(454) トンボか? コウモリか?

   (454) トンボか? コウモリか? それとも?

 私は子供の頃、よくトンボを捕まえて遊んだ ものだ。

♣ 中には 透明な羽の一部が怪我でちぎれたり 穴が開いたりしたものもあった。トンボは もし傷付いたら その体を治すことなく、やがて冬が来る前に一生を早めに閉じるのだろう。

♣ 私が大人になってフト思いついたことは、同じ翼であっても「コウモリ」の翼に付いた傷ならどうなることだろうか?アブラコウモリなら体長が約6センチメートル、ギンヤンマより小型の体である。私は頭の中でアブラコウモリとギンヤンマの翼に直径5ミリ程度の穴を開けてみる。ギンヤンマの翼に開いた傷は治ることなく 開いたまま秋を迎え、やがて逝く。所詮、ギンヤンマの体は“使い捨て” なのだ。他方、アブラコウモリの翼に開いた穴は一週間程度で ほぼ完全に治癒して塞がり、餌をとるのに何の差しさわりもない。いったい、トンボとコウモリの傷の治り具合はナゼこんなに違うのだろう?

♣ その違いは子孫を残すための 次の戦略 (A) (B) に見出される。 (A) 多産短命: 魚や昆虫類は、一部の個体が傷ついたり 捕食されたりしても、一般に多数の卵を産み残すことにより 傷を治すコストを省き、残った多数の個体数に頼って 種( しゅ ) ‘生き残る戦略’ を取っている。

(B) 少産長命: ところが‘生命’は別な戦略をも発達させた ―― つまり、生活の中で 体に傷がつけば 自己修復をして その害を切り抜ける・仲間が危険に陥れば救助に行く . . . などの 行動に「コスト」 を掛け、落ちこぼれて行く仲間の数を少なくする戦略である。(B)の場合は個体の数を多くする必要はなく、傷を自己修復することによって 命の子孫伝承は安全に行われる。生命の進化は おそらく (A) から (B) へ進んだのであろう。

人間の場合は (B) の戦略であることは自明である。しかし農耕依存の一万年前から ほんの70年前までは「多産」が基本だった . . . 受けた傷(伝染病など)を自己修復する能力が不足していたので、人々は子沢山で困難をしのいだ

♣ だが第二次大戦後、事情はすっかり変わった ―― 医療福祉の発達である。人間は、トンボ型 (A) の生活が コウモリ型 (B) にすっかり変容したのである ―― 病気を治し 長生きになった。しかも 医療はハードもソフトも年々発達し、加えて 2000年からは 「介護」の分野まで 充実し、今や平均寿命も最大寿命も 人類の到達限度いっぱい のレベルに達したのである1)

♣ 「世代交代」という言葉は しばしば無意識に用いられるが、元来は「親が死に 子がその跡目を継ぐ」という意味である。農耕が定着するまで、世代交代は 30歳頃 であった ―― 親もその頃までに子を産み育てて 死んだのである。

♣ その後 近過去まで 世代交代は 50歳頃 に延びた ―― これは 更年期、つまり繁殖期が終了する時期 と同じ頃であり、親が死に 子へバトンをタッチする 動物的な世代交代であった。

♣ ところが最近の世代交代はどうか?親は生きたまま世代交代をせず、更年期以後 人生を2倍に延ばして生存している。前半の人生と大きく異なる点四つは、① 老化、② 徒食、③ 無産、④ 富の横取 ―― 言葉で表せば (C) 無産延命 と言うべきか?つまり、更年期以後の男女は生命進化の役目から外れ、遺伝的には無意味な存在とさえ言われる。

♣ せっかくトンボ型からコウモリ型に出世した人間ではあるが、自己修復だけでは気分が収まらずおせっかいにも 他人の傷まで治す福祉思考が発達し、人間は「使い捨て」をやめ、新しい延命世界に踏み入った のである。これと共に、世代交代の垣根は省略され、新たに発生したのは長寿願望である。トンボ型の「多産短命」と異なり、コウモリ型は「少産長命」のハズだったが、事ここに至って 人間は 子を産むことのない「無産延命」を欲するようになった。これは 果たして生物的に健全な願望であろうか?

♣ これを問う理由は、子を産まずして老化の自己修復は 莫大なコストが掛かることが判明したからである。つまり、年金・医療・介護の費用は現在110兆円、これに対して税収の総額は45兆円。もし他人の目で見れば、これを「節度のない無産延命の暴走」と言うであろう。そして、世代交代をせず、無産延命の後に来るものは何か?それは 何も産まない「無」、つまり「無産総痴呆2) ではないか? 我々は 結局 トンボ → コウモリ → 人間 → 痴呆で大団円に至る のだろうか?それで悔しくはないか? 穏やかに沈思黙考なされるべし ―― 昔の「世代交代」の時代が懐かしく思えてくるだろう。

結論: 我々は 臨終に当たって 延命に延命を重ねる愚 を抱かず、現状のヒトの生活以上の贅沢な( ぜいたく )介護を求めず、静かに シンプルに天寿を 生きて行くのが ”一番の幸せ” なの ではないだろうか?

  参考: 1) 新谷冨士雄・弘子:最大寿命と平均寿命:福祉における安全管理 # 434, 2014. 2) Robert Epstein : Brutal Truths About Aging Brain, Discover 10: 48, 2012.

  職員の声

 声1: 大量に子を産み、自己修復力の低い虫や魚は「多産短命」;少ない子を産み、治癒能力の高いコウモリや人間は「少産長命」 ―― おのずと老後の生活パターンは異なるだろう(係り: 少産長命で我慢できれば立派だが、今 人々が困っているのは「無産延命」である ―― それは 子孫繁栄をせずに 長生きだけをしたい と願う老人たち ―― 若者の手を取り束縛し、徒食の経費を次世代にかぶせる のだ ―― 老人問題の解決はここにある ! )。

声2: 子を産まず、トンボのように自己修復力の乏しい「無産長命」の老人が増えるのは 今の社会の大問題だ;昔の老人は子孫繁栄のためにコウモリのように頑張った ものだ。

声3: 今の老人優遇策は豊富な石油エネルギーに依存 する ―― 百年後、エネルギー不足時代の老人の健康は 彼らの“自己修復力”に頼る他はないだろう(係り: 入浴・暖冷房・料理・オムツのたぐいは戦前のレベルに戻り、寿命は確実に 90歳 → 50歳 に逆行する ―― 今の時代は”石油の恩恵による高度介護”とも言える)。

声4: 我々はシンプルな天寿を生きるだけで十分ではないか?(係り: スエーデンでは食事介助を‘人間の尊厳無視’と認識し、食介を行わないほど シンプルに徹底している)。

声5: 治療に反応するコウモリなら手間ひま掛けて治療を行うも当然;しかし超高齢の延命は トンボのように自己修復力がほとんどなく、本人も苦しい・家族も大変 ―― 冷たい意見かも知れないが その人の修復力に合った幸せだけで生きて欲しい

声6: 日本の人間 多すぎるよ、一度は人口を減らしたらどうか?世代交代もキチンと行い、シンプルな世界を目指すべきと思う(係り: そんな事をしたら 隣の国が攻め寄せて来るぞ ! 癇癪( かんしゃく )を起こさず、手厚すぎる介護方法を欧州風に変更したらどうか? たとえば、胃瘻は問題外 ―― 「食事介助人間の尊厳無視の余計な介入である」との欧州風の論議を広める、など)。

声7: 枯れるように亡くなる”という表現があるが、家族は無限の処置を求めるので 本人は枯れる暇がない のが現実だ――シンプルに世代交代したらどうなのか、とよく思う(係り: 昔のように、処置を有料にすれば 家族もおとなしくなるだろう ―― なにせ 人間は自己負担が少ないとなれば 手が付けられなく無い物ねだり’をする)。

声8: 親が長生きすれば “介護というオマケ” が付く ―― “ほど良い”長生きとは 本人が「介護についての心構え」を持って「世代交代」すること ではないか(係り: 今の時代、自己負担少なくして介護を他人に頼むのにも拘わらず、クレームだけは結構付く のだ ―― 本人はボケているから責められないが、日本の介護問題とは 「民度が高くない国民の 過大な要望よる 介護干渉 」である、と言っても過言ではない ―― 欧州を見習いたい ものだ)。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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