。だから単にQOLと言えば、「質?量?」 が曖昧となり、両方をと考えれば「幸せな長生き」という意味にとれる。

♣ これは大変結構なことだが、日常の食事の例を引くまでもなく、「質も量も」満たすことはなかなか容易ではない。“QOL” は一般国民にも用いられる言葉であり、ここではすなおに “Q” は「生命の質」と考え、以下ここではQOLは「生命の質」の略語とする()。
誰のQOL?
♣ 日本は戦後、経済の高度成長と共に福祉が著しく発展し、人口の増加、特に老人の数が 7 倍に増え(4 % → 28 %)、今では福祉の「質と量」の両方を満たすことは困難に面している。たとえば「胃瘻設置」の場合、さしあたり命の量を増やすことはできても、命の質を回復する効果はないからである。

♣ 日本では古くから「命あってのもの種」と言われ、命さえあれば その質の良否に注文をつけない、という習慣があった。しかし、1970 年代の金融バブルと経済余裕で、日本には「求めるなら上質な命を」という社会的合意が育ち、アメリカから輸入された QOL と言う言葉がもてはやされた。

♣ QOLは まず医療の場で、治りさえすれば良い医療から、手間暇が掛かっても、きれいな傷で治る外科手術や副作用の少ない薬物などが求められた。

♣ ところが、ひとたびQOLの魅力が社会的に認められると、そのうち、人々はそのQ(質)を保ちながら量の(Q)も増やしたいと思うようになる。人々は好きな食べ物を我慢してまで長生きしても意味がない、と主張する。かくして 肥満・糖尿・高血圧 などのメタボ状態が大目に見られる。

♣ でも、こんな乱暴・勝手な人たちも、いざ病気となると長生きを求める。だが、傷んだ体で長い老い先を望むのは矛盾であって、70 歳代で世を去ることは避けにくい。要するに限られた体力を乱暴に使えば早く終わりが来る、という分かりやすい理屈通りなのである。

♣ さて、2000 年に介護保険が実施されるようになると、医療で使われた QOLの考え方が、そのまま、高齢者介護にも使われるようになった。例えば 95 歳の人のQOLって何だろうか? 日本の実態は、その人の健康状態とは無関係に 「延命第一」 が尊ばれる。それ故に救命と延命がゴチャマゼになり 延命 → 胃瘻設置 の流れが受け入れられてきた。胃瘻は要介護 5 に相当し、年間経費が約 900 万円掛かるが、介護保険のお蔭で家族負担は極楽蜻蛉(トンボ)、日本は世界で独特の習慣の国になってしまった。

♣ 世界の先進国では「命の尊厳」を尊ぶがゆえに「延命胃瘻」を優先とは考えない。日本だって尊厳の考えは同じで、介護保険制度の「前文」には 「高齢者の尊厳と自立支援」 を目的とする、と書かれている。だが、胃瘻の現実は、延命に成功したけれど大部分の人は意識も会話もままならない状態を保持されている。何とかして生命の質(Quality)」を元通りに回復させたいと誰もが願うが、パールではこの状態を 9 年間続けておられる事例もある。

♣ あなたの場合、もし望まれたら Quality(質)か、Quantity? (量)のどちらを選ぶだろうか? え?両方だって? まあ、それも 王様・女王様 ならお金に飽かして叶えられるかも知れないが、いまや地球は過密人口の 70 億人、世界的には食糧難だ、どちらかを選ぶべきだろう。

♣ 私なら、「質素で自立できる老後」を選ぶ。でも、もし 自分が自立できない高齢になったらどうするかって? そのときは、「生命のルール」 に従ったら どうだろうか? その「ルール」とは、いま社会を支えていて健全な生命活動をしている人たちを優先することではないか?

♣ 地上の生命は 38 億年このかた、誕生・成長と繁殖・世代交代 のサイクルで発展してきた。老後を幸せに暮らす老人のQOLと、子孫繁栄の道を勤め励む若い人たちの QOLと、いずれも大切であるが、老人が過剰に若者に寄り掛からないようにするのも同じく大切ではなかろうか?

♣ あなたは今まで、大切なQOLと聞けば、それは お年寄りのQOLだ と思っていなかったか? はっきり言って、それは違う ! それは、社会を構成するみんなのバランスのとれたQOLのことなのである。

♣ なかんずく、これから育って社会を担っていく若者のQOLを一番先に考えなければいけないのではないか? 1884 字

要約:  命はありさえすれば良い、というものではない;その「質」が問われている。 社会が裕福になると、命の質と量(長生き)の両方が求められ、しばしば若者を犠牲にしてでも老人の命を尊ぶという流れが出てくる。 命の質とは老人と若者の「両方」の命の質である … 特に子孫繁栄に直接寄与する若者の立場を軽んじてはならないと思う。

参考:  新谷:「あなたの輪廻(りんね)」;福祉における安全管理、# 323、2012.

職員の声

声1: 私は QOLについて、Q = Quality(質)だけしか考えていなかった … Quantity(量)もQで表せることを今日知った;確かに「質」と「量」を混同しては社会に混乱が起こる(答: その典型が「胃瘻延命」だ; 生命の質を無視して量を増やすのは問題となっている)。

声2: 日本の高度成長時代に「贅沢+延命 = 高いQOL」と間違って定義されたのだろう(答: 人様のお世話になるのだから 「質素と自立」 を旨とすべきではないか?)。

声3: 私は質が良好であれば量にこだわらない;いつまでも若者の「寄生虫」でいたくない(答: 日本では「猿山に餌を与えて 猿害(えんがい)に悩んでいる人がいるけれど、猿の QOLと人間のQOLの区別ができないと困っちゃう。)。

声4: 老人のQOLを確保するために 若者のQOLを奪ってはならない、という お話の趣旨が心に残った(答: 退役軍人は大切に … しかし現役の軍人は もっと大切に、というのが賢い道ではなかろうか?)。

(637) ス マ ホ 呆 け と シ ナ プ ス

(637) ス マ ホ 呆 け と シ ナ プ ス 

有る脳は “使え ! ” というのが今日の話題の結論になるだろう。

♣ 近年のデジタル機器というのは “楽(らく)して便利”、すごく有難いもので今や日常的に欠かすことができなくなった。だがその便利さと引き換えに私達は 「考える事や頭を使う事」 が少なくなったように思う。SF小説の元祖である アイザック・アシモフ は 50 年も前に、本人は半信半疑ながら予言した:―「将来 100 年も経てば、“子供を持つ親は、子供が何処で何をしているかが見える装置をポケットに入れているだろう” と。

スマホ呆けとシナプス

♣ なんと、100 年どころか、30 年後にその予言は的中し、パソコン・携帯電話・さらにスマートフォン全盛 (図1) のデジタル機器が子供の居場所だけでなく あらゆる社会現象を報告してくれる時代に進んできた。でも、“それで子供のことを心配せず、幸せがやって来たのか?” と尋ねられれば、あなたは何と答えよう? 幸せの Yes ! ~~困ったなの No ! 、両方あるのが現実であり、それが今日の話題・「スマホ呆け」である。

♣ デジタル情報というのは正確で親切だから、私たちに代わって物事を果てしなく “教えてくれ報告してくれる” 。昔はルート 2 (√2) の値を 「一夜一夜に人見頃」 ( = 1.41421356) などと歌い、苦労して覚えたものだが(図2)、いまは割り算・掛け算・平方根などが安っぽいポケット電卓で瞬時に出てくる。文章・音声・画像記録も自由自在 … つまり人は頭を使わなくても 「指先一本で」 自分の望む正確な情報を手に入れることが楽になったのだ。

スマホ呆けとシナプス

♣ 街を歩いていると、スマホを左手に持ち、右手の指でそれを操作しながら、周囲を気にせず道を歩く人を時々見かける。自動車で走りながらそれをする人もある … 危ない ! スマホに熱中する気持ちは分かるが 交通に気を付けなければね。それほどスマホは人の心を吸い込む力があると言える。

♣ だが、デジタル機器は所詮人が使う道具であって、人がそれに使われるものではない。にも拘わらずゲーム感覚で、日がな一日スマホで時間を過ごす若者も少なくない。便利さを楽しむ限りそれで何も問題はないが、やっぱりやり過ぎは危険をはらんでいる。その結果、人はいったんスマホから離れると不穏な気分に襲われる。

♣ パールのある職員は、”記憶力が弱くなり仕事や生活に支障が来る”、と悩みを打ち明ける。“ぐうたら” 状態が続き、集中力の欠如が起きるけれど「脳トレ」をする気にはなれない、と言う。まさに 「スマホ認知症」 と言うべきだが、その人は老人でなく若者だから「認知症」とは言えまい。認知症は主に脳細胞が脱落する老人に起こる症状であり、しかも “非可逆的” だ … スマホで起こる症状は治すことができるから認知症ではなく、それは 「スマホぼけ」 、またの名を 「ものぐさ呆け」 というのが良い。

♣ そこでナゼこんな「ボケ」が起こるのかを検討してみよう。脳の働きは「神経細胞」(ニューロン)の働きに依存する。図3 で、“ひとで” のように枝を張っている細胞がそれである。左の脳細胞は右方向・時計の 3 時方向に長い枝(軸索)を延ばしていて、その先が四つの枝に別れている。その枝の末端が隣の脳細胞に接している――この末端部位を 「シナプス」 と呼ぶ。神経細胞はこのような構造で一つの細胞が次の細胞に連携して情報を伝え、脳全体としての綜合機能を果たす。

スマホ呆けとシナプス

♣ 人間の大脳にはおよそ 150 億個の脳細胞があり、それらが上記のシナプスで繋がり合って高度な回路を作っている。脳の働きは脳細胞の数で決まるが、同時に情報を伝達するシナプスの数によっても決まる。脳細胞の数はその人では一定で変わらないが、シナップスの数は脳を使えば使うほど増えて行き、脳全体の活性を増大させている。

♣ シナップスは、赤ちゃんで生まれた時には少なく、前向きの経験と教育によって日々増え、人はだんだん賢くなっていく。「受け身でものぐさな生活」をするとき、シナプスは増えず、むしろ減っていく。そのとき脳全体の活性は低下し記憶力も判断力も弱まり、症状は年寄りの 「認知症」 に似てくる … 「スマホ呆け」 はこのような機序で起こるのだ。

♣ これを「スマホ認知症」と呼ぶ人もあるが、もし本当の認知症なら、図3 で見られる「ひとで形」の神経細胞そのものが脱落するので回復することはない。しかし「スマホ呆け」なら、問題はシナプス数増減の “可逆性” にあるのだから、必ず治る ... つまり 「ものぐさ」 なスマホ熱中を改めれば良いのである。

♣ まあ、月並みの助言ではあるが「有る頭は使え ! 」を実行すれば、スマホ呆けは必ず回復してくる。1852字  

要約:  デジタル全盛の時代になって、人は楽になった反面、脳をあまり使わなくなった。 情報に受け身で接すると、脳の情報伝達を司る 「シナップス」 の数が減ってしまい、記憶力・集中力の低下、脳全体の活性も低下、「スマホ呆け」 の症状に至る。 情報を前向きで取り込めば、シナプスの数は回復する … 「有る頭は使うべき」 である !

職員の声

声1: 本日 「シナプス」 なる言葉を始めて学び、脳に関する積年の疑問が解かれた思いである(答: “単に頭を使え ! ” と言われるよりも説得力があるよね)。

声2: 4 ・ 5年前、自転車の前後に子供を乗せて走りながら 「携帯」 をいじっていた主婦に 「危ないですよ ! 」 と声を掛けたら 「うるさい、ジジイ ! 」 とにらまれた(答: その状況、目に見えるようだ ! )。

声3: 私はもう 「スマホ呆け」 だ … 困った時、ヒマな時も完全な依存症で あせっている(答: 理事長のお奨め通りに、ちょっとは頭を使いましょう)。

声4: 電卓が世に出た時「暗算ができなくなった」; ワープロの時は「漢字が書けなくなった」; 今度はスマホですか?「記憶・判断力の低下」か?… 先行きどうなるだろう?(答: 人間は「籠(かご) 」→ 汽車 → 飛行機 と旅道具を変えて器用に便利さを享受してきたけど、今度は厳しいね)。

声5: 今でさえ便利過ぎるのに、これから育つ子供たちがスマホの便利に包まれると、若年性認知症 が増えるのではないか?(答: スマホは脳細胞を減らさず、シナプスを減らすだけ だから、この事を意識して我々は脳を使って行こうよ ! )。

( 645 ) や さ し く 無 視 す る

 (645) や さ し く 無 視 す る

在宅ケアの例をお示ししよう。

♣ それまで優雅さと気品に満ちた女性(N さん、77 歳 女性)が、昨年の暮れ、尻餅・転倒を機に、金銭と健康の不安が急速に進み、希死願望(きしがんぼう)が強まった。衣服やお化粧に無頓着、生活全般でワーカーへ依存しきるようになった。

♣ この例は ワーカーのケア対応限度を越えていると思われるので、精神科医のご意見を頂いた。そのお話はとても教訓的だった … 日本人は 一生のあいだ、ウツにかかる人の割合が3割くらいあるそうだ。だから このお話はあなたの勤務周辺または在宅ケアの中できっと応用できると思う。

O先生のお話:  この 77 歳のN さんはウツ(鬱)を発症されたのだろう。ウツは中学 1 年生のころから全年齢にわたり発生する。一見、元気そうに見えるが、本人は山の上、テッペンで独りぼっちなのである ()。そこで、ウツに良く見られる 「二つのタイプ」 とその特徴を説明しよう。

優しく無視する

♣ (1) 治りにくいタイプ: (A) 原因が 「環境」 にある場合: たとえば、性格的に自分と合わなくて “耐えられない” と思う仕事や上司がある場合の治療は、その「原因の除去」をしないと “治らない” 。また、自分の能力を越えている仕事の従事なども その原因を取り除かないかぎり “治らない” 。

♣ (B)原因が「」にある場合: 単に 悩みを聞いてあげるだけではダメ ! 正しい資格のある精神科医のカウセリングが必須である —— そして「出口」(=治療目標)の設定が大切だ。

♣ もし相談相手が内科医であれば、彼は親切に診て下るだろうが、大抵は 「安定剤」 で様子を見る ―― それでは症状はますます悪化する。ここで必要なことは、正しい 「抗うつ薬」 でキチンと治療することのだ。内科医は一般にそれが出来ない !

(2) 治るタイプ: 初診の初期で、治るタイプか治らぬタイプかが すぐには判然としない場合もある … そんな場合であっても、初期薬効の成績によって、治るタイプであることが判明する。仮に「治るタイプだ」と判明しても、患者さんは全力を挙げてウツと戦っているのであり、決して 「頑張ってね」 と 「叱咤激励」 (しったげきれい) してはならない。

♣ その理由は、マラソンでゴールインした時に、もう一度走り直せ ! と激励するようなもので、患者さんはそれを聞くとへたって絶望してしまう。同情したり、気分転換(温泉など)を勧めても患者さんは疲れるだけだ ! 薬を 3 ヶ月、キチンと使いながら 「やさしく 無視」 するのが最大のコツであり、こうすれば、基本的には 3 ヶ月で治る。あとの 3 ヶ月は経過観察、計 6 ヶ月で終了する。

♣ O先生のお話をきいていて私は思った:―― ウツを医師に紹介する場合の大事なコツは、ドクターなら誰でも良い、と安易に考えては 良い結果が得られないのだ。人気のある精神科医であっても、ベルトコンベアの診療はダメらしい ! O先生は、初診時に 50 分掛けて、上記の「治る・治らないタイプ」の鑑別をしっかりしながら裏にある事情を訊き出す、とおっしゃっていた。ウツの背景は 通常たいへん深く複雑だから、それを一般外来の 3 分診療で見つけ出すのはとても困難なようである。

♣ キチンと予約時間の取れる初期診療システムを探すのが最大の問題解決に繋がるようだ。介護の場で「ウツっぽい仲間や関係者」に出会う事もあるが、不断の会話や相談で 「優しく見守って知らん顔をする」 ことは気をつけなければならない大事な心得であることだと思った。1445字

 要約:  ウツは中学 1 年生の頃から以後 全年齢に亙って発生する。 治りにくいタイプのウツは「環境」と「心」の不安定さを是正する必要があり、“安定剤” でごまかしては悪化するのみである。 適格な “抗うつ薬” を 3 ヶ月几帳面に用い、対応は「優しく無視」することが必要で、決して「頑張ってね ! 」と激励してはならない。

参考: 新谷:「了解不能の臨床」;福祉における安全管理 # 617, 2017.

職員の声

声1: ウツってどんな病気なのか?(答: 精神の不調原因は不明なものが多いが、「了解不能」という言葉を分母(ぶんぼ)として臨床を数式で表せば大まかに次のようになる:―― 認知症 = 了解不能 / 了解不能、統合失調 = 妄想 / 了解不能、ウツ = 極小気分 / 了解不能

声2: だから無関心な無視ではなく「やさしく無視」が有効なのか、良いことを聞いた(答: ドクターにとってみれば、ご自分の家族の一員という扱いになる; 干渉しすぎず、しかし離れず見守る)。

声3: 病気の人には、ふつう 「頑張ってね」 と励ます; なのに、ウツの場合には励ましては逆効果なんて、初めて聞く(答: 励ました結果 自殺、という例は沢山ある; 頑張ってね は “禁句” だ !! )。

声4: ウツかどうかの判断は難しいので、ドクターにバトンタッチ;特に「死にたい ! 」と言う人なら、なおさら(答:日本で死亡原因の 5 位はウツによる自殺、年間 3 万人に及ぶ;その目でみつめ、助けてあげよう)。

(650) 物 忘 れ の 心 配

 (650) 「物 忘 れ」 の 心 配   

 中年を過ぎても 過ぎなくても、「物忘れ」は人の大きな悩みである。でも、もし人類に物忘れ現象が無かったら、若い時の受験勉強に苦労 はなかったハズだ。

♣ しかし、程よい歳になると 自分の物忘れが 只の物忘れによるものか 認知症の初期なのか、この判別がつきにくく、気になるひと時がある。家族や仲間に笑われたりすると すっかり自信を失い、自己嫌悪 に陥る人もあるだろう。そんな方への何か 注意点や対応方法があるかを考えてみた。

♣ 年齢に伴う記憶力の変化は 大変緩やかなので、誰にも気付かれない時期が長い。しかし、よんどころなくなって病院に相談しようと思っても、まだ精神科は「敷居が高い ! 」と思う方は次の事を参考にされるのが良い。認知症のおよそ過半数は 「アルツハイマー病」で、残りは「脳血管性」その他である。

物忘れの心配

①アルツハイマー型 の認知症の最大の特徴は記憶障害であるが、それは「極めてゆっくり」となめらかに進行する。脳血管型の認知症とは異なり、階段状の進行は見られない。若年性のアルツハイマーは 45 歳ころから現れるが 日本ではまだ数が少なく、多くは 65 歳を過ぎてからである(図1)。その基礎病変は老人性の「大脳細胞の減少」だ。

♣ 脳細胞は大人になると、正常な人でも毎日 10 万個 ずつ失われる。これはまともな老化現象であり、何も脳に限らず「毛髪・視力・聴力・残歯数など」に共通に認められている。しかし認知症では、この脳細胞の喪失スピードが正常の 3~5 倍も速く、これによりいろいろな精神症状がもたらされる。

♣ なぜこうなるのかの原因はいろいろ検討されているが、間違いのない臨床的事実は、それが 「年齢と直線的に相関する」 という所見である(図1) ... つまり 65 歳までの「度忘れ」はほぼ認知症に非ず ! アミロイド・ベータ説は根強い主張だが、右肩上がりの この図の所見は説明困難である。

♣ アメリカのレーガン元大統領は任期 4 年後にアルツハイマーと診断され、転倒・外傷を重ねて誤嚥性肺炎のあと、12 年後に亡くなった。イギリスの元首相・鉄の女サッチャーも退職後 認知症に陥り、転倒を重ね、11 年間に及んだ華麗な経歴をすっかり忘れてしまった。どんなに偉かった人でも、ごく普通の認知症で逝ってしまう。

♣ 認知症の最大の特徴は 「近過去の記憶喪失」 であるが、当の本人はそのことを悩むことが皆無で、もちろん「自己嫌悪感」もない。つまり、中年ないし初老の人々が悩む 「物忘れの自己嫌悪」 とはご縁が無いのである ! もし 「ど忘れの自分」に “悩みを感じること” があるのなら、「自己嫌悪の有り」 だけで 「認知症の無し」 が自動的に決まる。

♣ これに対し② 脳血管性認知症は、脳出血・脳梗塞・クモ膜下血腫などの脳の病気後に現れる認知症である。つまり前病歴があって、麻痺などの神経症状が伴えば疑うことになる。この場合、物忘れの経過にも特徴がある。それは 「階段状」 ともいわれ、降りする階段のように、症状が 月日によって “急に悪くなったり” また “安定したりする”—— これが何回も繰り返される—— そのたびに 小さな脳梗塞が広がって行くことを表す 。

♣ 問題を感じている あなたはどんなに悩んでもまだ若くて、脳血管性の認知症でないことは確かだろう。

③ その他の認知症:――「妄想型・窃盗型など」 があるが、あまり全世界的にはポピュラーな名称ではない(図2)。ここでお伝えしたいことは、認知症という名称の由来である。この病気はすでに 600 年前に記載さており 1 ) 、以後もれっきとして存在していた。その名前は 「老人ボケ」 であり、やっと 100 年ほど前にアルツハイマー病とされた 2 ) 。近年の日本では「老人性痴呆」と呼ばれていたが、2004 年に 「認知症」 と改名された。だが諸外国ではまだ「痴呆・dementia」のままである。
物忘れの心配

対応の仕方: ―― 認知症の症状には A = 中核症状 と B = 周辺症状 がある 3, 4 ) A は脳細胞の減少に基づく症状であって、記憶減退・見当識の障害などがあり、これは時間経過とともに必ず進行して行く――現在、治療の方法はない。B の周囲症状は医療・福祉の出番であり、これによって症状の回復~安定の道が期待される。

♣ 認知症は 脳細胞数の減少によるが、「老化現象の進行」と同様に、根本療法はない 5 ) ... つまり、上記のレーガン元大統領やサッチャー元首相時代の療法と大きな違いはなく、対症療法で終始する。すなわち、中核症状は賢く受け入れ、周辺症状は薬物と介護で平穏へと導く。

♣ 病気の発症を予防する方法は、若年時代からの「生活習慣病」のコントロールが主力であるが、今のところ若返り法はない —— あるのは近代の 「優れた福祉の対応」 だけではないだろうか。1787字  

結論:  我々は時に自分の「ど忘れ」を気にして、自分が認知症の初期か?と思うことがある。 認知症には約 14 種類の分類があるけれど 5 ) 、実質的には アルツハイマー型と脳血管型の 2 種類であり、いずれも主に 65 歳を出発点とする。 認知症には中核症状と周辺症状があるが、「忘れた」ことを自覚できる あなたの「物忘れ」なら、それは認知症ではない。

参考: 1) 新谷:「痴呆以前」; 福祉における安全管理 # 2, 2010. 2 ) 新谷:「アルツハイマーの扉」; ibid # 601, 2016. 3) 新谷:「中核症状って蛙の脳に近づく?」、ibid # 640, 2017. 4 ) 新谷:「周辺症状の怪?」、ibid # 641, 2017. 5 ) 新谷:「認知症は 治るか?」; ibid # 603, 2017.

職員の声

声 1: 忘れたことを自覚できる「物忘れ」は決して認知症ではない ! (答: このことこそを 職員がしっかりと記銘しておこう … 自分自身が曖昧では他人の指導は困難だ)。

声2: 100 歳で認知症になる確率は 90 % ですか?ならば残る 10 % はナゼ認知症にならないのか? 遺伝も関係するのか?(答: 残る 10 % も 110 歳 までに いずれ全員認知症になる … 若年性の認知症は遺伝素因が原因のことが稀にあるが、 “認知症にならない遺伝子”というもの はまだ報告されていない)。

声3: 私は「物忘れ」が多く、脳トレも苦手だ … 認知症のリスクは高いだろうか?(答: あなたはまだ認知症年齢からほど遠い… だが 「スマホぼけ」 の可能性がある … 次回の “安全管理” (スマホぼけ) を参照のこと)。

声4: 私の母は「夕暮れ症候群」で家族を困らせ、父はそれを受け付けず叩いていた … 病院で MRI検査 を受け、正しい説明をされたあと、父は親切になった (答: キチンとした家族教育が大事であることを物語る ! )。 

(649) 多 死 社 会 は ”天 寿 死” の 社 会

(649) 多 死 社 会 は ”天 寿 死” の 社 会

現代は “多死の社会” と報じられている。

♣ 「多死」 とは単に死亡者が増えた、という意味だ。医療が発展し、介護施設が増えて人の死亡がウンと減ったハズなのに、「死亡者が増えた?」 … とは合点がいかない。確認 してみよう(図 1)。

♣ 上の図は 1920 年 の日本の、下の図は 2015 年 の図で 約 百年前後 の経過 を示す。若年 [緑] は僅かに減っているが、中年 「青」 は 3 倍に増え、高年 「茶] に至っては 10 倍 近くに増えている。

”多死”社会って何?

♣ つまり、現在の人口は、働く人も、老後の楽をする人も著しく増え、人々の長寿の夢が実現されている事を表す「幸せの図」である。それなのに、現状は「多死社会」という 暗い言葉 で評価されているが、いったい何処が問題なのか?高齢者 [茶色] が 10 倍も増えたのに、死亡数は昔のまま、という訳にはいかないだろう?そこで「茶色の面積」がこんなに巨大であることの意味を探ってみたい。

図 2 は「出生数と死亡数の経過」を示す。上下 2 本の折れ線があるが、まず上の折れ線の「出生数」を見よう。出生数は「産めよ増やせよ」の掛け声とともに、明治・大正・昭和を通して 4 倍に増えた。
”多死”社会って何?

♣ ピーク時には一年に 270 万人(団塊の世代) … その 30 年後に産まれた子供たちが 210 万人の第 2 波のピークをこしらえた(図 2、団塊のジュニア )。ところが社会の変化に伴って「団塊の孫」の世代には予想されたピークは見られず、その後の出生数はひたすら減衰の一途をたどって現在の毎年 100 万人を割るレベルに至っている。

♣ 「死亡数」の経過は大変おもしろい(上から 2 段目の折れ線)。まず明治から大正にかけて、死亡数は出生数に並行するように増えた(図 2)… その大部分は乳幼児の死亡の「多死」で、発展途上国の人口パターンであり、これでは社会は繁栄しない。ところが、終戦と共に、出生数は 270 万の巨大なピークをこしらえた … にもかかわらず、死亡数は従来のように増えるどころか、逆にガタンと減ったのである !

♣ その理由は戦後の平和に加えて、医療の発達が大きく関与している 1 ) 。そのお蔭で、戦後には出生数が多くても、逆に死亡数は減り、実際 日本の人口は 6 千万人から 1 億 2 千万人に倍増した。しかも「過去の人生 50 歳死亡の予定」の人達まで 30 年ほど死期が猶予され 1 ) 、平均寿命が 80 歳を越えるに至ったのである。

♣ しかし人間、病気は医療で治せても 寿命の問題 はどうすることも出来ない。それを暗示するのが 1980 年頃の死亡数増加である(図 2)。従来の死亡数は主に乳幼児の若年者死亡であったが、近年の死亡は人生を生き抜いた後の高齢死亡に変わってきたのであり、これ以上の理想は考えにくい !

図 2 をよく見る ... 現在の年間死亡数は 130 万人、これは大正後期の 130 万人とほぼ同じ数であるが、その中身は天と地ほど違う … 大正の死亡は乳幼児死亡、これに対し平成では天寿高齢の死亡だ ! 更に、介護保険は2000年に導入にされ、その努力によって平均寿命の延びが加速されると予想されたが、不思議なことにその延びは従来と変わっていない--介護保険でナゼ寿命の加速が観察されないのか?宿題である。

♣ そこで考える――人間の「天寿」は いったい何歳だろうか? 仮にそれを 100 歳とみれば、「体」 (からだ)の寿命は 100 歳で既に終わっていて「ヨ レヨ レの老域」であり 2 ) 、「心」の寿命でみれば、認知症が著しく増え、110 歳では 100 % に達する 3 ) 。つまり、現実の人間は 100 歳で身も心もほぼ使い果たされてしまう … 個人差はあるが、100 歳は、もって瞑 (めい)すべき天寿ではないだろうか?

♣ だがマスコミは「多死」の時代をあたかもそれを “予期しない不当かつ改良できる死” であるかのごとく報道する。それは違うだろう ! ―― 老化は別として、治せる病気は医療によって治され、また介護システムの発達によって高齢者は大成天寿に達しているのだ … たまたま昔の多産時代の人たちだけが、今や齢をとり 「矢尽き刀折れて」 多数の死亡に繋がっているだけの事であって、それ以上の作為は何も無い。マスコミの表現 = 「多死の社会」は変更して多産後の「天寿死の社会」と言い換えるのが “まっとう” なのではないか?

♣ さらに 40 年後の将来、団塊の世代の第 2 波が 80 歳を越える頃には、間違いなく「少産・少死」の時代がやってくる。マスコミは “日本が滅びる” と騒いでいるが、目を広く見張ってみよう … ヨーロッパ諸国の人口は日本の昭和前期時代の人口 = 6 千万人程度が主流である。「進化論のチャールス・ダーウィン」は述べる ――新しい環境 (ここでは少子)にうまく適応した生命のみが進化の道をたどる、と。

♣ 日本は辿れる限りの進化の道を辿ってきて良き現在に至ったと思えるが、皆さん方はどんな意見をお持ちになるか? 1758 字 

要約:  日本の人口は「多産・多死」であったが、終戦を機に「多産・少死」に転じ、人口は明治の 4 倍に増えた。 現代は「多死」社会と言われるが、その根源は 80 年ほど前に産まれた多数の国民が、30 年に及ぶ老年期延長の恩恵によって長命になり、今や集団的に天寿を迎え始めたこと(天寿死)に求められる。 将来は「少産・少死」になるが、もし日本が少子社会に適応できれば、そこでまた新しい進化の道が開かれるであろう。

参考: 1 ) 新谷:「死期猶予 30 年と介護界」; 福祉における安全管理 # 460, 2014. 2 ) 新谷:「命の設計図」; ibid # 633, 2017. 3) 新谷:「木を見て 森も見よう」; ibid # 598, 2016.

職員の声

声1: 過去に人口の増えた「戦前・一次二次の団塊」の三世代は、その揺れ戻しが 80 ~ 100 年後 に「多死時代」となるのは理の当然 … 多死の数字を見て不安視する人は考察力不足なのだ(答: マスコミは無い問題をさもあるかの如く掘り起こして、遊んでいる)。

声2: 日本の出生数は毎年 100 万人 を割り込み、それが社会不安を起こしているのか?(答: それでも総人口は 1.2 億人 … ヨーロッパ各諸国の 2 倍以上だ … 日本はきっとこの人口の半分くらいになっても、それに適応し、進化の道から外れることはないだろう)。

声3: 超長寿の高齢者は「健康寿命」も長いのか?(答: およそ 85 歳 を越える高齢者は、身体・経済・社会的に自立のできる健康寿命を卒業、次の「依存寿命」に移っていく)。

声4: 人間、ある操作をすれば人々は長寿になり、同時にボケの問題を招いてしまう … 良かれと思ってすることが “すべてhappy end” に終わるとは限らない(答: まったく人とは矛盾だらけだ … みんな長生きを選ぶのに、長生きした老人は 自分の選んだ道なのに 「長生きしているのが辛い」 と必ずおっしゃる)。

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
安全管理 ふじひろのページ

最新記事
全ての記事一覧
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
QRコード
QR