(461) お看取り は イヤ !

(461)   お看取りは イヤ !  

日本人の高齢化はどんどん進み、平均寿命は 女性 86歳 男性 80歳 となり、それぞれ世界一位(女性 )五位( 男性 )を誇っている。

♣ 日本人の三大死因である 「ガン、心疾患、脳卒中」 の死亡率は減少傾向にあるが、第四位 死亡の 「肺炎」 が新たに順位を繰り上げており、やがてはガンを乗り越えて一位になる可能性が出てきた ―― ちなみに、65歳 以上の老人だけを集計すると、今でも 「肺炎」 は第一位 なのである。ナゼ肺炎か?それは超長命になると “誤嚥性肺炎” が命取りになるからである。

♣ 死因の略歴を述べると、戦前は 平均寿命が 45歳 レベルで 「肺結核、各種伝染病」 が首位を占めた。1950年 頃からは 食生活の改善に伴い 寿命が 50歳 を越え、初老性の “生活習慣病の多発” が見られるようになった ―― その頂点に立つ疾患が 70歳 を中心とする 「ガン、心疾患、脳卒中」 である。

♣ 医療の進歩と共に、多くの人々が この生活習慣病を乗り越え、平均寿命が 80歳 を越えるようになると、別な病気が優勢となる ―― それが 「誤嚥性肺炎」 別名 「老衰」 である。とうとう我々は人類の天寿に近づいた のだ ! 一口にいえば、人の運命は 「肺結核 ―→ ガン ―→ 老衰 (誤嚥性肺炎)」 の順で生命が終わる歴史なのである。愛玩( あいがん )動物の犬や猫までが人と同じ運命を見習っているのだから 驚いてしまうーー両者には共通の原因があるのだ。

♣ 昔は更年期過ぎの親を家族が看取った。今は 90歳 に近い老人に 「胃瘻」 を付け 施設で 他人が看取る ことが少なくない。一言で 「お看取り」 と言うけれど、その様相の今昔は天と地ほど異なる。

1960年、平均寿命は 男65歳 女70歳 ;親と子の同居率は 80% を越え、お看取りを含め 50年前には 老人問題は実質的に存在しなかった。そりゃそうだろう、男の寿命が 65歳 で終わるのなら その親は 90歳 を越えているだろうし、50年前 にそんな高齢な老人の存在はムリな時代だったからだ。1970年代 に入ると、バブルの勢いが熟し、老人医療は無料化、寿命も 約30年間 猶予 ゆうよ )され1) 「人は死なない」 と錯覚され、昇る朝日の大日本となった。

♣ 大病院と医科大学は設立ラッシュを迎え、“病気根絶意識” は高揚され、入院の敷居( しきい )も低くなり、死亡の場所は家庭 9割 だったものが 病院 9割 に移った。救急車の導入、心臓疾患治療棟( CCU )なども繁盛し、人々は入院すればスパゲッティ( 多数の点滴や酸素の管付き )になるが、 ”治癒が当然” という大繁栄の時代 でもある。みんな、人が死ぬことを忘れた時代だった。そんな中、有吉佐和子が 「恍惚( こうこつ )の人」 を出版し( 1972年 )、老人問題の深刻さに一石が投じられた、が しかし、世間的には 珍奇な問題に留まっただけであった。

1990年、バブルは崩壊 !! それと共に 社会では問題が 百出( ひゃくしゅつ )し始めた ―― 老人の数が異様に増え、子供の数は減り( 多々老・少子化 2) 、欧米で開発された 「胃瘻」 の 技術が その後の延命問題の大波乱の ‘前触れ’ となった。

2000年 、ご存知の 「介護保険」 のスタート;老人にとって それは 更なる “天の恵み” となった ! それまでは ‘大きな病気’ しか取り上げられなかったが、この保険と共に 小さな症状 = 「微熱・痒さ・だるさ」 でも受診の便益が保証されるようになった。紙オムツ・おしもの世話・入浴・栄養計算の整った食事・娯楽など 手厚い介護が 全国的に行われ始めた。

♣ しかし 2014年 、ただ今 医療・介護は 「胸突き八丁」 に差し掛かっている。それは 老人が 「死ぬに死ねなくなった」 からである。だってそうでしょう? 理想的な医療と介護の下で、老人はどう生きればいいのか? 病気はなくても 寿命は尽きた . . . 誰かに頼りたくなる。なかんずく、加齢に伴う 「痴呆」 の頻度は うなぎ登りだ 3) ―― ここは何処?あなたは誰?と徘徊を始める。昔も今も 老人のボケに変わりはなない。 昔の老人は数が稀だったから ボケも大目に見られ むしろ可愛いく思われたが、今は 5人 に 1人 が老人だ;介護予算も 国家税収の半分 = 20兆円 に近づく。可愛いなんてものじゃ すまされない。

♣ これが病気であるならば、いつかは克服されるだろうが、認知症の基本は 「廃用症候群」 、つまり “脳の磨り減り = 長生きし過ぎ” が原因なのだ ―― それは天命である。ここで一番必要な対応は何か?それは 医療でも介護でもない 「お看取りの心」 である。

♣ ところが、一部の家族は時代の流れにスポイルされているので、逝く親を遇する心を知らない ―― お看取りはイヤ、死の受容もイヤ、その上 経費は公( おおやけ )の負担で、親を1分でも1秒でも長く生かして欲しい ―――― 身勝手で 親離れの悪い子たちが続出の時代、それが現代社会の業 ごう )なのである !! 

結論: 織田信長の昔と同じく 人生は、やはり更年期の歳 (= 50年 )が 「華」 なのだ。その死期が 戦後 30年間 猶予( ゆうよ )された結果 3) 、‘人は死なない’ と錯覚されているが、それは間違いだ。命の長さには自然の摂理( = 女性の平均年齢は 86 歳 プラス おまけの 30 年 )があることを受け止め、子は心を決めて親を静かに ‘お看取りして差し上げる’ 姿勢 を持つべきである。
 
参考: 2) 「多々老・少子化」が正しい:新谷冨士雄・弘子、福祉における安全管理:#452, 2014. 3) 認知症の増大に歯止め:新谷、ibido:#442, 2014. 1)  死期猶予30年と介護界:新谷、ibido:# 460, 2014.>  

職員の声 

  声1: 一般の人は、‘ 看取り ’ と言うと ‘病院の一隅で ひそかに行われるもの ’ と心に刷り込んでいる → 本当のお看取りとはどんなものかを知って欲しい(係り: 年齢と一般状況により、おのずと天寿の推定が可能となる時期が来る ―― 延命死のご希望がない限り、家族と一緒に ‘ご利用者が静かに逝かれるのを邪魔しないこと’ 、これを私たちは 「お看取り」 と呼ぶ)。

声2: 訪問看護をしていると、「死の受容」 を家庭でする気がない家族 がいる(係り: 家族が我儘になり、お看取りの仕事を病院へ回してしまうのだ; 昔は皆 家族でお看取りする以外の方法はなかった)。

声3: 30年前 のバブル時代、死の 9割 は病院で看取られた;近年 諸般の事情で 再び在宅死が増えてきたところ、家族が ‘お看取りの心’ をすっかり忘れている係り: ‘病院は治すところ・死に場所ではない’ と分かって以来 家族の心労は もっぱら自宅でのお看取りをストレスと感じるようだ;私は”お看取りを 他人任せの無料” で済ますズルは許せない、と思う ーー 介護保険の基金に払い戻しをして頂きたい)。

声4: 私たちはケアに熱心だが、お看取りについて家族と話す機会が少ない;お看取りは家族にとって大きなストレスであるが、余人をもって代えられない義務だと思う。

声5: 親の長寿を望むのは当然の事、しかし その親が認知症になっても長生きを望む家族は全国でどれくらいいるだろうか?(係り: まず、親の認知症の実態を見て途方に暮れるだろう; 高齢で痴呆というのは昔からあった; しかし昔は高齢者が僅かだったので、途方に暮れる人も稀だった―― 痴呆+親孝行 とは、新しいテーマである)。

声6: 親を一分一秒でも長生きさせたいという家族は多いが、その延長するお看取り経費を国に押し付けてしまう係り: たとえば、胃瘻をつけると年間 500万円 、その経費を自費で賄う心掛けがあれば 親思いの赤心と取れるけれど ―― 政府がおカネ余りとはとても思えないが)。

声7: 医療・介護の発展を祈願する人は多いが、その先の 「お看取りの運命」に気付く人は ほとんどいない係り: 頭があれば尻尾もあるハズ、これから 人々は お看取りの自己責任に気づくだろう)。

声8: アンチエージング (加齢反対) なる言葉が流行し、老いを受け入れられない国民が増え、 「死」 の教育が無視された結果、だらだら生かされることが日常となってしまった現在がある(係り:施設に預けたのに ‘ うちのお婆ちゃんに、お看取りがあるんですか? ’ と不満げな家族が後を経たない ―― バブル時代の不老不死気分の後遺症で、人は死なないと思っている)。

声9:生・病・老・死」 は仏教の教え: 仏さまが死に臨む人生に与える最後の残照を見つめる行為 こそ 真の介護と言えるだろう(係り: お看取りなんてイヤ ! では済まされない生命の真理に 人々はやがて しっかりと気が付くだろう)。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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