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(714) 生 と 死 の 両 方 を を 寿 ぐ

(714) 生 と 死 の 両 方 を 寿 (ことほ)

今日は面白い図をお見せし、皆さん方のたくましい想像力を刺激してみよう。図1 は 20 世紀の始まりから 100 年先の将来までを描くものである。ゆっくり見て欲しい。

♣ 縦線の縞模様は出生数の推移を示す。1900 年(明治 33 年)の出生数は 150 万人、と読む――最近の出生数は約 100万 人だから、50 万人の違いを想像できるだろう。

♣ その直後、1905 年には 東郷元帥 が日本海でバルチック艦隊を撃破、日本は息盛んになり軍国主義の台頭をみた。このトレンドに沿って赤ちゃんの出生は うなぎ登り、それは原爆の 1945 年(昭和 20 年)まで続いた。図の途中で空白が見えるが(1945 年)、そこは 戦前・戦後 の統計欠落を示す。

生と死の両方を寿(ことほ)ぐ

♣ 次に終戦直後の 2 ~ 3 年を見よう――爆発的な出生のピークがあり、出生数は 270 万人、今の 2.7 倍に達した。これは戦地からの帰還兵や平和の安心感から当然に理解される喜びの多産なのであり、後に「団塊 (だんかい) の世代」と呼ばれるようになった。

♣ その 30 年後に再び 200 万人の山ができた。これは団塊世代の人々が結婚ブームの年齢に達し、みごと多数の出産を迎えたからであり、この山に 「団塊ジュニア世代」 というニックネームがついた。

♣ さて、 一次・二次 の団塊世代の背景は了解できたが、第三次団塊 はなぜ出現しなかったのか? 考えてみよう――答は横軸の暦年月の経過に隠されている。第三次団塊の予想時点は なんと 2000 年であり、「介護保険の実施年度」 と重なったのだ。つまり、日本の世相は 赤ちゃんを産む熱意から醒めてしまい、むしろ 8 倍に増えたお年寄の立場にどう対応するか、の時代に変わってしまったのだ。

♣ この図の丁度中央あたり以後、出生数は毎年減って、これから先はとうとう 毎年 20 万人程度のヨーロッパの小国並みになってしまうようだ。

♣ さて、「出生」 の流れは俯瞰 (ふかん) できたので、次に 「死亡」 の経過を見てみよう… 今度は単に増減を見つめるだけではなく、それぞれの時代と出生数の傾向を頭に描きながら観察しよう。

♣ 死亡数の曲線 (青色) を見ると、1900 年(明治 33 年)の死亡数はおよそ 90 万人… 出産数は 150 万人、つまり日本の人口は その年に 60 万人増えた、と読む。続く年月に出生も増えたが死亡も増えた――なぜか? 当時は大正から昭和初期、衛生・医療の未発達時代 であって、どの国でも多産は同時に 幼児の多死 に繋がっていたのである。

♣ ならば、戦直後は多産の時期であるにもかかわらず 死亡数が 逆に激減 した 理由は何か?しかも その低下は 「約 40 年」 近くの長きに至っている。その理由は図の右半分を参考にすると判明する。

♣ 大正~昭和にかけて死亡数が増えた 「ひと山」 は 「多産・多死」 の乳幼児死の時代を反映している。これは日本だけでなく世界のどの国にも見られた現象である。その後、終戦( 1945 年) 後に 死亡数が減少した解答は、平和の到来と医療の発達 のおかげなのである。ところが、更にその後 1990 年頃から、せっかく安定して低かった死亡数が逆に いきなり ぐいぐい増え始めた … これはナゼ?

♣ 目を凝らして図の左右全体を眺めて見よう。左側の出生数の大きな山と、右側の死亡数の大きな山、この二つの山は丁度 80 年ほどかけ離れているではないか ! ! ご指摘通り、左の山が右の山にゆっくりと 移動 した のである。ヒトは いったん生まれたら、その時代の天寿 ほぼ 80 年ほどを生き抜いた後に死ぬ運命から免れることは出来ない。つまり、前に大きい出産の山があれば、ほぼ 80 年後に 死亡の大きい山が来ることは 理屈通りである。

♣ このことから次の二つのことが理解される:――昔の死亡は人世の始まりの乳幼児期に多数発生、これは完全に対処できた。 それに対して、現在の死亡は、人生を生き抜き 老人期になった死亡が主体である。② の死亡数増加を減らすためには ほぼ 80 年という現在の天寿を延ばせば良い。しかしそれを 何年か延ばすことが出来ても 死亡の山は 何年か遅れて来るだけであり、後ろの山を消すことは出来ない。

図2 は別の目から見て、このことを端的に表現している:――つまり、近年の女性は 60 歳を越えなければ死ぬことが困難で、大部分は 80 歳を越えて逝く状況が見てとれる。人類の理想とは、まさにこのことではないだろうか ! この現象の基礎は、戦前の 「人生 50 年」 が、年々長生きになって近年の 「人生 100 年時代」 の到来 に繋がったと理解される。
生と死の両方を寿ぐ

♣ ところが、なんとマスコミはこの現象を 「多死時代」 と呼称している。それは、あたかも なにか現代社会に改めるべき暗い欠点があるかの如き印象を与える。違うでしょう?これは 「天寿死の美しい時代」 と言い替えるべきだと思わないだろうか?

♣ ものごとは、呼び方によって気分はまるで変ってくる。寿命とは 「命を寿ぐ (ことほぐ)」 と書く。つまり、天寿が来て亡くなるということは本来 「おめでたいこと」 なのである。私たちは超高齢で亡くなられる方々に、お悼み (いたみ) の言葉を述べるが、同時に、寿ぎ (ことほぎ) の気持ちを顕わすべきであることを知る。

♣ 命の盛衰は誰かの手によって決まるものではない。私たちはこの 図1 を正しく読んで、 「多産の山」 と 「逝去の山」 の両方を寿ぐ ことを学び、人口問題の要点を正しく理解 したいと思う。 1978字

要約: 「多産の山」 は、その80 年後に 「逝去の山」 に 無事 移り変わる…それは人の天寿が 80 年近くであったことを示唆している。 「逝去の山」 は、戦前の多産時代に小さくて (主に乳幼児の死)、戦後には大きくなっ (介護保険による天寿老人の死)。 「多産の山」 は巨大であったから、その後に訪れる 「逝去の山」 も巨大になることは当然のことである…この現象を、マスコミが名づけるように 「多死の時代」 と呼んで怖れる必要はまったくない ... むしろ 寿ぎ (ことほぎ) の気持ちを顕わすべきなのであろう。

職員の声

声1: お年寄りはみんな、苦 しむことなく 長生き して欲しい(答: 認知症の方々は苦 しいとか嬉 しいとかをおっしゃることは ほとんどなく、また 長生きの人が多い … パールの特養では過半数が 90 歳~107 歳で、日本の平均寿命を 大幅に上回っている)。

声2: マスコミは現在を 「多死時代」 と暗く表現するが、それは 80 年前の 「多産の山」 が今や 「多死の山」 へ無事に移動したからであり、「おめでとう ! 」 なのですね?(答: マスコミは物事の明暗に目を付け、事件性の奇を衒って (てらう) いるに過ぎない)。 

声:3: 子供の数は少なくなるのに反し、高齢者は過剰の医療によって長生きを重ねているが、これで天然の筋 (すじ) は通っているのだろうか?(答: 少子の現象は先進国 共通の悩みだ … また北欧諸国は 「重介護の寝たきりや高齢者の延命 等」 を良 しとせず、よって医療の関与は少なくて済む)。

声4: 「生と死の両方を寿 (ことほ) ぐ」 は素敵な標題で気持ちがなごむ ... それは心がきれいに洗われるような表現だ(答: 一般に 「死」 は嫌われているが、介護の世界なら 「死」 は私らの傍にある … 無理なく美しいよ)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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