(358) 良きQOLって 誰の QOL ?
(358) 良き QOLって 誰の QOL?
ご存知 QOL (キュー・オー・エル)!! 私は感慨にふけります。
♣ QOLは、ふつう「生活の質」と訳されます ( = Quality of life);しかし “Q” は Quantity(量)を、つまりQOLは「生活の量 = 長寿」を表わすかも知れません。もしそうなら 二つの”Q“の意味は「月とスッポンの違い」があります。
♣ 日本は古くから「命あってのもの種」と言われ、命さえあれば、粗末な衣食住で我慢ができた ものでした。しかし、1970年代の金融バブルと経済余裕で、日本には「上質な命を求める」という社会的合意が生まれ、アメリカから輸入されたQOLと言う言葉に飛びつきました。
♣ QOLは まず医療の場で、治りさえすれば良い医療から、高いけれど よく効く薬の開発・きれいな傷で治る外科手術など、生き甲斐生や幸福感が求められるようになりました。
♣ ところが、ひとたびQOLの魅力が社会的に認められると、そのうち、QOLを Quantity ( = 生活の量)と解釈し、「僕は太く短く、好き勝手な人生を行く」とうそぶく人も現れ、肥満・糖尿・高血圧などのメタボを一顧 (いっこ) だにしない生活上の乱用も現れました。彼らにとって、食事制限・禁酒・禁煙または運動のお奨めは「僕のQOL(質)を損なう、好きなことをしないで長生きしても、意味がない」と主張していました。
♣ でも、このような患者さんは、歳をとると宗旨を変え、「糸のように細くても良いから、長い人生をお願い ! 」と勝手に宗旨替えをするのが常です。しかし、悪い生活習慣病で古びてしまった体は 容易なことでは 元に戻りません*。つまり、若くて元気な頃は質(Quality)を求めて体に負担をかけ、その古びた体で 年老いた量(Quantity、つまり寿命)を望む のです。バカですね、人間は 目先一寸しか見えないのですかね、身勝手なものです。
♣ 介護保険が実施されるようになると、医療で使われた QOLの考え方が、そのまま、高齢者介護にも使われるようになりました。高齢になった後のQOLって何でしょうか? それは、年数で数えやすい「延寿」でした。突然ですが、日本で最も有力な 「延寿」= 胃瘻 は ただ今 真っ盛りです。日本だけの特異現象です。
♣ 意識も会話も失った老人の胃瘻延寿は「一種の虐待」なのです。 “Quality ”(質)が いつの間にか 安易に “Quantity”(量)に すり換えられているこの現実、日本で推定55万人の高齢者が苦しんでいます。賢いハズの日本人は いったい どうしたことでしょうか?あなたは Quality(質)か、Quantity?(量)のどちらを欲しますか?
♣ え?両方ですって? まあ、それも王様・女王様なら 叶えられましょう が、いまや地球人は70億人も居て、食糧難です、どちらかを選びましょう。
♣ 私なら、「質素で自立できる老後」を選びます。でも、もし 自立できない歳になったらどうするかって? そのときは、 「生命のルール」に従ったら どうでしょうか? —— いま 健全な生命活動をしている人たちが優先です。老兵は消えて行くのでは いけないでしょうか? 若い人たちの QOLに 老人が過剰にたかってはいけません。
♣ あなたはQOLと聞けば、それは お年寄りのQOLだと思っていませんか? 違います、それは 社会みんなの バランスのとれたQOLです。
参考:パールの安全管理 * # 323 : あなたの輪廻 (りんね) 。
職員の声
声1: 私は QOLについて、Q = Quality(質)だけしか考えていませんでした、Quantity(量)もQで表せることを今日知りました;確かに「質」と「量」を混同しては社会の混乱が起こります(係り:その典型が「胃瘻延命」でしょう;生命の質を無視して量を増やす 愚かな選択です)。
声2: 日本の高度成長時代に「贅沢+延命 = 高いQOL」と間違って定義したのだと思う(係り:人様のお世話になるのだから「質素と自立」を旨とすべき です)。
声3: 私は「質= 贅沢の確保」とは思っていません;パールの三原則に沿った介護(尊厳・個性・ぬくもり)こそ QOLの確保だ と思います(係り:日本人の特質かも知れませんが、子供と年寄りを甘やかす のが良いことと思う風習がまだ残っていますね)。
声4: 老人のQOLを確保するために 若者から資源を奪ってはならない、という お話の趣旨が心に残りました(係り:退役軍人は大切に、しかし現役軍人は もっと大事にすべきでしょうね —— 世代会計の観点で1) 日本の老人は すでに 世界一過大に遇され ています)。
声5: 質を大事に考えるあまりに、気持ちが量までに広がってしまったのですか?(係り:量と言えばは「延命」でしょう;平均寿命の延長でいえば、戦後の50歳が 今90歳になろうとしています;夢のような延命に感謝ですが、多数の老人が「長寿を持て余して」いるのが現状 です2, 3) )。
声6: 私は質が良好であれば量にこだわりません;いつまでも若者の「寄生虫」でいたくないです(係り:今や、発展途上国でも寿命が伸び、国連は深刻に「老人問題」に取り組んでいます:しかし、がんらい 国連は「戦争・飢餓・疾病を撲滅する使命」を持ちますが、それら従来型の“人口調節機序”を取り去ってしまえば、世界中 老人だらけになるのは当たり前で、大変な矛盾です;日本でも「猿山に餌を与えて 猿害 (えんがい) に悩んでいますが、猿の QOLと人間のQOLの区別ができない らしい ! )。
声7: 私の母は67歳;理想的な死に方をして欲しいので、母の希望を決めて貰うつもりです(係り:理想を訊かれれば「死の延期」となりませんか?(= 質だけではなく、量も増やす)。 それに必要なお金をどうして工面しましょうか?—— 70歳から100歳の30年間に必要なお金は (= 毎月20万円×12ヵ月×30年= 7,200万円+医療費・介護費で)約1億円です —— キレイごとを言うだけではダメ、現実とよく摺り合わせましょう)。
参考:パールの安全管理 1) # 302 : 世代会計。 2) # 341 : 敬老の日 2012年。 3) # 353 :在宅亭主は馬齢 (ばれい) か?
ご存知 QOL (キュー・オー・エル)!! 私は感慨にふけります。
♣ QOLは、ふつう「生活の質」と訳されます ( = Quality of life);しかし “Q” は Quantity(量)を、つまりQOLは「生活の量 = 長寿」を表わすかも知れません。もしそうなら 二つの”Q“の意味は「月とスッポンの違い」があります。
♣ 日本は古くから「命あってのもの種」と言われ、命さえあれば、粗末な衣食住で我慢ができた ものでした。しかし、1970年代の金融バブルと経済余裕で、日本には「上質な命を求める」という社会的合意が生まれ、アメリカから輸入されたQOLと言う言葉に飛びつきました。
♣ QOLは まず医療の場で、治りさえすれば良い医療から、高いけれど よく効く薬の開発・きれいな傷で治る外科手術など、生き甲斐生や幸福感が求められるようになりました。
♣ ところが、ひとたびQOLの魅力が社会的に認められると、そのうち、QOLを Quantity ( = 生活の量)と解釈し、「僕は太く短く、好き勝手な人生を行く」とうそぶく人も現れ、肥満・糖尿・高血圧などのメタボを一顧 (いっこ) だにしない生活上の乱用も現れました。彼らにとって、食事制限・禁酒・禁煙または運動のお奨めは「僕のQOL(質)を損なう、好きなことをしないで長生きしても、意味がない」と主張していました。
♣ でも、このような患者さんは、歳をとると宗旨を変え、「糸のように細くても良いから、長い人生をお願い ! 」と勝手に宗旨替えをするのが常です。しかし、悪い生活習慣病で古びてしまった体は 容易なことでは 元に戻りません*。つまり、若くて元気な頃は質(Quality)を求めて体に負担をかけ、その古びた体で 年老いた量(Quantity、つまり寿命)を望む のです。バカですね、人間は 目先一寸しか見えないのですかね、身勝手なものです。
♣ 介護保険が実施されるようになると、医療で使われた QOLの考え方が、そのまま、高齢者介護にも使われるようになりました。高齢になった後のQOLって何でしょうか? それは、年数で数えやすい「延寿」でした。突然ですが、日本で最も有力な 「延寿」= 胃瘻 は ただ今 真っ盛りです。日本だけの特異現象です。
♣ 意識も会話も失った老人の胃瘻延寿は「一種の虐待」なのです。 “Quality ”(質)が いつの間にか 安易に “Quantity”(量)に すり換えられているこの現実、日本で推定55万人の高齢者が苦しんでいます。賢いハズの日本人は いったい どうしたことでしょうか?あなたは Quality(質)か、Quantity?(量)のどちらを欲しますか?
♣ え?両方ですって? まあ、それも王様・女王様なら 叶えられましょう が、いまや地球人は70億人も居て、食糧難です、どちらかを選びましょう。
♣ 私なら、「質素で自立できる老後」を選びます。でも、もし 自立できない歳になったらどうするかって? そのときは、 「生命のルール」に従ったら どうでしょうか? —— いま 健全な生命活動をしている人たちが優先です。老兵は消えて行くのでは いけないでしょうか? 若い人たちの QOLに 老人が過剰にたかってはいけません。
♣ あなたはQOLと聞けば、それは お年寄りのQOLだと思っていませんか? 違います、それは 社会みんなの バランスのとれたQOLです。
参考:パールの安全管理 * # 323 : あなたの輪廻 (りんね) 。
職員の声
声1: 私は QOLについて、Q = Quality(質)だけしか考えていませんでした、Quantity(量)もQで表せることを今日知りました;確かに「質」と「量」を混同しては社会の混乱が起こります(係り:その典型が「胃瘻延命」でしょう;生命の質を無視して量を増やす 愚かな選択です)。
声2: 日本の高度成長時代に「贅沢+延命 = 高いQOL」と間違って定義したのだと思う(係り:人様のお世話になるのだから「質素と自立」を旨とすべき です)。
声3: 私は「質= 贅沢の確保」とは思っていません;パールの三原則に沿った介護(尊厳・個性・ぬくもり)こそ QOLの確保だ と思います(係り:日本人の特質かも知れませんが、子供と年寄りを甘やかす のが良いことと思う風習がまだ残っていますね)。
声4: 老人のQOLを確保するために 若者から資源を奪ってはならない、という お話の趣旨が心に残りました(係り:退役軍人は大切に、しかし現役軍人は もっと大事にすべきでしょうね —— 世代会計の観点で1) 日本の老人は すでに 世界一過大に遇され ています)。
声5: 質を大事に考えるあまりに、気持ちが量までに広がってしまったのですか?(係り:量と言えばは「延命」でしょう;平均寿命の延長でいえば、戦後の50歳が 今90歳になろうとしています;夢のような延命に感謝ですが、多数の老人が「長寿を持て余して」いるのが現状 です2, 3) )。
声6: 私は質が良好であれば量にこだわりません;いつまでも若者の「寄生虫」でいたくないです(係り:今や、発展途上国でも寿命が伸び、国連は深刻に「老人問題」に取り組んでいます:しかし、がんらい 国連は「戦争・飢餓・疾病を撲滅する使命」を持ちますが、それら従来型の“人口調節機序”を取り去ってしまえば、世界中 老人だらけになるのは当たり前で、大変な矛盾です;日本でも「猿山に餌を与えて 猿害 (えんがい) に悩んでいますが、猿の QOLと人間のQOLの区別ができない らしい ! )。
声7: 私の母は67歳;理想的な死に方をして欲しいので、母の希望を決めて貰うつもりです(係り:理想を訊かれれば「死の延期」となりませんか?(= 質だけではなく、量も増やす)。 それに必要なお金をどうして工面しましょうか?—— 70歳から100歳の30年間に必要なお金は (= 毎月20万円×12ヵ月×30年= 7,200万円+医療費・介護費で)約1億円です —— キレイごとを言うだけではダメ、現実とよく摺り合わせましょう)。
参考:パールの安全管理 1) # 302 : 世代会計。 2) # 341 : 敬老の日 2012年。 3) # 353 :在宅亭主は馬齢 (ばれい) か?