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(361) 在宅死 の 希望

 (361) 在宅死 の 希望 

 私たちは 自分たちの仕事に近い情報でありながら、あまり自分の「死」について考えることはありません。なぜなら、私たちは「木」を見て「森」を見ないからです( = 個人の死を見るけれど、自分の死を含め 一般的な‘死’を考える習慣がない)。そこで今日は「森」を見る ことにしましょう。

♣ 近年の日本では、出生者と死亡者の均衡がとれ、小差はあるものの、いずれも毎年 約110万人です。総人口1億2千万人のうち、“毎年約1%が入れ替わり、100年で一回りする”と理解すれば分かり易いです。これは「死んだ数だけ 補充される‘健康な現象’でしょう。そして、その死に場所 は、50年前までは ずっと 在宅:病院が「7割:1割」でした。ところが、バブルの真っ盛りの1977年、在宅死は著しく減って 日本人の多くは病院で死を迎えるように生活スタイルが一変し、死に場所は 在宅:病院が「5割:5割」に転じました。さらに、その13年後の2000年には 想像を絶する比率、つまり在宅死が著しく減って、在宅:病院が「1割:7割」 へ、つまり 50年前の比率の裏返しになり、日本人は‘主に’病院で死ぬ、となってしまいました。なぜ日本人は自宅で死ななくなったのですか?

♣ 厚労省はこの傾向を不満とし、在宅死は4割を目標にしなければ、「年寄りの死に場所が確保できなくなる」と考え、看取りの場所を自宅へ戻すよう誘導しました。その根拠として、(A) 成人を対象にしたアンケートで 6割の人々が自宅で死にたい、(B) 厚労省のガン終末期アンケートで(2004年)、自宅で死にたい人も6割であった;よって、自宅死の割合を4割程度に設定する、というものです。

♣ でも、肝心の「高齢者」はどこで死にたいと思う のでしょうか?そんなデータはありません。ただ言える事は、自宅死を勧められても、現実には ① 一人暮らし老人の意見が寄せられていない、② 本当は自宅で看取られたいけれど、手間を考えて 家族に気兼ねする、③ 現在の自宅介護レベルでは不安を感じる、④ 自宅で急変したらどうする?などの意見があります。他方、病院は「治す場所、死ぬ場所ではない ! 」 と言われると、これも もっともなことです。

♣ しかし私は、ここで 隠された問題があると思います:つまり、人は 年齢が上がるにつれ、「どこで死にたいか?」の質問に答えられなくなるのです。なぜなら、認知症高齢者は「現在の刹那 (せつな) のみに生きるからです 1) ——先の事は見えなくなります。したがって「高齢者本人のアンケート」というものは信頼困難です。ガンによる死亡なら「終末期」があり 意見も有効ですが、高齢者の場合、いつが終末期なのか、この言葉はなじみません。高齢者の死に場所の問題は、諸外国でもたいへんデリケートであり、それぞれの国の品位が問われます。

♣ そこで大切な事は、自宅死希望の公式数値に拘わらず、どうしたら高齢者の本来の望みが叶えられるかを 周囲の人が工夫してあげることではないでしょうか?あなたの意見をお寄せ下さい。

参考:パールの安全管理 1) # 31 : ボケ勝ち。

職員の声

声1: 自宅でのお看取りは最高です !! 愛の中での死、その方の尊厳が輝きます(係り:そうも行かない例が多いようです:ホンネ と タテマエ が自他ともに 輻輳 (ふくそう) しています)。

声2: 病院では、自分だけのワガママがききません;逆に自宅では治療が「手遅れ」になるかも知れません;でも私は自宅で死にたい(係り:お尋ねします;あなたはその「お宅」で生まれ育ちましたか?)。

声3: 私はマンション暮らしなので、いわゆる「家」に執着心はありません、家族が傍にいてくれれば満足です(係りの「危篤」せいぜい1週間今は「年余 に及びます-- 私たちが観察する限り、家族が傍にいて貰えるのは やはり「1週間が限度」のようです-- 親孝行の年月は 昔 5年,今は 40年に延長のご時勢です)。

声4: 私はネット:ヤフー(Yahoo)で「厚労省は自宅死4割を目標」という記事を読みました;でも私は痛みのある時、モルヒネの投与のできる病院で死にたい です(係り:オランダと違い、日本のモルヒネ管理は実に厳しく、モルヒネ死は たぶん困難でしょう)。

声5: 高齢社会で 老人はたいてい、ぼけてくるので、家族の覚悟が大事 だと思う(係り:大事な父母ではあるけれど、同居・別居にかかわらず、延命の医療・介護は「私費」または「しない」とという苦しい判断を迫られます)2, 3)

声6: 自宅が理想と言っても、 「ヒト・モノ・カネ」の点で現実には困難です(係り:昔の老後は5年程度、今は40年程度に延びました 4, 5) --- 子は時間的に 親の死に付き合いきれません 。

声7: 「お産とお看取り」は、がんらい政府の管轄外でした;これから政府に依存することになれば「大きな政府・沢山の税金」となり、問題山積みです。

声8: 私は ある日ポックリ死にたい;でも数週間後に発見される . . . のは嫌です(係り:ポックリ死願望は非常に多いです 6) —— 理由は単純;介護職員は 長い、長がーい、さらに長がーーい医療・介護期間を通して 老人がヨボヨボにやつれて行く姿をイヤというほど見つめるからです:だから 逃避思考として自分のポックリ死を夢見ます —— だって、人はポックリ死が一番楽 (らく) 、と 老人の前では 言えませんもの)。

声9: パールの「お看取り静養室」は世界一の場であると誇りに思います;医療死ではなく、しかも兄弟姉妹・親子・お孫さんまで寝泊りされます。

係り:今日の皆さん方の「声」を聞くと、自分の死 =「木」——を考える人が多数派であり、社会の中での死 =「森」——を観察した意見は少数派(5名)でした。上記の意見のうち、「声5」が正解なのでしょうか? 皆さん、もっと「森」を見ましょう。そしして もっと社会的な意見を出しましょう:たとえば、① 病院死には「健康保険が半額しか効かない」とか、② 自宅死なら免税処置の優遇が増える、などの あなたが考える‘あってしかるべき社会方針’です。

病院死が増えたのは「自動車が増えた」のと流れの方向は同じでしょう:戦争の怪我も「昔はする手当てが少なく 人は死んだ」、今は「することが いっぱい、病院もいっぱい」です。本人の意識は たいてい古風ですから「家で死にたい」でしょう。でも、今、「家」って何ですか?そこに「思い出」がいっぱい ありますか?

 厚労省が言う「自宅死」の割合とは、言ってみれば、「お金」の問題でしょう? 医療予算を増やす行為は慎むべきです。それに協力する範囲で、自宅死・病院死の区別を気にする必要はないと思います。

 参考:パールの安全管理 2) #135 : 生き様二態。 3) # 128 : 救命と延命。 4) # 317 : 老後を支える。 5) # 320 : 介護期間を短縮する。 6) # 179 : 人気の続く ポックリ病。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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