(101) 善 (よ) きサマリア人の法

   (101) 善 (よ) きサマリア人の法   

  私の友人 T安藤 先生の話をします。

/ 彼は33歳、新進気鋭の心臓外科医でした。ある日、東京での所用をすませ 故郷の新潟に帰る列車に乗っていると「車内放送」がありました:“列車内にどなたか お医者様はいらっしゃいませんか?5号列車にお越しください”。彼は いそいで覗いてみると、人垣の中に男性が通路に倒れて 意識がありません。車掌も周りの人たちもオロオロするばかり。彼はスッと近寄り、救急蘇生の作法通り、まず ほっぺたを叩き、胸を押し、その男性の鼻と口を覆うようにして息を吹き込みました。何度かそれを繰り返したら、なんとその男性は自発呼吸を始めたのです。車掌と群衆のどよめきの中、列車は新潟駅に到着、男性は歩いて駅舎に収容されました。それを確認した T安藤は、自分の名前を伝えることなく、自宅へと急ぎました。

/ 翌日の新潟新聞を見ると、この列車内の出来事の記事が大きく出ていました:倒れた男性が「命を助けてくれた“銀髪の初老の紳士”の名前を知りたい、会ってお礼を述べたい」と書いてあります。でもT安藤は名乗り出ませんでした

/ その数年後、私は彼と仕事の上で知り合い、この話を聞きました。当然 名乗り出なかった訳を聞きたくなります。すると その理由がおもしろい:“その男性は ともかく助かったのだから十分でしょう、それに僕はその時33歳で、「銀髪の初老」じゃなかったです !!”

列車や飛行機の中で救急事態が発生することは予想されます。T安藤先生の場合は 嬉しい結果でした。でも もし蘇生ができなかったら どうなるでしょう?最近のネットで見ると、ある航空会社は「事態の責任は会社側にある;しかし誰か医師が現れて現場をつないでくれたら、責任はその医師に移る、つまり救えなかった場合 訴追されるのは会社ではなく、彼である」と書いてあります。別な例で、あるドクター、自宅前の道路で年寄りが倒れていると近所の人が緊急通報、急いで救急隊に連絡のうえ救急蘇生;結果は救急車・病院の対応にも拘わらず死亡となる。そしてそのドクターは家族に「救急の仕方が悪かった」として訴えられました。いずれも なんだか 聞くだけで悲しくなりました。

♣ パールでは7年前、一階のホールを全部使って、50人あまりの職員たちが日赤東京支部のご指導で「救急蘇生法」の実地指導を受けました。お互いに患者・救助者になり合い、緊張と笑いの中で救急事態の意味を学び、心が成長した思いになりました。でも、昨今の世相でみると、善意の救急蘇生で、もし蘇生できなかったら、世論は私たちを鞭打つのでしょうか?水に溺れた人や山で遭難した人を助けられなかった場合も いずれ そうなるのでしょうか? 心配になります。
善きサマリア人の法

♣ さて、お待たせしました、今日の本論です。「善きサマリア人の法」(Good Samaritan Law) とは 「災難や急病になった人を救うために無償で善意の行動をとった場合、たとえ失敗したとしても その結果の責任は問われない」という趣旨の法です。でも「法」だから、それぞれの国がキチンと定める必要があります。

♣ そもそもの由来はこうです。2千年前の昔のこと、ある人がエルサレムからエリコへ下る道で“おいはぎ”に襲われ、大けがをさせられ、道に置き去りにされました。たまたま通りかかった祭司は 反対側を通り過ぎて行きました。同じように別な通行人も見て見ぬふりで通り過ぎました。しかし あるサマリア人は 彼を見て哀れに思い、傷の手当てをして、自分の馬車に乗せ 宿屋につれて行き介抱してあげました。宿の主人にお金を渡して今後の介抱を頼みました . . . 。このことから「善きサマリア人」という行為は「人たるものの誉れである」と世界に語り継がれるようになりました。

♣ ちょっと待った !! 日本では まだ国会で「法」となっていません。あわててはいけません。皆さん方は「法」になっていないことは しませんか?それとも しますか? どっちでしょう?

  (参考:サマリア人とは、もともとユダヤ人と同じ民族・同じルーツを持っていましたが、イエスの時代、軽蔑されるようになりました。)

職員の声

声1:
人間の心は勝手過ぎます;助けられて当たり前、ヘタだったら「減点主義」で罰する なんて、とんでもないです;もめるようなら「法律」が必要かも(係り:日本の昔は決してそうではなかったです;バブル崩壊とともにモンスター両親がはびこり、「善きソマリア人」は少数派となりました)。

声2: 私は先日携帯電話を落とした人を電車まで追いかけ、閉じかけた扉の隙間から携帯電話を渡したことがあります;でも考えてみれば、その人は、電話が壊れていた、と文句を言うかもしれません、考え過ぎかもしれませんが、善意とは怖いことですね。

声3: 助けてもらった行為に、何も有難味を感じない !! そんな人間があるのでしょうか?私は「法」がなくても、困った人を見捨てず手当てをする人になりたい(係り:パールの職員は、きっと皆そうするでしょう)。

声4: 命を助けてくれた33歳の男性が「白髪の初老の紳士」に見えたとは面白い !

声5: 救急蘇生法を習ったとき、失敗しても「訴追されることはない」と聞きましたが?(係り近年の検察・裁判例 は どうかしています ! 善意な人の逮捕・敗訴の例が多すぎます !)。

声6: 2011年1月17日のテレビで、救いを求めている怪我人がいた場合、「あなたは手を挙げられますか?」という面白い番組がありました;結論は ① ぜひ手を挙げましょう、② 手を挙げた人が失敗しても、その勇気を褒めてあげましょう、でした(係り:日本、まだ捨てたものじゃないですね !)。

声7: 「善きソマリア人の法」が通用する社会は理想です;でも私はヒョッとして「見て見ぬ振りをする人」かも知れません(係り:今年一月から「伊達直人のランドセル」運動が全国的に広がっています、陰鬱なモンスター時代が終わる徴候かも知れません)。

 参考:パールの安全管理 #54: モンスター

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Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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