(495) 不 老 不 死

  (495) 不 老 「不 死」  
      
明治の作家 ・ 徳富蘆花 (とくとみ・ろか) の作品 「不如帰」 (ほととぎす) では、新婚 間もない 相思相愛の浪子と武男 の会話がある . . . 浪子は はたち前で、進行した結核のために余命 幾ばくもなかった。彼女は夫にすがり付くように語る: ―― 「私 きっと 治りますわ、きっと —— あ あ あ、人間はなぜ死ぬのでしょう ! 生きたいわ ! 千年も万年も生きたいわ ! 」。

♣ K.L.さん の母親は 98歳 で、特養に入所中だ。母親は 老人性廃疾で、目も耳もご不自由 ・ 歯は総入れ歯 ・ 大腿骨は左右とも骨折 しており、その上 体格指数 (BM I)は 12 に近づき 1) 、満身創痍(まんしん そうい)で 余命幾ばくもない。K.L.さんは 毎日のように母親を看病に来られ 涙ながらにおっしゃる : 親戚は “もう十分に生きた” と言うけれど、私は母に長く生きて欲しい、千年も万年も生きて欲しいわ . . . ”。

♣ 私は 時代の変遷をつくづく感じる: ―― 昔の 「千年・万年」 は 主に本人の望みであった . . . 近年の 「千年・万年」 は子が老親を想う願いとなった。私は先々月、この欄で ‘不老 長寿’ について意見を述べたが 2) 、いまや’長寿’ではすまず、 ‘不死’ を語らなければ務めが果たせなくなった。

♣ 私がこの問題に直面するとき、いつも頭から離れない問題がある . . . それは、その ‘おねだりの主’ は 「本人 ・ 家族 ・ 国家の三つのうちのどれか」 の問題だ。冒頭に述べたように、‘千年 ・ 万年の寿命’ を望んだのは 二十歳前 の若い ‘浪子・本人’であった。若者が自分の不老不死を ’おねだり’しても 社会への実害はなく、可愛いものだ。

♣ 二番目 の例では、子の KLさん が 98歳 の母親の不老不死を望んだのだから、’願い主’ と ’願い先’ は異なる ーーつまり子自身が自分の不老不死を望んだのではなく、それを他人である親孝行として 願った訳だ。親孝行は日本の美徳であるが、重い認知症の親は 「死」 を理解することができない。そんな親の不老不死を ‘他人の税金’ ( = 介護保険)で 実現しようとするのは 他人様迷惑ではないだろうか?

♣ では、三番目の 「国」 が 果たして老人の不老不死を望むか? 介護保険の目的には ‘天寿’ を全うするための 「尊厳と自立」 と書いてあるが 3) 、その中に 「延寿」 という項目はナイ ! ところが、現場では 介護を受ける老人側の義務項目である 「自立」 は無視され、それどころか 保険目的には記載されていない 「延寿・不死」 が願われている。 国は この項目に関しては 口を閉ざしている。仮に 老人の不老不死が可能で、社会も それによって繁栄するのなら、人口の過半数を占める老人票の 「多数決政治」 で その達成への研究は盛んになるだろうが、残念ながら 今の日本は 「老人オーナス現象」 4) によって 国家は 衰弱状態に近づいているのだ。
不老不死

♣ その有様を で観察しよう。図の横軸 は年月・縦軸は 総人口に占める百分率。「老」 は老人の、「幼」 は 14歳 未満人口の比率だ。左下の「老」 から読むのをスタートする。老人は 1930年 (昭和5年) 以前には総人口の 4 % をキープ;日本のバブル期の始まり 1970年 とともに増え始めた ―― これは戦後の 「死期猶予30年」 に一致する 5) 。それからというもの、老人数の増加は勢いを増して ‘鰻登り’ 、図の右端では 40 % に達している。もし家族の希望通りに不老不死が実現されれば 老人の増加は 40 % にとどまらず 100 % に近づくかも知れない ―― はて、その時、老人たちを養うのは誰だろう?

♣ 次に 「幼」 のカーブを見る。社会には 37 % 程度の幼児がいたものだが、社会の繁栄とともに順調に減る運命をたどり、図の右端では10 % に落ち着く。子供(中学生まで)が総人口の 1割 程度で済むものなら、(ガキは少なくて)養育費もそんなに掛からず、大人にとっては とても楽(らく)だ。

♣ 次に 「計」 のカーブを見る。「計」 とは、従属人口 (老人+幼児の合計) の比率であり、戦前は 41 % 、戦後に幼児が減り始めると “見事に” 従属人口の総数は減って 30 % 台に落ちた。つまり、1965年 から 1995年 の 30年間 は 従属人口が少なくて、この時期は日本の著しい発展期(バブル)に一致する。だが 好事魔多し、老人が増えて(死ななくなって)日本はデフレの失われた 20年期 に落ち込み、図の右端の 「計」 をみれば歴然とするように、総人口の半数は 「稼ぎのない従属人口」 に成り下がってしまうのだ。

♣ 計算してみればすぐわかることだが、幼児は 減 37 % → 10 % 、老人は 増 7 % → 40 % ;つまり、問題は 「少子化」 よりも 「多々老」 であることが歴然としている。人々が この統計的事実を知っての上で 「不老不死」 を切望するのであれば、それは正気の沙汰とは言えない。

♣ たまたま、最近の 8年間 、日本女性の平均年齢は 86歳 で ‘頭打ち’ になっている6) 。私は思う : 天寿の延長はおめでたい事とは言え、近年の 「老人オーナス」 の厄災も事実であることから、“老人よ、働こう ! ” と叫びたい。そうして、人の世話にならないで 生きさえすれば、千年・万年と言わず、とやかく言われる筋合いはないのだ ; つまり ‘老人とその家族’ は完全な ‘不老不死の自由’ を獲得できるのである !!

 結論:   不老不死を若者が望むのなら 問題は起こらないが、他人の懐(ふところ)を当て込んで 不老不死を 老人が望むのは 他人迷惑である。 図で分かるように、現状で放置すれば 日本は老人で いっぱいになる ―― 誰が彼らを養う計画か? 介護保険の目的は 「老人の自立」 であり、この義務さえ達成すれば、不老不死は彼らのものとなる。

参考: 1) 新谷冨士雄・弘子 : 「体格指数 (B.M.I.) ≒ 12 は 「天寿の指標」 、福祉における安全管理 # 489, 2015. 2) 新谷:「不老長寿」、ibido # 492、2015. 3) 新谷:「本当の介護とは?」、ibido # 494, 2015. 4) 新谷:「良質で効率的な介護」、ibido # 493, 2015. 5 ) 新谷:「老人福祉とオーナス現象」、ibido # 499, 2015. 6)  新谷:「平均寿命ーー三つの驚き」、ibido # 496, 2015.

  職員の声

声1: 今時の人は あまり不老不死を望まなくなったと感じる ―― その理由は身近な死を知らないからだと思う . . . 死はもっぱら病院か施設で片づけられるし(係り: もう一つの大きな理由は、不死に掛かる経費が介護保険で賄われ、自己負担が僅少だからだ . . . 私費なら最低 一年 に 500万円 かかることを自覚しない能天気だ ! )。

声2: 人も物も時とともに劣化するのが当たり前 . . . 介護保険の手を借りて生き残ろうとするなんてトンデもない . . . 私は死ぬまで働いて すなおに消えて行く(係り: 保険は有難いけれど、運命の理 (ことわり) を曲げさせる難点がある)。

声3: 老人が不老不死を望めば、納税者からの税金がその経費にあてがわれ、福祉予算は窮乏するのみ(係り: 老人が自立して自前で長生きするのなら 何の問題も発生しない ―― 15年前 まではそうしていたよ)。

声4: 介護予算は泉のように湧き出るのではないから、不老不死の願望はほどほどにしたい(係り: 欧州の先進国は ‘植民地’ からそれを調達した、だから結局 不幸な戦争で終結した)。

声5: 親はいつまでも元気でいて欲しい ―― でも心身の衰えは隠すべくもない . . . そんな母は そこそこに天国に召されるのが幸せなのだと思う。

声6: 一休( いっきゅう) 禅師は死ぬ間際に 「もっと生きたい」 と言ったとか . . . もし脳と身体がポンコツなら 生きて頂くのは不幸というべきだ(係り: ‘生きたい’ と願う人は まず 命が宿る器 (うつわ) の体をキチンと整備しておくべきだね)。

声7: 老人を支援するためには 子育て環境を安定させなければ . . . (係り: 育てる前に “産まなきゃ” 話は進まない . . . 今は初産が 30歳 の時代だよ、37歳 にはもう枯れてしまうし . . . 男に熱意があれば、女を 30歳 まで放置してはおかないハズだ ! )。

声8: ヒトは 一人前 になるのに 20年 の長い期間を要する; そこに 多数の老人が 「おんぶ に だっこ」 とぶらさがってきたのでは、働き盛りは ひたすら痩せ細るのみ ! 老人たちは介護を受けて当然顔をしないで、支えてくれる若者たちをねぎらって欲しい(係り: 多くの彼らは認知症だから ねぎらうことを知らない ーー ボケ得現象である ! )。

声9: 「長生き」 をテーマにした TV番組 はたくさんあるが、「自立」 をテーマにした番組なんて ついぞ見かけたことがない; 福祉でも 「自立」 を問題にすべきではないか?(係り: 我が国では “福祉 イクオル 無料依存” という構図で、「自立」 への期待は薄い ―― しかし 北欧の福祉は 「延命医療や無益な胃瘻など」 をせず、運命の理 (ことわり) を受け入れ 自立の範囲内で幸せを得ている ―― 日本も 15年前 まではそうだった . . . 心がけて 昔に戻れば、老人も家族も ともに 世界並みの幸せが 再び得られるのではないだろうか?)。

(497) パール の 介護カルタ

 (497)   パ ー ル の 介 護 カ ル タ
  
私は去年の年末の安全管理で 「介護アイコン」 というお話をした 1) 。アイコンとは 「小聖像」 の意味を表すギリシャ語の「イーコン」に由来する言葉だ。

♣ パソコンを開くとの大きさの 小さな暗号のような絵が多数表れるが、それらは皆 「アイコン」 と呼ばれる。コンピュータは がんらい数字と文字で表示されることからスタートしたが、内容が増えてくると整頓しなければ混雑する。 数字で整頓するのが便利であるが、番号と中身の繋がりを忘れると やっぱり混乱する。この際、中身を “単純で小さな絵” で代表させると、らくらくで お目当ての資料にアクセスできる。このような “小さな絵” を パソコンの世界では 「アイコン」 と呼ぶならわしとなった。

♣ ご存知、「犬棒カルタ」 は、皆さん方がよく理解している 「智恵の格言」 を 「絵」 に表したカルタ である。つまり、「絵」 を見ると それに対応する格言が頭に蘇ってくる。私は この原理を応用すれば カルタが老人介護業務の潤滑油の役目を果たすのではないか、と思いついた。老人介護における知恵は 「ヒヤリハット ・ レポート 」 の中にいっぱいある。それどころか 格言を知っていさえすれば、やらなくて済む失敗を回避することもできる。
パールの介護カルタ

♣ そこで 今年に入って、経験豊かな職員 12名 を集めて、カルタの内容としての 「知恵」 を編み出して貰った。カルタの狙いは およそ次の通りである: ―― 介護ユーモア ・ 敬老 ・ 家族と職員 ・ 警句 ・ 問題解決 などである。およそ 500句 が集まり、その内から 12名 職員の挙手による選択で、次頁にプリントしたような選別をした ―― さらに適当な句が提供されれば、差し替えもありうる。

♣ 次のステップは、これらの句に対応する 「絵」の作成 だ。さらに その後には、世間への発表、できれば頒布してみたい。今回は職員の皆さんがたに 「パールの介護カルタ 」 をお披露目するので、ご意見を賜りたいと思う。


参考 : 犬棒カルタ          パールの介護カルタ : 2015年 作 
  
い:犬も歩けば 棒に 当たる    いつまでも 自分の家で 過ごしたい
ろ:論より証拠            老人は 昔 還暦 今 白寿
は:花より団子            歯磨きで 大事にしたい 自分の歯
に:憎まれ子世にはばかる     認知症 明日のことは 気にならぬ
ほ:骨折り損のくたびれ儲け    褒められて 杖 足にもつれ 転倒す

へ:下手の長談義          平気だと 片足立ちする お婆ちゃま
と:灯台下暗し            年寄りを トイレに残して 離れるな 
ち:塵も積もって山となる      朝食を 食べて 食べぬと 言うお爺ちゃま              
り:良薬は口に苦し          良薬も ほんとに効いて いるのかしら
ぬ:沼地にも蓮の華         脱ぐときは 健側が先です 念のため

る:瑠璃も針も照らせば光る    ルー法則 ほど良い が ベストと 知りました
を:老いては子に従う        押し問答 してはいけない トイレの中
わ:笑う門には福来たる       若いとは おっしゃるけれど 総入れ歯
か:可愛い子には旅をさせ      介護予防 教室へ来ると 皆 元気
よ:葦のずいから天をのぞく     よくぞみな 平均年齢 越えました

た:旅は道連れ世は情け       段差あり まさかの油断 するべからず
れ:礼儀も過ぎれば失礼になる    連絡が 取れない人は 心配です
そ:損をして得をとれ          その昔 おしゃべり得意の あなたでした
つ:綴れを着ても心は錦        つまずいて 転ばぬ元気な 人もいる
ね:念には念を入れよ         念には念 それでも失敗 与薬かな

な:泣き面に蜂が刺す         ナイナイと 探す眼鏡は おでこの上
ら:楽あれば苦あり           楽あれば 苦もある介護 きずなかな
む:無理が通れば道理が引っ込む 昔はベンツ 今 車椅子
う:嘘から出た実(まこと)       腕の良い 食介こそが 長生きの元
ゐ:井の中の蛙 大海を知らず    居眠りは 鬼に金棒 我が得意

の:喉元過ぎれば熱さ忘れる     望んでも 百歳越えは 難しい
お:鬼に金棒               オレオレと 掛かった電話に 心乱れる
く:臭い物に蓋              薬より 笑顔の方が 効く 不思議
や:安物買いの銭失い         やりましょう 地域の福祉 心の輪
ま:負けるは勝ち            待っててね 年寄りは待てない 知ってるね

け:芸は身を助くる           見当識 時・所・人の 障害なり
ふ:河豚は食いたし命は惜しい    不老不死 誰が養って くれるやら?
こ:転ばぬ先の杖            ゴミ御殿 片づけたければ 喧嘩となる
え:得手に帆を揚げる         栄養価 食べて初めて 価値が出る
て:出る杭は打たれる         出歩けば 徘徊ですかと 尋ねられ

あ:頭隠して尻 隠さず         安静を 保ちすぎれば 寝たきりよ
さ:猿も木から落ちる          寂しさで 痛い痛いと 人を呼ぶ
き:聞くは当座の恥じ          今日もまた 眼鏡を探す 日課です
ゆ:油断大敵               油断せず 誤嚥こそは 命取り
め:目の上の瘤             目指せ100歳 次 101歳
み:身から出た錆び           看取りの日 ご家族みんな 手をつなぎ

し:知らぬが仏              十五年 ヒヤリハットは 無くならない
え:縁の下の力持ち          延命は 家族の願い 本人知らず
ひ:貧乏暇なし              病院へ 行きたくないなら 訪問医
も:門前の小僧 習わぬ経を読む   妄想は 訂正不能な 自己主張
せ:背に腹は代えられぬ        せん妄は 錯覚・幻覚 伴います
す:好きこそ物の上手なれ       睡眠薬 深夜のトイレは 要注意

ん:京の夢大阪の夢           「うん、うん」と うなずいているのか 幸せそう                       
   
職員の声

声1: このカルタ、よく出来ていてビックリした、よく思いついたなーと感心するばかりだ(係り: この裏に 15年 の念入りな介護経験 と ヒヤリハット・レポート の討論があったのだ)。

声2: すばらしい取り組みだと思う; 私も名文を作って応募したい(係り: 介護の初心者でも経験者でも、案外に ‘取りこぼし’ というものがあり、それを お互いに伝え合うことは大事な仕事である . . . ちょうど ‘灯台元 暗し’ の毎日を過ごす 我々のように)。

声3: どのカルタも覚えやすく、的を得ている ! 凄い ! (係り: 語呂合わせは大切だ . . . 発案者の語呂は 2~3人 の職員の口を渡り歩く間に 一番良い ‘語呂’ に落ち着いた)。

声4: 介護の仕事は 何年やっても学ぶことが多い . . . 苦しく難しい仕事だらけの毎日を 「ユーモア」 の目を通して眺め、‘学び’ を身に付ける姿勢が この企画のポイントとなっている(係り: ‘育児’ と ‘養老’ は いずれも大変だ . . . しかし 困難を滑稽の気分で受け止めれば 疲れも薄まるだろう)。

声5: 現場の人でなければ このカルタは生まれない . . . それほど現場の雰囲気が伝わりやすく仕上がっていると思った ―― 在宅の介護老人や高齢社会の全体を イメージ することもでき、みんなで楽しく遊べるカルタとなるだろう。

声6: このカルタは業務の潤滑油の役目を果たすと思う ―― カルタの狙いは 敬老精神 ・ 愛と滑稽 ・ 問題解決 の姿勢が含まれているので 読んでいて楽しい(係り: 「犬棒カルタ」 にも ‘関東編’ や ‘関西編’ などがあるように、‘パールの介護カルタ’ も バリエーション が いろいろできるといいね ! )。

声7: このカルタは 「寓話」 (ぐうわ)のイメージであり、警句 ・ 教訓 ・ 問題解決 に向けての知恵の詰まった 「箴言」( しんげん) として理解したい(係り :これの発想の原点は 「犬棒カルタ」 であり、さらに古くは 「イソップの寓話」 でもある ―― 読んで楽しい、思わず膝を打つ、というのが良いね)。

声8: 「知恵の格言を絵にする」 という発想は素晴らしいことだ; カルタの文字列 ・ リズム ・ イメージ が記憶に語りかけ、それが さらに介護上の ミスの回避 に繋がるのなら 教育効果 も大きい(係り: 以後 私たちの仕事は “イメージにマッチする絵画の作成” であり、良きボランテイァ との出会いが待たれている)。
                      

(496) 平均寿命 ーーー 3つの驚き 2015年

   (496) 平均寿命 ―― 3ツ の驚き 2015年

  昔は 「驚き・桃ノ木・山椒の木」 とふざけて、「たいそう驚いた ! 」 ことを表現した。今回は、この 「驚き」 を三つの図で示してみたい。

♣ 歳を取らない生命はありえない ! つまり、“加齢現象” は進行の途中で逆さ戻りはしない 1) 。そこで 当然 ‘命の終わり’ = 「寿命」 が存在する。私は 一年前 の安全管理で 「各国寿命: 5つ のハテナ? 」 について述べた 2)

♣ 参考のために そのサマリーを挙げておくと:―― 世界の平均年齢は 男女差は歴然としている。 延寿は 戦後 1年 ごとに 2ヶ月 ずつ 右肩あがり で増加してきたが、日本は 3 ヶ月 ずつあがり、 世界最大であった。 日本では 2000年 に介護保険が実施され、より明瞭な延寿が期待されたが、その影響は全く見られずなぜか むしろ鈍化した。 2006年 以降日本婦人の平均年齢は 86歳± に留まり、延びは止まった。この延寿停止現象は フランス・イタリア・アイスランドなど でも観察される。平均年齢が 6.5歳 低い日本男性およびその他の外国人は まだ年齢の延びが増加中である。
平均寿命  三つの驚き

♣ 一年後 の今年、今回発表された 図 1 は昨年のものの継続であるが、日本婦人の平均年齢が 86歳± であることが今年も確認され、これで 延寿の停止は 8年 続いた → 日本は老人介護を本格的にスタートしたにも関わらず、従来観察されていた 「1年 ごとの 3 ヶ月 の延寿」 が鈍化・停止している; この延寿停止はナゼか? 介護保険の策定以前に はたして 予想されていたのだろうか?

♣ これの原因を推測すると、同じ現象が フランス・イタリア・アイスランドなど の女性でも見られる (図 1) ことから、人間の平均天寿86歳± である事が暗示される。つまり、86歳 に届くまで、環境好転の効果などで 平均年齢は延びて行けたけれど “ホモ・サピエンス” 遺伝子の限界寿命 ( = 86歳 )を越えることはできなかったのではないか? ちょうど、犬や猫の寿命が近年倍加した ( 7歳 → 15歳 )けれど、いまだ 20歳 の犬 ・ 猫 が観察されないのと同じ理屈である。つまり、伝説上のアダムが 930歳 の神寿まで生きたと言われるのは 所詮 「希望的念願」 にすぎなかったのだ。

♣ 皆さん方は 薄々ご存知だろうが、寿命 86歳 と聞いてもそれは平均値であって、このあと最大寿命までには 36年 のバラツキがある。すなわち 死亡年齢は 「正規分布」 する性質があるので、すべてのヒトが最大寿命( = 122歳 )に達することは決してなく、 その手前でパラパラと亡くなるのだ !

♣ 参考までに 人口ピラミッド (図 2 ) を示す。左図 は中国のピラミッド、これは 50年前 の日本のピラミッド(1970年) 3) とそっくりである。中央図は日本のピラミッドであるが、子供の「尻窄まり (すぼまり) の将来が危ぶまれる ! 右図 はスエーデンの図、70歳 までは堂々と直方体で、70歳 から先は後輩に命を譲る ―― 我々の憧れる見本は 延寿型より むしろスエーデン型ではないか?
平均寿命 三つの驚き
♣ 次の 図 3 は 「国民一人あたりの所得 」 であるが、なんと日本は “ビケ ! ” 。そんな日本が世界一 レベルの予算を注ぎ込んで 老人優遇政策を取っているが (福祉費の配分は 老人 70% vs 子供 4% ) 、老人は いずれ逝くし、子供は ”尻窄まり” (すぼまり) という 将来に 本気で手を打たなくて大丈夫だろうか?
平均寿命 三つの驚き
結論: = 「三つの驚き」:ーー  日本女性の場合、平均年齢の延びは 86歳 で 8年間 停止しており、フランス・イタリ・アイスランドなど も同様である。 中国のピラミッドは 50年前 の日本ピラミッドとそっくりであり、日本は追い上げられている が、こんな少子化で はたして 彼らに対応できるか? 日本の個人所得は世界一レベルと思われていたが、現実は 図 3 で見るごとく ‘ビケ ! ’ ビケの日本が お金の掛かる 老人優遇の介護保険を実施したが、期待された延寿は不成功で、「たいそう驚いた結果」 となった ! 問題は どこ にあるのだろう?

参考: 1) 新谷冨士雄・弘子、「最大寿命と平均寿命」:福祉における安全管理 # 434, 2015. 2) 新谷、「各国寿命: 5つのハテナ?」:ibido #439, 2015. 3) 新谷、「みんなで百歳まで生きよう」: ibido # 486 , 2015.

職員の声

声1 : 介護保険に大金を注いだのに( 3 兆円 → 10兆円 )、2006年 で 平均寿命が 86歳 で停止したと知り ビックリだ; 敬老は大事だが、子供の数を増やすほうが “第一順位” ではないか?(係り: 大抵の人がそう言うが、政治家にとって老人票は貴重で 身動きできないとのこと)。

声2: 日本に限らず、ナゼ 86歳 前後で人の命は頭打ち になるのか?(係り: 理想的な環境に住む王侯貴族であっても、寿命は長くない ―― 庭で飼っていた を 人と一緒のベット上で飼っても 寿命は 7歳 → 15歳 が限度だ . . . 寿命はネズミで 3歳 ~ で 60歳 、それ以上は稀だ . . . ヒトでも ここで ’ヒトの限度’ が見えてきた のだ ~~ ただし勘違いしないで欲しい . . . 86歳 は平均値であって、このあと 最大寿命までに 36年 の 個人的 なバラツキがある ーー 末尾の ”参照” を見よ)。

声3: しかし 100歳寿 が 5万人 を越えるご時勢だから、ヒトの寿命も時間とともに延びるのではないか?(係り: 100歳寿 のパーセントを計算すると、日本人口 1億2千万人 のうち 0.04% に過ぎず、{へ} のような数だ:その上、ヒトの最大寿命は 122歳 であって1 ) 、この 120年間 誰もこれを越えた者はいない ―― つまり ’ヒト種族の寿命’ は平均値 88 右端の特殊な最大値が 122 と見ても大きな間違いではないだろう)。

声4: 寿命が延びても ‘病気で長生き’ ならば価値がない(係り: 日本は平均寿命 86歳 で世界一、すぐれた介護のお陰で 介護を受ける期間は 13年間 、これも世界一 . . . 嬉しいか?悩むか?)。

声5: いくらお金をかけても延寿は頭打ち、その上 子は少ない ―― 日本はお金のかけ方を 老人優先から “子育て支援” に向けなければ ジリ貧の国になってしまう(係り: 従来、お金をかければ長生き できる、と人々は信じてきたが、それも 人生 50年 が人生 86年 までが限度で、そこで打ち止め、と分かった以上 今後は ムリな延寿を諦め “育児の重要性” に目が醒める だろう)。

声6: 老人が長生き すれば 子供に使うお金が減るので 現在の少子化は当たり前 のことだ; 老人の延寿が止まれば お金が子供に向かい 少子化は改善される . . . 今更それを言っても もう遅いか? 係り: いや 遅くない、言って欲しい; もし老人の寿命がこれ以上 延びるようなら 子供が もう生まれて来る余裕はなくなるかもね)。

声7: 「養老と育児の経費バランス」 を国民が真面目に考えるべきだ(係り: 親は大切だし 子も大事; つまり 卵を産まなくなった鶏 と、これから 卵を産むヒヨコ の処遇を あなたは どんな知恵で報いたいのか? )。

声8: スエーデンのように、70歳 までは堂々と直立の人口構成 に学ぶべきだ(係り: いったん生まれたら 70歳 までは死なない、プラス、70歳 を越えたら 老醜 (ろうしゅう)を長く晒さない ―― 素晴らしい生き様だ)。

声9: の人は “子のため、子孫のため” に社会の ‘在りかた’ を熟慮した と聞くけれど、の老人たちは 大きな社会問題である少子化には興味を示さず、もっぱらご自分たちが受ける 優遇 だけに関心 があるのか?(係り: 「老人」 と一括りにしては問題が解決されない ―― の老人は 60歳前後 で 認知症もなく 正しい将来が見えた . . . ところが 多くの老人は 90歳前後 で 「認知症の中核症状」 に犯され、将来が見えず 自己中心の判断しかできない; だから若い国民が政治家を動かし、正しい将来像に向かって社会を導かなければならないだろう)。

追加参照: 新谷 : 「気迫で生きる」、福祉における安全管理、# 462、2014.

 記録された最長寿命は 人の夢の証しであるから 誰もの関心を引く。しかし、その夢の人が何人いたか、については尋ねようとする人は少ない ~~ だけど、介護の立場では その人数こそが 最大の問題となる。下の図を参照あれ ーー 夢の百寿者が 今後 何人増えようとも、日本の総人口における比率は{へ}でしかない。介護の目標を「延寿」 に求めることが いかにムダであるかが 如実に読み取れるだろう。
気迫で生きる


(494) 本当 の 介護 とは ?

(494) 本当 の 介護 とは ?
  
私たちは介護の世界にトップリ漬かって いる。きのう・今日、そして明日予定に入れている仕事、それはみな介護業務なのだと思っている。

♣ ところが あるパールの職員はこうつぶやいていた:―― 「忙しい毎日を過ごしているけれど、考えてみれば { 本当の介護 }って何だろうな?」。 私は彼のその言葉を聞き逃さなかった . . . ここらで “居眠り介護” をせず、「始めの始め」 から介護のおさらい をしてみたいと思った。

♣ ご存知、2000年 には介護保険がスタート; その背景には 「小説・恍惚の人」 以後の日本社会の変遷がある。つまり三世代家族の衰退と高齢者の増加 ・ 「寝たきりや介護を必要とする老人」 も増加、 収容施設の不足と介護の長期化 (社会的入院など) の問題などへの対応が困難になった。高齢化は必然的に少子化と核家族化を招き、その上 介護者まで高齢化する勢い; 家庭介護だけでは社会の安定は維持できなくなった。 また、病気で入院後、治っても帰る家がない ・ 帰っても介護者がいないなどの社会的入院の解消にも迫られてきた。
本当の介護とは?

♣ かくして介護保険制度は、介護を必要とする高齢者の自立した生活を社会全体で支える仕組みとして生み出された制度である。頭記の {本当の介護} って何だろうな? を考えるために、ここで 法律を紐どいて、介護保険の設立趣旨を読み直してみよう; 原文そのままを音読 して欲しい:――

♣ 介護保険法 第一条 (目的 ) この法律は、加齢に伴って生ずる 心身の変化 に起因する 疾病等 により 要介護状態 となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練 並びに 看護 及び 療養上の管理 その他の医療 を要する者等について、これらの者が 尊厳 を保持 し、その有する能力に応じ 自立 した日常生活 を営むことができるよう、必要な保健医療サービス 及び 福祉サービス に係る 給付を行う ため、国民の 共同連帯の理念 に基づき 介護保険制度 を設け、その行う 保険給付等 に関して 必要な事項 を定め、もって 国民の保健医療の向上 及び 福祉の増進 を図ることを目的とする。つまり、介護保険の目的を一口で言えば 「尊厳と自立の確保」 である ! そこで 「尊厳」 と 「自立」 の意味を考えてみる。

{{ 尊厳 }} とは “人として尊重されること” であり、その反対語は 「人を卑下、冒涜 (ぼうとく) すること」だ。2 世紀前 、フランスの国民は王や僧侶の暴虐に苦しみ、革命を起こして、三つの標語を獲得した (自由 ・ 平等 ・ 友愛)。「自由」 とは “好き勝手に振舞うこと” ではなく、王や僧侶の圧政からの自由であり、フランス国民は ここで人間としての 尊厳 を手に入れた。「平等」 とは “王や僧侶が得ている人格上の平等” であり、民主主義の獲という意味である。三つ目の 「友愛」 は 仲間を大事にし、尊敬し 愛し合うことであり、介護保険の立場で言えば、要介護者は我らの 「仲間であり友である」 から、この相思相愛は絆の基本である。

♣ さて次の介護保険の目的である {{ 自立 }} は意味合いが少々違う ―― 上記の 「尊厳」 は “弱者の求める権利であったが、「自立」 は “弱者に課される義務 である。たぶん、昔は 老人の自立は可能と考えられていたのだろうが、今 「自立」 などは高嶺の花、「依存」 を許容しなければ どうにもならないのが現状である。自立が困難であれば 保護が必要となる が、「尊厳」と両立しながらの保護 は 単なる同情や慈悲とは大きく異なる。「ご利用者は ’自立’ を回復し次第 特養を去る」 という ’決まり’ があるものの、パールでは この15年間で 自立が出来たケースは一例 もない

♣ 介護保険が発足して16年、高度の要介護で長期を過ごした方の予算例を挙げれば、その経費 (年500万円 × 16年 = 8,000万円 ) は通常の家庭で負担しきれるものではない。その財源は国民の税金であり、対象の老人の数は “うなぎ登り” 、財政は疲弊し、やがて全国民は ‘とも倒れ’ の危機に瀕していく。それはナゼか? それは 「身の丈に合った 福祉の全体像」 が見つめられていないから である。

♣ 私は思う: ―― 人は 「天寿」 を全うして逝くのが最大の幸せ であろう。そもそも 「天寿」 とは 人類平等に 「ヘイフリックの限界1) の達成ではないか、と私は思う。つまり “五感の脱落、認知症と骨粗鬆症の進行” 、更に言えば 体格指数 (BM I ) ≒ 12 を伴って 2) 「天寿は達成される」 のである。この状態で 「延命に固執する介護」 は 「納税する国民の溌溂とした活力」 を奪うことになる . . . ナゼなら 「国富」 (こくふ) の総量は決まっているから である。冒頭に示された 「本当の介護」 は、“人がヘイフリックの限界に達す段階までの介護” で終わるのだ、と私は思う。 

結論: ① 介護保険は 「尊厳と自立」 を目的として設立され、「尊厳」 は老人の権利 「自立」 は義務とみなされた。② 尊厳 はおおむね守られたが、自立は超高齢のゆえに困難であり、老人介護は先行き知らずの泥沼介護となった。③ 「本当の介護」 は 天寿の達成まで を目的とする ―― それは 「ヘイフリックの限界年齢」 とみられる。

参考;">: 1) 新谷冨士雄・弘子、「不老長寿」: 福祉における安全管理、#492, 2015. 2) 新谷: 「体格指数 (BM I ) ≒ 12 」は {天寿の指標}: ibido # 489, 2015.

職員の声

声1: 多忙に紛れていたが、介護保険の設立趣旨を読み直すと、当時の「目的」から現在の 「実態」 があまりにもかけ離れている ことを痛感せざるを得ない(係り: 「尊厳」 は権利、 「自立」 は義務と承知している人がどれだけいるだろうか? 諸外国の政治家や福祉家は 日本ほど甘えさせ過ぎてはいない よ)。

声2: 「尊厳」 には ほとんどコストが掛からないが、「自立」 の値段は高価である . . . 自分でできる自立をインチキで放棄している人もあり、また脳疾患では自立なんて期待薄だし . . . 実務的には 最低限の手助けを施し、残りは自己負担とするしかないのでは?(係り: 昔の王様なら家来が多いので何とでもなっただろうが、国民の 4人 に 一人 が老人という現実の社会で 王様レベルの要求なら 納税者は倒れてしまう

声3:自立」 とは “心身・金銭” の全てを依存 しないことだから、老人には困難だろう ―― 他方 「自律」 なら自分の基準で行動することだから、老人に促すことができる(係り: 言葉の彩だけでは解決しないよ . . . 認知症の “中核症状” ( = 記憶障害 ・ 見当識障害 ・ 失行 ・ 失認 など)ならびに “周辺症状( = 徘徊 ・ 不潔 ・ 暴力など) を直視すれば、あまり格好良い目標は立てられない よ)。

声4: 国民の寿命が延びると、身体はしっかり ・ お頭はテンテン という人が多数派になる; こんな人たちに 「自立生活」 を説いても実効を期待できない ―― 彼らは 「ヘイフリック限界」 1) を越えていないか?係り: 神経系は生後 時間をかけて発達するものだが、老年期には一番先に衰える性質を持っている)。

声5: 介護保険の目的のうち 「自立」 は利用者の “義務” であるが、それは年齢とともに困難で、介護は先行き ‘泥沼’ になる、とのこと . . . でも 精一杯の介護を励めば 「自立」 も達成できるようになるのではないか? 係り: 50年前 の保険の立案者はそう考えた . . . だが現実を見よ ! 介護コストの大部分は 「自立不能者への援助」 であり、支援に励めば励むほど 心身機能と介護コストは相反するという悪循環が待っている ―― これが 関係職員の 「本当の介護とは何だろう?」 という心の葛藤を生む)。

声6: 利用者の自立義務は 寄る年波とともに泥沼化して行く ―― 「ヘイフリックの限度」 を考えると、介護は無限と考えず、“天寿まで” を目標としてはどうか? 係り: 国富(こくふ)には限度があるし、確かに コスト・パフォーマンス の原理を無視すべきではないね)。

声7: 在宅介護では、依存心が強く 自立には無関心、それでいて尊厳要求だけは旺盛という方がある . . . そんな方に対する介護は 「本当の介護」 から遠いと思う(係り: 国が派遣する “女中代わり” という意識から抜けきれないのだろう)。

声8: 依存心の強いご利用者に、私は 「介護保険は自立支援を目的としています」 と問い返す ことがある(係り: して貰わにゃ損 損 ! という人は少なくない。私たちは最後まで 介護する人に感謝の言葉をかけることが出来、またそれだけに ‘愛される老人’ でありたいと思うな)。

(492) 不 老 長 寿

(492) 不 老 長 寿

パールでは 毎週 火曜の研修会議で “リベラル・アーツ” ( 一般教養 ) の講義がなされる。話題は介護にまつわる 一般教養 が話され、範囲は介護に関する 文科 ・ 理科 のどの分野にも及び、出席職員は研修記録を提出する。

♣ ある時の職員の記録が私の心に残った。それは:―― 介護の目的 は、お年寄りが お元気で末永くお過ごしになることです: 医療は、たった数十年で大きな躍進を遂げて来ましたが、「ヒトの不老不死」 の分野にだけは 踏み込めず にいます . . . 私は 医療がそれに 取り掛かって下さることを切に希望します、と結んであった。そこで 私は まず 「不老不死」 よりも 実現が近そうな 「不老長寿」 について考えてみた。

♣ 現在、死の原因は次の四つ にまとめられる:―― (a):病気 (b:)飢餓( きが ) (c):捕食(戦争) (d):事故。さて、老人問題であるからには、 (a):病気 以外の原因は 解決したものと見られ、(a)だけが問題となる。

♣ そこで (a): 病気の内容を日本人で頻度順に分析 してみると:―― ① ガン心臓病脳卒中 ④ 誤嚥性肺炎、⑤ ヘイフリックの限界 、となる。不老長寿を願うほどの老人だから、① ② ③ は解決済み、難関は ④ と ⑤ であろう。④ の誤嚥性肺炎は ‘老衰’ の別名であり、近年 TV 新聞で見る超長寿の発表死 因は たいてこれである。

♣ そこで、未解決の ⑤ ヘイフリック限界 について説明しよう。レオナルド ・ ヘイフリック は解剖学者の名前、先日のテレビ会見では ご高齢ながら まだお元気で体操をしておられた。彼は人体の細胞が 一生のあいだ 分裂できる回数が 50回程度 であることを観察し、その回数は 遺伝子の末端に位置する テロメア ) が 調節をしていることを突き止めた。テロメアは遺伝子情報を保護する役目をする。人体にある 数十兆 の細胞は、絶えず分裂活動をすることで人間の生命を維持しているが、細胞が分裂する際、テロメア も 分裂一回 ごとに 短くなってしまう。細胞分裂が 50回 程度に達するとテロメアは消耗され、細胞分裂は終わってしまう ―― この “50回” を ヘイフリック限界 という
不老長寿

♣ 一回分裂後の細胞寿命が平均 2年 の場合、ヒトのヘイフリック限界はおよそ 100歳 に相当し、これが その人の寿命となる。ナゼ 50回 でお仕舞になるのかは未解決の問題である。ただし、ヒトの体内に存在する 「 ( みき )細胞、生殖細胞、ガン細胞」 の 3つ に付属するテロメアは短くならない。つまり、長寿希望なら 全身のテロメアの構造を長命型の 「ガン細胞」 に改良すれば長命となる。

♣ しかし全身にある 60兆個 もの細胞を 一個 ずつ改良するのには 時間が掛かる。仮に 一秒に100個 ずつ改良するとしても、全身細胞の改良にはおよそ 1万年以上 掛かり、その達成は期待できない。つまり、ヒトが大人になったあと遺伝子改良することは不可能なのだ。

♣ もし確実に遺伝子改良したいのなら、ヒトがたった 一個 の受精卵であって、母親の体内にいる時なら、一回 の改良操作で完了する。あなたが たった 一個 の受精卵であったその昔、ご両親の同意を得て その卵を顕微鏡の下に置き、どんな魔法を掛ければ改良できるのだろうか?もし失敗して 奇形児 が産まれたら、その責任は誰が取るのだろうか? 第一、まだ あなたがゼロ歳 の時に 200歳 まで生きたいと思うだろうか?

♣ さて、仮に 万事うまく行き、あなたが 100歳 になった時を考えよう。それほどの科学万能の長寿時代になったのだから、あなたの先輩には 130歳 のご両親が、その上には 160歳 の祖父母夫妻が、さらにその上の 190歳 の曽祖父母夫妻がご健在であっても不思議ではない。あなたは 御自分の介護を子や孫にしてもらうつもりだろうが、その前に まず あなたが率先してご先祖の介護をキチンとなさるのが正しい順番 ではないか?

老人とは想定外に “利己的” であって、「自分の介護は若者がしてくれて当然だが、まさか 年取った自分が苦労して 先祖の介護をするなんて ! 」 と身勝手に思うものだ。でも、そうしなければ、190歳 になった曽祖父母の介護を誰が受け持つのか? つまり長生き人生を希望する者は、まず ご自分よりも年配者の介護を率先してなさるのが だ。そして、 その実績が正しく見えてくれば、世の中は 「不老長寿」 の医療を推進する機運に包まれて行くことだろう。もし、50歳 の更年期を過ぎたあと、徒食の長い老年期 だけを求め、社会貢献に無関心な 「不老長寿」 の願いならば、将来の出口はない だろう。

結論: ① 長命の遺伝子改良は、ヒトが 単一細胞 の受精卵期なら 原理的に可能だろうが、闇雲に これを行うと奇形児の危険が大である。② もし それが実現し 誰もが 200歳 の時代になれば、老人は 100歳 になっても 3代 上のご先祖たちの介護に励まねばならないだろう。③ 要するに、そもそも ( らく )して長命達成という願い は “命の基本概念から外れる” と知るべきである。

職員の声
 
声1: 「ヘイフリックの限界」を初めて知った . . . 老人は100歳の長寿になると 親の世話を あと 100年 する必要があるってことに驚いた 係り: 不老長寿の世の中なら それ以外の方法があるだろうか?)。

声2:お元気で長生きしてください」 という挨拶は ‘まやかし’ だったのでしょうか?(係り: 英語でも “ Long live the King ! ” と言うし、まさか ‘病気で早死にしなさい’ という挨拶はないよ)。

声3: 人生 50年 の時代からみれば、現在は不老長寿の時代と言える ―― にも関わらず 老人は納税者に頼って出来もしない願いを立てる(係り: 人の願いは昔から ‘底なし’ なのだ . . . いちいち咎め立てしてもムダ ! )。

声4: 私はあれこれ加工されることのない 定められた 自分の運命を生きたい、それも社会貢献の一つ だと思う(係り: ヘイフリックの限界 が訪れたら、細胞寿命が尽きた訳で、それを 「天寿」 として受け入れるのは幸福な生き方である)。

声5: 老老介護が多い現在なのに、200歳 を 100歳 が介護するともなれば さぞ辛かろう . . . でも楽(らく)して長生きするなんて そもそも 身勝手すぎるしな(係り: 介護保険の目的は 「尊厳と自立」 と謳 (うた)っている; 「 して貰って当たり前」 の介護ではない)。

声6: 「不老長寿」 は老人の強欲 であり、若者たちは尊敬しない(係り: 無為徒食で社会貢献をしない長命は 残念ながら、イソップのキリギリスに例えられる)。

声7: 社会貢献に無関心な不老長寿なら、先行きの出口はあるハズはない係り: 360歳 まで長生きした ‘武内宿禰’ は本当に 大和朝廷 に貢献できたのだろうか?不思議に思う)。

声8: 「不老長寿」 は歴史的に ‘権力者のはかない願い’ だったが、今や ‘庶民老人の願い’ に成り下がった . . . みんなが ‘ベニクラゲ’ のように 細胞再生 して ウヨウヨ ただよって どうするつもりか?(係り: 年寄りが逝かなければ、(地球資源的に) 赤ちゃんが不必要と同じ意味だ; 若夫婦も子無しで同意するのか?)。

声9: 長命達成は “科学の問題” と言うが、とんでもない ! もし老人が逝かなかったら 莫大な福祉予算を捻出する “社会問題” となる(係り: 現行の ‘長寿胃瘻’ は手術代 20万円 ・ 維持費は年間 500万円 、国家負担は 2兆円 、これの二の舞になること必至 ―― 浅はかな結論を急いではならない)。

   参考 新谷冨士雄・弘子、福祉における安全管理  # 477: 人間の長寿願望、2015.

 
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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