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(666) 長 命 の 業 (ごう)

  (666) 長 命 の 業 (ごう)

  私が学生だった頃、「介護福祉」 なんて言葉は存在しなかった。その頃は大戦の後片付けが求められた時代であり、福祉は「救貧」と「結核対策」で追われていた。

♣ しかし 10 年も経つうちに 日本はバブル経済の始まりを迎え、世間は将来の夢を見て沸き返ってきた。赤ちゃんがどんどん生まれて人口が増え、これに加えて老人が死ななくなったため平均寿命は 50 歳から上へ ぐいぐい登ってきた。その頃、私の叔父は 60 歳の還暦を迎え、家族一同は「赤烏帽子(あかえぼし)と赤い “ちゃんちゃんこ” 」を贈ってお祝いをした()。
長命の業
♣ 彼は畳の上に正座してにこやかな顔で一同にお礼を言った: “こんな不肖(ふしょう)の私も、元気で ご先祖様よりも長生きし 皆さん方にも祝ってもらい 嬉しいこと この上ありません . . . 有難うございます” 。私は今でもその時の様子を思い出す。その頃は 60 歳の還暦でこんなに 興奮・感謝 したものだった。

♣ あれから半世紀 ! 叔父はもう逝ってしまい、華のバブル景気も終わったが、国民の長寿は目を見張るほど延びに延びた。もはや 60 歳の還暦は児戯に等しく、70 歳の古希(こき)は簡単に突破され、88 歳の傘寿(さんじゅ)でさえ 単に国民の “平均寿命” に過ぎない数値になり下がってしまった。

♣ 私はまさに今昔の念 ここにあり、を実感している。その上 長寿の実態は少々変わり、2000 年の介護保険と共に、その人の晩年寿命の内、男 の 9 年・女の 12 年は “健康寿命” ではなく ”病気寿命” であることが判明した。つまり 日本の長寿を短く言えば ”元気で長生き” ではなく、“病気で長生き” に変わったのだ。

♣ お年寄りたちの語り口も変わってきた。ある 92 歳の男性ご利用者からの聞き取りを紹介する:―ー 92 才と言えば戦前の 45 才寿命の二人分の長生きに相当するが、今の社会を風刺しておっしゃるには「人間、自然が一番良い――太陽と水の恩恵だけで十分だ。 私の若い頃は “電気や石油依存” などの不自然な事はなかった; 科学技術に甘えた生活は ロクなものではない」、と。

♣ これを あまり自信たっぷりに言われると、「もしそれでいいのなら、あなたは 42 年前から もうこの世にいらっしゃらないですよ」と言いたくなる。男が 92 歳まで生存するためには「衣食住」のほか、「電・冷・熱」など知恵の蓄積が必須であることを彼は失念している  。この方は環境の好転が人の寿命を倍増 したことを理解していない、と私は思った。
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♣ 特養のある 96 歳の女性ご利用者は幸福についてこうおっしゃる:―ー 「長生きなんてするもんじゃないわよ; 長生きしても、幸せなんて来やしないんだから ! 」1) 。でも私は思う:人間、60 歳から 100 歳までの生存経費を計算すると:―ー 毎月の生活費 20 万円 × 一年 12 ヶ月 × 40 年 = 9,600 万円 +医療費と小遣いなど ≒ 1 億円);つまりこの方の生存経費はおよそれだけ掛かっているのだ。

♣ しかもこの 1 億円の大部分はみんなの月給から天引きされて賄われる税金だ; 他人のお金が 1 億円も掛かっているのに、「長生きなんてするもんじゃないわよ」とつぶやかれては 納税者は戸惑うばかりだ。社会に感謝する気持ちはどこにあるのだろう?

長命の業

♣ そこで私は思う: ここに挙げたお二人の例は わざと皮肉を言っているのではなく、それは認知症のなせる業(ごう )なのではないか? 認知症は、85 歳で半数の人が、100 歳なら 8 割の老人が罹患する 2) 。つまり 今の老人たちは 自分の置かれている環境がどんなに恵まれているのか を認識できなくなるようだ。

♣ 認知症の特徴は 「見当識」 (けんとうしき)の欠如、つまり 「時・所・人」 がこの順に認知できなくなることだ。「時」の概念が分からなくなるから 動物と同じように いつかは 「死」 が訪れて来ることが分からない。そこで 私は 「有難うと言わない」 と 「笑わない」 を 共に「認知症の初期症状」に加えたい 3) 。だって、「長生きなんてするもんじゃないわよ」 と真面目顔でつぶやかれては、一生懸命 彼女をお世話をする若い職員たちが可哀そうではないか。その言葉は本心から出たものではなく、認知症という病気がなせる業(ごう)なのだろう。

♣ 私たちは 延寿希望の有無に拘わらず、現代の社会機構では “病気で長生き” 以外の選択肢は許されていないように思う。つまり、長生きに伴い、向こうから老人の方へ認知症がすり寄って来る。そして上記の計算が示すように、延寿にはお一人 1 億円もの社会経費が掛かり、その上 その経費は自己の貯蓄からではなく、若者から徴収する税金で賄われている。

♣ これらすべては「長命の業(ごう) 」であろう。業(ごう)とは 「避けようとしても避けにくい宿命」 なのだし、「本音と建て前」の違いをキチンと納得して発言する必要もある。これからは、北欧の実情に倣って 長命の業(ごう)を整頓する姿勢が求められるのではないだろうか? 1990字 

結論: 長命を成し遂げた人々は 意外にもそのことを幸せと思っていない。 齢を取るとは すなわち認知症に近づくこと、それは長命に伴う「業」 (ごう) であろう。 長命とは 「元気で長生き」 ではなく、実際は 「病気で長生き」 に落ち着くことだ。終わり見えれば すべて良し … 私たちは将来に待ち受けている 「長命の業」 を静かに受け止め、正しく生きて行こう。

参考:  新谷:「遺伝子の新しい指令」; 福祉における安全管理、 # 600, 2016. 1 ) 新谷: 「長生きの秘訣」; ibid, # 428, 2013.  2) Robert Epstein :「Brutal Truths about the Aging Brain」、Discover October: 48~76, 2012. 3) 新谷:「親切な蛙」; ibid, # 145, 2011.

職員の声

声1: 早くあの世に行きたい、とお年寄りはおっしゃるが、行くに行けず、現実には 長生きして 1 億円の税金出費 … 確かに矛盾だなー(答: スエーデンではこの矛盾が解決され、寝たきり老人は統計上 消えている)。

声2: 介護保険では、老人の感謝の心は希薄だが、認知症と言うものは 「感謝」の意味が分からなくなる病気なのだろう(答: なるほど、老人は “赤ちゃん帰り” をするし、赤ちゃんはオッパイの有難味 を感謝しないものな)。

声3: 今の日本は 「電・冷・熱」 の他に 「医療・介護」 をジャブジャブ 使う幸せな環境である(答: 本当は、これらは生きるための「手段」に過ぎないのに、あたかも人生の「目的」みたいに考えられ、軽薄な幸せである)。

声4: 長命を嘆く高齢者が増えて来た … 何が不満なのか?(答:  自分は他の老人とは違って、まだまだ若いとの自負があり、年寄り扱いされるのは嫌だからだろう。その点、認知症が進んでいる人ならば、サバサバしていて、自分の年齢についてのこだわりが 全くなくなる。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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