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(96) 格差を考える

  (96) 格 差 を 考 え る   

  このところ、沖縄の米軍施設の県外・国外移転について、国会論争が激しかったです。与党内部でも沖縄への同情が強くあり、たとえば「沖縄と本州の人々の間に 生活上の格差があってはならない . . . 」と言うような論争がありました。

♣ ところで「格差」って何ですか?文字としての「格差」は終戦以前にもあったようです。その意味は、平等が期待されるはずなのに、実社会にみられる「高低・上下・多寡(たか)」の開きが存在することを指します。現在の例として;賃金の業種間格差・男女間の格差・派遣の格差などを指します。しかし、日本の歴史の中で「権利と義務」のペア、「平等と格差」のペアなどの概念は ごく近年に言われはじめたものであり、それ以前は、古今東西で通用した「強い者と弱い者」があるのみでした。たとえば、明治初年にできた「軍人勅諭」では「義は山より重く、命は鴻毛(こうもう)より軽し」とされ、民は義務と格差の底に沈んでいるのが当然と思われていました。ここで注意して下さい:命は“鳥の毛”より軽いと言っているのですよ。そんな軽い人の命に、手間ひまかけて 治療したり介護する発想は出てくるはずもありません。

♣ また、戦後の日本は「所得倍増論」と「列島改造論」のバブルに酔い、「一億総中流」であり、生活の意識は「中の中」であって「格差」などの意識を聞くことはありませんでした。ところが20年前にバブルがはじけると様相は一変します。人々の意識は「中の上」から「中の中」「中の下」と落ち込む人が増え、所得の格差が拡大し、日本の平等神話・一億総中流神話が虚妄であることが分かりました。加えて、3年前のリーマン・ショックは、あっという間に世界へ広まり、今の日本経済は雇用の不安定のために大揺れの状態にあります。その結果、所得という尺度で見ると、日本は格差社会の権化となっています。言葉で表すと「フリーター」や「引きこもり」、さらに「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」などの流行語さえ 飛び交います。「生活保護世帯」は100万以下から180万世帯以上に増加しました。これでいいのか?と新聞・テレビは批判します。しかし格差はあって当然だ、という意見も根強くあり、ただ今、日本の社会は百家争鳴の状態です。

♣ ここで大事な鍵は「権利と義務」および「平等と格差」を まじめに考える姿勢 ではないでしょうか。福祉の社会では「利用者の権利」と「福祉提供者の義務」に強い照明が当たり、医療の「患者・医師間の関係」に似ています— 弱いとみなされる人へ肩入れする姿勢。先ほどは「義は山より重く、命は鴻毛(こうもう)より軽し」と述べましたが、それは「誰の命」のことを念頭に置いているのでしょうか?最近、ご利用者の転倒・骨折で一千万円の賠償判決を命じられた例がありましたが、私は悲しくなりました。「権利と義務」や「平等と格差」の問題が「不消化のまま」社会に鬱積(うっせき)・停滞しているのではないでしょうか。

♣ 人間はすべて、同格の存在ですが、同質ではありません。頑張れば同じ成績を出せるとは限りません。だから、原理としての平等があれば、たとえ社会に格差があったとしても それは許容できることだと私は思うのです。

  参考:パールの安全管理 #62 :過失と責任 特に骨折について。

職員の声

声1:私はデイサービスで働いていますが、① 権利は義務よりずっと大きいと考える雰囲気を改善したい、② 職業に貴賎(きせん)は無いと言うが、“有る ! ”;あれば格差を伴うが、上に登れる平等な道が提供されていれば それで良いと思う。

声2: 格差がなくなれば、チャレンジという言葉もなくなるだろう;負ける・挫折を知ることでタフになれると思う。

声3: 人間は同格であるけれど、同質ではありません;これを混同すると陰湿な不平運動になります。

声4: 努力と結果という面で格差はやむをえません、しかし命に関わることは別に考えましょう。

声5: 昔、社会主義を徹底し、賃金を同じにしたら、誰も働かなくなったと言います;「平等」は人の意欲を低下させるでしょう。

声6: 人は生まれた時から「不平等」です;でも幸せになる権利は みんな平等にあります。

声7: どんなに真面目にやっていても、百年後の人たちが私たちの手技・手法をあざ笑うかも知れません—--私見ですけれど、延命胃瘻は一種の虐待ではないでしょうか?
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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