(560) 長生き と 幸せって 何だろう ?

 (560)  長 生 き と 幸 せって 何 だ ろ う ?  

  人は 「長生き」 と 「幸せ」 を求める生き物である。これらを求めない者は 「赤ちゃん か 認知症」 ではないか? 

♣ 「長生き」 の長さは “数値” で表されるから 分かりやすい。日本女性の ‘平均寿命’ は 世界一の長寿で 「86歳」 、歴史が始まって以来の最長寿記録だ。つまり日本女性は 「長生き」 を達成したチャンピオンであって、「長生き」 に関する限り “最大の幸せ者” と言える。

♣ だが 果たして そうだろうか? 90歳寿 の女性に尋ねてみると 答えは たいてい こうだ: ―― 「いくら寿命が長くても “健康” でなければ 「幸せ」 とは云えません」 . . . そう言えば、2 ~3 年 前から、「健康寿命」 ・ 「依存寿命」 という言葉が導入された 1 )  ( ―― は人類最長寿 122歳 のカルマンさん 、117歳 まで 喫煙を楽しんだ )。

健康寿命 とは、他人の助けなくして健康に過ごせる人生を、 依存寿命 とは、病気や介護などで 他人の援助を求めて生きる人生を言い、両方を合算したものを 平均寿命 と言う。厚労省の統計によると、女性が健康で過ごせる期間はわずか 73年間 、その後に 病気勝ちの時期が 13年ほど続き、合計 86歳になったら 命運が尽き この世を去る。確かに こんなに短くては カルマンさんのように 「長生きで 幸せ」 というイメージから 遠のく。

長生きと 幸せって 何だろう?

♣ 昔 人生 50年 の時代なら、依存寿命 という概念などは なく、健康寿命 が終わったら もう この世を去ったものだ。戦後 寿命が延びて 90歳 に達する勢いの現在、健康寿命 が 50歳 から 73歳 へと延びたものの、以前にはなかった 依存寿命が、招きもしなにのに 13年分 くっついてきた。つまり、長生きをすれば 病気の機会も増えるという現実に直面した訳だ。

♣ 「依存寿命」 は 長生きするにつれ 増えて行き、年齢 90歳 を越えれば、医療 ・ 介護 など 他人依存 が ほぼ 100 % 必要となり、健康寿命 は もう 期待薄 になるだろう。いくら 「長生き」 を実現しても、得られたものは 「病気寿命」 だけで、幸せ感に富む健康長寿には もはやご縁がない。当の本人も ご自分の年齢を 言い渋る。

♣ がんらい 人生 50年 時代の合言葉である 「元気で長生き」 は、その “長生き” の意味で せいぜい 還暦 (60歳)・古希(70歳) を指していた . . . 今のお年寄りが口にする 「長生き」 は 100歳 大越えの願望であって、還暦や古希のような若い年齢は お呼びではナイ ! 彼女らは 従来の長生き年齢を とうの昔に卒業した 「大長寿」 の身なのである。にも拘わらず、さらなる 「長生き」 の願いは 果てることがない !

♣ さて、次に 「幸せ」 って 何だろう?を考える . . . 「努力 とか 喜び」 という 抽象名詞 なら、あなたは 頭の中で それを 「絵」 に して描くことが出来るだろう … しかし 「幸せ」 って どんな絵を描けばよいのか? また、これを 「長寿」 のように “数字” で表すことができるのだろうか?

♣ ノーベル賞 に輝く 行動経済学者 ダニエル ・ カーネマン は Uー指数 (不快な、Unpreasant) という “点数” を工夫し、幸福とは “自分が愛す人、自分を愛してくれる人 とともに時間を過ごすことだ” と言っている ―― 介護を受けていない 一般人の場合なら そうかも知れない。WHO (世界保健機関) は独自に考案した点数で 世界の国々の幸福度を採点し、一般に 開発途上国 で幸福度は高く、欧米 では低い と断じ、日本は諸国の中で 40位 であった、と言うが、あなたが思う 「幸せ」 とは、きっと別なものに違いない。

♣ ところが、認知症にかかれば 「長生きや幸せ」 の意味を 理解できないハズである。それは認知症の 「中核症状」 で説明できる 2 ) :―― ① 直近の記憶力 と 見当識 ( 時 ・ 所 ・ 人 ) 障害によって、彼らは ‘時間と空間 、人間関係’ を理解できない。客観的な事実は 覚えていず、印象 ・ 不快感、 喜怒哀楽の情で生きている。 ② 彼らが 「寿命 や 幸せ」 の意味を認識できなくなるのは 失認 ・ 失語 ・ 判断力低下 により抽象能力が欠如 するからだ; ③ 思路迂遠 (しろ うえん) によって 自分の考えも まとまらない。

♣ つまり、人は ’ 正気 ’ であってこそ 「了解可能な 幸せ」 を 感じるもの であり、これに対して 大脳機能の低下する認知症では、「幸せ」 に限らず すべての感情は枯渇 (こかつ) してくる。 実際、人々は 「長生きと 幸せ」 を求め、その願いを次々と達成して行くのだが、そのうち 加齢に伴う 「認知症」 の併発によって、本人自身がボケてしまい、何を求めたのか ’訳が分からなくなる’ のが 「願望達成」 の流れ であろう。事実、お年寄りは 滅多なことに 「私は 幸せ ! 」 と言って下さらない。
長生きと幸せって 何だろう?

♣ 「幸せ」 を探し求める物語で有名なのが、メーテルリンク の 「幸福の青い鳥」だ : ―― 2人兄妹 の チルチル と ミチル が、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である 青い鳥 を 探しに行くが、結局のところそれは自分たちの 「手元」 の鳥籠の中にあった という物語である。つまり、「 人 ・ 物 ・ 金 」 それに 「 時間 」 までかけて探し求める 「幸せ」、それは 介護生活で暮らす 「毎日の世界の中」 にあるのではないか?

♣ それを否定するのなら、チルチル ミチル 兄妹 のように 「幸せ」 を探しに行く旅が必要となるだろう。ついでに 「長生き」 の意味がどこにあったのかが 見つかるかも知れない。2007字 

要約:  ① 昔 人生は 50歳、戦後 老人の定義は 65歳 、今 女性の平均寿命は86歳 ―― ならば 「長生き」 とは 人類の 過去最高年齢 122歳 のことだろうか?  ② ヒトは “正気” でなければ、「長生き」 や 「幸せ」 の意味が理解できない。 ③ つまり、ヒトは 加齢によって “ボケて” 行くものであるから、歳をとれば 「長生き や 幸せ」 の実感も薄れて行くのであろう。

参考: 1) 新谷: 健康寿命の帰趨(きすう)福祉における安全管理 # 510, 2015.  2) 新谷:中核症状と周辺症状のおさらい ; ibido # 558, 2016.

職員の声

声1: 何歳なら長生き、と言う価値観は人によりけりだ: 歳をとれば 誰でもボケてくるし(係り: ‘年寄りボケ’ のことを 認知症 と呼ぶ ―― 認知症 という名称に いつまでもこだわっていず、ボケるって幸せの一種なのだよ)。

声2: 歳をとれば “長生きや幸せ” の実感が薄れてくる、とはよくしたものだ、と感じ入る … せめて その期待がある 若いうちが華なのだろう(係り: 「元気で長生き」 というモットーは老人に伝えても “馬の耳に念仏”、だって 現に 元気で長生きしているのだから)。

声3: 90歳 の方が シャント を造って 透析 を始めた例がある… これを幸せと言うのか?(係り: イギリスでは国家予算の都合で 透析定年 は 60歳 である… これなら幸せか?)。

声4: ボケて死ぬのと ボケずに死ぬのと、どちらが幸せだろう?(係り: 人生 50年 の昔は ボケずに死ぬのが通例だったから “苦しみの書” が賑やかだった ―― 今は ボケて死ぬ時代だから そんなものは 皆無 ! )。

声5: 幸せ感は長続きしない―― 一番 ありがたいのは、死ぬ半年前頃に認知症になって死ねば 死の恐怖から開放されるのではないか?(係り: もっと幸せなのは 「ピンコロだ」 という人もある … どちらも希望通りにはなれない)。

声6: みんなで 「幸せなら手を叩こう ! 」 を歌ったあと、理事長が尋ねると、みんなは 「シアワセー ! 」 と手を叩いていた(係り:新人歓迎会の風景だったね)。

声7: たとえ周りが迷惑がっても 自分の好きなことをやり通すのは 「幸せ」 ではありませんか?(係り: 楽器のレッスンで典型的だ)。

声8: 私は認知症になってまで生きたくない ! (係り: 大丈夫 ! 認知症になったら ‘生きていること’ を 必ず 忘れるから)。

声9: 福祉制度によって長命を保証されている以上、ご自分の長命を ‘幸せでない’ とは言えないハズだ(係り: これは面白い; 現代は 「死ぬ自由」 は認められず、お節介なことに 点滴 ・ 胃瘻 を付けてまで とことん 「生かされ続ける」 時代に変わったので、幸せは 確実に増えたハズであろう ―― 幸せの順番 は 江戸 < 明治 < 大正 < 昭和 < 平成 なのだろうね?)。
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Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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