(583) 「病気」か? 「使い古し」か?

  (583) 「病気」か? 「使い古し」か?

  3 万 キロ、または 3 年 走ると 自動車修理工場は 「タイヤの付け替え」 を助言してくる。

♣ まだ大丈夫と思っても、タイヤは新品に交換され、“安全” は確保される。ヒトの体もこのように扱われれば ウント 長持ちするのだろうが、どっこい、ヒトの体は ‘部品交換’ ができない。そこで故障を未然に防ぐために 「予防医学」 が発達する。ところが、ふたたび どっこい、“歳を取ること” は誰も予防できない。だから、もし故障が発生したときには、それが 「病気」 か?「使い古し」 か?が問題となる。

「病気」か?「使い古し」か?

♣ 病気なら 今 有る 医療 で対応しよう … 使い古しならどうしようか? … 故障が広がらないように、腫れ物に触るように ソッと しておく。将来的には 「首から下」 の 臓器交換 は出来るようになるらしいが、“脳” は交換できない … だって、他人の脳を付け替えられたら、その体は すべて ‘他人になってしまう’ からだ。

♣ ふたたび 車のタイヤに戻って考える ―― もしそのタイヤが ‘釘’ を拾ったゆえに パンク したのなら、それは ‘ヒトの病気’ にたとえられる … 即刻 パンクの修理 (治療) が必要で ‘治る’ だろう。だが もしタイヤの定期交換をせずに タイヤの溝が薄くなるほど ‘使い古した’ 結果のパンクなら、修理は( 治療は) できない … そのタイヤは 修理でなく 交換となる … 人の臓器にたとえれば、「臓器交換」 に相当するが、‘おいそれと’ 間に合う手術ではない。

老人の場合、どこまでが 「病気」 で 、どこまでが 「使い古し」 かの判定が 常に問題となる。仮に それが主に 「使い古し」 であっても、“不自由や痛み” の訴えがあれば、何とか対応しなければならないが、解決の道は おのずと限られてくる。例を挙げよう:―― 

男性 40歳 、近くのものが見えづらい → それは 老眼 の始まりであって、対応は 凸レンズの手当 てだけだ。 女性 50 歳、妊娠したいと希望 → 50 歳は ‘若い’ というべきだが、こと 妊娠 に関しては ‘卵巣が使い古されていて’ 希望は叶えられない。男性 80 歳、尿が出ない →老人性膀胱障害で、尿カテーテル の適応。 女性 90 歳、朝食を食べたのに ‘食べていない’ と言い張る → 認知症の対応をする。

♣ 皆さん方、考えてみよう … 歳をとるにつれ、我々の 髪 は白くなるが、 白髪 は病気か?皮膚の 皺 も深くなるが、あれも病気か?病気の場合も もちろんあるだろうが、基本的には “老化” であり、それは 「使い古し」 現象であり、病気とは言わない。「使い古し」 の典型は 「歯 と 関節」 にも見られる … 歯は、清潔本位の注意を払っても その数 は年齢と共に減って行き、100 歳 にはゼロ になるだろう; 関節の病気は多々あるものの、重い体重の人は ‘膝関節’ の不自由さに泣く。

♣ 我々は体の故障が治らないと大変 不機嫌 になるが、よく考えてみよう … がんらい、生命というものは 「生まれ ―― 育ち ―― 繁殖し ―― 世代交代する」 というサイクルで 40 億年 生存してきた。人間の世代交代の時期は ‘更年期’ であって およそ 50 歳 ―― つまり “人間のデザイン” は 50 歳 でサイクルを交代することが前提でつくられている。だから 40 歳 で老眼になっても きつい文句はいえない。また、50 歳 で妊娠を望むのは、人生のサイクルに 無知な者 の発言だ。

「病気」か?「使い古し」か?

♣ 近年、更年期以後 にも人生が続くようになったのは 有難いことで、それは心臓や腎臓などの各臓器に存在する 「予備力」( Reserve) のお蔭である。その ‘予備力’ があってこそ われわれは更年期の 2 倍 ほどの ‘生存’ に恵まれるのである。しかし 100 歳 に近づけば、さすがに その予備力さえも使い果たされる ―― つまり、我々は “人間のデザイン = 50 歳 ” を 2 倍 ほど‘ よぶんに生きて’ 思い残すことはないほど 体のすべてを 「使い切る」 のである。その結果による ‘不調’ を 「故障」 と呼んでいいものだろうか?

♣ 我々人間は、他の動物と違い、「考える脳 と しゃべる言葉」 を持っている。そして、たいした考えもなく、「長生きしたい、楽(らく)をしたい …」 と好き勝手を述べる。介護保険ができる前の時代であれば、何をどのように言おうと勝手であったが、今 保険のもとで生活をすれば、「長生きも 楽 (らく) も」 相当に実現できてしまう時代になった。でもそれは タダで得られるのではない … “夢を食べる動物 ‘獏’ (ばく) ” のように 若者の 「血と汗」 を 横取り しているのである。

♣ 人間とは厚かましくも 図々 しいから、楽(らく)したい気持ちはよく分かる ! だが、我々は 体の予備力さえも使い果たした ‘終点’ にまで来たのだから、すこしは 「感謝する言葉」 も学ぼうではないか。日本人の特徴は 「感謝の言葉が少ないこと」 であると言われる。いくら ‘歳を取っても’ 、 ‘認知症’ になっても、“ありがとう” という言葉だけは忘れないで 持ち続けたいものだ。そうすれば、訴えが 「病気」 であっても 「使い古し」 であっても、若者は 笑顔の対応を続けてくれるだろう。2050字   

要約:   我々の “心身の故障” は 「病気」 と 「使い古し」 の二種類。 病気なら 医療で対応 … 「使い古し」 なら故障が広がらないように、腫れ物 にさわるように ソット と対応。 根本的な対応 を望むのなら 「世代交代」 しか考えられない。 我々は 病気であっても 「生きていたい」 と思う し、また 案外 それが可能な時代になったけれど、’ありがとう’ の一言を忘れないようにしたいものだ。

  職員の声

声1: ‘故障’ なら修理できるが ‘使い古し’ はどうして治すのか?(係り: 自動車で言えば、 オイル交換・ ネジの締め直し…など… 本体は いじれない)。

声2: 使い古し老人の修理は 「そこに居て貰うだけ」 で十分だろう(係り: 何もしなくても 「尊厳」 だけは必要だから、尊厳の維持経費 年間 10 兆円 が若者の肩に乗っかる、国税収入の 1/5 に相当する)。

声3: 人は使い古しても部品交換は出来ないから、新しい全部品、つまり 子供 で入れ替える … 世代交代だ (係り: 50 年前 まで その方法しかなかった)。

声4: もし老人の首に 若者の体を繋ぎ合わせる手術ができたら、その老人は嬉しいだろうか?(係り: きっと大喜びだろう … だが、体を提供した若者の “首” をどこに置けばいいのだろうか?)。

声5: 冷凍で安全保存した死後の臓器を 老人に差し上げる … 近未来の夢だ(係り: マスコミは このような 視聴率稼ぎの話題 を取り上げるが、それに必要な莫大な経費を聞けば ビックリ するだろうし、その最初のお客が健康保険を使った 100 歳 老人 だと知れば さらに たまげるだろう)。

声6: 人の体も キチンとメンテナンス すれば長持ちするよ(係り: 昔はメンテが悪くて 45 年 、今はメンテが良くて 限度いっぱいの 2 倍 の 90 年 の長持ち ―― それでも老人は満足せず さらなる不老長寿を切望する)。

声7: 老人は 「病気であっても長生きしたい」 って?その願いが 子供たち に どんなに多くの 負担 を強いているかを考えて欲しい(係り: 今の老人は 2 倍 の長生きをし、6 倍 の 数 に増えた … 養老する若者には合わせて 12 倍 の負担となる ! 老人栄えて若者死す ! )。

声8: 僕は “長生きすることは良いことだ” と習ったが、実際には そうでもないことを知った(係り: 歴史上、今ほど 老人を大事にする時代 は無かったのに、ナゼか 老人たちは 長生きして ‘幸せ ! ’ と言って下さらない … 老人たちが 微笑んで下さるのは “不老不死” しかないのだろうか?)。

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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