(649) 多 死 社 会 は ”天 寿 死” の 社 会

(649) 多 死 社 会 は ”天 寿 死” の 社 会

現代は “多死の社会” と報じられている。

♣ 「多死」 とは単に死亡者が増えた、という意味だ。医療が発展し、介護施設が増えて人の死亡がウンと減ったハズなのに、「死亡者が増えた?」 … とは合点がいかない。確認 してみよう(図 1)。

♣ 上の図は 1920 年 の日本の、下の図は 2015 年 の図で 約 百年前後 の経過 を示す。若年 [緑] は僅かに減っているが、中年 「青」 は 3 倍に増え、高年 「茶] に至っては 10 倍 近くに増えている。

”多死”社会って何?

♣ つまり、現在の人口は、働く人も、老後の楽をする人も著しく増え、人々の長寿の夢が実現されている事を表す「幸せの図」である。それなのに、現状は「多死社会」という 暗い言葉 で評価されているが、いったい何処が問題なのか?高齢者 [茶色] が 10 倍も増えたのに、死亡数は昔のまま、という訳にはいかないだろう?そこで「茶色の面積」がこんなに巨大であることの意味を探ってみたい。

図 2 は「出生数と死亡数の経過」を示す。上下 2 本の折れ線があるが、まず上の折れ線の「出生数」を見よう。出生数は「産めよ増やせよ」の掛け声とともに、明治・大正・昭和を通して 4 倍に増えた。
”多死”社会って何?

♣ ピーク時には一年に 270 万人(団塊の世代) … その 30 年後に産まれた子供たちが 210 万人の第 2 波のピークをこしらえた(図 2、団塊のジュニア )。ところが社会の変化に伴って「団塊の孫」の世代には予想されたピークは見られず、その後の出生数はひたすら減衰の一途をたどって現在の毎年 100 万人を割るレベルに至っている。

♣ 「死亡数」の経過は大変おもしろい(上から 2 段目の折れ線)。まず明治から大正にかけて、死亡数は出生数に並行するように増えた(図 2)… その大部分は乳幼児の死亡の「多死」で、発展途上国の人口パターンであり、これでは社会は繁栄しない。ところが、終戦と共に、出生数は 270 万の巨大なピークをこしらえた … にもかかわらず、死亡数は従来のように増えるどころか、逆にガタンと減ったのである !

♣ その理由は戦後の平和に加えて、医療の発達が大きく関与している 1 ) 。そのお蔭で、戦後には出生数が多くても、逆に死亡数は減り、実際 日本の人口は 6 千万人から 1 億 2 千万人に倍増した。しかも「過去の人生 50 歳死亡の予定」の人達まで 30 年ほど死期が猶予され 1 ) 、平均寿命が 80 歳を越えるに至ったのである。

♣ しかし人間、病気は医療で治せても 寿命の問題 はどうすることも出来ない。それを暗示するのが 1980 年頃の死亡数増加である(図 2)。従来の死亡数は主に乳幼児の若年者死亡であったが、近年の死亡は人生を生き抜いた後の高齢死亡に変わってきたのであり、これ以上の理想は考えにくい !

図 2 をよく見る ... 現在の年間死亡数は 130 万人、これは大正後期の 130 万人とほぼ同じ数であるが、その中身は天と地ほど違う … 大正の死亡は乳幼児死亡、これに対し平成では天寿高齢の死亡だ ! 更に、介護保険は2000年に導入にされ、その努力によって平均寿命の延びが加速されると予想されたが、不思議なことにその延びは従来と変わっていない--介護保険でナゼ寿命の加速が観察されないのか?宿題である。

♣ そこで考える――人間の「天寿」は いったい何歳だろうか? 仮にそれを 100 歳とみれば、「体」 (からだ)の寿命は 100 歳で既に終わっていて「ヨ レヨ レの老域」であり 2 ) 、「心」の寿命でみれば、認知症が著しく増え、110 歳では 100 % に達する 3 ) 。つまり、現実の人間は 100 歳で身も心もほぼ使い果たされてしまう … 個人差はあるが、100 歳は、もって瞑 (めい)すべき天寿ではないだろうか?

♣ だがマスコミは「多死」の時代をあたかもそれを “予期しない不当かつ改良できる死” であるかのごとく報道する。それは違うだろう ! ―― 老化は別として、治せる病気は医療によって治され、また介護システムの発達によって高齢者は大成天寿に達しているのだ … たまたま昔の多産時代の人たちだけが、今や齢をとり 「矢尽き刀折れて」 多数の死亡に繋がっているだけの事であって、それ以上の作為は何も無い。マスコミの表現 = 「多死の社会」は変更して多産後の「天寿死の社会」と言い換えるのが “まっとう” なのではないか?

♣ さらに 40 年後の将来、団塊の世代の第 2 波が 80 歳を越える頃には、間違いなく「少産・少死」の時代がやってくる。マスコミは “日本が滅びる” と騒いでいるが、目を広く見張ってみよう … ヨーロッパ諸国の人口は日本の昭和前期時代の人口 = 6 千万人程度が主流である。「進化論のチャールス・ダーウィン」は述べる ――新しい環境 (ここでは少子)にうまく適応した生命のみが進化の道をたどる、と。

♣ 日本は辿れる限りの進化の道を辿ってきて良き現在に至ったと思えるが、皆さん方はどんな意見をお持ちになるか? 1758 字 

要約:  日本の人口は「多産・多死」であったが、終戦を機に「多産・少死」に転じ、人口は明治の 4 倍に増えた。 現代は「多死」社会と言われるが、その根源は 80 年ほど前に産まれた多数の国民が、30 年に及ぶ老年期延長の恩恵によって長命になり、今や集団的に天寿を迎え始めたこと(天寿死)に求められる。 将来は「少産・少死」になるが、もし日本が少子社会に適応できれば、そこでまた新しい進化の道が開かれるであろう。

参考: 1 ) 新谷:「死期猶予 30 年と介護界」; 福祉における安全管理 # 460, 2014. 2 ) 新谷:「命の設計図」; ibid # 633, 2017. 3) 新谷:「木を見て 森も見よう」; ibid # 598, 2016.


(639) ゴ ミ 御 殿 と 認 知 症

(639) ゴ ミ 御 殿 と 認 知 症

  在宅介護で、切っても切り離せない問題が「ゴミ御殿」である。

♣ ここで言う「ゴミ御殿」は、主に独り暮らしの高齢者が 自室の生活空間に処理しきれない物品を貯め込み、ご自身と介護者の 衛生上の問題が発生している状況を指す。ゴミ御殿のトラブルは、2000 年に介護保険が施行される前から よく知られていた。しかし介護保険が機能し始め 2000 年以後、この問題は深刻の度合いを深めた。

♣ なぜって、善意による強権で「ゴミ片付け」をすることは可能ではあるが 一方でご利用者からの反発が根深いし、他方ご利用者の希望(人権)を優先すると 衛生問題が深刻化し、いずれにせよ 問題は解決しないからだ。

♣ 一つの例をあげる: -デイ・サービス ご利用の A 氏(85 歳男性、老人性認知症 要支援 1)は独居の方で、家の中は 足の踏み場もないほどゴミだらけだ(= いわゆるゴミ御殿) 。認知症の方でも、ゴミをゴミと認知させ、捨てて頂く方法はあるだろうか?今回も 精神科の O先生 のご意見を頂いた。

ゴミ御殿と認知症

♣ <O 先生 > それは理論的に「不可能だ」… なぜなら彼は「短期記憶」を喪失しているからである。前にも お話ししたように、「情報」は感覚器(目や耳など)から人の脳に入り、その ど真ん中にある「海馬」 (かいば))という場所に接触する。

♣ 記憶は海馬の中に保存されるが、そこは “一時預かり所” に過ぎず、預かり時間は 数分から せいぜい一日程度。このあと、正常な人では 海馬の中に保存されている記憶を「前頭葉」 (ぜんとうよう) が操作して、 脳の「側頭葉」 (そくとうよう)等へ移し、そこで長く保存される —— 記憶保存の正体は これほど簡単ではなく、まだ不明な点も多い。

♣ 認知症では、記憶の第一関門である「海馬」の機能が衰える。つまり、記憶が脳に入っても、海馬で跳ね返されてしまう。このため、短期記憶が成り立たない。したがって、記憶は脳に定着できない。それゆえ、自宅での整理・整頓のような高度の作業は不可能、もしできたとすれば 「奇跡」 と言うべきだ。

♣ 私自身のことで言うならば、漫画 「鉄腕アトム」 は絶対に捨てられない。女性ならば、たいてい「古いけれど捨てられない服」が溜まってで困っている。ご利用者で見れば 「鼻をかんだテイッシユ一枚」 でさえ大事にとって置く ~~ こんな心理背景があるので「良い習慣づけ」は なかなか困難である。

♣ また、ある程度、モノを溜め込む習慣は普通の人でも見られる——あなたの机の引き出しの中はどうだろう? もし「この本、捨ててもいいですか?」と尋ねられれば、大抵の人はムッとするだろう。

♣ 本人が自発的に処分するのが「波風立たず」一番よいけれど、これが認知症ぎみになると、人はモノを捨てられなくなり、周りの人が ホトホト 困ってしまう。衛生とか秩序とかの「理性」を説いても根本解決にはならない。だが、認知症も進行して “要介護 5 ” のように 体も心も衰えれば、ゴミ御殿トラブルはなくなって行く。病気のうち、「統合失調」の場合は「了解不能」 (すること、なすことの意味が他人には全く分からない) の状態であるから、ゴミを捨てることはできない。

♣ また「強迫性人格障害」では、モノへの執着が強く「こだわり」も強くなる —— ガス栓を締めたかどうか 何回も確認する ~~ また自分はエイズではないか? と何回も検査を求める。だから 彼の目の前でモノを整頓する(捨てる)と、怒り興奮する。精神科では 30 歳女性 であっても ゴミ御殿を経験する。

♣ ゴミ御殿に出くわした職員は経験していると思うが、ご利用者が「捨てないで ! 」と声を荒げて反発しても、大抵すぐ忘れてしまう。 「整理・整頓は大事」ということは普通の人でも分かりきっているが、“こまめに整頓するのが 追いつかない” というのが実情のようだ1) 。これは小児に場合でも見られ、ひどければ「注意欠陥障害(ADS)と呼ばれ、「オッチョコチョイ」の子に多いが、大人になると たいてい治る。

対策 は 「人権を侵さない範囲」でゴミを整理して、ゴキブリ発生などの不衛生を防ぐことであろう。どうしても困難な時は、パールに事例をお持ち帰りください。清掃を強行するとトラブルが拡大してしまう。1697字  

要約:   ゴミ御殿は中等度の認知症の大事な症状であり、精神科の O先生 にその様子を伺った。 記憶の第一関門である「海馬」とゴミ御殿の関係を再確認した。  認知症に限らず、人間一般が如何に「モノを捨てられない習癖があるか」を述べ、統合失調症・人格障害・注意欠陥障害との関連を検討した。

参考: 1 ) 新谷:「ど忘れ」;福祉における安全管理、 # 231, 2011. 2 ) 新谷:「中核症状」は蛙に似る?」; ibid # 640, 2017. 3 ) 新谷:「周辺症状の怪?」; ibid # 641, 2017.

職員の声

声1: ゴミ御殿が認知症と関係あることを始めて知って驚いた(答: 認知症の「中核症状」には キケソハジ がある 2 ) ... つまり障害は、キ:記憶、ケ:見当識、ソ:喪失(失認・失語・失行)、ハ:判断、ジ:実行。認知症では「海馬」の機能不全が始まりで、キケソハジ 全部がアウト ! ゴミが宝に見えるのだ)。

声2: 物置・納戸に山のような雑物が収納されている … 普通の人でもありふれた現象 … 大事なものばかりかな?(答: 机の引き出しの中を見られたような気がする … 人に見せたくない ! )。

声3: 普通の人が蓄える筆頭ゴミは手提げの「紙袋」… いつかは使えると思うから … そのほか期限切れの缶詰、冷蔵庫の腐った野菜など(答:――判断力の低下を観察して “介入” のタイミングを考える)。

声4: 認知症になるとモノへの執着心が強くなるのか?(答: 脳細胞数が減る認知症ではすべての脳機能は低下し、“強くなるもの” は何もナイ ! … 若い頃から存在する性格が認知症の “周辺症状3 ) によって「尖鋭化」しただけだ)。

(648) 病 気 予 防 は ど こ ま で ?

(648) 病 気 予 防 は ど こ ま で ?  

 病気予防とは、想定される病気に対して事前に備えておくことである。「予防は治療に勝る」とは ほぼ万人が受け入れる金言のようだ。

♣ 予防が効を奏する典型は感染症防止であり、「結核予防法」は見事な効果を挙げた。その根拠は主に経済的な損得であり、予防のほうが治療に比べて格段に金が掛からないことであろう。

♣ 戦後、日本は、何事によらず「予防網」を敷くことで成功し、貧血・栄養・健康一般のすべてに良い効果が得られ、その結果、目覚ましい寿命延長の幸せが得られた。

♣ だが、幸せと言うものは “かげろう” なのか、長続きはしない … 人の寿命が倍増するにつれ、もっと予防して欲張りの長生きはできないものかと思案する。ガン、脳卒中、老衰などの老人病は特にそうである。これらの病気は「感染症」ではなく、高齢化に伴う 「生活習慣病」 () であるから、予防の方法は感染症の集団予防とは異なって、個別的な予防が必要となる。

♣ 生活習慣病は若年期から初老期に至るまでの長い期間に、積もり積もった生活態度の総合評価として表われてくる。つまり、ある日、老齢の入り口で閻魔(えんま)さまに質問されて通信簿を付けられるようなもので、「優」が多ければ極楽へ、「可」が多ければ極楽に行けない。その場で慌てて後出しジャンケンの勝負を張っても、もう間に合わない。
病気予防はどこまで?

♣ さて、死に至る病気は広く「三分類」される。 ① 感染症とは 細菌・ウイイルスなどの感染による病気で、昔の死因の多くはこれであった … 今では医学の進歩により多くの感染症は 「予防可能」 となった。

② 生活習慣病 )は近年、人間の「知恵と平和」がもたらした「老後の病気群」である。自然界の動物は繁殖期が過ぎると世代交代をするから「老後」がなく、したがって生活習慣病もない。人間も第二次大戦以前には この病気は特定の富裕層だけにみられていた。

♣ このうち 「ガン」 は死亡原因のおよそ 1/3 を占める。ガンの原因は多数あるが、タバコが 3 割・生活習慣が 3 割、残りの 4 割は目下 「原因多数」 とされる 1 ) 。つまりガンも “自己責任病” になりつつあるから、「予防可能」に分類される。また “老人の元気さを維持” するために、パールライフ予防教室などに参加される高齢者の方々は「老廃状態」の予防がはっきりと可能になっている。

③ 変性症 とは、新品のモノを使っているうちにセコンハン古物になっていくような病態を表す …例えば黒髪が白髪に、白くなめらか肌が焦げ茶の皺々肌になるような 主に年齢性の老化を指す。老化はどの体にも必ず起こってくるものであり 2 ) 、体操や美容などで外観をだますことはできても、一年生きれば必ず一年分の老化がある。老化は予防不可能」である。数ある「難病」の多くは変性症であって、治療に奮闘するけれど、なかなか予防にまでは手が届かない。

♣ 以上の三分類の病気と「予防」との関係を整頓してみよう。 ① 感染症 は文句なく 前述のように「予防可能」である。可能という意味で同格なものは、交通事故・火事・泥棒・風呂の事故などのようなものがあるけれど、なかなかゼロにはならない。

、♣ では ② 死に繋がる生活習慣病 はどうか?ガンは今や「予防可能」時代になった 1 ) 。ただしそのガンの原因と発症の間が 30 年~ 50 年 もあるので、「今日の一念発起が明日の予防」に繋がるものではない。酒・煙草・食生活などは数十年続く原因であり、そのうち まだ因果関係の特定されていない年齢・遺伝子・外部環境なども絡んでくる。

③ 変性症 は予防できるか? あえて答を出そう … 治療努力はなされているが「予防不可能」である――なぜなら変性は「物」でいう “使い古し” であるから、「使っても新品」という矛盾は有り得ないからだ 2 ) 。変性症の重要な例は「動脈硬化・脳卒中・老衰・認知症」などがあり、病気の共通分母は「老化」である。従って、この分野の病態は医療の発達によっても 今後とも予防は困難であろう。

♣ 我々は戦後生活が豊かになって世界に誇れる介護保険まで実現したので、何事もその気になれば予防可能、と不遜になっている。だが考えても見よ … 望んで身の丈一寸が延びるか?更年期を過ぎて妊娠が可能か?百歳の顔の皺が消せるか?更に言えば 「死は予防できるか?」 。動物の寿命というものは、その種(しゅ)によっておよそ決まっており、天然寿命の領域に立ち入ることには限界があるのだ 3 )

♣ 我々は「願うだけ」なら好き勝手に願える。また日本では戦後平均年齢が 45 歳 から 90 歳 に倍増したのだから、今のお年寄りたちをもっと長生きにしてあげたいとも願う。その願いはいつか叶えられるかも知れないが、現実には「百歳の体」のお世話でさえ大変なのに 4 ) 、それを更に延ばしてあげてどうするつもりか?

♣ 私は考える … 予防・予防と世の中の声は大きいが、一次予防の可能なものは ① の感染症と ② の生活習慣病に限られるのではないか?③ の変性症の予防とは “歳をとらないこと” であるから、原理的に「不可能」である。このことを理性で納得し、超高齢者への正しい愛情と明るい対応の仕方を工夫しようではないか。 1994字

要約:  予防の効果が有効なのは「感染症」である。 生活習慣病は近年予防の対象として口やかましく認識されており、驚くことに「ガン」も予防される時代になっている。 別の意味で驚くことは、「変性症」を予防したいとい思う老人の願いである。変性症は「加齢の年月」の証明書なのではないか ! 私たちは素直に歳を取っては如何かな、と思う次第である。

参考: 1) 中川恵一:「がんのひみつ」; 学士会会報 #880, p106~118, 2010. 2) 新谷:「加齢と老化の今後」;福祉における安全管理 #626, 2017. 3) 新谷:「病気か?使い古しか?」;ibid # 583, 2016. 4) 新谷:「普通の百歳とは?」; ibid #636, 2017.

職員の声

声1: 「予防」は効果がはっきりしないし、そんなものに公費が必要であろうか?(答: 健康保険でも その適用範囲は“治療”に限られ、“予防”なら自費で、となっている)。

声2: 悪い習慣は “分かっちゃーいるけどやめられない ! ” という実状があるし(答: 酒もやらず女もやらずで 100 まで生きたバカもいる、という冗句もあるね)。

声3: ガンの予防やアンチエージングは役に立つのか?(答: もしガンが撲滅できれば 5 年ほど寿命が延び、老人の介護費用も 5 年分増える;アンチエージングが無駄ならマスコミと業者は困るし、はかない延寿の夢も消える)。

声4: ある大臣が主張した――予防できる病気になったら「罰」を与えよう … 健康保険は 5 割負担だ、と(答: たとえば、勝手に食べ過ぎ糖尿病になって、その医療費を全額請求するなんてとんでもない … なるほど大臣らしい発想だね)。

声5: 老人の変性症が予防できる日が来たら、心は幸せになるだろうか?(答: 認知症は歳ごとに増え―― 100 歳で 8 割・ 110 歳で全員――その中核症状のボケによって「幸せ」なんて理解不能になっている)。

(647) しつこい腰痛 : 微 細 骨 折

(647) しつこい腰痛:微 細 骨 折

  お年寄りでは「しつこい腰痛」を訴える方はたくさんある。

M.Y.さんは 79 歳 女性、認知症、要介護 5。3 年前 から腰痛が出没、だんだん強くなり、ひと月前から鎮痛剤・座薬なども助けにならず、大病院の整形外科を受診。第三腰椎の疲労骨折と全身性の骨粗鬆症によって骨がボロボロだとの診断、ビタミンDが処方された。どう理解すべきだろうか?パール嘱託医の整形外科医・Y 先生に解説をお願いした。

Y先生:―― 人の体の細胞はすべて 50 歳 前後から老化の変化が目立ち始める。つまり筋肉は痩せ、代謝は落ち、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)が始まり、骨は変形してくる … これは誰でも起こることだ。脊椎(せきつい)はカルシウムの減少を反映して小さくなり、椎間板も乾燥して圧迫変形を受け、特に前方が潰れてくる(図 1)。

しつこい腰痛: 微細骨折

♣ 齢と共に脊椎には、レントゲンや CT で見ても分からないような “小さい骨折” が生じてくる。これを微細骨折と呼び、老人のすべてに必ずある ! ―― “わたしゃー元気だよ” と思っても、実は体の内でこれは進行していく。これは人間の老化による自然現象であって病気とは言えない。

♣ ところが、加齢によってこの微細骨折が重なると、肥満・姿勢・運動要素などの影響も加わって骨は変形し、僅かな誘因で大きな骨折が発生する。これにより周辺の 神経圧迫・疼痛・筋肉萎縮 などの悪循環が始まる。人間の腰痛は他の動物とは違って、立位・二足歩行の習性により必然的に発生してくる悩みの種なのである。その上、他の動物には存在しない 「更年期後の長寿・認知症」 というダブルパンチが加わり、その対応は困難を極める。

♣ 大抵の人は気付いていないが、若い 25 歳 の頃に比べ老人になれば、身長は 5~6cm ほど縮む。なぜなら長い年月の重量負荷による微細骨折が積み重なって脊椎骨は圧縮・破壊され、椎間板も圧縮・菲薄化(ひはくか)されるからである。頭の骨は重量負荷を受けないからサイズは変らないが、脊椎骨は重さを受けて短縮・変形・湾曲し、老人の後ろ姿を見ると、7 等身(とうしん)だったものが 6 等身 へ、人によって5 等身の “ずんぐり・むっくり” に変わってしまう。

♣ 残念ながら、モノは使えば減っていくのが道理だ。人が子孫を産み終わる更年期以後の長寿になれば、体の組織は摩耗(まもう)、「遺伝子」の活性は鈍化 1 ) 、骨の異変は自動的な補正がなされなくなる。かくして今のところ、「加齢に伴う 微細骨折」を 止める有効な手段はない ! しかし対応法ならある。つまり:―― 

対応 ①: 脊椎骨に過剰な負荷を強いる「肥満」を避けること … ただし “適切な運動負荷” は大事だ、なぜなら、骨と筋肉は “使わないと衰えて行く” からである 2~3 ) 。体の運動が骨や筋肉へ与える負担を観察すると、横になっている時の負担を 「1」 とすれば、座位で 「1.5」 、歩くで 「3」 程度になる ―― ここでも正しく運動することの意味が強調される。

対応 ②: 「良い姿勢」が大事だ … 不自然な体位をとる習慣は禁物だ――たとえば、側彎(そくわん)がそれである。側彎とは、人の体を後ろから見て、背骨が曲がっている状態である。バランスの異常は肩や骨盤の位置まで伝染し、姿勢・歩行・転倒などの障害に繋がっていく(図 2)。

しつこい腰痛: 微細骨折

対応 ③: 車椅子を利用する人の背中をまっすぐ保つこと、これも微細骨折の不均衡を防ぐことに役立つので、姿勢を崩さないように指導しよう。

♣ 「腰痛」は大抵の老人には付きものであり、これに認知症が加わると事態は複雑化する。ご存知のように、認知症の主体は大脳細胞の減少によるものであって、腰痛との直接関与はない。しかし認知症には「周辺症状」というものがあって、それによって “不穏・妄想・脱抑制”などが進行する。並みの腰痛であってもその訴え方は “並み” を越えてしつこくなる。ケアをする職員は何が何処まで異常なのかが判別できなくなる程となる。

♣ 冒頭に記述した M.Y.さんの場合は、検査によって高度の骨粗鬆症を伴う腰椎の圧迫骨折であることが判明した。対応として、高度な認知症に外科的侵襲は必ずしも適応ではなく、仮にこれを行っても “認知症と術後のリハビリ行為” は 水と油、なじみ合わない。鎮痛剤などの対応は十分に有効でないことが分かっている。

♣ つまり通常の整形外科的な対応は「お手あげ」である。では、どんな手を打つべきか? この例では認知症の周辺症状が事態を悪化させているとみられるので、精神科的な対応に解決を求めるのが適当だと思われるが、悩みは尽きない。1816字

 要約:  微細骨折は無自覚の加齢現象であり、更年期後の誰にも発生する。その積み重なりによって腰椎の疲労・圧迫骨折が発生する。 人は、他の動物と異なり二足歩行で、老後の長寿化・認知症の重複というダブルパンチにより “しつこい腰痛” が少なくない。対応は整形外科的のほか、認知症の周辺症状の観点で行うが、悩みは尽きない。
 
参考: 1) 新谷:「三つの寿命」;福祉における安全管理 # 228, 2011. 2) 新谷:「残存機能の保持」; ibid # 151, 2011. 3) 新谷:「筋トレへの知識」; ibid # 638, 2017.

職員の声

声1: “身長は毎年減って行く” とはショックだ ! 私は腰痛コルセットをしているが、骨のレントゲン所見を見るたびにイヤになる(答: たいていの人は変更できない健康上の現実を受け入れようと努力している ... あきらめるのではなく、素直になろう)。

声2: 私は “しつこい腰痛” を4回やったが、ナゼそんなに回数が多いのか?(答: 一つの腰椎は何回にも亙って崩れて行くし、骨折する腰椎は 5 個 あるので、腰痛はふつう何回も発生する .... 本文の図1で現実を受け入れよう)。

声3: 一番良い対応は、正しい姿勢を保ち程よい運動をすること、それも自発的に行うことか?(答: ふだん畳や腰掛に座ったとき注意するのが一番良い(図2) ... 動物には無い人間の 立位・二足歩行による有難みを活かしてはどうか?)。

声4: カルシウムやビタミンD を摂取すれば骨粗鬆症を克服できるか?(答: 薬を推奨するのはほとんどが営利会社の広告である … 大抵は薬剤の過剰摂取になるだけであり、水溶性薬剤なら尿・便に排泄されるのみだ。その人の年齢にふさわしい食生活と運動のみが正解である)。  

参考: 地球の上高く、半年・一年 と周回する「宇宙船」、あの中は無重力の世界であり、人の骨は重力保護のご用がなくなって骨粗鬆症・筋力低下に陥る… それの防止には薬のほか、姿勢・運動の配慮が行われている)。

(644) 天 国 こ こ に 在 り

(644) 天 国 こ こ に 在 り !     

  時は 150 年前、所は江戸、徳川政府は米国の 提督ペリー に開国と不平等条約を迫られた。

♣ これに反発した武士たちは尊王攘夷(そんのうじょうい)を叫び、窮地に陥った政府は学者の吉田松陰を反逆罪に問い斬首。続いて京都で近藤勇の新選組が攘夷派の武士たちを襲う嵐が吹き荒れ、人々は陰鬱な地獄の時代で息をひそめていた。

♣ 同じ 150 年前 のフランス、所はパリ。人々は 賑やかな喜歌劇 「地獄のオルフェ」 を観て、若い女性たちのラインダンスに酔い痴れていた。あなたは「オヤ?」と思うだろう … だってパリも その頃「地獄」だったのではないか?ところが 同じ「地獄」でも中身が違う。「地獄のオルフェ」の粗筋はこうだ:――

♣ 音楽の神オルフェは、亡くなった妻が地獄にいることを知り、救出する決心をする。地獄で妻をうまく発見したので喜びの余り「天国」の幸せを感じ、フレンチ・カンカン を楽しむ()。音楽の功徳によって二人はうまく地獄から脱出するが、その時の賑やかな行進曲、これが有名な 「天国と地獄」 の華やかな吹奏楽である。皆さん方は その曲を必ず知っている、だって日本の秋の運動会で一日中鳴り響いている音楽といえば、これが一番印象的だからだ。(→ 今年の暮れの忘年会でこの曲を Dr. 新谷と川崎CW がご披露の練習中です)。

天国ここに在り

♣ ここで振り返ってみれば、彼我の社会文化のギャップは地獄と天国ほどの違いであったのだろう。殺伐に明け暮れた江戸は「地獄」、同じ地獄とは言うけれど 華やかなパリは「天国」だったのか。

♣ 地獄と天国では、私らは文句なく「天国」を選ぶ。でも、そうだろうか? そこで、私の想像する天国に住む、ある老夫婦の会話をご披露する:―― <爺さん>:「なんか、退屈だなあ … どこか他に良い所はないかなあ」。<婆さん>:「ここほどイヤの所はありません、どこかに引っ越しましょうよ」。 … え?こんなに楽(らく)で幸せな天国がイヤなんですか?

♣ まあ 「永遠の楽と倦怠」 は隣り合わせだし、あの地獄を訪れ ラインダンスに酔うオルフェもいる。150 年前、同じように平和な暮らしをしていた人々も 事の成り行き次第で、片や幕末の地獄、片やパリの天国。こうしてみれば、地獄も天国も行ったり来たりの大事な物件なのかも知れない。

♣ 話し変わって … 私の子供時代の70年前は ちょうど幕末と今との真ん中である。そこで地獄・天国の幾つかを思い出してみる。 ① あかり:停電は年中行事、蝋燭は高価、夜は魚油のランプを囲んで過ごす、もちろん暗くて新聞も読めない ➟ 今は天井に複数の電球があって、夜も天国だ。 ② ご飯:マッチで火を起こし、木の小枝・薪に火を移し、大釜で炊く;手間は1時間かかった ➟ 今は即席でおいしい「佐藤のごはん」。

③ トイレ: 和式の蓄便式で、老人はいったんしゃがんだら 腰が痛くて立ち上がれない;子供が穴に片足を落とすこともあり、夜は暗がりの中でお化けが出た ➟ 今は温座で匂いもない水洗式。 ④ エアコン: 昔は夏の蒸し暑さと脱水で老人たちはバタバタと逝った:今はエアコンで熱帯夜でも軽井沢、暑さでへたっても せいぜい病院止まり。 ⑤ お産: 私は臨月の母をリヤカーに乗せ、産婆さんの家に運び、お湯を沸かして その時を待った ➟ 今は病院のお産で赤ちゃんはリスク・フリー。

♣ 数え立てればいくらでも今昔の大きな違いが見つかり、細かいところまで昔のほうが簡素でずっと不便であった。しかし 70 年前の昔だって それなりに幸せで、私は決して地獄とは思っては いなかった。先ほどの老夫婦の会話のように、人間は「楽と安心」に飽きてしまうと、天国を忘れてしまい、あたかも今が「地獄」であるかのごとく不平・不満を並べ立てる癖がある。

♣ よくよく振り返ってみよう … 老人が願う最大の幸せは 「元気で長生き」; それは今 見事に獲得され、平均寿命は 戦前昭和の 45 歳から平成の 90 歳へ倍増した。だが今 長生きを「感謝する老人」が どれだけあるだろうか?

♣ 現代の介護施設で暮らす “超高齢の” お年寄りたちは残念ながら「天国の幸せ感」は感じていず、まことに不思議なことである。それは上記した “老夫婦の会話” のように「平和な退屈ボケ」によるものなのか?それとも人間とは「天井知らずの貪欲」だからだろうか?

♣ 私は思う:――「足る(たる)を知り、今の幸せ」に感謝したらどうなのか? 仮に逆境にあっても 上記の “音楽の神・オルフェ” のように「地獄」の中でさえ「天国」を見出す才能だってあり得るのだ。前向きで 不平・不満 を言わない日々を過ごせば「天国 ここに在り ! 」を自覚することが出来るように思うのだが。 1880字 

要約:  150 年前、江戸は幕末の地獄、パリはフレンチ・カンカンの天国であった。 70 年前、私の子供時代の様子を今と比べれば、地獄と極楽の相違が次々と思い出された。 人々は「足る」を知れば、「天国 ここに在り ! 」を自覚できるのではないだろうか。

職員の声

声1: オルフェは地獄の中でさえ天国を見出して妻を救出、そのうえ フレンチ・カンカン を楽しんだ … その力強いパワーは神の贈り物だったのか?(答: 日本にも似た伝説があり、イザナギ は地獄に居た妻・イザナミ を見つけてこの世の天国に連れ戻そうとした … 物語の中にある困難克服の筋書きはまことに楽しい)。

声2: 「長生きを天国」と思っている老人がいるだろうか?(答: 認知症の高齢者に「天国」などの抽象概念は理解の外; “長生きしても 良いことなんて何もないわよ” というお年寄りたちの言葉を時折 聞く)。

声3: 環境が物理的に豊かになっても、人間は精神的に満たされない限り「幸せ」と言わない(答: 人は歳を取るにつれ認知機能は低下し、「足る」 という概念から遠ざかるので、逝く日が近づく老人に “幸せか?” を尋ねても、期待通りの答は返って来ないだろう)。

声4: 長生きしたら、それなりに不平・不満が生まれてくるのは自然の流れ、残念ながら人の欲望に天井なんてナイ ! (答: 認知症の人に親切にして感謝を期待するのはお門違い … 自分自身に親切行為が出来たことを誉に思おう)。



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ふじひろパール

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「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

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