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ロ ハ の 功 罪

(721) ロ ハ の 功 罪   
  
  さて、今日のお話の中で 「無料」 とは 「対価を払わず モノを得ること」 で、これを 「ロハ」 という。

♣ 人も動物も 何か欲しい物があれば、まず その物に近寄って 「食べるか、所有すれば」 よいのだが、もし先客があれば 歴史的には 「盗む」 = 「無料」 から始まり、それができなければ 「取引する」 = 「有料」 になる。

♣ 人の本性 は、進化の真髄 = つまり「横着 (おうちゃく) で 楽 (らく) すること」 だから 1 ) 、「ロハ ! 」 の一声で誘惑に負けてしまう。たぶん多くの人は 「医療や介護」 のロハ を望むだろう。

♣ 我が国の厚生省は半世紀前の 1973 年、理想に燃えて老人医療を無料化した ! ! 私は うかつにも 病院の待合室が 突然 老人で込み合ってきた様子を見て、「あっ ! 医療は無料化になったんだ ! 」 と気付いたのを覚えている( = 病院待合室の老人サロン化)。

♣ また、「社会的入院」 と呼んで、回復の見込みがなく 手間ばかりかかるお年寄を ロハに近い待遇の病床に永く預ける、などの風習も全国的に広がった。

♣ 無料であれば 対応がどれほど手間取るかの 料金体系 にも無関心になるから、風邪や軽傷でも大病院へ駆け込み、高度な治療が当然という風習も確立された。サービスを受ける側 (患者側) の権利が強調され、患者さんは 「患者様」と 呼ばれるようになり、節度を知らない彼らの高い要求レベルから 「モンスター」 (化け物) と言う名称も 一頃 生まれたほどであった。

♣ 当然 医師・ 看護師 の不足に拍車 (はくしゃ) が掛かる世相が生まれたわけだ。一床当たりの単価は、医療設備のある病院では高価にならざるを得ず、医療費は ウナギ登り となって福祉予算を圧迫した。無料化してから 9 年目、ついに 「無料化は廃止」 に追い込まれた次第なのである。「無料化の理想」 は 付随する強い副作用に負けてしまったのだ。

ロハの功罪

♣ このように、理想と現実 との間にある 不都合な解離を 「モラル・ ハザード」 と呼ぶ(図 1)。その意味は、「モラル」 とは “倫理”、「ハザード」 とは “望ましくない事態” のことである。合わせて 「モラル・ハザード」 は 「倫理欠如の事件」 のことで、がんらいは経済学の用語であった。太宰 (だざい) (おさむ) の小説・ 「走れ メロス」 は倫理の約束をキチンと守ったフェアな心のメロスを褒め称えている。

♣ つまり、倫理欠如とは 「みんながやるから 僕もやる」 という一種の 群衆心理の無責任節 である。例: 保険を掛けておいた我が家に火をつけ、多額の保険金を請求する行為、これは犯罪である。これほどではなくても、保険をかければ、注意義務は低下し、結果として火事のリスクが高まるかも知れない。保険金詐欺や殺人の手口にも使われている。危ないことだ。

♣ その根本原因は 「社会全体の利益」 を考えずに、「自分の利益だけ」を追求する人間の 「ずるい心」 にある。人は 「生命進化」 の過程によって “賢く なった” ハズだが、残念ながら同時に 「ずるくにもなった」 ので、解決困難なトラブルが続くことになる 2 ) 。「ロハ」 は人の心を 「佛から鬼に」 してしまう。

♣ このように 「無料化」 と 「モラル・ ハザード」 は互いに手と手を携えて進軍する。ここで注意しよう ―― 「無料と無償」 は似て非なるものである (説明――図 2)。無償の例は ボランティア、 生活保護費の支給、 福祉の「セイフティ・ネット」、 ニート・引き籠り手当て支給 などなど ―― 第一 これらは、そもそも有料を考えていない。一般に 「人気取り政治」 は無料支出に熱心であって、結局 莫大な無料のための借金を国民に押しつけることになる。

ロハの功罪

♣ あなたにとって、そして誰にも通用する社会を愛する姿勢とは、「入 (い) るを計って 出 (い) づるを制す」 という 「先を読む慎重な姿勢」 ではないか?たとえ 理屈と手続きを通した場合であっても 「ロハ の一声」 に転んでしまえば、モラル・ ハザード の罠にはまる危険があることを知っておきたい。

♣ 1973 年の ロハの医療 (老人医療はロハ )は その典型だった。只今、2000 年スタートの 介護保険は まだその轍 (てつ) を踏んでいない ―― その理由は、「僅か一割」 であっても個人負担の制度があるからこそハザードを免れているのだろう。

♣ にも拘わらず、全身機能の著しく低下した高齢者への過剰医療は相変わらず少なくなく、胃瘻 (いろう) や不思議で高価な延命処置はロハに近い。これらは 病院も家族もが 陥るモラル・ ハザード であり、慎むべき現象ではないだろうか。もし これらの処置が 「有料」 であったのなら、諸外国と同じく ロハのモラル・ ハザードは防げると思う。

♣ 福祉における正しい 「ロハ」 は非常に有難いけれど、相乗りの 「よこしまな人の心理」 をなんとか防いで、「健全な社会的ロハ」 が享受されるようなシステムを求めたいものである。

♣ 動物なら自分の利益だけで行動する … 敬老精神なんてナイ ... 人間は大脳の発達により 「賢く」 なり、また 「ずるく」 にもなった ―― そのためか、佛さまやイエスさまがお生まれになったのかも知れない。 1972字 

要約: 人間はロハ (無料) になると、サービスの注文を意図的に増やす 「悪乗り」 の誘惑に駆られることがある。 そのような 「倫理欠如」 の行動を 「モラル・ ハザード」 と呼び、「無料」 と 「無償」 の違いをはっきり認識した行動が望まれる。 ロハ の一声に転んではいけない――また、公 (おおやけ) の会計だからと心を許し、モラル・ ハザード に陥いる事のないように 心を引き締めよう。

参考: 1 ) 新谷:「正しい横着をお奨め」; 福祉における安全管理  # 719, 2019. 2 ) Wheel-right, J. : "Days of Dysrevolution" ; Discover May 32~39, 2015.

(719) 正しい横着をお奨め

  (719) 正 し い 横 着 (おうちゃく) を お 奨 め  

  横着とは 「すべきことを故意に怠ける、できるだけ楽をしてすまそうとする . . . 」 などで、「正しい横着」 なんて 聞くことはない。

♣ しかし、あなたは こんな話を知っているね ―― 「狐はずるい」 (Cunning like a fox. )、と。でも、狐は本当にずるいのだろうか? 間違いではないか? 「狐はずるいのではなく、賢い」 と言うべきだろう。人間が 自分の浅知恵を基にして狐をバカ扱いしただけの話ではないか?

♣ あなたは毎朝、自分で起きずに目覚まし時計に起こして貰い、歩けばよいのに車を使い、直接 人に会って言えばよいのに 携帯電話で用をすませてしまう。狐の目からみれば 「人間て、なんと横着なんだろう ! 」 となるような行いだ。

♣ もっと広げて言えば ―― あなたは 年をとって ヨボヨボ 歩くようになったら 「要支援 1」 などを認定されるだろうが、狐の目から言えば 「何と横着 ! 」 となる。自分でトイレに行けばいいのに 「オムツを当てて貰う」、なんて 狐には了解不能の 「横着」 である。狐は、自分のことは自分でする ―― 他人にして貰って当たり前、なんてそんなズルはしない。

正しい横着をお奨め

♣ そうなんだ、つまり 「横着」 を 「怠け」 と区別し、できるだけ 「楽」 (らく) を発明すれば 人間の文化は発展するが、「横着」 はいけないことだろうか? とんでもない ! 馬や駕籠 (かご) に代わって (図 1)、今は贅沢な 「新幹線やジェット機」 に乗る(図 2)。

♣ 介護の領域では、昔 車椅子やエレベーターは無かったが、「楽」 したいと思う動機 (= 横着) が文明に繋がっている。少し以前、私たちは歩けない親をオンブして階段を登る 「苦労」 を 「親孝行」 と呼んでいた。が、 今 横着のおかげで 「苦労」 が 「楽」 に入れ替わったけれど、「親孝行」 も消えかけている。「横着」 によって文明は進むのだろうか? ならば、「横着の正しい開発法」 を勉強したら良いだろう。

正しい横着をお奨め

♣ 「横着」 と 「賢明」 は 紙一重の相違とも思える ―― 「賢明」 は 考える時間と教養が必要、「横着」 は “手抜きして楽を得る” わけで、手抜きの心は誰にでも自然に備わっている。

♣ 皆さん、福祉における「 横着」 を言い並べてみよう。なに何? ナースコールが有る?おしものお世話?食事介助?機械浴?
暖冷房?それだけかな?私が若いころには これらは皆 無かったけどな !

♣ 今は違う ! 区役所では介護度の 認定会議 が開かれており、毎日多数の方々の生活事情が検討されている。中 には 「非該当」 があるが、大抵は 「要支援 1」 から 「要介護 5」 に分類されて行く ―― つまりこの人数だけ 「要介護」 の人々がこの世で援助を受けて暮らして行けるのだ。

♣ 個人的な意見だが、私はこれらの人たちが もし日本国を離れたら その 半分程度 の人々は 寿命が減るのではないかと心配する。つまり、ここが日本だからこそ彼らが訴える 「横着」 が 認定会議で採用されるのだ。自分のことは自分でする狐には理解できないかも知れないが、他者依存によって日本の平均寿命の 「世界一」 になっている原因でもある。

♣ で、その延長された期間は幸せな期間となっているのか?それとも 不幸・不満 な日々が延びただけか? ―― もし諸外国であればこれら介護度の重い短命な人々は助けて貰えないだろう。「助け合う」 ということは美しいこととされるが、猫も杓子も重介護で延命することが美しい事だろうか?

♣ また 重介護に重予算 を付けることは、姿は美しいが、それだけに日本の介護保険の予算は莫大になる 。「愛と尊厳」 のために高齢者予算は社会保障給付費の 70 % を占め、それに押されたように子供予算は僅か 4 % に圧縮だ(図 3)。カナダではこの比率が 50 % 対 50 % なのである。親も子も、バランスのとれた “費用 対 効果” を実行できるようにする必要はないだろうか?

正しい横着をお奨め

♣ 前回私たちは、死ぬのに何年もかけて “ジワリジワリ” 死ぬ 「ジワコロ1) を、常識的に普通の 「並みコロ」 に転換すれば 助けられる人も助ける人も、お互いにずいぶん幸せになれることを検討した。すぐにこれを可能にすることは出来ないが、「負んぶに抱っこ」 の日本式介護を、スエーデン式のようにしたらどうだろうか。

♣ 今回、私は 「ロボット」 の活用 2) を提案したい。え? 何? ロボットの採用で 私らの雇用が減るのではないか、と案ずる人がいるって? そうですな、昔を振り返ってみよう。「馬車 が 汽車」 に変わったとき、馬方 (うまかた) は仕事が無くなると、大きなストライキを打って出た。でも、視野を広げて観察しよう … 現実には 交通業の発展により、雇用はウナギ登りになったではないか。

♣ ここでは宿題を出してみよう: 福祉全般で、「介護」 を 「楽」 に変える発想を一つ述べてください。 上記のロボットのうち 1 種類 を新しく開発して あなたの仕事の領域で 「介護」 を素敵な 「楽」 に変えてみて下さい。1984字

要約: お年寄りのお尻にオムツを当てたり、携帯で無駄話をしたり、狐は人間のすることに ビックリ している … 横着って文明なのだろうか?   介護保険で 「楽」 をすることによって老人の寿命は長くなったけれど、その 「横着」 で幸せになったのは誰だろうか? 人間の平均寿命は、不適切な介護を重ねることで、もうすぐ 100 歳 になると言われるが、今よりも 10 年 以上長生きして増えた認知症の人達は幸せになれるのだろうか?

参考:  1) 新谷: ピンコロか? ジワコロか?;福祉における安全管理 # 393, 2012.   2) 新谷 : 介護支援ロボット; ibid # 206, 2011.。

職員の声

声 1: ドローンで家庭への配食ご用をすれば、「横着」 かも知れないが、「楽」 だなー ! (答: そうなるかもよ … お年寄りや子供たちが ドローンの回転プロペラ で怪我をしないような工夫をすれば、まさに 「横着」 = 「賢明」 の成功となる)。

声 2: 「その横着は賢いなー ! 」 と言われるような横着を工夫したい(答: つまり エレベーター や 車椅子 のような 素晴らしい 発見・ 発明 のことだね ! )。

声 3: 湯水のように資金を注ぎ込んでも、実際は介護期間の延長に利用されるのがオチ、本当は認知症が治らなければ 延寿は有効でない(答: 認知症の予防は 声高に叫ばれるが、ちっとも減る気配はなく、介護保険で むしろ増える――なぜなら、認知症は病気ではなく 「老化」 を言い換えただけに過ぎないからだ)。

声 4: 介護によって延びる寿命は有難いが、延寿が 「人々の役に立つ」 ことに繋がれば、介護のモティベーションはずっと上がるだろう(答: して貰う 権利 があれば、してあげる 義務 も果たさねばなるまい … 命は尊いけれど、ボー と生きるだけでも 資源は消費 され続ける しね)。

(715) 認 知 症 の 健 康 と 幸 せ

  (715) 認 知 症 の 健 康と幸 せ

お年寄りに 「願いごと」 を訊くと たいていの返事は 「健康で長生き、幸せな人生を送りたい」 とおっしゃる。ここで述べられる三つの願い: ① 健康、② 長生き、③ 幸せ、は 認知症に限らず、誰しもの願いであって、ふつうこれ以上の望みはないだろう。そこで一つずつ検討してみよう。

① “健康” : 身体上の元気を表すが、実際には、 身体・ 精神・ 社会の 三要素 で判定することを W.H.O. (世界保健機構) が定めている(図 1)。つまり、まず 肉体的 な健康だけではなく、精神的 健康を尋ねる。三番目に 社会的 にも健康かどうかを見極める。

認知症の健康と幸せ

♣ たいていの人は 健康 = 身体が元気、と思うが、実は 「生き甲斐・ 楽しみ」 があることも 健康の判定には必須なのであり、ボー として家に閉じこもっているのでは健康と言えない。

♣ さらに、健康と言うからには 「人との交流・ 社会との繋がり」 も必須なのだ。 友人やお隣との付き合いも大事であって、肉体・ 精神・ 社会 三つのバランスが取れていてこそ「健康」と言えるのである。このことをお年寄りにキチンと伝えなければいけない。

② “長生き” という願いは何だろう? 人間の願いって一般に天井知らずで、 ふつう何歳になっても 「足りた ! 」 という年齢は存在しない。そうこうしている内に認知力が落ち、「時間音痴」 になって過去や将来のことは理解できなくなる。ただ 口ぐせ で 意味も分からず、“ナガイキしたい” とおっしゃるだけになる。

③ “幸せ” という気持ちは ほとんど主観の塊だから、一番 重要でありながら何とも掴みにくい願いである。「幸せ」 とは、現状に心が満ち足りており さし当りこれより上を目指さす気分でない穏やかな気持ちであろうか。これを樹木の形状に例えると、木のてっぺんにある 「幸せ」 にたどり着くまでに、途中の いくつかの 「満足」 という名の 小枝 がある、と考えてみよう。

♣ 「満足」 の小枝は一応の完成度の高い状態であって、他人にも伝えられ 同感を得ることも出来る。昔のお殿様は “余 (よ) は満足じゃ ! ” とおっしゃるが、小枝に相当する満足を想像 しよう ―― 周囲の家来 (けらい) たちも、殿様の満足を想像できるだろう。いくつかの 小枝の満足が積み重なれば 木のテッペンの 「余は 良き家来を持ち 幸せじゃ ! 」 となる。

♣ さて ここで一つのケア風景を眺めてみる:―― パールの認知症型デイサービスの お年寄り十人ばかりが 「手品」 の演技を小一時間 楽しんだ。その後、エレベーターの中で 一同 ほてって明るい顔つきで 「やー楽しかった、面白かったなー ! 」 と 大はしゃぎだ( 図 2)。
認知症の健康と幸せ
♣ 元の部屋で椅子に座って落ち着いたところ、私はニコニコと尋ねる ―― 今日の手品はおもしろかったですね。 すると十人全部がお互いの 顔を見合わせて言い合う ―― “今 何か 面白いことがあったかな? いや、何もなかったよ … なーみんな ! ” 。つまりさっき見た手品と演劇を、エレベーターから出た 5 分後には 一同全員が完全に忘れているのだ ! それは認知症に典型的な “忘却の幸せ” である(重要な認知症の中核症状)。

♣ 私は思う … 彼らは手品の面白さを 5 分後の今には覚えていないけれど 「手品を見たあの時の喜びと感情は健全だったのに ! 」 と。結局 記憶喪失と共に 「満足も幸せも」 すぐ忘れてしまった。

♣ しかし、一番 大事なことは あの時・ あの瞬間の 「彼らの喜び」 は 他のどの人とも同じだったのである。お年寄りたちは 「短い老い先」 を、その瞬間だけ楽しんでいた訳だ。

♣ 認知症では、昨日の幸せは昨日だけで終了し、今日は今日の 新しい幸せを求める。お年寄りは 「元気で長生きが幸せの元」 と 口ではおっしゃるが、もし 進んだ認知症であったなら、「明日の元気と長生き」 のために 今日の苦労を重ねるような努力は決してしないだろう。

♣ 私どもは、人々が語る 「元気で長生き・ 幸せ」 を時の流れの中で理解する。しかし、認知症の場合は、「元気や長生き」は幼児の‘つぶやき’に過ぎず、「幸せ」 すら 「今の喜びが全て」 であって、その根底には「時・ 所・ 人の見当識喪失」 が奥深く潜んでいるのである。

認知症の健康と幸せ

♣ ロシアの小説家・ トルストイ の 「戦争と平和」 の中に 「君がもし幸せになりたいのなら、そうなり給え」 という名言がある(図 3)。生きることは主体的であるべきだ、という単純なメッセージだが、認知症はある意味で 「喜び = 幸せの表現」 と単純なのか?私たちは ある意味で、すなおに学ぶべきことかも知れない。1882字
 
要約: 「元気で長生きが幸せ」 という ‘つぶやき’ は 健常者だけに意味ある語句のようだ。 認知症にとっては ‘その瞬間の幸せ’ が大事なのであり、過去や将来の喜びを語っても 幸せの感覚は呼び醒まされることはない。 つまり 認知症に ‘きのう’ はなく、また ‘あす’ もないことをよく理解して介護に当たるのが良いだろう。

職員の声

声 1: 認知症で 幸せの瞬間を長持ちさせようとする工夫は必要ありません ... 毎日 出会いのその時 「初めまして」 と告げ、「これからも宜しくお願いします」 で終わるケアで十分でしょう(答: さすがに あなたはベテラン・ナース、素晴らしいご意見です)。

声2: 認知症は進行するにつれ、「失語症」に陥ることも多い … それでも幸せなのか?(答: 犬や猫は 「幸せ」 と発語しないが、「幸せそうなひと時」 を示すこともある … 言葉を発せられない生命は 「他人の観察」 で幸せを表現できるのだろう)。

声3: 長生きが幸せの基 (もと) とは とても思い難い… 人の寿命はヨ レヨ レになる前、70 歳程度で丁度よいのではないか?(答: 70 歳なら、認知症は人口の まだ 3 % くらいの少なさであって有難い … でも どうしたら 70 歳の寿命で人々を納得させられるのだろうか?)。

声4: 認知症は神さまからの最大の贈り物 … つまり問題から 5 分も経てば、喜びも悲しみも忘れてしまって、平静な心の人になる?(答: 難しく言えば、認知症では大脳細胞が少なくなるから、俗物の心も穏やかになるのでしょう)。


(718) ト ー ク and リ ラッ ク ス

  (718) ト ー ク and リ ラッ ク ス 
 
 デイ・ サービスのご利用者は 要介護の レベルが 「要支援 1」 (最低)から 「要介護 5」 (最高) までの全範囲の方々がご利用される。

♣ 活動レベルの低い方々は 「ほのぼのクラス」 で、別個に対応している。今日の話題は 認知 レベルの低い 「ほのぼのクラス」 のご利用者との会話 (トーク) の方針についての勉強をする。「トーク」 とは介護の中で難しい手技に属するが、傾聴しながら 「否定も肯定もせず」 、相手方の 「おしゃべりの充足感」 を受け止めるという意味だ。

Y 様( 82 歳女性 要介護 1) は自立歩行の不自由な方であるが、会話の中で 「今朝 早くから公園まで散歩に行ったの」 とか 「夜中に孫に起こされて大変だったのよ. . . 」 など、“ハテナ?” と思うことを よくおっしゃる。初めのうちは信じていたのだが、どうも話の筋道がおかしい。それが本当かどうかを聞き分ける方法があるのだろうか?また、どんな対応が望まれるのだろうか? 精神科の O 先生 にお聞きした。

♣ < O 先生 >:―― 「本当」 を知りたければ、「その公園の名前は? いつ、誰と行ったの? お孫さんの名前は?」 のように 畳み込んで 訊ねればよい。しかし、真実を確かめて、何か利益があるだろうか?

♣ たとえば、幼稚園のクラスの中には、キャラクター・ グッズが沢山あり、子供たちは夢の中の主人公たちと遊んでいる。あなたは子供たちに 「そんな英雄は この世にいない」 と、たしなめるだろうか?

♣ ここが大事、相手のお話は 「まず肯定」 する; もし良い関係になったら、後 「否定」 することもある。「話を膨らませ、しゃべってリラックス」 と聞けば、それはあなた自身の 願望充足 にも繋がらないだろうか? なんとなく 井戸端会議 にも似たところがあって、まさに 「 トーク and リラックス」 である。

トーク and リラックス


♣ 夢を奪ってはいけない。この程度のことなら、ウソ と決めつめないほうが良いだろう。会話は 「キャッチボール」 しなければ成り立たない。“合いの手” をうまく入れる方法を研究し、場が盛り上がるのなら ウソ にこだわらない。

♣ 「ワシの息子が木に登っている」 と語るご利用者; 外に出て確かめてみたら、登っていなかった、こんな場合、ご利用者の声に反応して外に出て確かめれば、そのご利用者もご満足されるだろう。この場合でも これは、「作話」 (さくわ) でも 「健忘」 (けんぼう) ** でもない ! 彼はしゃべってリラックスしているのだ。木に登れたらいいな、という 「願望の充足」 なのである。無理に否定せず、話を合わせ、その場の雰囲気を大切にするのが良い。

♣ 私 (理事長) も 「お話おばさんの学校」 という会を、児童文学者の 中川李枝子さん・ NHK 朗読者の花形恵子さん とで主宰してきて、全国行脚 (あんぎゃ) をしてきた。子供たちは お母さんとの対話で感性や想像力・ 表現力を豊かにする。 「それからどうしたの?」 「どうしたらいいと思う?」 と話を膨らませてあげる。

♣ だから、お年寄りの非現実的なお話に対しても、それに関心を持ち 会話を膨らませることで、楽しむのが一番良い。これこそ「 トーク and リラックス」 であって、語るお年寄りの願望が充足されていく のだと思う。

参考: 作話(さくわ) とは 作り話を語る心理現象の一つである: その中では、事実の経験でないことについて、あたかも事実であるかのように、周辺環境と辻褄が合うように語られる。お話の 「浦島太郎や桃太郎」 などの 「語り」 とは 話の目的が全然 違う。

なお、 ** 健忘 (けんぼう) とは、過去の “一定期間の記憶” が失われることで、単に “忘れっぽい” だけではなく、記憶の片鱗さえ残っていない。病気としての健忘は、認知症の場合やア ルコールを飲んで睡眠薬 を使ったとき・ 頭部外傷のあとなどに見られる。悪気などは少しも無い嘘なので、よく観察して見分けよう。1559字

要約: 傾聴しながら 「否定も肯定もせず」、 「おしゃべりの充足感」 を発揮すること、これを 「トーク」 の技術と言う。 トーク and リラックス では、相手方の 「願望の充足」 を果たすのであり、無理に否定せず、話を合わせ、その場の雰囲気を大切にする。 「お話おばさんの学校」 という私 (理事長個人) の 「トーク」 全国行脚 について語った。

職員の声

声1: 私は、重い認知症のかたとの会話に、どうしたら良いのか戸惑っている … 私の経験が まだ浅いからか?(答: その要素はあるけれど、「習うより 慣れよ」、あと一息だ)。

声2: トーク の大切な 三つの要素 は:―― 話を膨らませること、 話を否定せず、雰囲気を大事にする、 非現実的な話であっても それに関心を示す(答: これによって話題は 「好循環」 に入り、より良い人間関係が得られる)。

声3: 今 はやりの A.I. だけでは 会話の対応が出来ない… 語る技術よりもむしろ 「聞く技術」 が求められる(答: 子供の場合 “それからどうしたの?” とお話が続くが、お年寄りでもこれを実現しよう)。

声4: 会話の能力が大事だとのお話であったが、こんなことが話題になる今、諸外国からの介護職員を導入して より良いサービスが実現できるだろうか、心配になる(答: パールとしても心配だ… 介護の実務だけで精一杯なのに、日本語 で愛をやさしく伝えられるか?それは その人の 「笑顔と心」 に頼るしかないだろう)。

図の出典:https://kaigo.clickjob.jp/column/kaigo-wadai/

(716) 認 知 症 の 因 果 関 係

(716) 認 知 症 の 因 果 関 係

今年は 「人生 100 年時代」 というキャッチ・フレーズが人気を呼び、人間はみな 100 歳程度の寿命があると思われ、お年寄りが社会にいっぱいいても不思議に思うことはない。

♣ ところが、生命一般は 「出生・ 繁殖・ 他界」 … このサイクルを無限に繰り返す。「遺伝子」 というものは遺伝子そのものの存続を目的とするから、これで目的は達成されるのであろう。

♣ しかし人間は例外で、繁殖の後 すぐに他界することなく更年期に移り、子孫への遺伝子伝達を しないで (子を産まないで)老年期 50 年 を過ごす。つまり、神さまは 「どう生きるか」 を遺伝子の中に収めて下さったが、が どう死ぬか を遺伝子の中に指示されていなかった。

♣ だって、更年期以後の長い生命が 今のように誰でも得られるようになったのは たかだか 50 年前からのことだ。神さまが その変更を遺伝子に書き込まれるのは たぶん 100 万年以上 先になるだろう。つまり、更年期以後の人は、遺伝子の働きで生きているのではなく、自分の 「知恵と甲斐性 (かいしょう) 」 で生きざるを得ないのだ。

♣ 歴史的な観察では、人間の本来の寿命は 子孫確保完成 の時点まで、つまり更年期の 50 歳頃だとみられる。何も工夫していなければ、戦後の寿命は 50 年のままだったハズであるが、日本では 「知恵と甲斐性」 (かいしょう) を用いて 「人生 100 年時代」 を豪語( ごうご) する力をもっていた。
認知症の因果関係

♣ その主な社会的 「知恵と甲斐性」 は 「衣食住」 の確保・ 「水冷」 の普及で示される … なんだ それは? 考えても見よう (図 1) … もしあなたが無人島に一人で漂着した時、「衣食住」 が確保されなかったら一週間の命が持つだろうか? また、もし 「電水冷」 がなかったら夏と冬を無事に生き抜くことは難しかっただかろう… とくに高齢老人なら。

♣ 老人施設でもし 停電発生 ならアウト ! ! 夜は片手にロウソクのトイレ、水道 が止まれば その水洗トイも使えず、どこに垂れ流すの?今どき、暖冷房の完備がなければ 寒さ・ 暑さ で予想外に多くの老人が間引かれる事件が多数報告されている(図 2)―― 現実は、医療・介護以前に、こんな些細な知恵と甲斐性があったからこそ 老人の寿命が延びていたのだった。まったく人生 100 年時代への到達は 「知恵と甲斐性」 のご褒美によるのである。
認知症の因果関係

♣ さてここで文頭の 「因果関係」 の話に移ろう。因果関係とは 「原因があってこその結果」 という意味であり、同時に 「結果を知れば原因が判る」 こと、つまり全く同じものを2方向から観察したことを言う。たとえば、「水洗トイレは衛生的である」 ;これは逆に言うと 「衛生的なのは水洗トイレだ」 であって両者の因果関係は確かだ。

♣ しかし、これはしばしば 「相関関係」 と間違えられる。相関関係とは「二つの現象が たまたま同じ方向にある」というだけの意味である。例えば 「背丈が高いと学力も高い」 の 図 3 は、因果か相関か?もし因果なら 「学力が高い人は背が高くなければならぬ」 が、そんな事実はない。この場合は、“小学生が高校生に成長すれば 学力も進む” ことを表すだけであり、因果ではなく単なる相関関係にすぎないのだ。

♣ ここでまた文頭の問題に戻ろう ―― 認知症の原因は何か?それは議論の多いところであって、まだ一言では答えられていない。有力な説明は ―― 「ベータ・アミロイドという物質が 20 年かけて大脳に溜まり脳細胞を壊す」 などであった、が、近年 この因果関係は成立しないことが判った。また、認知症には普通 薬物療法が行なわれているが、それも近年、薬物の 99 % は無効であることが判って来た。
認知症の因果関係

♣ 認知症と年令との関係は 若年グループでは言えないが、 「65 歳を越える高齢との因果」 だけは抜群であって、誰もが認める ! 年齢との因果関係が高い現象は、個人差はあるけれど、毛髪・ 視力・ 聴力・ 顔の皺・ 歯の数・ SEX、転倒~骨折の頻度 など枚挙 (まいきょ) にいとまがない。姿を見れば齢が判るし、齢を聞けば姿も見えてくる...双方向性の因果関係だ。

♣ 1962年、老科学者のストレーラーは観察によって 四つの原則 を提出した――老化は 誰にも必ず起こる、 その原因は身体の中に有る、 必ず進行する、 必ず悪化する、と。老化の症状は みな ① ~ ④ に該当するから、認知症はストレーラーの原則通り、つまり老化そのものとも言えるだろう。

♣ 一般の動物でも 「人間に飼育」 されれば 犬・猫、また動物園の獣・鳥も加齢とともに認知症に陥る。これも因果関係である。

♣ 人間でも、血圧コントロールと認知症の関係が報告される:―― つまり、高齢者で (A) :血圧が高いままなら元気が続くが、脳卒中の事故による血管性認知症もありうる。(B) :血圧を薬によって下げ過ぎると、生活活性の低下 (寝たきりなど) に注意すべきであり、実際、認知症のうち 半数近くは降圧薬の影響を受けているとの報告もある。

♣ 認知症の単純な因果関係はまだ確立はされていないが、少なくとも 「 長命の華 」 が 「認知症」 であることだけは間違いない。さらに中年期の疾患である 「糖尿病・ 脳卒中・ 癌」 などとも同類の疾患であって、生活習慣病と認知症は同根の関係ではないか、とも示唆される時代になった。1910字

要約: 以上の観察を通しておぼろげに判ることは、 人間が子を産み育て終わるまでの期間は生命の健全な期間であり、遺伝子がその人の健康を守っている。 それ以降の長命は遺伝子の役目ではなくなり、人間は、遺伝子に代わって自己の努力により老後の健康を維持せざるを得ない。 ストレーラー の原理により、過度の長命は その因果関係によって健康の 悪化・ 進行 をもたらし認知症に至る…すなわち 「老化長命」 と 「認知症」 は一つのものの別な表現、つまり 双方向性の 「因果関係」 と言えるのではないか。

職員の声

声1: 降圧剤が認知症発生に関係するとは知らなかった(答: 日本では 「血圧は低い方が有難い」 という間違った認識が頭に刷り込まれている… 低すぎる血圧は脳循環の低下を通じて 認知症の誘因 となることを認識しよう)。

声 2 : 認知症の予防が実現すれば ノーベル賞 ものか?(答: 認知症を 「過剰老化」 という言葉で置き換えよう … もし 「老化」 を予防する方法があるとすれば、ストレーラー原理のほうが ウソ となる。

声 3 : 100 歳の人には 「身体・ 精神・ 社会関係」 の 三つの健康面 で障害があると聞くが、将来、認知症の因果関係が解明されれば根治できるか?(答: 因果関係の 大部分は 「高齢」 であり、人が生きて 齢を重ねることは 避けて通れれない... 念のために申し添えよう ーー 認知症は 14 年前まで 「老人性痴呆」 と呼ばれていて、「老人が若者に変わる」 なんて誰も考えたことはなかった)。

声4: 人生の目的は 「生きる・ 増える」 ことでしょうが、高齢の時代の目的は 介護保険で 「ひたすら生き残る」 ことでしょうか?(答: 神さまは目標の寿命を 更年期 50 歳ころに設定されたのでしょうが、それを 「人生 100 年時代 」 に変更したのは 「人であって神さま」 ではありません ... 人生の年限目標を論ずるよりも先に 本人 希望の 「正当性」 を問題にしましょう)。
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「ふじ」=新谷冨士雄
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