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(772) 笑 い の 寿 命

(772) 笑 い の 寿 命

え? 笑いに寿命ってあるんですか? ----- ええ、あるんです: だって赤ちゃんは生後三ヶ月くらいで笑い出すし、人は 90 歳くらいで笑わなくなるでしょう?----- 言われてみると、なるほど 笑いには寿命があるんだナー!

♣ 「笑い」 は生理学的な現象であるが、ふつう 「社会心理学」 でも よく取り扱われる。

♣ 「 笑い」 は人間の問題であるが、同時に動物の問題でもある。確かに、犬や猫は笑わない。ところが猿 (チンパンジー、オランウータン) は笑う。人が猿と分かれた進化の始まりが約 600 万年前であるが、人と猿は、それ以来、ずっと笑い続けているという。笑いはその人の元気さを表す指標でもあり、600 万年もの昔から笑いが続いたことは人類発展の基礎になったのだろう (図 1)。

♣ 今から 500 年まえ、コペルニクスは 「天動説」 を否定し 「地動説」 を採用した。このコペルニクスには 「コペルニクス原理」 がある;つまり “我々は特別な存在ではない” というものだ (We are not special)。それまでは、「人間という生き物は特別」 であり、神の思し召しが深い存在である ―― 笑うこともそうなのだ、と信じてこられた。

♣ 今では、地球は太陽の周りを公転する 「普通の惑星」 であるし、その太陽も銀河系の中で特に目立った星でもない。万物は流転、盛者も必衰である。さらに 「長生きする現象の物差し」 として 「笑いが続く年限は 100 万年」 というアイディアも紹介された

♣ コペルニクスは 「ある現象が長期に亙って存続すれば、数学的な処置によって、その現象が今後どれだけ長く存続できるか」 を考えた。その計算処置の基本は 「歴史の長い現象は、生き残りも長い」 ということである。たとえば、インターネットの歴史は今 20 年あまり続いたので、その存続寿命は 90 年以内と計算される、という。

♣ 野球は 150 年ほどの歴史であるけれど、2000 年後には野球寿命は終わっており、別な形のスポーツになっているだろう、と計算する。このような計算で 「笑い」 は今後どれくらい続くのか?「笑い」 はすでに 600 万年の歴史がある … だからあと 100 万年後になっても笑いはずっと続いているだろう、と計算する。

♣ ここでの問題は 笑いと年齢の関係だ。子供たちは ちょっとした事でも笑うけれど、歳とともに笑わなくなるような気がする。15 歳 ± 5 歳の女の子は “箸が転んでも笑う” と言うほど笑い上戸 (じょうこ) だ。逆に、教育が厳しい時代には 「若い男は白い歯を絶対 人に見せてはならぬ」 と躾けられたものである。

♣ ところがこれに対して私の知っている、ある高名な病院の院長先生、75 歳。その年の忘年会で、若者たちが披露する 「お笑い劇」 を一番まえの席で見ておられた。彼はふと隣の人に言葉をもらしていた: 皆はこの劇を見て笑うが、私には何がおかしいのか、さっぱりわからない、と (図2)。

♣ 人は歳を取って偉くなると一般に笑って頂くことが難しくなる。つまり 「笑いの寿命」 を卒業するのだ。だがこの院長先生、実は半年後に 「正常圧水頭症」 のため、職から退いてしまわれた。水頭症とは一種の認知症状態で、大脳細胞が変性してくるので、抽象的な笑いが理解できなくなる。つまり、笑いが分かるためには、健全な大脳細胞が必要なのである。

♣ あなたの観察で、認知症の方々は、どの程度に笑っておられるか? 要介護 3 あたりでは笑う人もあるが、要介護 5 になると まず笑って頂けない。それは認知症の進行に応じて大脳細胞が減るので、可笑しさが分からなくなるからだ。

♣ しかし不思議なことに、精神疾患では一般に 笑わないくせに 怒ることはできるのだ。その一例の物語:――パールの特養で宝とされる長老の Y 様、104 歳のお婆ちゃま。この方はいつも怒ってばかり、人に当たって揉め事を起こしていた。ところが、先月の 「お化粧と撮影の会」 に出席し、専門家に特別のお化粧を施されると満面のほほ笑みを披露され、周りの人たちを 唖然 とさせた ―― 環境が変われば、怒りも笑いに変わることの証明になった。

♣ あなたがお世話しているご利用者は、まだ笑っておられるか? 笑いは、その方の元気さを測る 「ものさし」 になり、また確かなケア遂行の潤滑油にもなる。1734字

要約: 

人間は 「笑う」 ことのできる 「特別な」 存在である。笑いは赤ちゃんからスタートし、青年期には大笑いするが、一般に年を取ると笑いは少なくなる。 笑いの歴史は 300 万年以上あるので、コペルニクスは笑いの寿命が今後 100 万年以上続くと推論した。 笑っていた 75 歳の男性が笑わなくなった例は水頭症による認知機能が落ちたからであった。怒ってばかりいた 104 歳のお婆さんが笑い始めたのは 立派なお化粧を施して貰ったからであった。 笑いの寿命は 何百万 年もあるが、その基礎は健全な大脳細胞があるからである。

 参考: Why Laughing Matters. Jim Holt in Discover 7:67, ’08.

職員の声

声:1 要介護 3 のある利用者、箸が転んでも笑います、要介護 5 の別な方 ... 笑いません、私自身は笑うことを心掛けている(答: 笑いの観点から利用者の心を見つめることができる)。

声2: 認知症で笑いが減ることは大脳に ダメッジ が溜まった指標になるのか?(答: ダメッジ が溜まるのではなく、大脳の細胞数が減っていることの指標になるのだ)。

声3: 怒っている人に対して 「お元気ですね」 と対応できる自分でいたい(答: 気を付けて対応しよう … 怒ることは動物でもできるが、笑うことはできない。人間は怒っていても笑顔で対応すると 相手は拍子抜けして笑顔になる)。

声4: パソコンばかりを見ていると 誰もが怖い顔をしている(答: 振り返ってその気で観察すると 確かにそう … すくなくとも 「無表情」 だね、相手 (パソコン)が怒りも笑いもしない物体だから その表情を貰い受けるのだろう)。

(768) タ ダ と ラ ク の ひ み つ


(768) タ ダ と ラ ク の 秘 密

 その昔の昔、人類の祖先は 主として 狩猟・ 採集 の時代であり、自分たちが食べるだけを取る生活をしていた。

♣ つまり、:(動物生活) = 「空腹に応じて働き、空腹に応じて取る」 (腹が減ったら餌を取りに行く) という時代であり、取るものはタダであったが作業はラクではなかった。今のゴリラやチンパンジーと同じレベルだ。日本では 「縄文時代」 が これに対応するだろう。

♣ 次の時代は ずっと人間らしくなり、狩猟・ 採集 から 定住・ 農耕 の時代に移った。人々は食べる量よりも多くを (技術の獲得によって) 生産することができたので、直接農耕に従事しなくても生きて行ける人が発生し、敵から自分たちを守ることを職とする王様や天候を祈る神職等が発生した。つまり 社会は :(命令生活) = 「(人々は) 命令に応じて働き、(王は) 権力に応じて取る」 (強い者が弱い者に餌を取りに行かせる)時代に変わった。人類の大部分の歴史はこの基準で働いた。

♣ 数千年の歴史を経て、より合理的なシステムが工夫された。それが :(社会生活) = 「能力に応じて働き、労働に応じて取る」 (必要な餌を必要なだけ取る) という近代社会であり、日本では 社会制度としての士農工商が明治時代に廃止されて以後 まだ 150 年ほどの歴史である。

♣ これは良いシステムだとして受け入れられている。しかし、別な社会主義国では政治革命がおこり、その結果 :(共産生活) = (労働の有無に関係なく、必要な餌は要求する)というシステムも起こった。このシステムは 「必要」 が拡大解釈される問題があり、しばしば 「働かなくても、タダ取りは当然」 となり、コスト意識が希薄になってきた。

♣ 19 世紀から 20 世紀にかけての欧米の植民地政策では他国からモノをタダ取った。だが、この 「タダ 取りの搾取システム」 はやがてコケてしまった。日本でも昭和 48 年( 1973 年)、老人医療費を タダ にしたところ、「医療が タダ なら受けにゃ損々」 と言うモラル・ハザードによる混乱で、タダ の制度が破産した経験がある。

♣ 「 タダほど有難いものはない」 は誰しも思うが、「労働」 ~ 「生産コスト」 の関係を考えず、「分配」 の方法ばっかりを考えると、社会がコケてしまう。つまり 「タダほど高いモノはない」 結果となる (図 1)。

♣ さて、ここからが私どもの大事な 「タダ と ラク のひみつ」 だ。「高齢者が (老後に) 長生きする原理」 は諸生命の歴史に中で、人間だけに見られる ―― 天然生活の動物には、前回 申し上げた通り老後の生存はない。ヒトに近いチンパンジーでさえ、50 歳まで子を産み育てたら やがて世を去るのだ。上記の生活様式 ① ~ ④ 動物的・ 命令的・ 社会的・ 共産的) で大事な共通要素は 「働くこと」 であろう。

♣ でも、多くの高齢者は働く体力がない ―― ラク しかできない。どのようにして生存のための 「必要経費」 を調達するのが良いだろうか?「空腹に応じて?」、「必要に応じて?」、どれがあなたに一番しっくり来るか?

♣ 私どもが知っている諺 (ことわざ) は 「働かざるもの 食うべからず」 であり、 “空腹に応じて タダ で ラク に取る” は、大問題である。実際、働かずに保護を求める人たちは、福祉の領域でも多い。

♣ 老人保護については、「蟻とキリギリスの問題」 を出す人もある。蟻は冬の寒さが近づいたとき、空腹なキリギリスに餌を与えることを拒んだ ―― 働かざる者 食うべからずだからだ。

♣ しかし現実は、単なる保護の問題ではなく、増加してきた “老人の数” ではないか? (図 2) … 昔の高齢者は人口の 4 % 足らず、今は 7 倍の 28 %、やがて 40 % になる。つまり、お年よりが 「必要に応じて取る」 選択肢を取るのであれば、ラク する人が 4 % から 40 % に増えるから、社会全体の需要供給のバランスが失われてしまう。

♣ 仮に社会的貢献が少なくても、高齢者の保護は必須である、なぜって憲法 25 条には 「生存権の保障」 があり、国民一人ひとりの 「福祉と人間性の尊厳」 は尊重すべきだからだ。“タダの ひみつ” は 「元気で長生き」 という人々の願望にも表現されているが、なにせ タダ で ラク する老人が 4 % から 40 % に増えれば、市場原理も安定困難となろう (図 2)。

♣ 昔、社会が極度の貧困に喘いでいたころ、私たちの平均寿命は 40 歳代くらいであり、人がタダでラクして長くは生きることはできかった。しかし今は違う。日本人には他の動物には存在しない独特な敬老の精神があり、我々は老人を タダ で ラク させてあげることを誇りに思う。だが 「建前」 の上でそのように威張ってみても、「本音」 で現実の累積赤字をどう処理すればよいのか?

♣ タダ と 混乱 は対句になっているように思える … 心身の老態の中で、「タダ と ラク」 を維持する秘密は 永遠の問題なのかも知れない。1998字

要約:  人間は 「楽」 を求めて 「勤勉」 に働き、いろんな社会形態を経験した。 昔 老人人口は 4 % に過ぎなかったものがいま 7 倍の 28 % に増え、さらに 40 % に向かって増えつつある。そのうえ 増えた老人は勤勉に働くための体力に欠ける――どうすれば老人に 「楽」 な人生を歩んでもらえるか? 所詮 それは無理であり、若者は必死で働くが、老人の 「楽」 にも限度があることを知っておきたい。

職員の声

声1: 戦争で苦労した現代の老人を大切にするため国はもっと頑張ろう(答: 兵士が大量に失われ苦境に立たされた社会事情は 「日清・ 日露戦争」 でも同じだったが、今回の 「第二次大戦」 の場合は、銃後の成人寿命が 40 年も延び、社会が異常に老化した特別な事情がある)。

声2: 私は 今を頑張り、自分の老後は ラク して生きていきたい(答: もちろん それは正直な意見だが、ラク する人が 4 % から 40 % の負担増に伴って 今のように 贅沢な ラク はできなくなっていく)。

声3: 苦を苦とも思わず ラク と思えば おのずと人生は楽しくなる(答: 楽を追えば楽は逃げて行く、苦から逃げれば苦は追いかけてくる……と似た警句だ…..今の問題は 「苦 楽」 ではなく、タダ で ラク して平気の平左の人たちを問題にしている)。

声4: 「多々老」 が ラク をされると 「少子」 が泣きます、ラク したかったら貯蓄して自分でヘルパーを雇って下さい(答: 昔は 「少老多子」 で「老人大切」の倫理で行動したが、今は完全に逆転した 「多々老少子」の実態、ラク したいと思う高齢者は若年者をいたわってください)。

(720) 介 護 と 進 化

(720) 介 護 と 進 化  

ヒトは 400 万年このかた、サルから分かれて進化してきた 哺乳類 だとされる。その有様を 図 1で番号順に俯瞰 (ふかん) して眺めてみよう。

類人猿: 400万 年前の様子。ヒトがサルから分かれて独自の道を歩み始めた初期、彼らはサルと異なり完全な 「 2 足歩行」、しかしまだパンツをはいていない。

直立人: 200 万年前、進化が進み、脳の容積は現代人とほぼ同じで背丈は高く、狩りの生活をしていた。知恵の発達でパンツをはいている。

狩猟人: 20 万年前、さらに進化して体は頑丈に大きくなり、狩りの 道具・ 火の利用・ 言葉 の習得も達成している。このころ人類はアフリカを脱出して新世界へ旅立ち始め、現代人の直接的な先祖になった。

近代人:1 万年前、身体はやや きゃしゃで、寒冷気候に応じた衣服を着、手に進歩した道具 (斧) を持つが、まだ 「靴」 の時代ではなかった。この時代には農業によって集団社会を構成するようになった。ここまで人類は実に調子よく進化を遂げてきた。ただし現代人の傍系には絶滅した 20 種類を越える 「人間モドキ」 が存在したことを忘れてはならない … 彼らはみな環境に適応出来なかったので淘汰 (とうた) ・ 絶滅 されたのである。

現代人:図でこの姿勢を一見して分かること、それは 「もはや体は進化していない」 ことだ。じゃ、何が変わったのか? それは 「立派な服装・ 整髪・ 眼鏡・ 靴・ さらに前かがみの姿勢」 などの文明の進化が見てとれる。

♣ つまり、最近 1 万年のヒトの特徴は 「体の進化は停止中、しかし文化の進展は著しく発展中」 と理解すべきであろう。

♣ スポーツの例を示すと、大昔の ギリシャ・ スポーツ は、槍を投げたり 裸で格闘技を競う単純なものであったが、近代のスポーツは 野球・ サッカー・ 相撲 などで見られるようにすっかり 複雑・ 高度化 している。音楽でいえば、その昔は 竹の筒を吹き、弦を掻き鳴らして歌ったものであったが、やがて 和音のある合唱 に進み、多種類の楽器で演奏する 管弦楽 にまで進化した。これらは体の進化ではなく、文明の進化である。

♣ つまり、人類の進化を概観すれば、古代の から までは 主に身体的 (ハードの) 進化、近代の は「文化的 (ソフトの) 進化」とみてよい。進化の実例は上記のようにスポーツや音楽のほか、あらゆる社会的な現象に見られるので、ここでは福祉の制度について考えてみよう (図 2のハートの人文字)。

♣ 1973 年( 昭和 48 年) の日本、社会の景気は良くなり老人も増えて来たので、老人医療は 「無料」 にして助けてあげよう――つまり純粋に好意な気持ちでタダにしたのであった。

♣ ところが、人間は 「タダ」 (無料) に出会うと突然 モラル・ ハザード( 倫理の欠如) により 私利私欲 の後先 (あとさき) が見えなくなる。病院には老人達が殺到し、このため たちまち医療予算は底を尽き、「老人医療のタダ」 はやがて崩壊してしまった。つまり老人は 「無料」 という環境にはうまく適応できず、残念ながら 無料制度 は淘汰 (とうた) されてしまったのである。

♣ このようなことは福祉の発展時にまま見られる。

♣ 老人介護の制度は人々の善意によって、老人一般の長命と福祉に多大な幸せがもたらされている。しかしながら、この制度の出発点で老人は全人口の わずか4 % に過ぎなかったが、その数は老人保護優先とともにどんどん増え 今 28 %、やがて 10 倍の 40 % に達する勢いである。

♣ 人々が長生きすることは お目出たいことであるが、総人口の半分近い 40 % の人々が介護保険の対象になるという 「只ならない事態」 が真近かになったのである。この厳しい環境に老人達は適応できると思うか? それとも我々のほうが淘汰されてしまうのか?老人に篤 (あつ) く対応すればするほど 社会全体は 脆弱 (ぜいじゃく) な体質に転じていく。これは 「進化と退化の法則」 からみれば危険信号である。

♣ 介護保険の実務自身にも矛盾する要素があり、見ていると 今のままでは 90 歳を越える人々の多くは 社会の好意に甘えて半自動的に施設収容となりかねない。それほどまでに日本の現代社会は高齢に甘く、かつ 脆弱化 しているのだ。

♣ 文頭に述べたように、せっかく人類は順調に進化して 類人猿から近代人までを 淘汰されることなく まともに生き伸びてきたのである。現代人 = に至って身体のハード面の進化はストップしたものの、ソフト面の文化の進展は順調に延びてきた。 この進展が妨げられないように、老人介護に関する矛盾を何とか解決する目途 (めど) を立てなければならない。それが今の一番大きい問題ではないだろうか。

♣ 目途 (めど) の中心的現象を挙げるなら、近年の トレンド、つまり、良き介護をすればするほど高齢の寿命は更に延び、認知症のレベルは更に深まっていくことである。延寿の促進はお目出たい、しかし、このままでは 上記のモラル・ハザードによる文化の淘汰 (とうた) は避けられない 。 両者の相克 (そうこく) ......この矛盾に何らかの知恵を絞りださなければならないだろう。1953字

要約:  人間は 「遺伝子」 の力でサルからヒトに進化した。しかし近年の人類の繁栄は身体 (ハード) の進化によるものではなく、文化 (ソフト) の発展によっている。 環境に適応できない場合、進化は淘汰され、文化は衰亡する。 介護保険は老人の高齢化を促進してきたが、それも過ぎれば現今の制度が淘汰される運命が待ち構えていることを念頭に置くべきではないか。

(762) エ ビ ン グ ハ ウ ス と 覚 え 方

 (762) エ ビ ン グ ハ ウ ス と 覚 え 方

  記憶というものは忘れやすい。これは誰も実感していることである。

♣ 一度学習して覚えたことをしばらく放置しておくと、すっかり忘れていたことを経験する人も少なくない。人間ってそういうものなのだ。そこで、記憶と忘却の関係を検討した有名な 「エビングハウスの忘却曲線」 を紹介する。

♣ これは、19 世紀後半に ドイツの心理学者である エビングハウス が、自らを被験者となって、時間の経過とともに記憶がどのように薄れていくかを示したものである。 エビングハウスは無意味な言葉のリストを暗記して、その後 時間の経過とともにどのくらい思い出すことができるかを計測した。その結果を 図 1 に示す。

♣ あなたが講習会や講義などを受けている時、講義の 20 分後には、図 によると、 聞いたことの 42 % を忘れているって本当か? 1 時間後にはその半分も覚えていないってどうなっているのか?このことは 「講義をする人への警告」 とも受け止められる… だって喋る演者は、まさか聴衆がそんな あやふやな記憶力 しかないなんて自覚していないだろう。

♣ 忘却のスピードは一定ではなく、一日後までは急激に忘れていき、それ以降の忘却スピードはかなり緩やかになる (短期記憶――この記憶は脳の 「海馬」 に保存される “液体” のようなもので、やがて蒸発して記憶は薄れる)。つまり逆に言えば、1 日経って覚えていられれば、その後も比較的に長期にわたって覚えていられるということだ。それくらいに人の記憶と言うものは 案外 当てにならず、講演などで 「いいお話を聴いた」 と思っても 放置しておくと記憶の内容は漠然とした記憶に落ち込むものである。

♣ しかし この エビングハウス の実験で大きく 二つのこと が分かる:――  記憶は時間という流れに逆らえず、一度学習して確実に覚えたつもりでも、そのままにしておけば時の流れに記憶は掻き消されてしまうということだ。

♣ 次に 忘却のスピードは一定ではなく、一日後までは 34 % まで急激に忘れていき、それ以降の忘却スピードはかなり緩やかになることである。つまり、逆に言えば 1 日経って覚えていられたものはその後も比較的に長期にわたって覚えていられるということである (長期記憶――この記憶は海馬から大脳へ移され “固体化” されるので持続性の記憶となる)。

♣ 私らは学生時代には覚えなきゃならないことがいっぱい、記憶の保持なんてゆっくり考える暇がないほど 次々に覚えまくった経験がある。若い頃だったからそれが可能だったと思うが、今でもいろんな 資格試験 や 講義を受講しながら 「長期記憶」 と戦う日々でいないだろうか。

♣ そこで問題になるのは、如何にして蒸発しやすい液体のような短期記憶を 固体のような長期記憶に置き換え、その記憶を身に付けることができるかである。図 2 をみよう。2 日後に 8 割ほど忘れた時期に復習を 10 分行うと ほぼ元に戻る。1 週後なら 5 分の復習で元に戻り、1 ヶ月後なら 3 分の復習で元に戻る。そこまで記憶のお世話をすると半永久的に記憶に残るという訳だ (液体記憶が固体記憶に変わって完成する)。

♣ なかなかそこまですることは面倒かも知れないが、2 ~ 3 回復習するだけで記憶が確かになる点 まことに うなづけることではないか。「若い内は記憶力が良く、それに比べて わたしゃ 齢とったから この頃は覚えにくくて…」 と思うこともあるが、なに、それは嘘だ。記憶力はあまり年齢に関係がない。関係が有るのは 「復習のズボラ加減」 である。

♣ というのは、若い頃は覚えることに執念があり思わず 熱心に復習する が、齢をとるとズボラになって 復習をネグレクトしがちになる。その結果 上記の 図 2 で理解されるように、長期記憶が身に付かないのだ。当たり前のことである。

♣ でもいっぺん聞いたらずっと覚えている “地獄耳” という人もある。あなたがそんな人であれば有難いが、エビングハウス でさえ図 1・ 2 の有様なのだ。我々は 無いものねだりをしても生産的ではない。そこで、短期記憶とは 液体が蒸発するように忘れ易いものなのだ、と理解しておこうではないか。エビングハウスが奨める記憶の方法は この揮発しやすい液体記憶を、ガッチリ した固体記憶に転換する方法でもある。

♣ 介護のご利用者から聞いたこと、体温や血圧の数値データなどは、早く記録 しておかないと 液体のように蒸発してしまってコロッと忘れる。復習する習慣が身に付いていないお年寄りは、ちょっと復習の手間をさぼっただけなのに、「記憶力が落ちた」 と誤解して諦 (あきら) める。中年になって記憶力が低下することはないのにね。

♣ 重ねて言うが、記憶力そのものは年齢にあまり関係がない。もし関係があるとすれば、歳をとると安易なズボラ気分で復習をサボッタから である。みなさん、頑張りましょうよ ! 1829字

要約: 学習したことは脳の 「海馬」 に保存され、液体のような 短期記憶 になる。その記憶期間は短く、一日後には記憶の半分程度が蒸発する。 その記憶を保存するためには、2 日後なら 10 分間の復習、1 週後なら 5 分間の、1 ヶ月後なら3 分間の復習でほぼ元の記憶状態に戻る。 短期記憶は海馬が受け持 つ 液体型の記憶 であって大量の新しい記憶を処理する。長期記憶は海馬から大脳へ移され 固体型の記憶 であって、ここで記憶は持続性となる。

職員の声

声1: 「記憶」 は 「記録」 によって補強される(答: 齢を取ると復習を面倒がって片端から忘れてしまうのは残念なことだ)。

声2: 最近、一度忘れると二度目にも忘れるようになった ….年齢との関係は無いのか?(答: 関係ある ! 年をとると 復習をサボル傾向 があり、その結果 忘れ易くなる)。

声3: 復習の有無だけが関与するのか?(答: 人にもよるが、いま、覚えるべきことを 20 歳・ 40 歳・ 60 歳で比べれば、復習に関係なければ ほとんど変わらない; 復習が関与すると年寄りほど覚えていない)。

声4: 脳外科の Dr. が 「一度覚えたら 30 回ほど復唱 (ふくしょう) しなさい」 と教えてくれ、それを実行すると覚えられるから不思議なことです ….脳に刻み込むのでしょうか?(答: 記憶には大きく 2 種類ある ―― 短期記憶 = 海馬の中に保存される 液体記憶、大量に可能だが 、やがて揮発する   長期記憶 = 海馬から大脳へ引っ越し保存される 固体記憶、少量だが揮発せず いつまでも残っている ….. 脳外科 Dr. の復唱は に属する)。

(771) 老 化 は 人 間 だ け の 特 権

  (771) 老 化 は 人 間 だ け の 特 権
 
世の中に高齢者がいっぱい存在している中、皆さん方は 「加齢が人間だけの特権」 と改めて聞けばビックリするだろう。

♣ まず 「加齢」 とは一年に一歳ずつ年齢の数値が増えることであるが、小学生が 「加齢する」 とは言わない。それは 「成長」 と言うし、成長が終ったら 「成熟」 であり、ここまでの年齢は遺伝子によって完全に管理されている。

♣ 生命は 成長・ 成熟 とともに繁殖を始め、子孫の確保が済めば一生を終える。ただ し人間だけは例外で、繁殖を終えた時期から 「老化」 のステージに入る。老化の初期は 「更年期」 とも呼ばれ、以後 子を産まず、従って生命進化の道からも外れた 「第二の人生」 となる。

♣ さて、「老化」 にはいろんな定義があるが、意味する所は 病気ではない 「更年期以後の心身機能の低下」 と言えば当たるだろう。病気なら ある人 ない人 さまざまだが、老化は必ず誰にもある。びっくりすることだが、老化は 自然界の 動物には存在せず、人間だけにみられる現象なのである ! え ナゼ?とあなたは思う。

♣ 自然界の動物は 「生存と繁殖」 をして、命を子孫に繋ぐ以外の目的はない。子を産み 育て終えると その目的は達成されるので、世代は交代され 命も子孫に渡される。これは 「進化」 の王道であり、地上のすべての生命が 過去 38 億年 に亙ってやり続けて来た道である。つまり動物は子を産み終えたら世を去ってしまい、更年期にも老化現象にもご縁がない。え 本当?

♣ でも、不思議に思わないで欲しい … 我々人間だって 戦前はそうだったのだ。その頃、人の寿命は更年期の手前 40 歳ころで終わり、その後の老年期を迎えられる人は特別な人に限られていた 。「お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に出かけました」 と童話にはあるが、その昔は 40 歳 前後を爺 (じじ) ・婆 (ばば) と呼んだ (図 1) 。今なら その 2 倍の 80 歳を越えたころ やっと 爺 (じじ) ・ 婆 (ばば) と呼ばれる。

♣ では、ナゼ今、世の中に長生きの人間が増えたのか? それは人間には 「知恵」 があったからであり、近年の福祉と 「衣食住・ 電水熱」 の環境コントロールにも成功したからである。これらの要素無くして 庶民が老人になることは不可能であり、老化は 「知恵」 の勝利といえるだろう。

♣ 死亡の主因である 「飢餓・ 災害・ 捕食・病気」 などに対して 遺伝子 (DNA) はほとんど無力であり、特に 「老いた体を守る」 ことは遺伝子の役目ではなかった――分かりやすいイメージとして、鮭は産卵したあと やがて死んでしまう…一般動物もそうである…. それを頭に描けばよい。

♣ つまり、そもそも老化とは人が生きて行くうえで 「順当な現象」 なのだろう。それは 「ストローラーの 4 原則」 で容易に理解できる。老化は大別して 「病的老化」 と 「生理的老化」 に分けられる。病的老化は、病気、 たとえば 糖尿病や高血圧による動脈硬化などで引き起こされる老化であって、病気の人には早く老化が訪れる。

♣ これに対し、生理的老化は更年期以降に遅かれ早かれ、誰にでも必ず起こってくる心身の老化であり、老年学者・ ストローラー はそれを 4 大特徴 に分けた。 内因性 (遺伝子が決めている) 普遍性 (すべての人に必ずある) 進行性 (ジワジワ進行し、後戻りしない) 有害性 (常に体へ不利をもたらす ) 図 2)。たとえば、老眼、白内障、難聴、女性の閉経、骨粗鬆症などは誰にでも起こる訳であって、避ける手立てはナイ ! これを何に例えれば適切だろうか?

♣ 自然界の動物の死にざまは 繁殖が終ったらさっさと死んでしまう 「ピンコロ型」 である。これに反して私ら人間の平均的な将来は、更年期 → 生理的老年期 → 病的老年期 → 逝去 の順であって、死にざまは 「ジワコロ型」 である。

♣ つまり人間は、このところ 「 50 年 の繁殖期と 50 年 の老年期」 を持つ 「ハイブリッド生命 になったと言える。しかし、人は 前半の 50 年 を十分エンジョイして文句を言う人は少ないが、後半の 50 年 については不満がある …後半が 50 年 では不足だ、と大抵の老人たちは不平を述べる。

♣ 何をおっしゃる ! ! 生き物が子を産まずして 50 年 もの長い間 のうのうと 生きていられるって、38 億年 の生命史の中で 前例のない 特別な特権なのだ ... 永く生きたかったら、永く子を産まねばならない ... 子孫の進化から離れて永く生きる生命はない ... これが生き物の宿命である。

♣ 「加齢・ 老化」 表す言葉はあまり好まれないが、人間は 「老年期」 という、一般動物には決してない (有難い) 期間を近年に獲得したのである。老年期は繁殖期と同じだけの長さの 50 年 があり、動物の せわしない 「ピンコロ」 とは違って、ゆったりとした 「ジワコロ」 で人生の幕引きが出来るのである。この長い老年期に何の 不満・ どんな不平 があると言うのだろうか? 1963字

要約: 生命は すべて 「発育・ 成熟・ 繁殖」 の道を歩んだあと世代交代をするが、人間だけは繁殖の後に 「老年期」 を余分に迎える。 生理的老化の 4 大特徴 は 「内因性・ 普遍性・ 進行性・ 有害性」 であり、特養の入所者は ごく普通に この道を歩んできた人々である。 私たちが もし夏目漱石  (なつめそうせき) のように 「明治時代」 に生まれていたら、漱石と同じように「 49 歳」 で天寿を迎えることになる。その 2 倍も生きていられる私たちは現代の仕組みに感謝しようではないか。

参考: ハイブリッド =  異なった要素を混ぜ合わせ 組み合わせたもの。例として「 ガソリン・ 電池」 の両方をエネルギーとして用いる 「ハイブリッド自動車」 。

職員の声 

声1: 人生 50 年は短すぎるが、100 年は長すぎる(答: 100 歳の人を観察すれば、このことが良く納得される)。

声2: 老化があるのは 「人間だけ」 なんて考えてもいなかった…. 犬や猫などの動物にも老年期があると思っていたが、違うのか?(答: 人間に飼われている 犬・ 猫 は 人間と同じように寿命が 2 倍老化する、だが自然界の動物は子を産み育てたら 老年期などなく やがて死ぬ … 人間も 「戦前は」 子を産み育て終えたら 庶民は 爺・ 婆 になる前に死んでいたよ)。

声3: なぜか 「ピンコロ」 を薦 (すす) める自治体もある(答: 経費が一番安上がりだからでしょう … ジワコロ (ジワリジワリ死ぬこと) 10 年なら約 5,000 万円の医療・介護の出費となり、その多くは自治体の経費で賄われるからね)。

声4: 人生後半の 50 年を健康で楽しく生きられれば本当に喜ばしい(答: 遺伝子は後半の人生を保護して呉れず、糖尿病・ 骨粗鬆症・ 癌・ 脳卒中、さらには 老衰死 へと導く … たとえそれが嬉しくなくても、我々はそのような長生きを優先して生きていたい存在なのだ)。
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ふじひろパール

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「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

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