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(748) 育 児 本 能 と 親 孝 行

 (748) 育児本能と親孝行

「本能」 とは生まれた時から遺伝子 (DNA) の中に組み込まれている特別な性質のことだ。

♣ 介護に関しては 「育児本能」 と 「親孝行」 の話題で面白い関係にある。 ‘育児’ はヒトまたは獣 (けもの) の 「哺乳」 (ほにゅう) を連想させ、親が子孫を残すための行為一式の本能 であって、なかんずく 鳥類 のそれは まことに目を引く。

♣ 里山で見られる 小鳥の熱心な子育て (図 1) は いつ見ても不思議さと感激を感じてしまう。いったい誰が親に子育ての仕方を教えたのだろう?見ていて信じがたいほどの ‘子育て没頭’ である。さりとて、子育てのあと “子別れ” が済めば、もう “子は子、親は親” で お互いに “知らん顔” ! 人間の目から見れば、これまた 信じがたい無関心な本能の結末ではないか!

育児本能と親孝行

♣ しかし人間は違う ―― 第一 に子別れをしない、第二 に 子が育ったあとも 家族としての共同生活を続ける。第三 に 年月を経た後、子は親孝行をする。単なる育児行為なら 遺伝子の中に組み込まれた行動、つまり “DNA本能” によるのであろうけれど、親孝行は 本能とは言えない。なぜって、親の面倒をみる生き物はヒト以外にいないからだ … 人間に近い サル でさえ、年老いた 「親の口元に餌を運ぶような子の行動」 を見聞きすることは無い 2 )

♣ では、人間は いつごろから 「本能ではない孝行」 を始めたのだろうか? 直接の証拠はないけれど、6 万年 以上も昔の ネアンデルタール人は 「歯を失った老人の顎骨」 と 「お墓に飾った花」 の形跡を残している 3 ) ―― つまり 孝行精神の 曙 を持っていたのだ。1 万年 前には農耕の知恵とともに 家族同士の共同生活が始まり、3 千年 前には 大陸で 孔子 (こうし) が 「忠・ 孝・ 仁・ 義・ 礼」 の儒教 (じゅきょう) 思想を表した。つまり、人間が一般動物とは異なって 「孝」 を覚えたのは その頃だったと思われる。

♣ 「孝」 とは 「親孝行」 のこと、親を尊敬し 親に尽くすことである … こんな高級な大脳機能の発揮を要する行為が他の動物にあろうハズはない ! でも 「孝」 は本能ではないのだから、誰かが教えなければ 行われる事はないだろうし、仮に教えても行わない人だってあるだろう … ここが問題なのだ。

♣ 人生 50 年の時代の親孝行は、年老いた親が せいぜい還暦 (60 歳) 前後までの短い期間の孝行だったから、子供も 30 歳 程度で、知恵もまだ少ない。その結果 「親孝行、したい時には 親はなし」 という川柳 (せんりゅう) が示すように、子供にとって 親孝行の負担は 大きいものではなかった。ところが 長生き時代の今はどうだ ! 還暦後 100 歳に至るまで 孝行の期間が延び、「親孝行、しても しても まだ親がいる」 という別世界の時代になり、子は負担の大きさに息切れしてしまうようだ。

♣ 動物一般が親孝行をしない理由は、 明確な世代交代がある――つまり子が生まれ育った頃には 孝行の対象である親は もう世を去っている、 教師の欠如 ―― 仮に 親がいても、DNA に組み込まれていない孝行を、教えてくれる先輩がいない。つまり動物と親孝行とは無縁な存在なのが当たり前なのである。

♣ 他方、人間の親孝行が近年下火になったのはナゼか? まず 親孝行期間が著しく延びて 親孝行どころか 自分が孝行を受けるほど 親・ 子・ 孫ともども 30 年ていど高齢になったこと、 血の繋がった息子や娘でさえ息切れする高齢父母の介護を嫁や婿に託する考えは 、生命進化の流れから見てまったく時代錯誤になったこと、であろうか。

♣ 全体を振り返ってみれば、やはり主因は 「著しく延びた老齢期間の延長 50 歳→ 100 歳」 ではないだろうか?もしそうなら、その解決法は “老齢期間を短縮すること” となり、ことこれに関しては、長生きを旨としている現在の親と矛盾する。

♣ 「介護保険」 は 家庭内での この矛盾を取り除くか に見えたが、新たな問題も発生して来た ―― それは、国家的な親孝行には 国家的な予算が必要なこと、多々老・ 少子化 の現在では金に飽かした 1970 年代の解決法 4 ) は通用しなくなったからである。

♣ 欧米ではこの問題をどう解決しているか?それは 「寝たきり老人のいない社会」 の招致 5 ) に尽きる (要介護 4 ~5 の分類をしない)。ところが 日本は 「寝たきり老人を抱える社会」 (要介護 4 ~ 5 が全介護予算の約半分) であり、姿勢は ま反対で ある。我々は 孝行に固執するけれど、何が一番大切か、に思い至るとき、「生命は子孫繁栄 以外の道はない」 という 進化の原理 に衝き当たる。つまり 「無い袖を振り続ける超高齢の ‘孝行’ では 共倒れになる」という現実があるのだ。

♣ 「人類の繁栄か淘汰か の将来像」 をしっかり大脳で考えることが必須だ、という教訓を読み取る必要があるのではないかと思う。2014字  
  
要約:   育児本能を示すのは 動物一般にみられるが、親孝行をするのは人間だけの習性である。 親孝行の歴史は 何万年か前に遡 (さかのぼ) るようだが、近年 ‘孝行の負担’ が苦しくなってきた。その 主な理由は ヒトの高齢化が進み、「親にする孝行」 と 「子にされる孝行」 の年代が重複するからであろう。 親孝行は、“本能” としてではなく、“大脳の理性” として、“子孫繁栄と共存できる範囲” で行うのがもっとも効果的であろう

参考: 1) 新谷: 「養老本能とは」; 福祉における安全管理 # 409, 2013. 2) 松沢 哲郎:「想像するちから」、学士会報 No. 913, p54, 2015. 3)  Rachel Caspari: “The Evolution of Grandparents”, Scientific American, August: 24, 2011. 4 ) 新谷:「1973年は福祉元年」; 福祉における安全管理 # 569, 2016. 5) 新谷:「寝たきり老人を無くす?」; ibid #554, 2015.

職員の声

声1: 自分は親をどうしたいのか?親は子に何を期待するのか?(答: 親にとって一番嬉しい答えは 「元気で長生き」 くらいしか無いだろう … どちらの望みも、超高齢に達した親はすでにそれを持っているので差し上げることはできない)。

声2: 親孝行とは親だけを視野に置くのではなく、子孫繁栄と共存できる広い行動である(答: 確かに …. つい親のことだけを考え、幅広い子孫のことを失念してしまうね)。

声3: 親孝行どころか、本人に子供が居なくて独居老人のことも少なくない、その上 生活には貯蓄の不安が迫ってくる(答: なるほど、貯蓄が無ければ親らしい振る舞いも出来ない現実がある――人間、見透しの暗い将来でありながら、長い寿命だけを先走りして取得し、その尻拭いを 誰か他の人に願い込むのは厚かましいなあ)。

声4: 他の国では親よりも家族全体の幸せを考慮するようだ、親が自立していない状況は避けなければならない(答: 確かに日本では 「親だけ」 という視野狭窄があるようだ … しかし 100 歳になって 「自立」 を求められると、親はさぞ心細いだろうなあ)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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