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(704) エ ホ バ ・ ペ グ と 矛 盾

 (704) エ ホ バ と ペ グ と 矛 盾  
                                  
 エホバとは 「エホバの証人」 というキリスト教の一宗派である。ふだんは知られることも少ない宗派であるが、こと医療に関係すると、問題が起こる。

♣ 特に、交通事故や緊急のお産の手術で輸血の場合、初めて経験する人の天地はひっくり返ってしまう。それは、エホバが教義として輸血を許さない宗派だからなのだ。

♣ 私の経験の一端を示そう。ある中年の男性、交通損傷の出血で救急室に運ばれてきた。輸血室に連絡して係り員が血液を取りに部屋を出たら、家族と友人らが身を張ってそれを阻止する … その理由はエホバ一家だからだった(図 1)。命と宗教とどっちが大事か、の議論は簡単に蹴飛ばされ、実力の方が勝った。この方の場合、血液でない輸液で命を救った。
エホバ・ペグと矛盾

♣ もし医師が、言われるまま輸血をせずにエホバの信者を死なすと、刑事事件に問われるだろう。もし仮に、輸血を敢行して命を取り留めると、助かった患者は、聖書の教え違反を問われ仲間から 村八分 にされるので、医師側を起訴、最高裁ではその医師を有罪にするとの判例があった。ある病院は、これへの対応として 「輸血拒否の方は当院の診療をご遠慮ください」 と張り紙を出したら医師法違反でやられてしまった。

♣ 八方塞がりだ。今のパールでは輸血をすることはないが、もし、あなたがこんな場面に出会ったら、どうするか? (下記、日赤医療センターの「声2」を参照)。

♣ 次に、医療とは言えない 「ペグ」 の話をしよう 1 ) 。ペグとは「胃瘻」 ( いろう) = 「経皮・内視鏡的・胃吻合術(Percutaneous Endoscopic Gastrostomy)の 頭文字 を綴った言葉である。元来は胸部の癌や外傷などで 「一時的」 に喉と胃をバイパスにする目的で工夫された「開腹手術」だった。

♣ ところが 1980 年ころ、内視鏡の発達とともに、胃と腹壁を繋ぐ手技が、外来で簡単にできるようになり、欧米で高齢者の延命に利用され、爆発的人気 を得た。しかし、すぐ反省の波で人気は凋んでしまった。なぜならペグ術は 「食べなくても生きていられる、生と死の境目を不明瞭にする手技」 だったからである。

♣ しかし、この手技が日本に紹介されると、「食べない老人の延命」 に応用され、介護保険の始まりの2000年以降、人気は持続的になった。お年寄りは、口や喉を使わずに栄養が取れるのだから、生命の維持は可能となる。

♣ しかし口から食事を取れないほど病気が進行したお年寄りは、意思の疎通ができない状態、つまり高度の 「寝たきり」 であり、ご自分の意志を表すことが出来ない。

図 2 に一例を示す。図は 「誤嚥」 によって命を失った 3 例を示すが 2 )、 ここでは一番下の 99 歳女性 ( J 氏) の説明をする。図の縦軸は BM I (体格指数) を、横軸は 1 目盛が 1 年を表す。J 氏は入所時から低栄養で BM I は 14 近辺であったが、この状態でなんとか無事に 2 年を過ごされた。

エホバ・ペグと矛盾

♣ そこで誤嚥が発生、予想通りに 1 年かけて BM I が 12 (致死域) までに低下した。ご家族は J 氏が 99 歳で骨と皮の状態であるにも拘わらず 「胃瘻」 を要求された。J 氏はBM I = 11 の瀕死レベルで 10 ヶ月を耐え、悲惨な環境の中で逝かれた。日本では 「死の領域」 にあってもペグを選択されることが少なくないのだ。

♣ パールの特養では、最近 3 人ほどペグの方がおられたが、一番長い方は 10 年 6 ヶ月ご生存だった。もちろん 3 人とも要介護 5 で、英語圏では 「呼吸する屍 (しかばね、breathing cadaver)と表現される――つまり 死体の一種 とみなされるので、年間 約 900 万円の必要経費が節約される 3 )

♣ パールでは、施設としてペグを選択することはなく、ご家族の自由な判断にまかせている。ここでぜひ知っておきたいことがある --ー ぺグの造設は外来で出来るほど簡単であり、一回ポッキリである。が、そのあと、一日に 2 ~ 3 回の栄養補給係りは 「家族または看護師」 が担当することになり、その作業が何年も続くので、たいていの場合、「人生観」がおかしくなるほどのストレスとなる。

♣ もしご家族がその任にあたられるのなら、それは重労働でもあり、10 年間も続けることは苦しい作業であろう。また、介護施設で担当する看護師の数は、自由に夜勤をするほど潤沢ではない。加えて、長期にわたる看護延命には、褥創 や 低酸素症 などと、悩みも付きまとう。体格指数 (BM I)から観察すると、胃瘻を付けても病気は確実に進行するし、意外にも、最後は誤嚥性・逆流性肺炎で世を去られる 3 )

♣ そこであなたにお尋ねする: あなたの祖父母・父母・血縁の方がペグを必要とされた場合、あなたはどんな意見を持つか? 多くのご家族は 「なにもせずに死なせる訳にはいかない」 とおっしゃるが、家族内の意見はたいてい対立・混乱する。介護保険の始まった2000年以前に こんな紛糾 (ふんきゅう)はなかった ! !

♣ 血液透析の場合もやや似た状況がある。エホバは 「人為生命」 を禁じ、逆に 「ペグ」は「人為生命」 を求める のだ。いずれも、人為延命の手技であり、人の命の終わりを、ご家族の一念と恣意 (しい) で、こんなに変えてよいものか、私は生き方の矛盾 に感嘆せずにはいられない。

♣ 参考まで … 胃瘻の増設代は 15 万円前後; 維持費は一年 900 万円程度 3 ) 。しかし老人の場合はほぼ全額政府負担であるため、日本の胃瘻選択は世界一である。

要約: 「エホバの証人」 の信者は 「輸血治療を拒否」; 臨死状態の老人は家族の独断で 「胃瘻が設置」 される。 個人の信条が無視され、運命も他人任せという実態をあなたはどう受け入れるか? 良かれと思うこと、思わないこと … 私らは相も変わらず 矛盾の中で生きている ようだ。1980字 

参考:
1 ) 新谷:「胃瘻と尊厳生」、福祉における安全管理 # 17, 2010. 2 ) 新谷:「体格指数からみる死の狭間」; 老人ケア研究、No.33、2010. 3 ) 佐々木英忠:「高齢者肺炎における誤嚥性肺炎の重要性」; 日本医師会雑誌、9月:1777, 2009.

職員の声

声1: 子供の頃 我が家の近くに 「エホバの証人」 という施設があり、輸血はできないとは聞き知っていた――いざという時どうするのか?と不思議だった(答: 本文で示したように、非血液剤で代用し、天運を待つ)。

声2: 命を助けたら 「有罪 ! 」 と最高裁が判決するとは、医者は罪人扱いか?(答: 日赤医療センター では部長会で この件が問われた時、皆さん方の意見 は 「罪人になって世間の声を聞きましょう」 という結論だった。

声 3: 病院が胃瘻を奨めれば家族はそれが大事な治療法であって単なる延命策、とは知らないだろう … でも、私はペグを選ばない(答: 医師は奨める前に、ペグに関する 世界事情 を説明すべきでしょうね)。

声4: 胃瘻延命は全額 (年間 900 万円) を自己負担ではいけないのか?(答: 医療財政は深刻な問題であり、イギリス・欧州 では延命胃瘻をしない; また血液透析は 60 歳以上なら自己負担 … 思い返せば、日本は非常に裕福な国家なのである)。

(702) パ ー ル の D N R 

 今日は 「DNRのミニ歴史」 をお伝えしよう。DNR とは、英語の “Do not resuscitate” (リサシテイト)の頭文字をとった言葉で、「蘇生 (そせい) を禁止」 という意味である(図1) 。

♣ 皆さん方は 「復活」 という言葉をご存知だろう。イエス・キリスト は十字架で処刑されたあと、よみがえった。それを 「復活」 (The Resurrection、リサレクション)と言い、「死からよみがえること」 つまり神の愛による人類の救いの完成という、宗教上の象徴となった。しかし宗教以外で 死者が現実に復活することはなかった。
パールのDNR

♣ それから後 二千年、人類は 麻酔術を 開発し、人の口から気管の中に カニューレ という管を 「挿管」 (そうかん) することを試みた。それは 外科手術では必須な方法であるが、半世紀前、手術のためではなく 呼吸停止 に至った 急性患者さん に対して、その術を応用し 命を 「蘇生」 ( そせい)することを試みてみた。

♣ ナゼ半世紀前かって? そのころ、ベットの傍で簡便に使用できる 小型の 「電気式呼吸器」 が開発されたからだ。これ以前に蘇生を望んだとすれば、小児麻痺の場合に使う 「鉄の肺」 という大型の装置しか利用できなかったのである。

♣ 蘇生とは、呼吸を助けるだけでなく、胸を圧迫して心臓の働きをも助ける。この行為は 「もうじき死ぬはずの人を生き返らせる」 わけだから、「蘇生」 と呼ばれ、宗教的な 「復活」 とは区別される。蘇生行為を知った人々は、やがてその適応対象を広げるようになった。つまり、超高齢、癌・老衰 の終末期や 認知症の臨死状態 などにまで広く応用され始めたのである 1)

♣ 蘇生の適応を間違えると、生死をせめぎ合う大混乱 となる ! ご家族の気持ちとしては 「もしかして奇跡がおこるかも . . . 一分でも一秒でも長く生きていて欲しい」 と念ずる。ご家族の その気持ちを察すると、DNR の実行は大決断となる。日本には ご家族の希望に応ずる 「お金も技術も」 あった。しかし、消えゆく命には 呼吸器の利用だけでは救いきれない限度がある。

♣ 餅 を喉に詰まらせた 100 歳のお爺さん、家族が救急車を呼んだ話はよく引用される。蘇生は成功し、病院で人工呼吸器につながれ、中心静脈栄養、次には胃瘻 (いろう) をつくられた。生前にご本人が望まれていた希望 = 「自然にポックリ逝きたい、自宅で家族に看取られて死にたい」 という希望とはほど遠い植物状態の様相に移行した。こんな哀れな例は頻繁にあるようだ。

♣ しかし、「もし救急車を呼んだら病院は最大の救急措置をせざるを得ません」 と何度 聞かされても、目の前で、息ができずに苦悶する身内を前に、とっさの救急車呼び出すのは自然な行為かも知れない。むしろ問題は、いったん延命治療を始めたら、それを中止することは 「犯罪だ」 とみなされる日本の社会制度にあるとも言われる。

♣ 介護保険以前には、私もこの最大の救急医療を実行する生活だった。でも その頃は 「患者さんの年齢」 は還暦前後が多く、若かった。対象が若ければ もちろん成績もよく、無事に社会復帰されたものである。
パールのDNR
 
♣ しかし、日本でも近年、同じ高齢者であっても、年齢は昔の 30 歳以上の超高齢になり、諸外国と同調 して正しい対応が再認識されるようになった . . . それが 「D.N.R.」 である。ご家族と医療者・介護者の間で 正しい 「インフォームド・コンセント」 (説明と同意) 2 ) を行い、 あらかじめ ご家族と DNR の理解が話合われる。

♣ 強調したいことは、「救命」 と 「延命」 は 「月とスッポン」 、全然レベルが違うものだ、という認識である。「救命」 とは 「生き続けるべき命を困難から救うこと」 であり、「延命」 とは 「死ぬべき状況の命を延長すること」 である。

♣ 「蘇生」 は 従来通り「 救命」 の適応のある場合に限って行われるが、適応のない場合には、枕元に “DNR” (蘇生しないで ! )というカードをベットサイドに貼っておき、関係者の了解を暗示しておく。

♣ もしこれを 「日本語で」 示しておくと、一般の面会者の気持ちが不安定になるから 暗示の言葉として DNR とする。臨死の最期のケアを行うのは 「機械ではなく人間」 だからである ! 近年では、DNR が厳かに実行される時、静かで温かい人の心のお看取りができるようになった。ご家族もこのことを静かに 理解・納得 して、お別れをなさっている。

♣ 皆さん、今日は ひとつ、物識りになったね。1830字

参考:> 1) 新谷:「エホバ ペグ あなた」;福祉における安全管理 # 42, 2010, 2) 新谷:「説明と同意の書」、ibid # 102, 2011.

職員の声

声1: DNR という言葉 (延命しない) を初めて知った(答: 救急の現場ではきっと混乱するので、入所時に I.C. (インフォームド・コンセント・説明と同意の書) を取っておき、「救命と延命の違い」、およびご家族の方針をあらかじめ良く話し合っておく)。

声2: 101 歳の老衰の女性、在宅の家庭医はキチンと急変について DNR の説明がしてあったが夜中に急変、慌てた家族は救急車を呼び病院へ、すでに死亡だったので警察に回され、すんでのことに 「病理解剖」 になるところだった(答: 急変を予期していても慌てて騒ぐのは家族の常… 病院 も 警察 も 解剖施設 も皆 困ってしまう ... 家庭医の出番を求めること)。

声3: 老衰の臨死では助からないと分かっているから、昔通り、延命操作をしない――この考えは日本の社会でどれほど根付いているのだろう?(答: 先進国の延命は、保険なしの 「有料」 だから家族は慎重に振る舞うが …)。

声4: 「延命操作」 は いったん始めた後 中止すれば医療者が 「殺人罪」 を問われる(答: 延命操作をしなかったらご家族の欲求不満が、したら結果的に 「寝たきり」 が起こる … 関係者の優柔不断はダメ ! )。

(703) 聞 こ え て ま す か ?

(703) 聞 こ え て ま す か ?

  口元を引き締め、パッチリと目を開いて前を向いていらっしゃる 107 歳の K さん … ご挨拶をしても返事を下さらない。これに対して、いつも笑みを浮かべて周りを見回しておられる 100 歳になられたOさん … 語り掛けると明るい顔で見返して下さるけれど一言もお喋りをなさらない。 私のご挨拶は聞こえてますか?

♣ 現在、わが国は世界一の長寿国である。そして年をとれば耳が遠くなるのは人の常。老人施設では若い職員たちが大声でお話をしている … そうしないとお年寄りには伝わらないことをよく知っているからだ。他人事ではない . . . 私たちは 30 歳を過ぎると聴力は滑らかに落ちて行く。その特徴を頭に入れておこう(図1)。

聞こえてますか?

♣ 聞こえのレベルはデシベル (dB) で表される(図の縦軸)。音の高低は周波数 (Hz) で示される(図の横軸)。若いときは何でもよく聞こえるが、齢と共に聞こえは悪くなる(聞こえのデシベルが落ち、高音聴取も苦手となる)。

♣ 音は高い音 (周波数 Hz が大きい)から低い音(Hz が小さい)までいろいろだ。ピアノの鍵盤で言うと、ちょうど中央あたりの 「ラの音(A)」 が女性の会話音に近く、一秒に 440 回ほど振動する音である。男性の声はそれより 1 オクターブ低い。

♣ NHK 放送の 「時報」 の「ピッピッピッツーン」が 440 → 880 サイクル、音楽会で 「ぴーぴーぴー」 と弦楽器が音合わせをしている、あれは 440 サイクルをお互いに確認しているのだ。 逆に割れたガラスをキコキコ擦る音は 2 万サイクルと高い音であり、人間の聞く音の最高限度である。音楽の CD 音盤は 2 万サイクル以上をカットしてある。

図1 を見直そう … 20 歳の場合(赤線)、低い音から高い音まで一様に良く聞こえる。ところが 30 歳を越えると、2 千サイクルあたり(甲高い音)から聞こえにくくなる。80 歳に至っては 500 サイクル(女性の普通の声)でさえ聞こえ辛くなり、若い時とは違って驚くべく耳が遠くなる。

♣ 学校では よく 「6 千ディップ (dip) 」 という言葉を習うが、ディップ とは 「落ち込み」 という意味で、6 千サイクルの音 (かなり高音) から上が聞こえにくくなる。これが 「老人性難聴」 の特徴なのだ。しかも、老人は概して自分が難聴に陥ったことを認めたがらない。そこで 「音を聞く」 仕組みについて復習することにしよう。

聞こえてますか?
♣ 「耳」 は 「外耳・中耳・内耳」 に分けられる(図2)。外耳については お掃除の行き届かない耳垢 (みみあか)は難聴の原因になる。中耳は鼓膜 (こまく)が受けた音の振動を内耳に伝える装置であり、小さな三つの骨がその役割を担う。中耳は鼻の奥に繋がっており、ここに感染症が起れば中耳炎となる。外耳と中耳の故障を合わせて 「伝音性難聴」 と言う (図2)。要するに 「音が機械的に内部へ伝わりにくい」 という意味だ。ここまでの故障は年齢にあまり関係はない。

♣ 問題は老人性難聴の主原因の内耳にある。内耳は 「耳」 であることには違いないが、そのほとんどは 「神経」 と呼んでもいいほどだ。音の振動はまず 「蝸牛 (かぎゅう)」(カタツムリ) に入る。そこで音は 「有毛細胞」 を振動させ、その刺激は脳に伝えられ、音として認知される。一般に、脳の機能は更年期を過ぎれば年々低下するのが常であり、内耳の働きも同様である。老人性難聴とは、つまり加齢によって耳( 内耳) と脳 (聴覚中枢) の機能が低下して聴こえにくくなっている状態であり、感音性難聴 と呼ぶ(図2)。

♣  そこで再確認しよう: 音を聞くのは 「耳」 であるが、音を理解するのは 「脳」 なのである。

♣ ヒトの基本的な感覚は 「五感」 と呼ばれるが、それは 「眼・耳・鼻・舌・皮膚感覚」 である。これらすべては、身体の表面にある 「感覚器」 と、それに繋がる 「神経~ 脳」 より成る。耳の場合は 「感覚器」 が(外耳と中耳)、「神経~脳」 が(内耳)に相当する。そして、この神経の部分はどの五感も 皆 加齢によって機能低下に陥いる。それは先回お話した 「ヘイフリックの限界」 1 ) に基づくものであって、残念ながら 「生き物の運命」 として逆らうことは出来ない。

♣ 問題は 「老人性難聴」 にどのように対処するか?であろう。あなたの経験で、難聴の高齢者に対してどう対応すれば良いと思うか?

♣ 感音性難聴は 「脳の機能低下」 によるものだから 薬で治ることは期待薄である。とくに進行した老衰と認知症に伴う難聴は いかんともし難い(全失音) 。多くの場合は 「言葉の聞き取り能力」 が落ちるので、ゆっくり区切った会話をすれば日常会話は だいたい可能となる。

♣ 補聴器の使用で難聴が進行することはないから、難聴の早期から利用すべし、とも言われるが 老衰と認知症があれば、道具の使用は困難 なゆえ、問題も起こるだろう。あとの対応は 「老化現象を和らげる」 という一般生活療法を頭に描こう ―― たとえば、健康な食事・運動・睡眠・禁煙など。

♣ そして言葉だけに頼らず、ボディ・ランゲッジ (身振り言語) を活用しよう。これについては すでにお話したことを思い出して欲しい 2 ) 2004字

要約: 老人性の難聴は主に年齢性の脳機能低下に原因が求められる(感音性難聴)。 老人性の難聴は高い音の聞こえが悪くなる特徴があり、特に 「言葉の聞き取り能力」 が落ちるので、ゆっくり区切った会話で対応するのが大事である。 言葉だけに頼らず、積極的にボディ・ランゲッジを活用して、意志疎通を図ろう。

参考: 1) 新谷:「不老長寿の達成?」; 福祉における安全管理 # 700, 2018. 2 ) 新谷:「ボディ・ランゲッジ」; ibid # 678, 2018.

図の出典
http://www.saneidrug.jp/category/1432159.html 図1 加齢による聴力の傾向
http://www.jibika.or.jp/owned/hwel/hearingloss/ 図2 聞こえの仕組み Hearwell EnjoyLife

職員の声

声 1: 補聴器 で良く聞こえない方も少なくない(答: 補聴器はふつう片耳だけの利用であるし、さらに難聴は 耳だけでなく 脳の感度低下の結果 でもあって、音量だけを大きくする道具では解決できない問題が残る)。

声2: 世を去る臨死まで耳は聞こえる と聞くが、本当に聞こえているかどうか疑問に思う(答: 確かに返事をして頷いているように思えるが、脳が働いていないのに 聴力だけが残っているなんて アンバランス だよね)。

声3: 難聴 は スマホ でテストできる ~~ いい齢の私は 4,000 ~ 8,000 ヘルツの音が聞こえなかったが、若者はそれを聞き取るのでタマゲた ―― オーケストラ も老人は 高音抜き で鑑賞するのか(答: バイオリンの高音なら大丈夫、でも トライアングル と ピッコロ の音はたぶん聞こえていないだろう)。

声4: ある高齢者に聞くと 「語尾が聞き取れない」 と言っていたので、私は 「ゆっくり・はっきり」 伝えるように心掛けている(答: 低い声で ゆっくり・はっきり、さらに ボディ・ランゲッジ も加えて . . . と言うのが正解なのだね)。

(694) 認 知 症 : 来 し方、行 く 末

(694) 認 知 症 : 来 ( き ) し方、行 く 末 (すえ)    
   
江戸時代まで人々がどんな病気で亡くなったか、統計もなく 西洋医学もなかったから推察するほかはない ―― たぶん、栄養失調・外傷・感染症などであっただろう。

♣ 昭和も 30 年、私が学生で 「公衆衛生実習」 の都内会社めぐりで取材した頃の平均年齢は 50 歳、以前に比べれば 寿命は延びたものの、死因のトップはやはり 結核 だった ! しかし新聞はいつもこう報じていた =「結核が薬で治った例なんて聞いたことがない」と ! それを今 現在の言葉で言えば、「キチンと診断された認知症が薬で治った人は一人もいナイ ! 」 に相当するだろう。その頃は、せめて平均寿命の 50 歳までは生きていたい、だけが念願の時代だったのだ。

♣ ところが 結核に有効な ストレプトマイシン が突如現れ、日本の状況はめまぐるしく変わった。いまや結核の死亡順位は 1 位から 10 位程度に落ちた。だが 幸せは長く続かなかった。結核が落ち込めば、「糖尿病・心臓病・脳卒中・ガン」 がバトンタッチをして猛威を振るう。

♣ しかし、これらの生活習慣病は結核と違い、罹患年齢が中年から初老に延び、病気の年齢が高くなった。これらの生活習慣病は、かなりの程度 予防が可能であるが、昭和 60 年以降のバブル景気に酔った日本人は 真面目な予防に励まなかった。なかんずくガンは死亡者は33%程度を占め、現在もなお 恐怖の王座を占めている。

認知症:来し方、行く末

♣ そんな状況であっても、ガンを乗り越え生き残る人々はどんどん増え、人口はついに戦後の 6 千万人から 1 億 2 千万人へと 2 倍に増え、現在では平均寿命も 50 歳から 87 歳まで、40 年近くも延びてしまった。これほど短期間にこれほどの長命が達成された例は世界広し、といえども 日本が初めてである(図1)。

♣ もし、この「長生き」がハッピーだけで終われば世の中は天国だったハズだったのだが ―― 実は、人知れずにガンの後釜を狙っている変性疾患の「認知症」が待ち構えていたのである。

♣ 考えてみると 死因一位の病気の種類の変遷は、昭和中期までは「感染症 = 結核」、続いて食い過ぎの「代謝病 = 糖尿病」そして病気類の最期を告げるのが「新生物 = ガン」であると思われた。

♣ ところが、世の中はそんなに甘くはない … 従来 聞いたことのない 「脳の変性症」、つまり 「認知症」 が新たに食い込んできたのだ。変性症とは 「使い古してガタが来た」 状態を言い、髪の毛の変性と言えば「毛が少なく白髪になり、禿げてくる」ような状態をいう。つまり、認知症は脳の変性症、禿は皮膚の変性症 .... 眼で見る状態は違うが 疾病レベルで言えば同格の状態なのである。

♣ そこで新しく問題になったのは 「認知症への対応」 である。たいていの人にとって初めての経験となる認知症 ―― 50 年まえには「恍惚」 (こうこつ) と呼ばれ、「痴呆」 (ちほう) と怖れられ、混迷の過去があった。

♣ 2000 年に 「介護保険」 が施行され、多くの痴呆老人は家庭から施設へ移され、家族の負担は著しく減った。そこで よみがえった合言葉は 「お年寄りを大切にしましょう」 で 、「介護保険の親孝行」の新しい時代が訪れた―― つまり、家庭での親孝行は減り、親を施設に預けて孝行をする流れである。

♣ 先進国(スエーデン・デンマーク・イギリスなど)では、すでに 2010 年頃から、親を養う義務を家族から国家へ引き継ぐ制度に変わって来た。つまり年とった親の面倒は国が見る訳だ。日本も徐々にその方向に近づきつつある。この点で認知症は過去の「癌や脳卒中」などの病気の対応とは大きく異なっている。

♣ 認知症は 65 歳頃から始まり、5 年ごとに倍々ゲームで数が増え、100 歳に至ると誰もが認知症になる(図2)。つまり認知症は病気ではなく「長命の華」なのである。したがってそれは家族の責任には属せず、やはり国家が福祉政策によって対応すべきものであろう。

認知症: 来し方、行く末
............ 認知症の頻度 : 横軸 = 年齢  縦軸 = %頻度

♣ だが、ここに 大きな矛盾 があるように感じる。つまり、我々は誰でも長生きを欲する――しかし、長生きすれば必ず認知症が訪れてくる。“長生きしたいけれど認知症はイヤだ” は通らないことを やっと近年になって学んだのだ。「認知症は治療によって治るか?」 の問題は 両立しない矛盾を解くような問題であり、「老化を治す」に等しい。

♣ 病気の歴史は「感染症(結核)→ 腫瘍(ガン)→ 変性症(長命)へと遷移してきた 1 ) 。そして我々は今 人類の遺伝子が許す最大寿命に達している 3 ) 。「認知症は治るか?」 の質問は 「飽くなき延命願望をどのレベルで妥協するか? 」 に答えるようなものであろう。

♣ すべて物事は “行き過ぎが戒められる” 。深情けの熱中よりも、ある意味で、古くから言い伝えられる 「ルー(Roux)の三法則 」 2 ) こそが 認知症の行く末なのではないだろうか。1938字 

結論: 平成の介護保険で長寿を重ねた認知症の方の心は本当に慰められているだろうか? 「人間の遺伝子寿命を凌駕 (りょうが)するような過大な延寿」を目標にすることは賢明ではないと思われる。 行く末の目標は「治す・看る・慰める」(Cure, Care, Console)で人の心を包み込むことではないだろうか。

参考: 1) 新谷冨士雄: 「ヒトはなぜ病気になるのか(人体と医療のなぜ・不思議)」 ;pp 194、PHP研究所刊、1992年。 2) ルー(Roux)の三法則 : 身体(筋肉)の機能は適度に使うと発達し、 使わなければ萎縮(退化)し、過度に使えば障害を起こす。この「ルーの三法則」は筋肉生理学の教えであるが、実際には私たちの生活のあらゆることに応用の利く法則のようである。 3 ) 新谷: 「3 倍ではまだ不足か?」; 福祉における安全管理 #665. 2018.

職員の声

声1: 誰しも、自分は認知症とはご縁がないと思うけれど、いつの間にかに認知症になり、日本では 「幸せな最期」 を迎えるのが通例である(答: これぞ神様の「最大の贈り物」であるが、認知症をあらかじめ自覚できる人はイナイのが現実だ ! )。

声2: 欧州の先進国は素晴らしい… 親を養うのは家族ではなく、「国家」である、とは ! (答: それなりに税金も上がりますぞ ! )。

声3: 病気の過去は 結核 → 癌 → 認知症と変遷してきたが … 万一 認知症が治る時代が来たら、人の寿命はどうなるのか?(答: その時には、頭はハゲ、眼は見えず耳は聞こえず、歯は無く、食事は全面介助、屎尿は失禁 … それでも人はきっと生き続けて行くだろう)。

声4: 胃瘻で丁度 10 年お過ごしの 89 歳・認知症の女性が先日亡くなられた … この間ずっと眼も口もつむったまま … 「来し方、行く末」が胃瘻設置の時点から予想できたとしても、意思疎通のないままの 10 年とは何たる生涯かと感慨深い。

(679) 常 同 (じょうどう) って?

(679) 常同(じょうどう)って?

今日は ご利用者の様子の中で “変だな?” と感じることの一つ 「常同」 を考えてみる。

♣ 認知症クラスのデイ・サービスで K 様( 89 歳女性 要介護 3 )、新聞紙を丸める作業をした後、トイレのなかでもペーパーを丸めています。これは進行した認知症の症状とみなしてよいのでしょうか? 精神科の顧問医・O先生にお訊ねしました。

O先生: 精神疾患の中では、同一で 型のはまった 運動・姿勢・言葉 などが 目的もなく繰り返される様子がよく観察される。このような行為を精神科の用語で「常同(じょうどう) と呼ぶ。似たような行為に 「反復語唱」 (はんぷくごしょう) というのもある。「トンデー・トンデー・トンデー」など、本来の言語機能を失い、言葉が常同行為の道具となっている。他の例を幾つか挙げると:―― 「オーイ・オーイ」: 「ちょっとあのねー・ちょっとあのねー」: 「パイププ・パイププ」: 「手叩き また手叩き」: 「オネガイシマース . . .」、 どれか心当たりがあるだろう? 

常同(じょうどう)って?

♣ いずれも 認知症・統合失調・脳の器質疾患 などでみられる。職員がそれを止めようとしたり、たしなめようとしてはいけない。これらの常同語は脳の構造や機能が壊れたための症状であって、むしろ「これが、“常同” なのだな、認知症の症状なのだな . . . 」と理解し、本人を危険のないように見守る姿勢が大事である。

♣ これを見て、慣れていないご家族や初期の訓練生などは ビックリ されることもあるが、特別な薬の処方も必要ない。この様子は半年も一年も続くが、やがて体力の低下に伴って、静かになって行く。

♣ 皆さん、場数 (ばかず)を踏んで下さい。691字

職員の声

声1: トイレット・ペーパー を裂き破り続けたり、ていねいに折りたたむお年寄りがよくあるが、「常同」 の説明で理解できた。

声2: 同じ言葉を長々と話すお年寄りは よく見かけるが、「常同」 という名前を付けてもらうと、納得できる。

声3: 認知症の中でも、「常同」 になりやすいタイプがあるのだろうか?(答: 認知症は 大脳細胞の減少が原因だから、どんな症状も 「アリー」 である; 特別な人がなる訳ではない)。

声4: 私は 「常同」 に興味を惹かれた;もっと知りたいです(答: アルツハイマー; パーキンソン: ハンチントン など、人の名前が付いた病気は その病態生理が不明な点が少なくなく、症状は奇妙キテレツのものが多い)。
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ふじひろパール

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「ふじ」=新谷冨士雄
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