(459) 認知症の 幸せと満足

   (459) 認知症の 幸せ と 満足 

  お年寄りの願い を訊くと たいていの返事は「元気で長生き、幸せな人生を送りたい」とおっしゃる。ここにある ① 元気、② 長生き、③ 幸せ、の三つの願いは 誰しもの願いであるけれど、③は案外に理解が漠然とし、その上 矛盾に満ちている。

♣ ① “元気” とは、訴えることが特にないこと―― 身体・精神・社会の三要素で見つめれば 客観的に判定でき、WHOの “健康の定義” に一致する。

♣ ② “長生き” という願いも理解しやすい ―― しかし長生きの限度が 平均値86歳・最大値116歳という現実を知らず 、彼らの頭の中では ‘千年・万年’ という夢が流れている。

♣ ③ 難しいのは “幸せ” または “満足” という項目であろう。私たちが介護で理想とするのは、お年寄りが 理屈ではなく 本心で 「幸せよ . . . 満足だわ . . . 」 とおっしゃって頂けることではないか? “幸せ” は 上記の三つの願いのうち 一番 重要でありながら ほとんど主観の塊だから 何とも掴みにくい願いである。

♣   “幸せ” と “満足” について次の表現を あなたはどう判断するか?―― (A): 少ない給料で 満足できないが 幸せですよ:(B) 病気のため幸せではないけど 満足してます。どちらも意味は通るけれど、(A) のほうで より良い気分のように思える。つまり 幸せと満足の気分を比べれば “幸せ” > > “満足” ではないか。

♣ 思わず つぶやく二つの表現を比べてみると:―― 「あー しあわせー」 と言うが(情緒的)、「あー まんぞくー」 とは言わないようだ;むしろ 「ん?よし、満足だ」 と言うだろう(理性的)。つまり 幸せ感のほうが上位の情緒のように思えないだろうか? 重ねて定義してみると、「幸せ」 とは、現状に満足しており もう これ以上の上を目指さす気分でない陶酔状態であろうか。樹木のてっぺんの 「幸せ」 にたどり着く途中に いくつかの 「満足」 という名の小枝があるとみられる。

♣ これに対して「満足」 とは、“与えられた条件内に不平・不満のないこと” を確認し、この気分は 自分のみならず 他人にも伝えられ 同感を得ることも可能である。その意味で 満足は やや理性的な気分と言うこともできる。“( よ )は満足じゃ !とお殿様が言う、あの満足である ―― 周囲の家来( けらい )たちも、殿様の満足の理由を理解できるだろう。いくつかの 小さな満足が積み重なれば “余は 良き家来を持ち 幸せじゃ ! ” となる。

♣ さて ここで一つの風景を見てみよう:―― 認知症型のデイサービスの お年寄り十人ばかり、講堂で催された ‘手品と演劇’ の出し物を小一時間ほど楽しんだ。自室に戻る途中のエレベーターの中で 一同 ほてって明るい顔つきで 「やー楽しかった、面白かったなー ! 」 と 大はしゃぎ ―― ところが部屋に戻ってみんなが椅子に座って落ち着いたところで 私はもう一度 尋ねる ―― 今日の手品はおもしろかったですね . . . すると数人全部がお互いの 顔を見合わせて言い合う ―― “今 何か 面白いことがあったかな? ――いや、何もなかったよ、なーみんな ! ” 。 つまりさっき見た手品と演劇を5分後には 一同全員が 完全に忘れているのだ ! みんな “忘却の幸せ( 中核症状 )を示し、これは認知症型のデイサービスで よく見られる風景でもある。

♣ 私は思う; 彼らは 覚えていられないけど 「その時々の喜びと感情は健全なのだなー」 と。結局 記憶低下と共に 「幸せも満足」 も その時間的な持続が短くなる。大事なことは 「その時・その瞬間の感情を相互理解すること」 なのであろう。

♣ 犬には言葉は通じないが、一緒に転がって遊んであげた情緒は伝わる。昨日の幸せは昨日だけで終了し、今日は今日の 新しい幸せが求められる。彼らは、‘元気で長生きが幸せの元’ と 口ではおっしゃるが、そんな ‘将来の楽( らく )のために 今の苦労を耐えなさい’ のような生活介護は通用しない ―― “今の幸せ” が全てである。 

結論: 「元気で長生きが幸せ」という ‘つぶやき’ は 健常者だけが理解する語句である。認知症にとっては ‘その瞬間の幸せ’ が重要なのであり、過去の記憶を盾にとって将来の喜びを語っても それは幸せをもたらすことに繋がらない。認知症に ‘きのう’ はなく、また ‘あす’ もないのだ ⇒ 認知症の ”失見当識 = 時・所・人の喪失”。

参考: * 新谷冨士雄・弘子:究極の寿命分布、福祉における安全管理:#453, 2014.

  職員の声

 声1: 「幸せ感」 は人それぞれだ;老若とも 「幸せ」 を感じるように生活をしたいけれど、中には 「常に不平・不満・グチ・不穏」 を述べたり ‘早く死にたい’ と言う人もある(係り: 人の心は一様ではない し、また いずれ ‘要介護度’ が進めば 大脳から発する不平感は鎮まってくるものだ)。

声2: 私は、老人が元気で長生きしてもらうより、一瞬一瞬の幸せを感じてもらうケアを提供したい係り: 今の喜びを優先する ―― あなたは正しい、だって老人は、待ちに待った人生目標の ‘老い先’ を 只今 味わっているのだから)。

声3: 健常者は 「長い目で見る幸せ」 が大事、認知症は 「その時の幸せ」 が重要だと思う(係り: Yes !! その理由:―― まともな大脳は 先を見通した幸せが理解できる;認知症では 大脳が故障しているゆえ 先を見通した事情は分からないから)。

声4: 普通の人は 「今の幸せ」 が ‘明日を生きる力の元’ になる~~認知症でもそれを期待できるか?(係り: デイサービスのレベルで辛うじて可能か?それ以上の認知症では期待薄だろう ―― ‘ではまた 明日のお楽しみ ! ’、は無効 )。

声5: アイスクリームを差し上げると「あーおいしい~~」 と幸せそうな笑顔、私まで「よかったわ~~」と感じる ―― 短い時間で忘れやすい喜びであっても それが尊い と思う(係り: まったく 同感 ! )。

声6: 「幸せ・満足」 と掛けて 「雷」 と解く、その心は 「一瞬の出来事 ! 」 。(係り: お見事 ! でも認知症相手なら 「一瞬」 ではなく 「ひと時」 くらいかな?)。

声7: せっかくの「幸せな感覚」を 僅かな時間しか保持できない のは残念なことなのか?(係り: 猫がじゃれて喜ぶのは一分以内のようだ . . . それに似ていると思わないか?良くも悪くも、大脳が少ない人だから ’短時間’が現実であり、訓練によって延びるものでもない)。

声8: 認知症では 幸せを長く感じられないようだが、感じないよりはマシではないか ―― 私はむしろ「多幸」というものを感じてみたい ―― だって 一つの喜びが長続きすれば 幸せも大きいだろうから(係り: 「多幸」とは、常識をはるかに超える病的な喜び を言い表す ―― まわりの人たちは‘おめでたい?’と言って 眉をひそめる)。

声9: なるほど 認知症は ‘幸せ感’ を忘れっぽいけれど、忘れた後も 経験した幸せの影響が 体に残り続けているかも知れない(係り: その可能性があるからこそ、職員たちの熱心な努力は報いられる ―― body language として、決して手を抜かない のだ)。

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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