(491) 老人 と 赤ちゃん の バランス

  (491) 老人 と 赤ちゃん の バランス 

 近年の日本は、「数年続く人口後退」の話題で花が咲いている。

♣ 明治以降、私らは “日本の人口” と聞けば “増加中 ! ” と反射的に思っていた。だって、日本は永く 「貧乏人の子沢山」 で悩んでいたからだ。ところが 厚労省統計によると、2007年で日本は 死亡者数と出生者数が合い半ばし、人口は以後 減少に転じている()。例えば 昨年 ( 2014年 ) の死亡数は 126万人 であったのに対し、赤ちゃんの出生は 約100万人 ; つまり差し引き 人口減少 26万人 の多死社会だ。この人口の自然減は ここ 8年 連続だが、昨年が最大であった。ここで たいていの国民は “少子化の世相だもの、しょうがないなー” と言う

とんでもない ! 実態は 介護保険が完備された 「金持ちの老沢山」 の悩みなのだ。 をよく見て欲しい。図の上段のカーブは出生数を表すが、確かにそれは 近年 下降しているものの、 1990年 から最近までで、20万人 レベルの低下に過ぎない。他方、死亡者の数は 1980年 から 45万人 レベルの増加となっている (差し引き 年25万人 の減少)。社会の成熟に伴って、日本の赤ちゃんの死亡率は世界最低、つまり日本の死亡者の増加は 主に 「天寿老人の死亡」 が主体なのである。この老人死亡数の増加を 過去の赤ちゃん出生数と比べてみれば、見よ、80年前 には 200万人 を越える多数の赤ちゃんが 毎年 生まれているではないか ! 普通なら 「多産は多死 によって打ち消されてしまうのだが、日本では 戦後の社会改善によって死亡数が激減、しかもそれが 30年間 の長きにわたったのである !( 死期猶予 30年 1 )。
老人と赤ちゃんのバランス

考えてもみよ . . . ヒトは無制限に長くは生きられない。戦前は ‘人生50年’ であった . . . 戦後は徐々に寿命が延び、 ‘人生80年’ になってきた。つまり、明治に生まれた人は、従来であれば昭和に亡くなったものを、今や 平成 まで長生きするようになったのである。さすがに 80歳 越え まで生存すれば、これは人類の自然輪廻の範囲であり、これ以上の長寿は個人差なのではないだろうか ( お釈迦様も昔 80歳 で亡くなられた )。

♣ 出生数が死亡数を下回ることは人口の 「自然減」 と呼ばれるが、日本の現在は 生まれ過ぎた過去の人口が 天然レベルの 「少ない人口に回帰している」 と呼ぶほうが妥当だと思う。 ところが、マスコミは 「少子社会は 現在の養老制度の根底を覆す ! 」 と騒ぎ立てるが、 赤ちゃんは 20歳 になるまで「制度を覆す」ような悪さは出来ない。その上、赤ちゃんや若者をアテにした 「賦課式税制」 で ’現在の老人’が楽をしている という方式にこそ 問題がある。老人と赤ちゃんは 今 絶妙な数のバランスに向かって調整されつつある、と解釈するのが正解ではないか?

♣ 日本の多くの知識人に尋ねてみると 「死亡者は年々減っている」 と、事実に反する答え をする人が圧倒的に多い。その根拠を訊くと、「医療・介護・福祉が過去のどの時代よりも優れている から」 と言う。なるほど 答えには一理がある。確かに、国の予算をみると、税収は 46兆円 であるのに、予算は 「年金 60兆円 ・ 医療40兆円 ・ 介護福祉20兆円 」 。このような過剰福祉でありながら死亡者が増えるのなら、それは国費の無駄遣い であろう。 だが、このような多額の予算を以てしても、天寿というものは越えにくい のが現実であり、事実 死亡者は毎年 26万人 ずつが増えているのだ。ところで、この増加を食い止めようとする 識者たちの試みは正当なのだろうか? その前に、その死亡者の正体を見極めてみよう。

♣ そこで私は 過去を振り返って 謙虚に考えてみる。手をかけ、金をかけても、ヒト寿命の延長には限度がある思う。もう一度、を見て欲しい。確かに 1920年 から 1980年 までの 60年間 、赤ちゃんは大量に産まれた。最初の 20年間 は 「多産 ・ 多死 」 で歴史的な一般過去と同じであったが、戦後になって これが 「少死」 に転じたのである。この現象は 「環境の好転」 によって得られた 「死期猶予 30年 」 と呼ばれる 1) 。この「猶予」によって 死ぬ運命だった人々が 幸せな30年の延命を獲得したあと、今や天寿の時期に至ったのである。つまり 近年 増加した死亡者の主体は ” 80 年ほど前に生まれ、30年間 の延長天寿を享受した超高齢者たちの集団” なのだ。

人は 「本来の遺伝子」 の限度を越えて生存することは出来ない。環境をこれ以上 良く出来れば、つまり 「医療 ・ 介護にもっとお金をかければ」、さらに よぶんの「 死期猶予XX年 」 が期待されるだろうか?その答えは 超高齢者の生身 (なまみ) 心身を診察すれば歴然とする。私は残念ながら それは期待薄だと思う ーー ヒトという存在は、更年期の 2倍 を生きれば 「これぞ限界」、心身は よれよれ になる。だから、過去に得られた 「猶予30年」 は 程よい “オマケ だったのである。もし、猶予年月(例えば、死期猶予 50年 )があったのなら、世の中は どうなっていたかを想像して欲しい。幸い、今は 老人と赤ちゃんの数が 絶妙のバランスの元で 本来の人口の姿に向かって回帰 しつつある、と私は見ている。

結論: ① 日本の人口の実態は 「少子高齢」 ではなく多々老 ・ 少子」である:勘違いしてはいけない。② 日本の人口は 毎年 26万人 ほど減りつつあり、それは主として 80年 以前にたくさん産まれた赤ちゃんが 天寿を迎えていることによる。③ 只今の日本人口は 老人と赤ちゃんの絶妙なバランスの元に、最適な人口状況に向かって回帰しつつあると思われる。

 参考: 新谷冨士雄・弘子:死期猶予30年と介護界、福祉における安全管理 #460, 2014.

  職員の声

声1: 少子化を心配しているのは、賦課 ( ふか ) 式税制 だからであり、それは老人の身勝手に過ぎない(係り: がんらい老人は貯金があるか、子を成したか」 によって生きる道が決まっていた ―― それが 20年前 に 若者の収入を ピンハネ して生きて行ける制度に変更された ーー ( 生きるために、貯金 も 子 も不要 ) ―― つまり 老人にとっては 誠に有難い制度になった。 しかし若者にとって それは 「強制された他人孝行」 に過ぎないし、 この制度を維持するために 若者よ 子を 沢山 産め ! ” の掛け声一つでは 誠に 割が合わないのだ)。

声2: 社会は 「少子高齢化」 と言って、子供の少ないことを嘆いているが、 実態は 「多々老」 が主体である: 老人に掛ける費用の一部を 将来を担う子供にも回す対応も考慮すべきではないか?(係り: それは なかなかできない; ナゼなら国政は 自己中心の老人票の多寡で決まるから)。

声3: 政府が発行する年金漫画で 「あんたが結婚して沢山子を産めば解決することよ ! 」 というのに 娘たちの激しい批判 が集中している(係り: 老人たちは 「オマケの30年1) のおかげで今日生きていられるのに、彼らは 「オマケの延寿」 を感謝するどころか、さらに 若い娘たちにまで寄生して 長生きをしたいと たくらむのか?)。

声4: 生まれた人だけが 死ぬ訳で、将来には 死者 ≒ 出生者 の日がくるだろう; その日までは巨大な老人経費を覚悟せざるを得ないか?(係り: マスコミは 奇を衒って(てらって)今の日本を 「多死社会」 と大見出しで呼ぶが、それは人心を乱すだけだ ―― まるで “生まれた人が二度も死んでいく” と言わんばかりの愚かな誇張 ! ―― 実態を見よ ! 100年前 、沢山生まれた老人が 100年 の天寿を享受 したあと静かに逝き始めた . . . 花が沢山咲いて . . .実がどっさり実った . . . このように 時の経過を愛でる 「果実いっぱい社会」 のような言葉を使って表現しようよ)。

声5: 赤ちゃんの死亡率は小さくて 安定しているので、人口問題とは 「単なる老人の寿命問題」 であり、彼らは 生まれてすでに 100年 も経っていることだし、慌てて騒ぐ人口問題ではない だろうが(係り: 年間 100万人 が生まれ、100年間 生きれば 人口は 1億人 となる; 日本国のサイズでは この規模が 世界的に見て 理想的と思わないか?)。

声6: グラフを見て分かったことだが、多数の老人が 100年 を生き、そして天寿をまっとう して 美しく死んで行く現状に対して 何の余分な対策 が必要なのか? それよりも少子化に予算を振り向けることこそ 立派な対策ではないか(係り: 花咲き 熟 した実は 収穫あるのみ; 若い新芽は嵐から守ろう)。

声7: 只今の日本人口構成は 最良な状況に向かって回帰しつつある . . . なるほどなー、と思った(係り: 老人も若者も 「多々益々弁ず」( たた ますます べんず = 人口爆発 )、などの極楽トンボを主張するのは 誰でもできる ーー ほんとの世の中は トレードオフ (下記の声9 抜きには生きられないよ。

声8: 医療 ・ 介護費 を消耗する多数の老人が逝ってしまえば、現在の若者は息がつけるし 未来も開ける、と思う(係り: あと 30年間 は “年老いた団塊の世代” を まじめに看取らなければならない ―― だって彼らは 60年前 、 「金の卵 」 として 日本社会の希望の星だったのだから)。

声9: 「現在の人口構成こそが 老若の正当なバランスに回帰している のだ」、という理事長の論旨が良く分かった ―― それにしても 現在の社会は みんなの希望が叶った 「多々老社会」 は のハズだったのに、その欠点を探し出 して 「少子化社会 ! 」 となじるマスコミの意見は道理に反する よ(係り: 事前に 「多々老 と 多々子」の両方を バランス良く 養う のはムリ と分かっていたのに、いざ窮地に追い込まれた日本社会は 「多々老 優先」 の旗印 を掲げた ―― 戦後のオマケ期間 1) を みんな遊び呆けて暮らして、なすべき 「少子対策」 に何の手も打たず、―― 今になって 「多々老・多々子の両方は成り立たないと 臍 (ほぞ) を噛む始末;つまり 我々には 真面目な トレードオフ 感覚( trade-off が 今 求められているのだ ―― 福祉の識者は相変わらず 「赤ちゃんも老人も増やしたい」 と極楽トンボで、トレードオフ に無関心だ ―― あなたなら どう決断するか?)。

  参考:  Trade-off = ある選択をすることで 別の何かを犠牲にするという 相反する関係; 何事も 「どの程度の リスク と リターン があるのか」 という視点で考えてみる必要がある。バランスと妥協

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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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