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(278) アダム の 肋骨

   (278) ア ダ ム の 肋 骨

  私は「介護保険の2級講座」で、生徒たちに「人の骨の勉強」に印象を持ってもらうため“アダムの肋骨”の話をします。「ヒトの肋骨は何本ありますか?」: 生徒「?? . . . 沢山ある、何本か考えたことはナイ」。「男と女で数が違うけれど、知ってましたか?」: 生徒「??? . . . 」。「500年前まで、女の肋骨は12本、男は一本少なくて11本;これに異論ある者は “火あぶりの刑”にされる」: 生徒「??? . . . でもナゼですか?」。これで、眠そうな生徒さんたちは目を醒まします

♣ 西洋の風習では キリスト教が根強いですね。話は すごい事から始まります:「この世はいつ始まったのか? それは、紀元前4004年10月22日に始まった。神様がアダムという名前の人間(男)を ご自分の姿に似せて創り、エデンの園に住まわせた。アダムは一人ぼっちで さびそうだったから、神様は“寝ていたアダムの肋骨を一本”取り出し、イブという名前の女を創り アダムと一緒に エデンの園に住まわせた:今の人類は すべて アダムとイブの子孫である . . .

♣ まあ、神話ですね。日本にも 似たような“イザナギ・イザナミ”の物語があります。問題は 500年前まで、人々が この神話を 本当に信じなければ「火あぶりの刑」が待っていたのです。「男の肋骨は11本、女より1本少ない、ナゼならば、 女はアダムの肋骨一本から創られたから である」。

♣ ある生徒さんは私に尋ねます:「それは 本当ですか?」。その答えは アンドレアス・ベザリウスという人が見つけました。ベザリウスは 500年前の ベルギーの医師、徹底的に「解剖学」を行い、29歳の1543年に 図版入りの「人体の構造」という書物を出版しました。同じ年に かの有名な牧師・コペルニクスは「地動説」を提唱しましたが、こちらは「提唱しただけ」であって、教会に実害はなかった。つまり、ベザリウスのほうは肋骨の動かぬ証拠を世に残した訳です。それを見たキリスト教の神父たちは カンカンに怒りました: “男の肋骨が12本だって? これはキリスト教徒の信念に反する異端いたん)だ;彼を「火あぶり」にせよ ! ”。そこで、ベザリウスは地中海の辺地に逃げ、嵐の中で 死んでしまいました。でも真実は一つ:肋骨の数は男女ともに「12本です。かくして 女の基になったと言われた肋骨は 今でも「アダムの肋骨」と呼ばれ、「信念と真実の間には相違がある」という 一つの反省を促す寓話(ぐうわ)になりました。

♣ 「今の世界には そんなバカなことはありえない」と思いますか? ない事を期待しましょう。でも、ベザリウスの100年後、火あぶりの刑で ガリレオ・ガリレイの「地動説」に迫害を加えたローマ法王は「すみませんでした」と やっとのこと 400年ぶりに謝った のですぞ(それは、わずか4年前の2008年のことでした ! ) —— 西洋人って 揉めごとを水に流さず、ヘンな所に律儀 ですね。ベザリウスも、ガリレオも、また 迫害した宗教側も みんな「信念の塊」だったのですね。

♣ 私は 人の信念の恐ろしさを しみじみ感じます。同じ信念であれば、“善かれ ! ” と念じます。でも実社会では「信念と真実」は しばしば 角を突合せます。たとえば 私は 一昔前の「ガンの告知問題」を思い出します —— 患者さんに「ガン」を 「告知すべし ! いや すべからず ! 」で 揉め続けていた時代がありました。また、最近では東日本大震災と原発事故の経過報告で 「政府・東電・東大教授たち」は「国民」との間で 「信念か?真実か? 」の解離(かいり)が続きましたね。これらは 人間社会に根付く とても難しい問題です。

♣ そこで 私はあなた方に伝えたい — もし微妙な問題に直面したら 今日の教訓を思い出し、つぶやいてください —— この問題は「アダムの肋骨なのだろうか? 」、と。

  職員の声  

声1: 神はこの世を紀元前4004年に創造した、と信徒たちは信じた;彼らの信念は構わないが、解剖で肋骨の数を確認した人(ベザリウス)を迫害死させたのは間違いです(係り:この信念はモーゼ以来3000年間 ばれなかったから驚きますね;現在でも「偉い人」の口から出る信念が「真実かどうか」を見極めるのは難しいでしょう)。

声2: 自分の信念と実際の真実は異なる場合がある;私は、微妙な問題に遭遇したら「アダムの肋骨」を思い出します。

声3: 真実を告げる場合その時の状況や相手の気持ち を見極めなければならない(係り:原発事件の初期ニュースはドイツ・スエーデンからのネットで 自由に真実を知ることができたのですが(私も知った)、ナゼか 日本のマスコミは 政府と東電の「大本営発表」のほうを報じた のです;悔しいなー ! )。

声4: 介護の現場で私は「福祉の信念」を持ってご利用者と向かい合います;時には「お互いの信念」が噛み合わないこともありますが、それはお互いの信念の「善さ」で和らげられます;そんな時に「アダムの肋骨」を思い出したいです。

声5: 今でもダーウィンの進化論に異議を唱える人がありますし、信念は人の勝手、でも他人に大害を及ぼすのなら 話は別。

声6: 個人には信念の自由がある、しかし政府は個人ではないから、真実を知らすべきではなかっただろうか?(係り:過去の大戦中、国民は政府の発表を信じ、「勝った ! 勝った ! 」と嘘の情報で操られ、そのあげく「ピカドン」の憂き目に遇いました。過去の経験により、“間違った信念に基づく情報操作”は不幸を招く、と 偉い人たちは知っていたハズでしょうに ! 悔しいな ! )。

声7: 瓦礫の処理も「ベクレルの少ないもののみを処理する」と言うけれど、初にだました人の声は疑われています

声8: 人々は中世の呪術じゅじゅつ、magic)から近世になって解き放たれましたが、新たなる呪術(= 個人の信念)という不合理・不条理に捕らわれています(係り:アダムの肋骨に信念を置く程度の人を尊厳するのは厄介ですね)。

声9: 「アダムの肋骨」とは、「自分の信念は本当の真実と一致しないことがある ! 」という寓話(ぐうわ)です;社会を住み良くするために「アダムの肋骨」の寓話から学んで行きましょう。

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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