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(412) 平穏死 と 胃瘻 を考える

(412) 平穏死 と 胃瘻について考える 

今回、東京・社会福祉協議会主催の「看取りについて」の参加報告をする。講師は「石飛幸三氏:食べられなくなった終末期の現状と課題」。その概要をお伝えし、皆さん方のご意見を拝聴したい――厨房・玉置 美代子 発表)。

♣ 平穏死とは 身体が弱っていく自然な状態を経て平穏に最期を遂げる死の迎え方を言う。老人が老衰・認知症・その他の末期的な状態に陥り、生存の見込みもなく、ついに自力で飲み・食べができず、自然な状態のまま死んでいくこと である。

♣ 人が死を迎える間際の体では、必要なエネルギーはごく僅か で、飢餓や脱水に近い状態にあっても、空腹を感じたり、喉が渇くような苦痛はない。そのため、無理に医療的措置を行わない方が むしろ安らかな死を迎えられるとも言われる。 病気なら治そう、しかし寿命なら 受け止めようではないか。

従来の社会は「延命」を医療に強く求めてきた。法律も 延命操作の痕跡がなければ 医師を「罰する ! 」 という姿勢であった(― 2012年 免責となったが)。しかし どんなに長生きをした人にも いずれは老衰の最期が来る。それを延命手段で対応すれば、本人ならびに家族を苦しめる ことが多い。

♣ 人生の終末期を迎えた人の病態に対して無節操に行われる延命療法、それに基づく医療上の混乱を何とかできぬか?その典型が老衰して自分の口から食べられなくなった時の胃瘻

♣ 生命の末期で、 「死に逝くのだから食べない」人に、「食べさせないから死ぬのだ」と錯覚して、「しっかり食べさせなければいけない」と周囲は無理強いをする。だから誤嚥性肺炎は起こるべくして起きるの だ。「私自身は胃瘻を付けて貰わない」と大抵の人が言う。しかし老衰末期の本人は何も決められず、代わって家族が決める、が、家族は当然 迷う

♣ そして家族は言う:私は 親別れができない呼吸しているだけの死体でも良い から、一分でも一秒でも息を続けさせて欲しい ―― これは人情か? ものも言えず、寝返りもできない老人、「死」ではなく さりとて「生」でもない、この哀れな終末状況を 老人本人は耐えているが 子の私は耐えられない

♣ そこに「胃瘻」の話が持ちかけられると まことに妙、老人本人の苦痛はさておき、私は自分の苦しみから抜け出たい。世間体も悪くない。そして、たとえ延命が無価値と分かっていても、胃瘻の取り付けにYESのサインを送る。かくして親は「生死の苦しみを継続」することになるが、子は親孝行をした気分で肩の荷を下ろす。しかし、これは何という 愚かな「親不孝 であることか !

職員の声

声1: まず、安全管理 # (377) # (378) のエセンスを復習しよう。

/ 胃瘻の始まりは1990年ころ、平均延命効果は1.2年、経費は900万円 / 年1) 

/ 胃瘻延命は、今 欧米では行われず、日本では大流行;病院側が「お母様を餓死させるおつもりですか?」「胃瘻を付けなければ 退院はムリ」と家族を折伏 (しゃくぶく) する。胃瘻を選択して 一息付くのは「のんきな子たち」で、哀れな親」 はこの世の苦しみを味わい続けることとなる → お釈迦様は どちらを選ばれると思うか?

/ 「アルマータ宣言2) では “負担可能な費用の範囲内で医療・福祉”を行えと薦めるが、欧州では 予算不足でそれが不可能となった。日本では 今 透析(約30万人、年間2兆円)と胃瘻(約26万人、年間2兆円)という現状 ―― 日本は世界一 裕福 !

/ 「胃瘻」は 古い封建主義から新しい社会に蘇った「明治天皇のご誓文」に著しく違反している。天皇の五箇条のご誓文 (せいもん) の第四条は「旧来の陋習 (ろうしゅう) を破り、万機公論に決すべし」 。日本では、老衰死に対する責任を負いたくない医師は 家族に胃瘻を勧め、他方 親の天寿を受け止められない子達は それに同意する;これって 「愚かなエゴの共犯関係」ではないか。

/ 天皇のお言葉に違反し、悪習は残り続け、前例主義は跋扈 (ばっこ) する。

/ 日本の胃瘻は「無料(福祉)」だからできる;有料(年間 900万円)なら出来ないだろう。しかも 諸外国から「老人虐待」と蔑 (さげす)  まれている。

/ ところが「朗報あり ! 」、従来は「延命行為をしない医師は有罪」だったが、昨年「免責」と決まった―― 胃瘻をしないゆえに 医師が有罪、ではなくなったのだ(日経 12.3.23)。これからは 胃瘻という老人虐待は姿を消し、欧米並みになる日が来るかもしれない。

声2: 無理な医療行為で本人を苦しめず 自然死が迎えられる「平穏死」は素晴らしい;職員たちが良い協力をすれば なお素晴らしい

声3: 老人本人は自然に死ぬのを望むのだろうが、周りが それを許さない ように見える(係り:魚の鮭は平穏死 = 「ホッチャレ」で死ぬ;人間も 手を掛け時間を掛けて死ぬよりは「並みコロ3) が理想ではないか)。

声4: 「長生き」という言葉は魅力的だが、当のご老人は 長生きして「不満 ! 」  (= 残りの人生がますます短くなるから)、周囲の本音は「迷惑 ! 」 (= 建前はどうか知らぬが)、自分さえ良ければ 若者がどうなっても問わず !(= 呆けて来るから 若者に寄生する自分の姿が見えない)―― 醜いことだ ! 

参考: 1) 佐々木英忠:高齢者肺炎における誤嚥性肺炎の重要性、日内会誌 138:1777, 2009」。2) 安全管理 # 95 : アルマータ宣言と日本。3) 安全管理 # 396 : ホッチャレと並みコロ。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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