(420) 50歳は再生の歳? 感謝の歳?

(420) 50歳は再生の歳? 感謝の歳?

  日本人の平均寿命は 終戦後5年で およそ50歳であった。以後 グングン延び、今年は女性86歳 男性80歳となった。 「平均寿命」という指標が意識されるようになったのは たぶん「織田信長」の「敦盛( あつもり )の舞」にある“人間50年”の謡いに端を発する。

♣ さらに、人生50年という合言葉が人気を得たのは 人間の遺伝子寿命が 50歳であることと関係がある。その考えの根底にあるのは、「子孫を通しての生命進化」であろう。子供を生む年限は 良くも悪くも全ての人が 人類のあり方に寄与できる。しかし、子を産まなくなった年齢以後の生命は「生命進化上 無価値であり、一般動物なら( 生存の意味が消失し ) 死んでしまう

♣ そんな時代、 50歳以後の人生は どうだっただろうか? 半世紀より以前は そんなこと 考えもしなかった ―― だってその前に死ぬ人が大多数だったから。今の男は、50歳を越えれば高い椅子に座り 高給を食み、人類に対する貢献よりも、威張って自分の安泰を考える者が多いが、これは世界の傾向である年功序列の生き方なのであろう。

♣ 更年期50歳とは うまく言ったもので、人間が 身体的に 人類に貢献する時期は50歳まで可能なのだ。それ以後の人生は「惰性生存に過ぎず、社会貢献する気力・能力が年々落ちる。

♣ 人間社会は 大戦以前の歴史で 平均寿命は50歳以下だったが それでも人類は立派に繁栄してきた。今時は むしろ高齢者の全盛時代で 介護活動も花盛りだが、だからと言って人々が幸せになったとは言えない。むしろ 惰性で高齢になり、死に時を失い、他方 高齢者の介護経費が社会を非常に暗くしている。

♣ そこで、「過去の人間50歳」が どれだけの業績サンプルを持っていたかが気に掛かるところだ。以下は「人間50年」をネットで引いてみた一例である。政治家・文学者・人気者の順に記す。

1【織田信長(1534-1582)、 ✝48歳桶狭間の戦い前夜、10倍以上の戦力を持つ今川義元軍と戦うはめになった27歳の信長は、まず「敦盛 ( あつもり )の一節を謡い 舞って臣下を励ました。それは「人間50年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」と言うもので、幸運にも 見事に初戦を勝ち抜いた。しかし、21年後 本能寺の変によって彼は非業の死を遂げた。つまり彼は長く続いた戦乱の日本を統一する第一歩を50歳以前に達成、という業績を示した。

2【ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)、 ✝52歳】フランス語を知らない人でも、「パリとナポレオン」の語だけは知っている。かの欧州征服王・ナポレオン法典の作者も最期は 絶海の 孤島セント・ヘレナに流刑となり病没した( 胃がん?毒殺? )。パリにある立派なナポレオン廟( びょう )を見た人でも、彼の病没52歳を知ってはいないだろう。

3【西郷隆盛(1827-1877)、 ✝50歳】上野公園の入り口、愛犬を引き連れた銅像の隆盛はナゼか みんなに親しまれる。だが 江戸城の無血開城という業績にも拘わらず、維新政府の意見の相違から「西南戦争」を起こし、政府軍と十分戦ったあと、体に弾丸を受け、「ここらで よか ! 」と言って切腹して果てた。肖像画で見る隆盛が50歳であったとは !

4【ウイリアム・シェークスピア (1564-1616)、 ✝52歳】ご存知シェイクスピア; “おでこ”の広い肖像が目に浮かぶが、まさか52歳だったとはね ! 深酒のためにこの世を去ったといわれる。

5【松尾芭蕉(1644-1694)、 ✝50歳】1694年10月12日、大阪の御堂前 花屋仁右衛門の座敷で、「旅に病んで、夢は枯野をかけめぐる」を辞世の句として客死した。

6【夏目漱石(1867-1916)、 ✝49歳】「明暗」執筆中の1916年12月9日、胃潰瘍や糖尿病のため永眠した。

7【石原裕次郎(1934-1987)、 ✝53歳】1986年、裕次郎は肝臓ガンと診断されたが 手術は不可能だった。もう26年前のことだが、まだ裕次郎フアンは健在である。私も「おいらはドラマ、やくざのドラマ . . . 」という歌の光景をまだ しのんでいる。1987年7月、東京信濃町の慶応病院で永眠した。

8【美空ひばり(1937-1989)、 ✝52歳パールのどこかで 毎日 ひばりチャンの歌が流れている。戦後の最大の歌手、歌謡曲の女王。肝硬変や大腿骨骨頭壊死などで闘病生活後、間質性肺炎に伴う呼吸不全により永眠した。7,8だけはメタボ病だったか?

 ♣ どうですか? もしも「40歳の死」であれば、まだ業績が軽い;60歳であれば、人生の垢( あか )が悪乗りする。「50歳の死」は まったく 清くドラマティックで、丁度良い「死に時」を得た という感じがする。我々は 死に時を得て死ぬわけではないが、惰性で 50歳より長命になると「死ぬに死ねず」、「周り迷惑 ―― 本人不満」の人生となりがちである。そのうえ、わが身を「幸せ」と言う人は わずか ひと握りだけ、加えて 介護費は莫大となり、それを負担する現役層は苦し められる。

♣ ナポレオンは「予の辞書には“不可能”という言葉は無い」とうそぶき、52歳で逝った。我々も、50歳を越えたら 有害な「再生」をあがくのではなく、「感謝」の言葉で締めくくった人々の人生を 尊敬の目で見つめてみて はどうだろうか ―― 五十路( いそじ )越え、感謝の言葉は幾重( いくえ )にも。
 
 参考:  安全管理 # 408 : どこまで生きるの?日本人。

職員の声  

声1: 近年 高齢になっても「社会貢献」が求められている;私は 健康づくりに専心、介護を必要とする老人の数を減らしていきたい(係り:筋トレ・脳トレの健康づくりにも似た問題があった ―― 介護が必要な期間を 仮に3年とすると、健康づくりが成功すれば その3年間の経費は浮くけれど、そのぶん 寿命が延びて より高齢な3年が介護として後で加わる ―― つまり介護が必要な老人の数は不変ではないか?)。

声2: 私は30歳にも手が届かないが、① ほんとに人生50歳なら それは短すぎだ;② 周りを見渡すと50歳すぎでも結構 仕事はあり、近所付き合い・祖母の介護・孫のお相手や教育などで忙しい係り:参考までに過去歴を述べる:――(A) 平均寿命は、明治35歳・大正40歳・昭和初期45歳・終戦5年後で50歳 ―― つまり今の86歳は“短すぎるどころか“異常に長すぎる”のだ ―― もっと延びるよ、有難い御代( みよ )だ ! (B) 50歳過ぎでの仕事について、女性には結構仕事があり社会貢献をしている ―― 他方 男性の50歳過ぎは「風呂場やトイレの掃除をしない」「美容衛生に無関心で 髪が汚く体がくさい」「部屋に引きこもってテレビと酒、社会貢献に関心がない」などクソミソの意見が多く、男子諸君は”気を付けい ! )。

声3: 50歳とは短く感じる――私はあと20年だけだ;何が世に残せるか 不安だ;「高齢化」は問題が大きい ―― 介護費・人権・本人の生きる意思など(係り:日本は戦後 経済大国になったけれど、人の寿命はそれを越えて延び、膨大な介護費用の捻出で青息吐息、“楽( らく )して長生き”は相変わらず困難だ)。

声4: 私(Ns.)は人生50年以上を生き、感謝の言葉とともに、他人のお荷物にならないように ピンピン働いている係り:パールでは65歳以上の正規職員が30人近く働いており、過日 厚労省から「感謝状」を頂いた;社会貢献に関与しさえすれば、その人が80歳でも100歳でも 若者と同じ 我らの仲間なのだ)。

声5: ご提示の歴史上の人物たちの50歳8人は 今の感覚なら70歳~ に思える人が今50歳なら“まだ若い”と感じるのが現代であり、人生の折り返し点(社会貢献の中心点)に立ち、老後の人たち・未来の子供のことどもを「公平な」な目で見渡せる世代ではないだろうか?

声6: 活躍した年代が若くて 死亡も若ければ 後の世に語り継がれる;その後 活躍が止まれば 語り継がれないのだろうか?(係り:樋口一葉は「にごりえ」で有名、明治28年、 24歳で夭折( ようせつ )―― モーツアルトも35歳で逝去~同類か?―― アインシュタインは25歳で特殊相対論を発表、その後 長命で半世紀後 死亡 ―― 業績が著しければ 長生きしても忘れられる事はない ! )。

声7:私は40歳の時 体が痛くなり 看て貰ったら「ただの40肩だよ」とのこと、50歳の時も「50肩だよ」;いまや60歳に近くなったが「テニス肩」だとの事 ―― ただ単に長生きしても それは自分のためだけに過ぎない ―― やはり“人の役に立つ生き方”こそが意義ありと思うこの頃だ

声8: デイサービスに通うご利用者と雑談し、「人生50年の時代なら 私はとうにお役目が終わっていたわ」と話すと、その方は「それは昔の話でしょ」と慰めて下さる ―― 50歳を越えた私は 残された50年を 生き生きと生きて行く つもりだ)。

声9: 私も丁度50歳なので お話を興味深く聞いた: 「五重路( いそじ )越え 感謝の言葉は 幾重( いくえ )にも」を肝に銘ずる。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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