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(769) 体 格 指 数 (B.M.I.) の 初 歩

(769) 体 格 指 数 (B.M.I.) の 初 歩

 老人介護と B.M.I. は切っても切れない重要な関係にある。

♣ 我々は 10 年前に、体重の指標 B.M.I. が 「12」 に近づけば お年寄りが 「生と死の狭間」 にあることを すでに 発表した* 1 ) ~ 3 ) 。その臨床的意義の 深さは限りなく大きいが、ネットで検索すると、現時点で、B.M.I. の応用は相変わらず 「肥満領域の指標」 としか知られていないようだ。

♣ 従ってお年寄りへの B.M.I. の使い方についての解説書はほとんどない。そこで今回は 初歩者に使いやすく応用しやすいように工夫した 短い学習を考えた。

♣ 人間の体格を表す 「身長と体重」 は非常に重要な 数値指標 であるが、臨床的に 肥満・ 正常・ るい瘦 を一つの数値で表すことができれば便利である。B.M.I. は近年 広く用いられている方法であって、その方法は ポケット電卓ひとつ で誰にでも簡単に算出できることだ(図1)。

♣ B.M.I. の数値は一個だけでも意味があるが、継続して、例えば入浴サービスの時 毎月一回 必ず体重を測る習慣があれば、その臨床的価値は大きくなる。その一例を 図2 に示す。体重の測定は毎月第一回目の入浴時、これを図の上、J 氏で描く (94 歳女子、認知症)。縦線は B.M.I. の数値、横線は一枡につき 1 年、合計 8 年ぶん。入所当時から B.M.I. は 臨床的に安定、正常な 20 ± でほぼ水平、それが 5 年続いた。7 年目の終わりに 「誤嚥」 、以後 1 年かけて B.M.I. は急峻な角度で低下し、B.M.I.= 13 あたりで亡くなった。

♣ 水平の部分は、曲線の揺れに個人差があるものの、死亡の前 1 年から B.M.I. が急に低下し、このパターンは高齢の認知症・死亡例でしばしば見るパターンである。B.M.I. が水平 ± であるうちは、簡単な言葉で言えば「 決して死なない」 が、B.M.I. が 1 年で 「4」 以上急に低下すれば 「死ぬ確率」 が非常に高くなる。要するに、「絶食」 に近い食習慣は非常に危険である。

♣ 図の下は K 氏を描く(96 歳女子、認知症)。全経過は 9 年、スタートの B.M.I. は正常下限であったが、臨床的には何事もなく、2 年目以後 ほぼ直線的に低下して行った。8 年目には B.M.I. が 12 に達し、痩せ細って頑張っていたものの、とうとう 9 年目に ジワリジワリ と亡くなった。これら B.M.I. の曲線は毎月コンピュータで出力・ 図形化し将来の事態の対応に役立たせた。私どもは 1 年ていどの経過で亡くなれば 「並みコロ」 と、年単位で ジワリジワリ と亡くなるのを 「じわコロ」 と呼びならわす。いずれにせよ、この所見は死亡時点がかなり事前に推測できる特徴がある。

図 3 は 「誤嚥が契機」 となって誘導された B.M.I. の低下 死亡の 3 例を示す。縦横の線は 図 2 と同様である。H 氏(96 歳女子、脳梗塞)は B.M.I. が堂々と正常の上位で、5 年目の終わりに誤嚥・ 入院、これ 4 回繰り返し、5 回目の誤嚥では家族も死を覚悟、10 年目に定規で延線した推測通りの日時で亡くなった。

I 氏(90 歳、認知症)は入所時すでに B.M.I. がかなり低値であったが、食事にうまく反応した 2 年間を過ごし、そこで誤嚥、1 年余掛けて B.M.I. の低下を見、予測通りの日時で亡くなった。J 氏(99 歳、脳梗塞)は入所時すでに B.M.I. = 14 と痩せ細った状態であったが、2 年間をよく保ち、そこで誤嚥、1 年後に B.M.I. = 12 となり、99 歳でもあって死亡を覚悟した。しかし、家族のたっての希望で 「胃瘻」 を増設、だが B.M.I. の回復もままならず、半年後に亡くなった。

♣ 最後に B.M.I. が連続・ 高度に低下する場合の意義を説明する (図 4 )。症例はいずれも超高齢の認知症である。症例 A は 100 歳の言語障害と認知症のある静かなお婆ちゃんで肥満。4 年目の終わりから誤嚥によらず体重が減少し始めた。その特徴は 1 年に 1-B.M.I. 程度の軽い連続減少であり、その領域が肥満域にあることである。B.M.I. の低下が軽く、肥満域にある場合は、まず死亡することはナイ。

♣ 症例 B は 85 歳で B.M.I. は正常域にあるが、B の印のところで誤嚥、プラス 1 年間で 4-B.M.I. の低下をみて死亡した――つまり B.M.I. の位置が正常であっても、その低下スピードが毎年 4-B.M.I. を越える場合には死亡の可能性が高い。症例 CD は 97 歳と 96 歳の高齢で、いずれも B.M.I. が正常値以下の領域にあって 3 ~ 4 年に亙り右下さがりである。定規による延長線が 「12 近辺」 のラインと交わる時点で亡くなった。

♣ つまり B.M.I. はその位置が十分高ければ その変動によって死ぬことはない;また 1 年に 4-B.M.I. を越える強い低下は死を覚悟する; さらに低 B.M.I. 領域でコンスタントに低下が続くときは 定規による延長線上での死亡時期が現実となる。1908字

要約:  認知症老人の元気さを推定するためには 「正常な B.M.I. の経過」 を観察する方法が有効である。 B.M.I. は平時に大きな変化を示すことは少ないが、1 年間に 4-B.M.I. を越える直線的低下のあるとき、それは 「死の兆候」 となる。その場合、定規で延線してその期日を推定しよう。 特に 「誤嚥」 の後に直線低下があって、B.M.I. が 「12」 に近づくときには、“死の狭間” であることを予想する。 老人独特のいろいろな臨床トラブルがあっても、B.M.I. が 20 以上を保っていれば、まずはまず 死の訪れとは無縁である。

参考:  新谷: 「体格指数 (B.M.I.) から見る生と死の狭間」;老人ケア研究、No.33, page 13~23、2010.
なお、インタネットで頭記のタイトルを単純に打てば、入手することができます
1 ) 新谷: 「天寿の終点は B.M.I. = 12 」、福祉における安全管理 # 33, 2010. 2 ) 新谷: 「安息の心と B.M.I 」、ibid # 94, 2011.
3 ) 新谷: 「安息の心と B.M.I.」、ibid #742, 2019.

職員の声
Covid-19 の混乱の中、「声」は pending となる。

(782) 肥 満 と 膝 関 節

(782) 肥 満 と 膝 関 節

デイ・ サービスをご利用の U様 (86 F 要介護 1 ) は 「変形性膝関節症+病的肥満」 と言われている(身長 140 cm、体重 62.7 kg、B.M.I. 32 )1) 。ただ今は、歩行時に肩がゆれる程度の訴えだが、ご家庭では座ってテレビを観賞、チョコレートが大好きだ。先行き、膝の痛みが出てくると、どうすれば良いのだろうか? 整形外科の Y 先生にお伺いした。

♣ < Y 先生 > 飽食の時代、こういう方は珍しくない。そのほか、太り気味のかたは 「変形性脊椎症」 などの脊椎のトラブルを抱えることも少なくない。そもそも、足は重力の影響を受け止める臓器だから 「体重の影響」 をモロに受ける。この方は、なぜか積極的に歩こうとしない。周りの方々が 「過保護」 されているのだろうか?

♣ 西洋人は 「股関節」 の障害が多いが (X-脚)、日本人は膝関節の変形が多く、しかも 「O - 脚」 (オーきゃく) であり (図 1)、膝のトラブルで泣く。それにはキチンとした理由がある。

♣ 膝の解剖学を見てみよう:- 膝は 上下腿の間にある 握りこぶし大の関節であって、安静時・ 運動時ともに大きな力を受ける。歩く時には 片足に全体重が乗っかる;走る時の着地では全体重の 5 ~ 6 倍の体重がかかる—— あなたが 60 kgであったら、300 kg以上の力が乗っかる訳で、かなりの負荷となる。

♣ 太っている方の多くは膝のトラブルを持つが、同時に脊椎の問題も少なくない。体重の過剰は基本的には 「脂肪過多」 による。この “体脂肪” は よく 「おろすことが出来ない定期預金」 にたとえられ、ふくよかな人の泣き所でもある。

♣ さて、膝関節は 「関節嚢」 (かんせつのう)という靭帯(じんたい)の袋で覆われている。靭帯とは、強靭(きょうじん)な結合組織で、言ってみれば テントの布地 のようなものだ。

♣ その関節嚢内で上下腿の骨が接触する。骨同士が接触すると、接触部が損耗するので、骨末端の 「軟骨」 によってクッションされる —— 自動車のタイヤの役目みたいなもの。

♣ 問題はここからである。人生 50 年の頃には問題にならなかったけれど、寿命が 2 倍に延びてくると、軟骨・ 靭帯は 遺伝子寿命の 50 年を越え、ともに著しく損耗してくる。普通の人体組織は 「毛細血管」 によって栄養・ 補強されるが、軟骨・ 靭帯には毛細血管がなく、関節の中の液でゆっくり潤されて 間接栄養のみである。

♣ つまり、軟骨が擦り減るのを補充する機能はないのだ。軟骨が消失すると、上下の骨同士が直接ゴリゴリ接触するようになり、骨の内側が破壊されてくる (図2  左は正常で上下の骨が接触していない;右は関節腔が狭くなり、上下の骨が接触しているー―矢印)。

♣ すると、痛みとともに、O-脚( オーきゃく、がにまた)となる (図 1)。O-脚 という言葉は、骨の湾曲のように聞こえるが、実は 骨は湾曲せず、関節部で部分破壊されて、内側に折れているのだ。

♣ その原因は第一に 「過負荷 = 肥満」 + 高齢による 「骨そしょう症」 であり、閉経後の女性に多く見られる。第二に日本独特の 「正座の習慣」 が原因とされたこともあるが、椅子の生活の現代でも同じ問題が残っている。

♣ 最期に、対策法 を考える:- 減量すること が道理に叶うけれど、 「食い意地との闘い」 となるので、老い先の QOL と考え合わせて工夫したいところだ。体重を下すことは重要ではあるが、問題は アブラ である。太っているのに 「体に [肉] が付いて …」 と言う人もあるが、「肉」 が付くことは決してない。付くのは 「脂肪」 、つまり 「アブラ」 。アブラはカロリーの高い 「貯蔵用の組織」 であって飢餓に備えるための組織だが、平時にくっついたアブラはおろせない。

この方はまだ歩けるはず;ご家族の協力を求め、歩かせてあげるのが良い。 結局、ご本人が膝の痛みを訴えない限り、放置する しかないだろう。

♣ なにせ、ある一定の処置を行なう順番は、第一に本人の希望、第二にご家族の希望だからだ。職員がヤキモキして、手術とか漢方とかを考えるのは 順番で言うと三番目なのである。1678字

要約:  体重の過多は 「体格指数、B.M.I.」 で表され、標準は 18.5~25; 25 を越えると 「肥満」 と言われ、30 を越えると 「著しい肥満」 と呼ばれ、このかたはこれに相当する。 歳をとって肥満の人は、膝関節のトラブルに泣く。関節の内部は 「軟骨」 で覆われているが、この軟骨が体重によって擦り減り、関節相互の骨が直接こすれて痛むのである。 活動時の姿勢を工夫することのほか、B.M.I. を 25 以下におろすことが対応の眼目であるが、平時に溜まった体重を下すのは苦難の塊である。

参考: 1) 新谷: 「天寿の終点は BMI ≒ 12」、 福祉における安全管理、# 33、2010.

(781) 年 金 の 心 配

(781) 年 金 の 心 配

人間、中年になると ある日突然 「年金」 という言葉に関心を持つものだ。

♣ 年金の 「元手」 (もとで) には、積立(つみたて)方式(貯蓄)と 賦課(ふか)方式(徴税処理)がある。積立方式とは自分が貯金で積み立てたお金を老後に取り崩して使う仕組みのことで、もし積立をしていなかったら老後の年金はアウトとなる。

♣ これに反して、賦課方式とは、いま働いている現役若者から税を取り立て それを高齢者に差し上げる仕組みで、社会的な 「世代間扶養」 と言える。昔は子が 父母・ 祖父母 を扶養したが、もし賦課方式によって社会がそれを代行してくれるのなら、貯金のない人や子の無い高齢者も安心して老後を暮らせる。

♣ まず 「積立方式」 の歴史を述べると、1961 年(昭和 36 年)の年金納付税制の 「国民年金」 として始まり、月額 100 円の掛け金を 40 年間納付し続ければ、老後月額 3,500 円の年金を貰える、と計算した。

♣ しかし、この考えは甘かった … 計算すると、貯蓄総額は計 48,00 円、これを 毎月 3,500 円ずつ取り崩せば 13.7 ヵ月で枯渇(こかつ)する。その時代の老後は平均 1 年余の短命だったから、この計算で間に合った。だけど、現在は 老後が 40 年以上に膨れ上がり、 掛け金を納めていない国民(低所得者・ 家庭の主婦など)に対しも年金配布が必要となった時代になっている。だから この積立て方式は 早々とパンクした。

♣ これに代わって今では 「賦課方式の年金」 が行われる ―― 高齢者に渡す年金を 若者層からの徴税で賄う方式で、理屈はシンプル。だが、この賦課方式が社会に根付くためは 次の 三条件 が必要である:―― 年寄りの寿命が短いこと(人口構成がピラミッド型); 病気の人が少ないこと、 経済が右肩上がりのこと。戦後しばらくの間はこれが通用したけれど、その後は これら 三つの条件 が全部アウト、それを取り繕うための 政府の借金は一千兆円にも及ぶ現況である。 なぜこうなったのか?

♣ 発案当時は ここに示した条件 ① ② ③ は全部クリアした。例えば、① 老人は短命であり、② 癌・脳卒中・認知症などの病気は少なく、③ 経済は右上がりのバブルで収入に心配はなし。

♣ ところが、1990 年の経済バブルの終焉(しゅうえん)の頃以来、 老人は長命になったうえ納税の若者が減った; 癌・ 脳卒中・ 認知症 などの長命病がどんどん増えてきた; 経済は 20 年 ~ 30 年に及ぶ長いデフレに転じた。

♣ 「多々老少子」・ 「老人病激増」・ 「デフレ貧乏」 の トリップル・ パンチ で すべての年金の基礎が崩れ去ってしまった !

♣ つまり、今は 税金は 「入(い)るは乏しく、出(い)ずるは莫大」 になり、政府は一千兆円もの借金をして 赤字の辻褄を合せているが —— 遠からず債務不履行(デフォルト)に陥る。

♣ その上 国民全般は 当事者意識に乏しく、あなた任せの 「モラル・ ハザード」 (倫理欠如)の “能天気” ぶり —— モラル・ ハザード とは 「社会全体の利益を考えずに、自分の利益だけを追求する人間の心」 のことを言う。

♣ これに加えて、「預貯金の利子がゼロ」 のため 年寄りは節約に努めてお金を使わず デフレも進行。更に 積み立てたお金の巨大さのあまりに、年金庁は思わず 汚職、それがバレて青息吐息。洋の東西を問わず、「現金」 (げんなま)が個人のすぐ傍にある時、係員は 気がふれて自己制御が不可能となり、使い込むのだ;今後とも 「個人」 と 「他人のお金」 は “猫と鰹節” のように怪しい関係は続いて行くのだろう。

♣ つまり、人間の あさはかな性(さが )のゆえに、「積み立て方式」 はパンク、 「賦課方式」 も 政府のデフォルト(債務不履行)でアウトに近い。私たちが夢見る 「豊かな老後の年金制度」 は 残念ながら やがて空中分解?それが 偽らざる現状のようだ。皆さん、もし この現実に不満があれば 「国政選挙で」 自分の意見を 出しましょう !

♣ そもそも、子を産まずして楽をしたい国民には それなりの運命が待っているのだ。老人が若者に寄生するような制度(老人の生活費は若者が負担)は間違いの元ではないか?

♣ また、「働かずして食える福祉制度」 にも問題がある ! 私らの使命は 憲法 27 条にきちんと記載されているように、何らかの勤労を介して生涯 社会貢献をする! 馬齢のみで長寿を過ごすなかれ ! やむを得ず “馬齢” になったら 「つましい質素」 を旨として生きようではないか !

♣ 日本のように 1 億人を越える多勢の国民があれば、積み立て式は関係職員の(現金誘惑)のゆえに困難とされる。したがって 若者に徴税する賦課方式で老人を保護する形式しか頼れないようだ。賦課方式の欠点は 「多々老少子」 という人口構成にある。どの道も蛇(じゃ)の道であろうが、若者が押しつぶされないように工夫したいものである。1940字

要約:  「積み立て方式」 による 40 年分の現金 … 現実の問題として係員は 「現金の使い込み等」 に走ってトラブルに巻き込まれ、年金の支払いに問題を起こす。 「賦課方式」 の年金蓄積は主に次の三つの問題でトラブルに悩まされている:(イ) 老人は長命になり 税負担の若者の数が減る、(ロ) 老人は脳卒中・ 認知症などの長命病がどんどん増加、(ハ) 経済は長期のデフレ不景気持続。対策として税を負担する若者の数を増やす;老人と言えども働き続ける、などが挙げられるが、いずれも難渋な道である。基本は 「40 年間働いて、次の 40 年間をラクチンで暮らす方式」 に問題があるようだ。

職員の声

声 1: 昭和 36 年に発案された年金制度は 当初うまく行ったのに、ナゼ今はダメなのか?(係り:そもそも、子を産まずして楽をしたい国民には それなりの運命が待っている)。

声 2: 年金の資金(パイ)は 少子化なのだから小さくなる;増えた数の年寄りで その パイ を分け合えば、一人あたりの取り分は減るのは当たり前(係り:このモットーを実行して 滅びた国は沢山ある)。

声 3: 仕事が出来ないから、を理由で生活保護に莫大なお金が使われている;国はよく考えて欲しい(係り:まじめにコツコツ働いた人が年金を貰ってみると、生活保護より少ない、という話をよく聞く)。

声 4:自分の安全のためには、国全体のことなど かまっちゃいられない(係り:その状態を モラル・ ハザード と呼ぶ;憲法第 25 条は 「最低限の生存権利」 を保証しているが —— 同時に憲法 27 条は 「労働の義務」を 規定している。私たちは命ある限り 「働く ! 」 、それでも不足が生じ、納税者が合意してくれれば 「足して」 もらう;この原理をわきまえることが大切だと思う)。


(779) 元気で長生きしたい 

  (779) 元気で長生きしたい  

100 歳のお婆ちゃまが 「元気で長生きしたい」 とおっしゃる。そこで 彼女のお名前を GN 様と呼ぼう。彼女が 「元気で長生き」とは どんな事を考えておられるのか? ここでは一般的な 100 歳の方の身体状況を 「100 歳標準」 とみなしてみよう。

♣ まず 「元気」 とは 「健康」 と考える。健康の 三要素 は、身体・ 精神・ 社会 な側面を見つめる。「精神的 (生きがいを持つ) 、社会的 (他人との交流がある) も大事な健康の要素である。そこで最初に 「100 歳標準」 を総括的に述べてみよう。

{目:} 白内障・ 緑内障があって、視力は落ちる。レンズの変形によって像の湾曲率も変わる。老人性縮瞳により黒目は小さく、このため景色は暗く見え、夜間にはつまづきやすい。テレビで野球や相撲を見ても 勝ち負けがはっきり分からない。要するに 「ガチャ目」 である

{耳:} 老人性難聴により、小さくて高い音は聞こえにくい。体温計の 「チッ」 という終了音は聞こえない。会話では、母音(ぼいん)はよく聞こえる反面、その間に挟まれる高音の子音(しいん)は耳に残りづらく、 え? え? とよく 聞きなおす。極端に言えば、“お早う” が オアオウに、“こんにちは” は オンイイアに聞こえて戸惑うのだ。テレビの音量を上げ、家族に文句を付けられる。

{味覚・臭覚:} 歳とともに 「味蕾」 「臭蕾」 は減り、感覚は鈍る。味めくら、匂いめくらに近い。ただし味覚・ 臭覚の減退は他人へあまり迷惑をかけない。

{知覚:} 視・ 聴・ 味・ 臭 に次ぐ残りの感覚。温・ 冷・ 痛覚 など五種類の受容体は数が減り感度がすべて鈍る。

{歯:} 100 歳の基本は 100 % 入歯であろう。

{骨:} 女性の骨粗鬆症は殊更に有名、骨折の頻度は増し、膝・ 脊椎骨の変形も増える。

{肉:} 随意筋の量は 25 歳時に比べ 75 歳で 1/2 に、100 歳で 1/4に 減り、ヨロヨロ。 

{脳:} 成人以後、脳細胞は毎日 10 万個ずつ減ると言われ、認知の脳細胞も影響を受ける。認知症の頻度は 80 歳で 5 割、100 歳で 8 割。

♣ 100 歳の GN 様が 「わたしゃ元気だよ」 とおっしゃっても、その身体的基盤は上記の通りであって 「病気」と は言えないが、”はたち の健康“ とはまるで違うものである。つまり 100 歳の GN 様の元気は 「100 歳相応の健康」 に過ぎないのである。

♣ 次に 「長生き」 について、長いとは 「どれほど長い」 のか?戦前ならば 「還暦(60歳) 」 は長いと言えただろう。今は長いといえば 100 歳であろうか。しかし今が 100 歳の人なら上に天井はない。ここで長生きの現実を実物の図で観察しよう。

図 1 は 横軸は年齢、縦軸は人口を示す。0 歳から 70 歳までの人口はその時どきの社会状況に応じて デコボコ であるが、70 歳を越える人口は 95 歳に向かってほぼ直線的に減少する。この 70 歳からの直線減少所見は全世界の先進国で共通であり、従って 70 歳の別名は統計上の 「屈折年齢」 と呼ばれる 1 )

2016.5.5 人口推計 2007年 (2)x
♣ もちろん個人差はあるが、人間という種(しゅ)は一般に 70 歳という限度を超えると長く生存することは困難なようである。図 1で年齢の末端の 95 歳より先をみると、縮尺の関係で超高齢の人口はゼロのように見える。そこでこの部分を詳しく拡大して 図 2 で示してみる。
2020.02.26① Bx
♣ 驚くことに男性の場合 高齢人口は 107 歳あたりに向かって、双曲線のように ほぼ 0 人に 収束 している ! 男性よりも人口が数倍も多い女性も、男女差を反映して 110 歳に向かって やはり双曲線的に ゼロに収束 している。つまり現実の男女人口は、合わせて 110 歳近辺でゼロに 収束 すると見られ、これこそが 「高齢 100 寿人口の特徴」 と言えるのであろう。

♣ もちろん個人差はあり、110 歳を越える人たちのデータをみると 「個人姓名付き」 であることが多い … 例えば 田中かね 117 歳、松下しん 115 歳、渡辺智哲 112 歳などだ。この渡辺智哲氏は 2020 年に亡くなったが、生存時には 「世界一長寿な男性」 としてギネスブックに載っていたほどの高齢であった。

♣ 日本の統計現状では 100 歳越が 7 万人、110 歳越えは 150 人ほどである。つまり 110 歳を越える長寿者は統計領域を越える稀な人達と言えるだろう。それは 「数字で扱う人口」 と言うよりも、「ギネス・ 神仏の領域の人」 と見るべきであろう。従って人間の 「天寿の境界」 と言えば 110 歳と考えて大きな誤りはないと思われる。

 ♣ さてそこで 「元気で長生きしたい」 とおっしゃる 100 歳の GN さまを振り返ってみよう。彼女は 「元気さ」 を保持していらっしゃるが、上記したように 彼女の健康は具体的には 「100 歳標準」 の故障だらけ であるから すでに 「健康」 の意味では失格である。つまり、彼女は過去すでに 「健康の領域」を 通り越しており、単に今以上 病気が重ならないように念じておられるだけなのである。

 ♣ 次に 「長生き」 の願望もあるが、GN さまはすでに 100 歳であり、参考までに 「余命表」 を見ると 余命はあと 2.5 歳と記載されているから、110 歳の実現は かなり困難である。

 ♣ その上 100 歳の GN さまは 「 認知症」 である確率が 8 割もあり、もし 110 歳であれば 10 割 (100 %) 認知症となろう 2) 。認知症の特徴の一つに 「時間観念の喪失」 という 見当識異常があって、過去~現在~将来 を弁別し難い。つまり 「長生きしたい」 とおっしゃる希望はどこまで本心なのかが分からないのである。2138字

要約: 「100 歳標準」 を定義し、100 歳の 「元気」 とは この故障だらけの健康を 「自覚的な元気」 とみなしている。 通常の人口分布図では、100 歳寿の人口は目には見えないほど微細だが、それを拡大して観察すれば、男子は 107 歳に向かって、女子は 110 歳に向かって見事に人口ゼロに収束していた。 通常の統計分析が可能な人口領域は 110 歳までで、それを越えると 統計確率の届かない 「ギネス・ 神仏の領域」 になることが示唆された。

職員の声
--------- COVID-19 の人員集合・延期要請により、職員の声も延期される

(755) 清潔・無菌 と 抗菌

 (755) 清潔・ 無菌 と 抗菌  
  
 新型コロナウイスル の繁殖に因んで。

まず 清潔 。今らから千年前、清少納言(せいしょうなごん)の枕草子の書き出しは: 「春は曙(あけぼの) 、ようよう白ろうなり行く . . . 夏は夜、月の頃は更なり . . . 秋は夕暮れ、夕日華やかにさして . . . 冬は早朝(つとめて )、雪の降りたるは言うべくもあらず . . . 。

♣ 清少納言は 「さっぱりした」 自然の連想を述べている。実は 私たちも現代の 「清潔の連想」 をたっぷり持っている。たとえば、アイロンのかかった Y シャツ、若者の白い歯 . . . 。

♣ でも清潔とは何? —— 定義は難しい、実際には 「反対語」 があると分かりやすくなる。ここでは 「よれよれの Y シャツ、汚い歯 . . . 」 が反対語であろう。「見てくれ」 が問題 であって、ゴミ も バイ菌 も関係なしだ。日常生活の バイ菌 の存在は 「不潔」 とは言えまい。

次に 無菌。あなたは、この言葉で何を連想しますか?私は病院の 「無菌室」 、血管の中の血液、腎臓から出て来たばかりの 「尿」 を連想する。尿って不思議である。腎臓で作られたばかりの尿は無菌、でも腎臓から膀胱に移動すると、少し 「有菌」 、つまり大腸菌の感染を受ける。外部尿路にでると汚くなり、体外に溜めておくと発酵する。

♣ あなたは “なぜ そうなのか” の理屈を知っている。でも、あの時代の清少納言はどの程度この理(ことわり)を知っていただろうか? 菌(きん)とは何かを知らなければ話は通じない。無菌とは、字義のとおり、バイ菌ゼロを意味し、良い菌・ 悪い菌 とはまったく別のことである。

最期に 抗菌。抗菌とは、特殊な操作でバイ菌の繁殖を防止する操作を言う。たとえば、紫外線照射、金属チタン加工の品などがある。これは現在大はやりだ、日本人が大好きな 「抗菌」 だ。

♣ 抗菌グッズは 「歯ブラシ・ テーブル・ 便座・ お茶碗」 など多種多様である。でも あなたは抗菌の効果を確かめる手段を持たず、業者や広告を鵜呑み するほかはない。第一、医療以外の場で 抗菌は免疫の邪魔をするだけでむしろ有害である。

そこで頭を巡らす。清潔の反対語の 「不潔」 と比べれば、「清潔」 は望ましいものだが、次の場合、あなたはどうするか? :節分の豆まきの豆 ;昔は地面や畳に落ちた豆を食べたものだが、今は 5 ~ 6 粒ごとにビニール袋に入っていて 清潔と言えるが、なんだか物足らない気がする。

♣ 自分が床に落とした クッキー、人が見ていなければ拾って食べる? 「白い歯ってイイな ! 」 はテレビの広告だが、実際の白い歯には多種類のバイ菌がくっついている —— 白い歯って清潔な感じだが、しっかりと有菌であるよ !

♣ アラビアのお年寄りの 王様 たちが会見するのをテレビで見ると、必ずお互いに キス したあと、仲が良い場合は 舌 を入れるそうだ。そのあと会議を始めるようだが、あなたも 王様 にキスするか?

整頓。医療・ 福祉の目で見ると、清少納言の時代と習慣や見解はずいぶん変わってきた。「清潔」 は大事だ。古今東西を問わない。ただしそれも ほどほどにしよう。

♣ 「無菌」 という言葉は、医療に用いられるだけの状態であり、日常生活での無菌は有害である(理由:人体の免疫機能を弱めるから)。「抗菌」 は業者とマニアを喜ばすだけで、日常生活では役立たない(理由:何の菌を防止するつもりなのか?)。

♣ 介護にあたっては 「清潔」 が第一、次に必要なものは 「科学と礼儀」 であると心得よう。1425字

職員の声

声1: 私は 一昔前まで 「抗菌・ 除菌」 なんて聞いたことがなかった。現代では、少し臭いがすると 「スプレーをかけたり、シートで拭ったり」 して、逆に環境を汚しているのではないかと思う(答:業者に踊らされ、モノを買わされている)。

声2: 清潔なことは大事だが、ある程度のバイ菌がないと抵抗力が育たない(答:子供を神経質に育てるお母さん、かえってアトピーや花粉症を増やすことがある)。

声3: 私は以前、公園のトイレから出てくる男性が 「手洗い」 をするか しないかを観察したことがある: 5 人のうち 3 人は洗っていなかった: こんな人が手すりやお金に触るのだと思うと、身震いがした(声:残念 … 歴史的にも全世界的にも洗うことは稀)。

声4: あまり 「無菌」 を求めると、かえって 「心身症」 を誘発してしまう(答:問題はバイ菌の量を 百分の一 から 千分の一 程度に減らすことであって、完璧な手洗いでも無菌ゼロにはならない。菌量をこれほど減らすだけで手洗いの目的が十分達成される、と認識しょう)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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