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(715) 認 知 症 も 生 活 習 慣 病 か?

(715) 認 知 症 も 生 活 習 慣 病 か ?

世の中は高齢社会を通り抜け、「超」 高齢時代になっている。もし自分が超高齢の独身であったら、どんな生活が待っているだろうか?

図 1 の一番上の列を見られよ――これは 戦後 昭和 22 年の男性の生涯パターンを示す。ご覧のように、昔には 「老後」 なんて存在せず、子育てが終われば 55 歳の定年が来る前に死んだものだ。その下の列は それぞれ 昭和 55 年、平成 24 年の状況であり、この頃 やっと 「老後」 が誕生した。

♣ 老後がない時代には、癌や脳卒中はほとんどなく、認知症なんて聞いたことも無かった。ところが今は老後が 30 年以上たっぷりあり、日々の暮らしをどうしたらよいのかを考える時代である。
認知症も生活習慣病か?

♣ W.H.O.(世界保健機関) は寿命を 「自立」 と 「依存」 に分ける。統計上、男は 70 歳・ 女は 74 歳までは 「自立」 であるが、それ以後、病院や介護保険などのお世話を受ける 「依存」、つまり、蟻に助けられるキリギリスのようになる。

♣ その上、65 歳を越えると 年々 「認知症」 が増え、100 歳ではそれが 9 割を越す(図 2)。しかも、老人の数は昔の 7 倍に増え (人口の 28 %)、このままなら、増えた敬老負担で 若者は押し潰されてしまう。 --- 図は 縦軸= 認知症の頻度 横軸=年齢 ーー。
 
♣ 振り返ると、戦後 20 年間程度、日本の死亡のトップは 「結核」 であったが、医療の進歩・ 生活の富裕化とともに結核は消え、「糖尿病」 が増えた。続いて 「心筋梗塞・ 脳卒中、更に続いて 癌 」 が死因のトップに入れ替わった。これらの病気は生活の富裕化に伴う寿命延長の結果でもあり、自分で招いた病気、つまり 「自己責任病」 とも言われた。

認知症も生活習慣病か?

♣ 子孫繁栄のために、神様 が保証された人の寿命は 子を産まなくなった更年期で終る。だが人は更年期以後にも寿命が続くべく工夫を重ね、長生きするようになった。ただしこの場合は 「神頼み」 の恩恵が得られないから 「自力で」 正しく生きる必要があった。もう、神様任せの人生ではなく、自己責任で生きなければならなくなったのだ。

♣ だが、人間は野放図 (のほうず)に事態を放置し、勝手に食べ過ぎては糖尿病に悩み、脳動脈硬化の結果 脳卒中に陥った。癌 は不思議な病気と思われたが、その 8 割以上は自己責任病であることも判明した。つまり、人間は 「老後」 を節制することなく楽しんだ結果、これらの自己責任病を招いて、勝手に新たな死の脅威にさらされるようになったのである。人は近年著しく増えた 「認知症」 に対し、果たしてどう 付き合って来たのか?

♣ 以前、この疾患の原因は、血中の ベータ・アミロイ ド という物質 が大脳に貯留して脳細胞を死滅させるから、との見解が受けいれられていたが、今や アミロイド説 だけでは十分ではないことが判明した。そして、 驚くことに認知症は 「生活習慣病」 の一種であるらしい事実が近年浮かび上がってきたのだ !

♣ 認知症は中年時代の乱暴な生活とは 一見 無関係に見えたが、近年の研究によって認知症と言えども 脳卒中・ 心臓病・ 癌などと同じように、人々の高齢化が最大のリスクであり、これに従来の 「生活習慣病」 が密接に絡んでいることが判ってきた。

♣ この見解に基づき、フランス 政府は 2018 年 8 月 1 日から従来の認知症薬物を健康保険から外し、浮いた予算を認知症のケアに回すことにした。アメリカ もこれに同調して認知症薬の開発を中止することにした

♣ この事の影響は重大であり、まだ世界は混乱しているように思える。しかし、薬物療法は 99 % 無効と判った以上、認知症への対応は 「生活療法」 に移って行くのだろう

♣ 認知症が大脳細胞の減少に原因があることには誰も異存はないが、ではなぜ脳細胞は減るのだろうか?よく思ってみれば、高齢者で減るのは何も脳細胞だけではなく、全身のいたるところの細胞は減って行く。例えば、毛髪・ 臭覚・ 視聴力・ 骨~歯など、あたかもそれが寿命の終点に近づくかの如くに減って行く。

♣ そもそも高齢の慢性疾患を説明する 「因果関係」 は、正しい事情の設定がなされなければ間違いの元となる。「原因と結果の関係」 を逆に入れ替えてみても結論が変わらない時、初めて我々は 「真実」 に近づくことが出来る。従来 受け入れられて来た諸結論はその点で甘かったものが少なくない

♣  図 3 をご覧あれ ―― 前回にもお示ししたが、動物は種 (しゅ) によって寿命はおよそ決まっている。例を挙げると、「猫」 は自然放置時の寿命は 「5 歳くらいで元気」、手を掛けて餌を与えれば 「10 歳で老化」、さらに家の中で大事に育てれば 「15 歳で認知症」。
認知症も生活習慣病か?

♣ つまり飼育の効果は寿命と健康状態の両方に影響を与える。 押し広げて考えれば、人間は知恵と努力のお蔭で更年期後の長命を得たが、その長さだけで幸・ 不幸の判定はできない ―― 長命は徐々に生命の質に変化をもたらし、その代表格が 「認知症」 であった。だから、上記の猫のように、「長生き おめでとう ―― ご褒美は認知症です」 という矛盾に気付くべきなのである。

♣ 認知症の最大リスク・ ファクターは 「長命」 と言われるが、それに密接に絡むのが若い頃の 「生活習慣一式」 なのだ、という新しいアプローチがここに出現した。私たちはもっともっと調査を広げ、真実を見極める路を歩まなければならないのだろう。2071字

要約: 私たちは、戦前にはなかった 「老後」 を獲得することが出来たが、そこには 「認知症」 が手ぐすねを引いて待っていた。 老後に現われた病気の順番は、結核の消失、糖尿病・ 脳卒中・ 癌の参入であり、一番最後が 認知症の参加 であった。 これらの病気の元は広い意味の 「生活習慣病」 と言われている。私らは認知症への対応に 「生活療法一般」 が重要となった新時代を拓かなければならない。

参考

a. 中川恵一、「がんのひみつ」、学士会会報 No 880:106~118, 2010.
b. 柳沢勝彦、「認知症最新研究」、ibid No 920:76~85, 2016.
c. 西道隆臣 et al、アルツハイマー病 研究最前線、Newton March 24~57, 2017.
d. 新谷、「風桶」、福祉における安全管理 # 689, 2018.
e. 新谷、「鳥無き里の蝙蝠」、ibid # 695、2018.
f . 新谷、「棚ぼた七つとルーの法則」、ibid # 707, 2018.
g. Linda Marsa、Alzheimer’s Under Attack, Discover December 32~41, 2018.


職員の声

声1: わずか最近 50 年の死因経過で 結核→ 糖尿病→ 脳卒中→ 癌、更に→ 認知症 …. この流転 (るてん) に驚くばかりだ(答: 人の石頭は昔風で、認知症が結核のように治ると、まだ思っている)。

声2: 認知症の末期患者さんで 律儀 に アリセプト を内服している方がある … フランスの服薬廃止が夢のようだ(答: 「サンタの教え」 を知れば、効かない薬は 「使っ、良くなかっ、効かなかっ」 と判るのにね)。

声3: 介護の方針を 「依存から自立」 へ変換したら、介護プランは変わるのか?(答: 要介護 4・ 5 の人達に自立を期待できるハズは無い … だからスエーデンは要介護 4・ 5 をつくらない)。

声4: 誰 しもが 長生き して 認知症になるのなら、老境に何の救いがあるのか?(答: 平家物語の冒頭 を想い出すね ―― 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す、おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし … )。

(709) 本当に 人生100年時代 なのか?

(709) 本 当 に 人 生 100 年 時 代 な の か ?

ただ今、朝な夕な テレビや新聞は 「人生 100 年時代」 という言葉で満ち溢れている。この言葉はどこに由来するのかを調べてみたら、今年になって 首相官邸で 「人生 100 年時代の構想会議」 が始まったことによるものらしく、それをマスコミが題材にしている。

♣ 100 年と言えば、大抵の人が夢みる長寿の入り口であろう。しかし統計を見ると 100 歳の平均余命 (よみょう)(――あと平均何年生きられるか――)は 「2.5 年」と、長くはない。だから尚更 「夢の 100 年」なのであろうか?

本当に人生は100年時代なのか?

♣ 100 歳を越えた人々のことを総称して 「百歳寿」 と呼ぶが、日本の百歳寿は調査が始まった 1963 年には 153 人。以来 年々増えて、今年は 7 万人近い数に登った。半世紀で 500 倍になったのだから凄い成長ぶりと言える。

♣ こんなに増えても大丈夫なのか?と不安を洩らす人々もあるが、図 1 をご覧あれ … これは 男女の増加ぶりを示し、更にその 40 年先・ 2060 年にはこの 10 倍も増えて 60 万人に及ぶと推定される。

♣ 100 歳寿がこんなに増えるという事実は 喜びよりも不安を呼ぶようでもある。ところが真実は奇なり、図 2 は 100 歳寿の人が 今後 どれほど長く生きるかをプロットしたものだ。驚くべし、あんなに増えた 100 歳寿なのに 107 歳になると ほぼゼロ人 に近づくではないか ! ! … しかも これは私らが実際に経験する現実とよく合致する。

本当に人生は100年時代か?

♣ 鹿児島の 「田島ナビさん」 と言えば、117 歳で昨年の世界一ご長寿として知られていたが、同年 4 月に世を去られた。およそ一世紀まえには フランスのジャンヌ・カルマンさん は 122 歳の例外的な最長寿の方であったが、人間 このレベルの長寿と言えば、一年ごとに世界に一人とか二人の稀な存在となるのである。

♣ 長寿者が多いと言われる パールの特養では、90 歳代が半数越えであるのに、100 歳代となると 僅か 3 人、ガタンと減っていく。今 はやりの 「人生 100 年時代」 という言葉は、あたかも 大勢の人が 100 歳まで生存する、と受け取られるが、事実として やっぱり 「100 歳の壁」 は高くそびえ立っているのである。

♣ ここで日本の 100 歳寿 7 万人が 数値的にどれほど多いのかを暗算 してみよう。日本の総人口を 約 1 億 2 千万人とし、100 歳寿 7万人の 総人口に対する比率をポケット電卓で叩くと 7 万人÷ 1 億 2 千万人 = 約 「0.05% 」 である。――これを手元の英語辞書の頁数と比較してみよう。

♣ 社会人用の英語辞書は 薄葉紙 (はくようし) で約 2000 頁(厚さ 5 cm)だから、1頁の比率は全体の 1 / 2000 = 0.05 % になる。この数値は 100 歳寿が全人口の 0.05 % という数値とよく一致する。つまり、日本の 100 歳寿数のイメージは辞書 2000 頁の内の 1 頁ぶんに相当する訳だ。この比喩で、あなたは日本の百寿者 7 万人という数が 確かに多い と思うか、それとも意外に少ない と思うか?

♣ テレビの広告では、中年の男性たちが 「僕らは 100 歳に向かって 「資産作り」 に励まなければならない」、とつぶやいている。そこで、パソコンの画面の 「100 歳寿」 を検索してみたところ、画面を何度重ねても 「資産作り」 の広告ばかりだ。つまり、100 歳のイメージは 「お金の準備」 が強調され、「そこまで身心がもつか?」 という健康問題については何にも触れられていない。 

本当に人生は100年時代なのか?

♣ さて、「心身の健康」 は 真っ先に来る要件、お金はその後に来るのではないか?そして、健康は W.H.O. (世界保健機関) の勧める 「三つの要素」 = 肉体・ 精神・ 社会性 で判定されよう。上記の図 3 で見取れる項目を検討してみる。あなたが知っている 100 歳寿の方でこれらの三要素を満たすのは並々のことではないと思うだろう… だって健康とは 「生きている」 というだけでは済まず、「生き甲斐・ 社会性」 の要素も含まれるからである。

♣ 我が国の 「介護」 は 「 して差し上げる」 ことばかりが多く、介護保険制定時の 「前文」 に掲げられている 「自立の重要性」 には手が届いていない。ところが今年になって、厚生労働省は 受け身の介護だけでなく 「自立の達成」を強調され、「人生 100 年時代」 というキャッチフレーズは誠に時宜 (じぎ) を得たものとなった。W.H.O.が述べるような三要素の健康 (特に、生き甲斐を持つ・ 閉じこもりにならない) を心に描いた上で、新しい 「人生 100 年時代」 を迎えたいものである。

♣ 「人生 100 年時代」 は口で言うほど簡単ではない。私達 介護の立場でも、お年寄りたちが「身体・ 精神・ 社会」 の三側面で元気を出して頂いてこそ真の 「人生 100 年時代の到来」 、と言えるのではないだろうか。1884字

要約:

100 歳寿は急激に 7 万人へ向かって増えたと言うものの、計算すれば全人口 1 億 2 千万人の 0.05 % に過ぎず、それは 2000 頁の辞書の 僅か 1 頁に相当するだけだ。 この 7 万人のお年寄りたちははたして W.H.O. が奨める 「三側面で健康な 100 歳寿」と言えるのだろうか? 「して差し上げる介護」 だけでは、なかなか 精神・ 社会面の健康までに手が届きにくいが、真の 「人生 100 年時代」 を獲得するためには みんなで この事を意識して頑張る必要があると思う。

職員の声

声 1: 100 歳になって 自分は幸せって言う人がいますか?(答: 尋ねられれば そう言うかもね … 渋谷区の区長さんがパールに何度もお祝いに来られたが、当の100 歳女性たちは キョトン とするだけ … 認知症は、その中核症状によって、幸せの理解が困難だ)。

声2: 私は 人生 100 年ではなく 「75 年」 と考える … 100 歳の人が 「自立」 できるハズはない し、厚労省の予算も 本音では それを期待していないだろう(答: みんなが 100 歳まで生きたら お一人あたり 1 億円の予算ではすまないもの)。

声3: 100 歳の家庭は 「娘か嫁 がしっかり者でないと実現は困難 … 貧乏は短命、金持ちは 長命、それが私の観察だ(答: パールの 100 寿 3 人はみな お金持ちではありませんが …?)。

声4: 102 歳でありながら健康の 三要素 を見事に発揮している 理容師さん を今朝の NHK が紹介していた …肌色も良く ハサミを持つ手捌きも立派だった(答: それは例外中の例外でしょう、が、意気に感じるね … でも中には 100 歳おめでとう ... その ご褒美は 認知症 です、と意地悪を言う人もある … 百歳って いろいろだね)。

(714) 生 と 死 の 両 方 を を 寿 ぐ

(714) 生 と 死 の 両 方 を 寿 (ことほ)

今日は面白い図をお見せし、皆さん方のたくましい想像力を刺激してみよう。図1 は 20 世紀の始まりから 100 年先の将来までを描くものである。ゆっくり見て欲しい。

♣ 縦線の縞模様は出生数の推移を示す。1900 年(明治 33 年)の出生数は 150 万人、と読む――最近の出生数は約 100万 人だから、50 万人の違いを想像できるだろう。

♣ その直後、1905 年には 東郷元帥 が日本海でバルチック艦隊を撃破、日本は息盛んになり軍国主義の台頭をみた。このトレンドに沿って赤ちゃんの出生は うなぎ登り、それは原爆の 1945 年(昭和 20 年)まで続いた。図の途中で空白が見えるが(1945 年)、そこは 戦前・戦後 の統計欠落を示す。

生と死の両方を寿(ことほ)ぐ

♣ 次に終戦直後の 2 ~ 3 年を見よう――爆発的な出生のピークがあり、出生数は 270 万人、今の 2.7 倍に達した。これは戦地からの帰還兵や平和の安心感から当然に理解される喜びの多産なのであり、後に「団塊 (だんかい) の世代」と呼ばれるようになった。

♣ その 30 年後に再び 200 万人の山ができた。これは団塊世代の人々が結婚ブームの年齢に達し、みごと多数の出産を迎えたからであり、この山に 「団塊ジュニア世代」 というニックネームがついた。

♣ さて、 一次・二次 の団塊世代の背景は了解できたが、第三次団塊 はなぜ出現しなかったのか? 考えてみよう――答は横軸の暦年月の経過に隠されている。第三次団塊の予想時点は なんと 2000 年であり、「介護保険の実施年度」 と重なったのだ。つまり、日本の世相は 赤ちゃんを産む熱意から醒めてしまい、むしろ 8 倍に増えたお年寄の立場にどう対応するか、の時代に変わってしまったのだ。

♣ この図の丁度中央あたり以後、出生数は毎年減って、これから先はとうとう 毎年 20 万人程度のヨーロッパの小国並みになってしまうようだ。

♣ さて、「出生」 の流れは俯瞰 (ふかん) できたので、次に 「死亡」 の経過を見てみよう… 今度は単に増減を見つめるだけではなく、それぞれの時代と出生数の傾向を頭に描きながら観察しよう。

♣ 死亡数の曲線 (青色) を見ると、1900 年(明治 33 年)の死亡数はおよそ 90 万人… 出産数は 150 万人、つまり日本の人口は その年に 60 万人増えた、と読む。続く年月に出生も増えたが死亡も増えた――なぜか? 当時は大正から昭和初期、衛生・医療の未発達時代 であって、どの国でも多産は同時に 幼児の多死 に繋がっていたのである。

♣ ならば、戦直後は多産の時期であるにもかかわらず 死亡数が 逆に激減 した 理由は何か?しかも その低下は 「約 40 年」 近くの長きに至っている。その理由は図の右半分を参考にすると判明する。

♣ 大正~昭和にかけて死亡数が増えた 「ひと山」 は 「多産・多死」 の乳幼児死の時代を反映している。これは日本だけでなく世界のどの国にも見られた現象である。その後、終戦( 1945 年) 後に 死亡数が減少した解答は、平和の到来と医療の発達 のおかげなのである。ところが、更にその後 1990 年頃から、せっかく安定して低かった死亡数が逆に いきなり ぐいぐい増え始めた … これはナゼ?

♣ 目を凝らして図の左右全体を眺めて見よう。左側の出生数の大きな山と、右側の死亡数の大きな山、この二つの山は丁度 80 年ほどかけ離れているではないか ! ! ご指摘通り、左の山が右の山にゆっくりと 移動 した のである。ヒトは いったん生まれたら、その時代の天寿 ほぼ 80 年ほどを生き抜いた後に死ぬ運命から免れることは出来ない。つまり、前に大きい出産の山があれば、ほぼ 80 年後に 死亡の大きい山が来ることは 理屈通りである。

♣ このことから次の二つのことが理解される:――昔の死亡は人世の始まりの乳幼児期に多数発生、これは完全に対処できた。 それに対して、現在の死亡は、人生を生き抜き 老人期になった死亡が主体である。② の死亡数増加を減らすためには ほぼ 80 年という現在の天寿を延ばせば良い。しかしそれを 何年か延ばすことが出来ても 死亡の山は 何年か遅れて来るだけであり、後ろの山を消すことは出来ない。

図2 は別の目から見て、このことを端的に表現している:――つまり、近年の女性は 60 歳を越えなければ死ぬことが困難で、大部分は 80 歳を越えて逝く状況が見てとれる。人類の理想とは、まさにこのことではないだろうか ! この現象の基礎は、戦前の 「人生 50 年」 が、年々長生きになって近年の 「人生 100 年時代」 の到来 に繋がったと理解される。
生と死の両方を寿ぐ

♣ ところが、なんとマスコミはこの現象を 「多死時代」 と呼称している。それは、あたかも なにか現代社会に改めるべき暗い欠点があるかの如き印象を与える。違うでしょう?これは 「天寿死の美しい時代」 と言い替えるべきだと思わないだろうか?

♣ ものごとは、呼び方によって気分はまるで変ってくる。寿命とは 「命を寿ぐ (ことほぐ)」 と書く。つまり、天寿が来て亡くなるということは本来 「おめでたいこと」 なのである。私たちは超高齢で亡くなられる方々に、お悼み (いたみ) の言葉を述べるが、同時に、寿ぎ (ことほぎ) の気持ちを顕わすべきであることを知る。

♣ 命の盛衰は誰かの手によって決まるものではない。私たちはこの 図1 を読んで、「生と死の両方を寿ぐ」 ことを学び、人口問題の要点を正しく理解 したいと思う。 1978字

要約: 「多産の山」 は、その80 年後に 「逝去の山」 に 無事 移り変わる…それは人の天寿が 80 年近くであったことを示唆している。 「逝去の山」 は、戦前の多産時代に小さくて (主に乳幼児の死)、戦後には大きくなっ (介護保険による天寿老人の死)。 「多産の山」 は巨大であったから、その後に訪れる 「逝去の山」 も巨大になることは当前のことである…この現象を、マスコミが名づけるように 「多死の時代」 と呼んで怖れる必要はまったくない ... むしろ 寿ぎ (ことほぎ) の気持ちを顕わすべきなのであろう。

職員の声

声1: お年寄りはみんな、苦 しむことなく 長生き して欲しい(答: 認知症の方々は苦 しいとか嬉 しいとかをおっしゃることは ほとんどなく、また 長生きの人が多い … パールの特養では過半数が 90 歳~107 歳で、日本の平均寿命を 大幅に上回っている)。

声2: マスコミは現在を 「多死時代」 と暗く表現するが、それは 80 年前の 「多産の山」 が今や 「多死の山」 へ無事に移動したからであり、「おめでとう ! 」 なのですね?(答: マスコミは物事の明暗に目を付け、事件性の奇を衒って (てらう) いるに過ぎない)。 

声:3: 子供の数は少なくなるのに反し、高齢者は過剰の医療によって長生きを重ねているが、これで天然の筋 (すじ) は通っているのだろうか?(答: 少子の現象は先進国 共通の悩みだ … また北欧諸国は 「重介護の寝たきりや高齢者の延命 等」 を良 しとせず、よって医療の関与は少なくて済む)。

声4: 「生と死の両方を寿 (ことほ) ぐ」 は素敵な標題で気持ちがなごむ ... それは心がきれいに洗われるような表現だ(答: 一般に 「死」 は嫌われているが、介護の世界なら 「死」 は私らの傍にある … 無理なく美しいよ)。

(713) ゾ ロ を 理 解 す る

(713) ゾ ロ を 理 解 する

テレビでは相変わらず有名 女優・男優 を起用した 「ゾロ薬品」 の宣伝 が盛んだ。

♣ 「ゾロ」 とは 「後発薬品」 のことで、正式名称は 「ジェネリック」 (特許登録されていない)である。近年の薬物は、製薬会社が治療に必要な化学物質を開発し、国によって正式に認定されるものである。新薬の開発にはふつう 10 年から 20 年を必要とし、開発経費は 何百~何千億円 もかかると言われる。従って得られた新薬には 10 年間の 特許期間 が設定さ れ、その間に他の会社は同じ薬を作ることが出来ない(図1)。

♣ 特許期間が過ぎれば他の会社も売れ行きの見通し次第で製造販売が出来る。このため最初に開発された薬のことを 「先発薬品」 と、後を追って作られる薬を 「後発薬品」 と呼ぶ。後者はふつう 二種類~五種類~十種類 と多く、ゾロゾロ出て来るので、「ゾロ薬品」 というニックネームが付いている。
ゾロの長所を知る

♣ なぜゾロが多種類なのかといえば、売れて儲かるからだ。では 「後発薬品」 は 「先発」 とどこが違うか? 研究開発費の何百億が節約できる、 その分 3 ~ 7 割安く売ることができ、売れ行き次第で儲かる、欠点は、薬の名前が多種類すぎて覚えくい、 副作用についての研究や補償が不安定。

♣ 利用者にとってみれば、薬は安い方が有難い。そこで薬を 「饅頭」 (まんじゅう) の 「アンコ と 皮」 になぞらえて説明しよう。

♣ 先発薬品は基礎研究のあと、二重盲検 などの厳しい国家検定を受けるが、「後発薬品」 は有効成分 (アンコ) の検定のみで、患者さん参加の 二重盲検 は省略される。アンコさえ合格であれば、皮の色や形に関係なく饅頭も良いハズ、と考える —— これは薬を安く提供するために必須である。

♣ 先発品・後発品 の間では 「値段、有効性への懸念、製品の安定供給、副作用への対応と保証などの点で相違」 が発生する。しかし 「3 ~ 7 割も安い」 ことが魅力的だ。諸外国ではゾロの評判が高いが(図2)、日本では今ひとつだった。最近では健康保険の経費節約のため、国の後押しが強くなり、先行きもっぱらゾロの市場に変わり、8 割もの薬がゾロになると予想されている図3)。

ゾロの長所を知る

♣ ここで 「二重盲検」 (もうけん) に触れておこう。薬が効く、とは誰が決めるのか?戦前は 「偉い教授殿や有名な俳優たちが効く」 と声高く言えばそれで決まっていた。戦前のアメリカでは、薬の有効性を 服役中の囚人で 人体実験 行った時期があった――これに参加すると、囚人の刑期が短縮される恩恵があったと言われる。

♣ 戦後のコンピュータ時代になって、「二重盲検法」 が活用され、科学的・統計的な効果判定 が出来るようになった。たとえば千人以上のボランティを募り、半分の人に実薬を、残る半分の人に偽薬 (プラセボ) を与え、その結果を数学的に分析して薬効を判定する。なぜこんなことをするのか?

ゾロの長所を知る

♣ 人間には 「サンタ」 という心理的な習性がある。それは、薬を私が 「使っ ・良かっ ・効い 」 の「さん 」である。私に効いたものはあなたにも効くハズだ。つまり、声の大きい人が 「効く」 と言えば 「効いた」 のだった。

♣ でも、それでは薬の氾濫する現代を仕切ることができず、責任の所在も曖昧( あいまい) となる。そこで薬効を 他覚的に 納得できるように上記の 「二重盲検法」 が採用されるに至ったのだ。

♣ 新薬の開発というものはこのように大変な手順と経費が掛かる。その点、「ゾロ薬」 は時間も経費は遥かに安上がりになる。製薬会社の儲けが絡んでいるから 「ゾロ」 は大繁盛であり、一つの 「先発薬品」 に対して 10 種類~ 15 種類もの 「後発ゾロ」 が現れる。

♣ それぞれには 薬の名前 がついており、薬の成分は同じなのに、あっちの 10 種類の名前、こっちの 5 種類の名前を覚えるのは混乱するばかりだ。ゾロの交通整理のために、処方箋では 「先発薬品 ― 後発薬品」 の二重書 きが推奨されているのが近年の知恵である。1544字

要約:  ゾロとは、新規開発薬の特許期間が過ぎた後に売り出される後発薬の名称であり、ゾロゾロと 沢山あるので 「ゾロ」 と名付けられた。 ゾロの長所は薬価が 3 ~ 7 割安く、保健行政の助けになるが、「サンタ」 という心理現象のため、有効性に疑義も報告される。 しかし、なにせ 安いというメリット に敵うものはなく、先行き大半の薬は、欧米のように、ゾロ薬で置き換えられるかも知れない。

職員の声

声1: ゾロの利用率が日本と欧米でこんなに差があるのはナゼか?(答: 日本では、不思議なことに、値段が格安であれば高級品を、もし無料であれば最高級品を求める性質がある、その上にブランド志向が重なる)。

声2: 昔 私が病院勤務の頃、患者さん方はゾロを嫌った … 今は時代が変わったようだ(答: 確かに たいした根拠もなく ゾロ = 粗悪品 というイメージが強い時代があった)。

声3: 1 種類の薬ならいざ知らず、 7 種類 ~ 15 種類の薬を処方されれば、7 割も安くなるゾロでなければ薬代が馬鹿にならない(答: お年寄りによっ ては 18 種類の薬を処方されている方もあった … 副作用の点で ちょっと問題だね)。

声4: お饅頭の 「アンコ」 = 実薬の部分と、「皮」 = 目に見える外観の部分 … このような説明が分かりやすかった…ゾロとは単に 「皮」 の作り方が異なるだけなのに、私はつい先発品の 「皮」 に惹かれて気持ちが迷う(答: 値段が 7 割も安い時代になれば、逆らいにくいなー)。

(712) 誤 嚥 の 行 方

(712) 誤 嚥 (ごえん) の 行 方 (ゆくえ)

ビールを飲んでいる最中に大声で笑ったり、ものを食べている時 後ろから肩を叩かれたりすると、多くの人は ひどくムセ込む。涙が出ることもある。

♣ これは食物が間違って 「気管」 の方に流れたときに起こる反射的な咳の発作であって、これにより、空気以外の異物が肺に入り込まないように守られる大事な 生理現象 だ。しかし人が若いうちは ただそれだけの発作で済むが、高齢になると咳の発作だけでは済まされない … それをきっかけにし、健康状態が急変することがある。これを 「誤嚥」 と言う …「誤 (ご) 」は「間違って」、「嚥 (えん)」は 「飲み込む」 という意味だ。

♣ この間違った異物は口から入る 食物・ 唾や水分の他に 胃から逆流して 喉に上がった胃の内容物の事もある。この様子を 図 1で見てみよう。ふだんの呼吸をしている状態では空気は 鼻・ 口 から 肺へ流れる。ご自分の喉を触ってみよう。皮膚のすぐ下には硬い喉仏 (のどぼとけ) が触れ、それはとりもなおさず空気の通り道 = 「気管」 の一部を外から触っているのだ。
誤嚥の行方(ゆくえ)

♣ 空気は 鼻・ 口を通って、食物は舌の後ろを通って下方に流れる。そのさい、真っ先に出合すのが 喉頭蓋 (こうとうがい) だ。これは気管の始まりをふさぐ蓋であり、図 1 では箸のように尖って見えるが、実際は親指の爪の大きさであり平たい。この蓋 (ふた) はふだん 図の通りに開いた状態であるが、食物が通る時には気管の入り口をふさぎ、食物が肺の方に流れるのを防いでいる。喉頭蓋のこの作用は喉周辺の組織から起こる 「反射」 によって行われ、自分ではそれと気づかない。

♣ 今回のお話の中心になる 「誤嚥」 はここで起こる神経の異常反応であるが、その説明の前に 「脳神経 12 本」 の働きを見ておくと分かりやすい (図 2)。第 1 脳神経は食物の臭いを感じとる。第 2 から 第 8 脳神経までは、食物の美味しさを見つめ、会話をし、噛み 味わう神経、第 9 脳神経以下は食物を肺の方に行かないような働きをする脳神経である。つまり、人が物を食べ飲む時には脳神経 12 本のすべてがそれぞれ 嚥下の役目に貢献している訳だ。故障するのは 喉頭蓋を支配する第 10 脳神経だけではないのである。

誤嚥の行方(ゆくえ)

♣ 人は高齢になると一般に神経の働きがにぶくなる。これは脳神経において著明で、匂いは遠く・ 眼は薄く・ 耳は小さくなる。脳神経の 1 番から 12 番にかけて (図の上から下へ) 働きがにぶって行くのである。

♣ その機能低下が 9 番脳神経以下に進むと、嚥下 (えんげ) 機能の低下、とくに小さな誤嚥現象が目立つ。「エヘン、ゴホン」 と ムセ や 咳払い が頻繁に起こる。言ってみれば、誤嚥とは脳神経の機能低下が第 1 番から始まって、とうとう終末の 12 番にまで及んでいる状態を示唆するのである。

♣ つまり高齢者の誤嚥の対策を考える上で、「喉頭蓋」 の機能修復だけを考える治療は意味が薄く、正しい目標は脳神経全般の修復を考えなければならない。つまり匂いがきちんと分かり ( = 第 1 脳神経)、 眼も耳もしっかり( = 第 2 ~ 7 脳神経)、若者の顔の全機能 (表情・会話を聞く、噛む・食べる・呑み込む = 第 8 ~ 12 脳神経) を取り戻す必要がある。

♣ しかし考えてみれば耳鼻咽喉科に相談しても、1 番から終末の 12 番に及ぶほどの広範な脳神経の機能低下を取り戻すことは困難であろう。つまり、高齢者が誤嚥の徴候を見せ始めると それは 取りも直さず すでに 「脳神経の全部が かなり老化している」 事態を認めざるを得ないのだ。

♣ 誤嚥について一言考えよう。誤嚥とは 「喉頭蓋」 の機能不全によって食物が 気管・ 肺 のほうに流れることだった。ここで 「食物」 と述べたが、もちろん 「水」 も含まれるし、無意識な 「唾 (つば) 」 の呑み込みも関係する。さらに老人の場合、「胃」 に入った食物が上方に逆流して気管に入り込む事もある…この場合には 「酸性で刺激性のある胃液」 も入り込むので、事態を重く受け止めなければならない。

図 3 は、誤嚥によって介護困難の予後を推定した 3 症例の B.M.I. (体格指数) の経過を示す。縦軸は B.M .I. を (正常値は 18.5 ~ 25 )、横軸は 「年 (ねん) 」で 上段の症例・ H 氏 は 11 年間の経過である。H 氏は入所から 6 年目に誤嚥をされ、その後 3 年に亙って BM I が低下し続けたが、回復のたびに 再び誤嚥で低下、そのたびに入院・ 手当を行った。4 度にわたって低下が続き、ついに 6 年後、BM I の 死亡域 = 12 に達して亡くなられた。

誤嚥の行方(ゆくえ)

♣ 図の I 氏、J 氏は BM I の基礎 レベルが低かったので、誤嚥後 2 年ほどの経過で亡くなられた。B.M.I.の基礎レベルが低い場合には、早々と致死レベル = 12 に達してしまうのだ。他にも 「誤嚥、または不顕性の誤嚥] で BM I の直線的な低下と死の転帰が関係する例が多く認められた。 なお、BM I の低下角度に注目して欲しい ... 3 例ともほぼ並行であって、毎年 3 BM I 程度の低下という共通点が認められる。

♣ 誤嚥は、回復力の強い若い人の場合は特別な問題にはならないが、認知症や進行した老化の場合、 肺炎が誘発されても されなくても 、BM I 低下に繋がることが多い。そんな時には、脳神経 12 本の症状 (臭覚・ 視覚・ 聴覚など) を 1 番、2 番…と辿って検討し、「誤嚥の行く末」 を推定、ケアのありかたを案じては如何 (いかが) であろうか? 1869字

要約: 誤嚥は喉の喉頭蓋の反射機能が低下した場合に起こるが、周辺の脳神経の関与も少なくない。 そのような場合、脳神経 12 本の症状を指折り数えて嚥下 (えんげ) 機能の全貌を評価する必要がある。 ムセ・ 咳払い・ 誤嚥 が頻繁な場合、嚥下体操・ 口腔訓練 などを推進し、他方、B.M.I. の経過も観察、予後を推定することが勧められた。

参考: 新谷: 「誤嚥・ BM I とご逝去」、福祉における安全管理 # 555, 2015.

職員の声

声1: 誤嚥が脳神経の失調で発生するとは全然知らなかった(答: たいていの場合、誤嚥は食物の 「飲み間違いなんだ」 で納得されるが、実はその原因は人体の老化の表れによるのであった)。

声2: 認知症はただただ進行するのみだ … なのに 舌下神経・ 舌咽神経 などの領域だけは進行が抑えられると期待するのは おかしいではないか?(答: 介護のプロなら正しい知識を持つべきだろう… ただし、人の気持ちを暗くするような 「老化」 を口外しないのが礼儀だと思う)。

声3: 私の母は 骨折・ 入院・ 誤嚥・ 肺炎 で結局 逝去――考えてみれば脳神経だけが老化を免れるハズはない…それが B.M.I. の低下にまで及ぶとは なるほどナー(答: 因果関係の老化・連鎖とは … 悔しいけれど了解する他はない)。

声4: 高齢者の誤嚥は人生の終わりが近づいたと覚悟し、意味不明な延命に走らないような工夫が肝心だ(答: 本音 (ほんね) はそのとおり、でもそれを口外するのは遠慮しましょう)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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