(99) ヒトはなぜ死ぬか?

 (99) ヒトはなぜ死ぬのか?

 皆さんがたは「林たかし」作家名「木々高太郎」をご存知ですか? 80年前 (1930年頃)、慶応大学教授で、人の耳をそばだてる「人生2度結婚論」の推奨で知られた人です。この方が表題のような問いを掛けておられます。時代の変遷により“なぜ”の答えが変わってきたので ご紹介しましょう。

ペルシャの王ゼミールは若くして人類の歴史に興味を持ち、学者たちに歴史書の編纂を命じた。20年後 学者たちは500巻の歴史書を乗せたラクダ12頭をつれ、王に拝謁(はいえつ)した。王は忙しい盛りであって、とてもそれを読む暇がない。

♣ そこで王は簡略化した歴史書の編纂を命じた。ふたたび20年の歳月の後、学者たちは3頭のラクダの背中に1500巻の歴史書を運びこんだ。王はため息をつき、言った:わしは齢(よわい)傾き、読破(どくは)は困難、取り急ぎ省略を加えよ、と。

♣ さらに5歳を過ぎた。学者は一巻の書を持つのみであったが、宮内官たちは注意する:「急ぎ給え、王はまさに崩ぜられんとす」と。学者は王に病床にまろび入れば、王は臨終の目をあげて、学者と一巻の厚い書を見て、「ああ、余は万国史を知らずしてこの世を辞すのであるか!」と嘆きたまう。王と同じく、自らも老いの死の手にとらわれた学者は奏していわく「王よ、今、万国史を簡略して申し上げる:人は生まれ、人は苦しみ、人は死したり」。

♣ これは19世紀の作家・批評家でノーベル賞をとったアナトール・フランスに出ている文章です。人はなぜ死ぬのか、という問いに対しては、どんな自然科学も、また厳密な論理も、まだ解答を与えていないと言います。だから、滑稽な幾多の経験的な答があり、そのうち、どれが正しいのか、論争があるのみと 木々高太郎は述べました。

♣ でも時代は基本的に変わりました。1928年の抗生物質の発見に続き、ヒト遺伝子の構造発見などにより、ヒトの幼青年期の死亡は解明・防止されるようになりました。また、生活・習慣病の多くも対策が練られるようになって、木々高太郎のころと異なり、ヒトの死について(哲学ではなく)科学のメスが入るようになっています。たとえば、寿命が限られない説があらわれました: ① カークウッドは細胞核に死を司る因子が含まれない事を理由に“人生千歳説1) を支持します。しかし多くの説は生命有限説ですが、その理由や経過を科学的に説明します:② レオナルド・ヘイフリックの細胞分裂回数券の50枚説 2) --- 胎性細胞は50回程度しか再生しない、③ リチャード・ドーキンスの利己的な遺伝子仮宿説---ヒトは 不滅の遺伝子に体を一時的に貸すだけ、などがあります。

♣ ところが、最近のパールの研究 3, 4) 、今、人が死ぬ理由の四番目を挙げることができたようです。つまり、④ 人が病気を免れて高齢に達したときに死ぬ理由、それは誤嚥性肺炎であり、体重を徐々に失ったあと 体格指数 B M I ≒ 12 に近づいて死ぬ のです。その原因は“喉頭蓋と延髄の疲労”に求められます。

♣ 人の歴史は人々の生と死の連鎖によって綴られています。ぺルシャ王ゼミールは 高齢に至って死んだ訳ですから、たぶん、BMI = 12 に近づいたものと私は推定します。もし、BMI = 12 で死ねたのなら、ゼミール王は“万国史を胸の中に秘めて死んだのだ”と私は考えます。なぜなら、その死は天与の死であり、哲学と科学の接点による死でもあったからです。王よ、おめでとう! 私たちも救われます。

 参考1) Thomas Kirkwood, Why can’t we live forever? : Scientific American 9:42~49, 2010。 2) パールの安全管理 #92: ヘイフリックの回数券。3) #33: 天寿の終点は BMI = 12.0 。4) #91: 老衰とは。5) #31: ボケ勝ち。

職員の声

声1: 「人は生まれ、人は苦しみ、人は死したり」とは 的を得た言葉と思います;私も苦しみの中で、自分なりに成長して行きたいです。

声2: 死は必ず誰にも平等に訪れます;もし死ねなかったら人は苦しいでしょう、人は死ぬから一生懸命に生きようとし、それは幸せな事だと思います。

声3: 学校の生物の時間で このことを学びました;「生きることって何か?死ぬために生きているのか」と悩み、今でも答えはありません(係り: この悩みは幼児と認知症老人にはありません——過去・現在・未来の時間認識が分からないからです 5)

声4: 人間はドーキンスの言うように「限定付きの人生」だから苦楽があるのではないでしょうか?(係り:古今東西、不老不死を求める皇帝・貴族は山ほどいました;今でも代替医療産業は世界で巨大なドルを稼いでいます)。

声5: 私の知人は48歳の若さで死にました;病死であっても「自然死」と呼べるでしょうか?(係り:中年での病死は「古典的な死」です;現代は超高齢者の死の時代ですから、従来の哲学や宗教が扱う死は書き改められるべきでしょう)。

声6: 肉体の死はどうでもよい;問題は心である、いかに幸せな心を持って死ぬことが重要であると思う(係り:諺は言います:健全な心は健全な体に宿る、と;私どもは何歳まで健全な心、つまり体を持つことができるのでしょうか? 経験的な知見ですが、 BMI = 12 で健全な心を持っていた人を私は見たことがありません)。
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Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

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