(289) 脱 欧 入 亜
(289) 脱 欧 入 亜 (だつおう にゅうあ)
皆様方は「脱亜入欧」という言葉ならご存知ですね。今日は その逆の「脱欧入亜」のお話です。「脱亜入欧」は明治維新のころ、福沢諭吉が掲げた言葉であり、「アジアの因習を脱し、近代の欧州列強の仲間に入る」という意味です。
♣ 16世紀の半ばには、信長・秀吉たちが「紅毛の蛮人」と言って さげすんだ欧州人たち;それが、300年後の徳川末期に気がついてみると、アジア諸国のあらかたを植民地化していました。しかも、1853年 黒船に乗って日本にやってきた米提督ペリーの大砲外交の前に徳川幕府はなすすべもなく ひれ伏したのです。
♣ 彼らが強力なのは武力だけか?と疑って、福沢諭吉は欧米の現地を視察してみると、「文化」の点で彼我の差はないものの、 「文明」の点で 格段の開きがある ことを知りました。ほって置くと、日本も彼らの餌食にされてしまいます。彼らに対抗するためにはアジアの仲間と協力して当たるのが筋でしょうが、アジア諸国の因習には度し難いもの がありました。いっそ、日本が文明国家になるためには、アジアを脱して欧州の仲間に入れてもらうほうが近道だ、と彼は考えたのでしょう。その合言葉こそが「脱亜入欧」でした。「産めよ 増やせよ」や「富国強兵」も叫ばれました。「追いつけ、追い越せ」がモットーでした。
♣ こうして、日本の先人たちは 欧米の文明との差を縮めながら、明治・大正・昭和を励んできたのです。でも しかし、いろんな要素のしがらみの中で、頑張った日本はピカドンの破壊力の前に敗れ去りました。
♣ 「勝ってうれしい 花いちもんめ」というお手玉遊びがあります。「負けてうれしい . . . 」もありますね。日本の過去を考えてみれば:-① 1274年の元寇(げんこう):(勝ち)、② 1853年:黒船外交(負け)、③ 1905年:バルチック艦隊海戦(勝ち)、④1941年:真珠湾(勝ち)、⑤ 1945年:ピカドン(負け). . . 。一つの国の歴史を紐解けば、いろんなことがあります。
♣ でも 福沢諭吉 以来、結局、日本は列強に「追いついた」し、部分的には「追い越した」のです。そして「追い越した」ことの辛さを 日本は 思いがけず 味あうことになりました。その一つが「世界一の高齢人口」です。
♣ まず「お年寄り」という言葉を考えてみましょう。シェイクスピアは「リア王」にこう語らせています:「ワシは他の王たちと違い、自分が 48歳 という高齢の問題 を抱えている」と。シェイクスピイアの時代には、48歳が老人だったのですね。日本も、半世紀前までは、還暦(60歳)を年寄りとして祝いました。古希(70歳)は、文字通り「古来稀なり」であって、傘寿(80歳)などは、例外中の例外でした。
♣ 私たちの文化は長い年月の元にはぐくまれてきました。そのうちの一つが「年寄りの概念」です。「お婆さんの知恵袋」のイメージ年齢を、あなたは何歳と思いますか?インターネットも「携帯」も無い時代、困ったことが発生すると「お婆さん」が良い知恵を貸してくれたのです。その「物知りの優しいお婆さんは60歳代でした。
♣ でも今、60歳を年寄りと言う人はいません。だれもが一致して年寄りと言えるのは たぶん 90歳ではないでしょうか?でも90歳になると、「心身」が すっかり変わります よね。人にもよりますが、人は 繁殖生活を終えて40年後、自慢の「知恵袋」は枯渇、筋力は低下、おまけに認知症の発生 . . .「年寄り」のイメージはすっかり「心身の衰え」に移り変りました。
♣ かくして「脱亜入欧」の言葉は もう過去の言葉になりました。その昔、日本があこがれた「欧州」は「債務問題」で深刻な状況に陥り、「働かない人・働けない人」への福祉政治で、社会・経済は年々沈みこんでいます。日本は もう「入欧」を必要とせず、むしろ欧州のほうが「脱欧入亜」を必要とするほどに変わる情勢です。そこで 私たちは、日本の「超高齢福祉」に対応するための 大きな「知恵」が必要となります。
♣ このように、欧州もアジアも、社会状態は 一世紀の間に すっかり変わりました。新しい時代の葡萄酒は 新しい皮袋へ入れ、新しい食卓の準備を致しましょう。介護現場の人々は その最前線に立って、日本が進むべき方向について大声で提案をしてください。
職員の声
声1: 「脱欧入亜」とは初めて聞きます;今は、若い世代が高齢者社会を支えていく時代に変わったのですか(係り:若者は 昔 孝行で“人間50年”を支えました;今は“人間90年”を福祉で支えます)。
声2: 明治維新の「脱亜入欧」という言葉は「アジア無視」でした;そのアジアで今、大きな文化経済発展が見られます(係り:今は「脱亜」でなく「入亜」が世界の鍵になっています)。
声3: シェイクスピアの時代には、48歳が老人だったのですか? (係り:日本だって 半世紀前まで「人生50年」だったのですものね)。
声4: 私が子供の頃、50歳といえば、かなりの年寄りと思っていましたが、いざ自分がなってみると、そうでもありません;年上がいっぱいいます(係り:人間の遺伝子は50年ほどでは変化しません;寿命が延びたのは、平和と福祉のおかげ でしょう)。
声5: 私は「お婆さんの知恵袋」の年齢イメージを90歳だと思っていました(係り:平成生まれの若者は、60歳を“年寄り”と認めないのですね)。
声6: 知恵が出せる限り“立派なお婆さん”と言えるでしょう;知恵が出なくなったら それは「認知症」です(係り:昔は“ボケ”と呼びました)。
声7: 今は80歳なら「若い」という時代です;なんだか 珍しい呼び方で 怖いな。
声8: 私たちは「孝行」という言葉の“しがらみ”で社会の力を弱めています;五箇条のご誓文* にあるように、古い陋習(ろうしゅう)に束縛されず、天然・公正なやり方で物事を決すべきです;「入亜」も「高齢」も“フェア fair”な方法で解決されて来つつあります(係り:Yes, indeed !)。
参考: * パールの安全管理 # : 290 五箇条のご誓文と胃瘻。
皆様方は「脱亜入欧」という言葉ならご存知ですね。今日は その逆の「脱欧入亜」のお話です。「脱亜入欧」は明治維新のころ、福沢諭吉が掲げた言葉であり、「アジアの因習を脱し、近代の欧州列強の仲間に入る」という意味です。
♣ 16世紀の半ばには、信長・秀吉たちが「紅毛の蛮人」と言って さげすんだ欧州人たち;それが、300年後の徳川末期に気がついてみると、アジア諸国のあらかたを植民地化していました。しかも、1853年 黒船に乗って日本にやってきた米提督ペリーの大砲外交の前に徳川幕府はなすすべもなく ひれ伏したのです。
♣ 彼らが強力なのは武力だけか?と疑って、福沢諭吉は欧米の現地を視察してみると、「文化」の点で彼我の差はないものの、 「文明」の点で 格段の開きがある ことを知りました。ほって置くと、日本も彼らの餌食にされてしまいます。彼らに対抗するためにはアジアの仲間と協力して当たるのが筋でしょうが、アジア諸国の因習には度し難いもの がありました。いっそ、日本が文明国家になるためには、アジアを脱して欧州の仲間に入れてもらうほうが近道だ、と彼は考えたのでしょう。その合言葉こそが「脱亜入欧」でした。「産めよ 増やせよ」や「富国強兵」も叫ばれました。「追いつけ、追い越せ」がモットーでした。
♣ こうして、日本の先人たちは 欧米の文明との差を縮めながら、明治・大正・昭和を励んできたのです。でも しかし、いろんな要素のしがらみの中で、頑張った日本はピカドンの破壊力の前に敗れ去りました。
♣ 「勝ってうれしい 花いちもんめ」というお手玉遊びがあります。「負けてうれしい . . . 」もありますね。日本の過去を考えてみれば:-① 1274年の元寇(げんこう):(勝ち)、② 1853年:黒船外交(負け)、③ 1905年:バルチック艦隊海戦(勝ち)、④1941年:真珠湾(勝ち)、⑤ 1945年:ピカドン(負け). . . 。一つの国の歴史を紐解けば、いろんなことがあります。
♣ でも 福沢諭吉 以来、結局、日本は列強に「追いついた」し、部分的には「追い越した」のです。そして「追い越した」ことの辛さを 日本は 思いがけず 味あうことになりました。その一つが「世界一の高齢人口」です。
♣ まず「お年寄り」という言葉を考えてみましょう。シェイクスピアは「リア王」にこう語らせています:「ワシは他の王たちと違い、自分が 48歳 という高齢の問題 を抱えている」と。シェイクスピイアの時代には、48歳が老人だったのですね。日本も、半世紀前までは、還暦(60歳)を年寄りとして祝いました。古希(70歳)は、文字通り「古来稀なり」であって、傘寿(80歳)などは、例外中の例外でした。
♣ 私たちの文化は長い年月の元にはぐくまれてきました。そのうちの一つが「年寄りの概念」です。「お婆さんの知恵袋」のイメージ年齢を、あなたは何歳と思いますか?インターネットも「携帯」も無い時代、困ったことが発生すると「お婆さん」が良い知恵を貸してくれたのです。その「物知りの優しいお婆さんは60歳代でした。
♣ でも今、60歳を年寄りと言う人はいません。だれもが一致して年寄りと言えるのは たぶん 90歳ではないでしょうか?でも90歳になると、「心身」が すっかり変わります よね。人にもよりますが、人は 繁殖生活を終えて40年後、自慢の「知恵袋」は枯渇、筋力は低下、おまけに認知症の発生 . . .「年寄り」のイメージはすっかり「心身の衰え」に移り変りました。
♣ かくして「脱亜入欧」の言葉は もう過去の言葉になりました。その昔、日本があこがれた「欧州」は「債務問題」で深刻な状況に陥り、「働かない人・働けない人」への福祉政治で、社会・経済は年々沈みこんでいます。日本は もう「入欧」を必要とせず、むしろ欧州のほうが「脱欧入亜」を必要とするほどに変わる情勢です。そこで 私たちは、日本の「超高齢福祉」に対応するための 大きな「知恵」が必要となります。
♣ このように、欧州もアジアも、社会状態は 一世紀の間に すっかり変わりました。新しい時代の葡萄酒は 新しい皮袋へ入れ、新しい食卓の準備を致しましょう。介護現場の人々は その最前線に立って、日本が進むべき方向について大声で提案をしてください。
職員の声
声1: 「脱欧入亜」とは初めて聞きます;今は、若い世代が高齢者社会を支えていく時代に変わったのですか(係り:若者は 昔 孝行で“人間50年”を支えました;今は“人間90年”を福祉で支えます)。
声2: 明治維新の「脱亜入欧」という言葉は「アジア無視」でした;そのアジアで今、大きな文化経済発展が見られます(係り:今は「脱亜」でなく「入亜」が世界の鍵になっています)。
声3: シェイクスピアの時代には、48歳が老人だったのですか? (係り:日本だって 半世紀前まで「人生50年」だったのですものね)。
声4: 私が子供の頃、50歳といえば、かなりの年寄りと思っていましたが、いざ自分がなってみると、そうでもありません;年上がいっぱいいます(係り:人間の遺伝子は50年ほどでは変化しません;寿命が延びたのは、平和と福祉のおかげ でしょう)。
声5: 私は「お婆さんの知恵袋」の年齢イメージを90歳だと思っていました(係り:平成生まれの若者は、60歳を“年寄り”と認めないのですね)。
声6: 知恵が出せる限り“立派なお婆さん”と言えるでしょう;知恵が出なくなったら それは「認知症」です(係り:昔は“ボケ”と呼びました)。
声7: 今は80歳なら「若い」という時代です;なんだか 珍しい呼び方で 怖いな。
声8: 私たちは「孝行」という言葉の“しがらみ”で社会の力を弱めています;五箇条のご誓文* にあるように、古い陋習(ろうしゅう)に束縛されず、天然・公正なやり方で物事を決すべきです;「入亜」も「高齢」も“フェア fair”な方法で解決されて来つつあります(係り:Yes, indeed !)。
参考: * パールの安全管理 # : 290 五箇条のご誓文と胃瘻。