(423) 独居老人の在宅ターミナル

   (423) 独居老人の在宅ターミナル  

 パールの毎週全体会では“安全管理”への感想文毎回およそ150篇ほど寄せられる。本日の感想文は その内の約3割の多数を占め、聴取者の関心が異様に高かった。

♣ 通常「安全管理」は 冒頭のイントロ部分が主力であるが、今回のイントロは 新宿ヒロクリニックの英裕雄 医師の「介護の風景」1) にヒントを得ており、同医師に謝辞を表する。その発表者・高橋愛弓さんは パールの訪問看護師であり、独居老人のケアにかけては ベテラン中のベテランである。

♣ 今日の話の趣旨は「独り暮らしで在宅死を遂げるためには どんな環境が望まれるか」に対して 四つの解答を提示された。:そのお年寄りが最期まで自宅で過ごしたいという“確固たる意志表示”を所有していること;:その意向に沿った“医療・介護チーム”が確保されていること; 本人の意向を“邪魔立てしない親族”があること;お金”の予備があること。

♣ ここで前提になる老人側の環境を要約すれば:――対象者は65歳以上の独居老人、在宅ターミナルというからには 心身の活力が右下がりの状況、住居は“戸建”か“マンション”かは 問われていないし お金の問題は不明、また家族・親族との連携は「浅い」と言うべきか? このように、独居孤独死の問題を考える人は たぶん 一つのイメージでは代表しきれない老人環境像を想像するだろう。

について言えば、“独居で死ぬ”と言っても 最期の最期人の手を借りる訳だし、稀の稀である「ピンコロ」は別格として、一般に 死ぬ前には「摂食・衛生問題」の“不自由で(長い)期間”がある。イザ 死ぬ、と言っても「下顎呼吸」が始まって心停止までには“数時間”掛かるのが常だし、年齢と酸素環境からみて確固たる意志”などの保持はできない;つまり“在宅死の主張”は本人が思うほど行えなくなるかも知れない。

で、医療・介護チームが確保されている、のであれば、そのチームがやり易いように成り行きを委任する姿勢が礼儀に沿うのではないか? は意外と大事であり、めったに来訪しない家族・親戚は、“善意で工夫した身寄りの計画”を ひっくり返す ことが多いので 十分注意しなければならない。を甘く見てはならない ―― もし昏睡状態が長引けば、50万や100万のお金では方( かた )が付かないのである。

♣ ともあれ、在宅での孤独死を望む人たちは増えて行きつつある。この問題は 個人の「裕福さ」と無縁ではないし、今 すぐ最善策がある訳ではなく、時のうつろい と 社会環境の変化に応じて 個別に対応する必要がある。一般解を提示するのは難しいと思う。それだけに “在宅看護・介護者”の力量 が問われてくる。

  参考: 1)  ネット:グループ医療への道。介護の風景、英裕雄、2009.7.22 

 職員の声

声 1: 独居でターミナル死を選ぶ、とは余程の意思の持ち主か?(係り:同感だ――食事・排泄・入浴などはターミナルで本人の思うに任せないだろう、どうするのか?人に頼むと お金がバカにならない ―― 半世紀まえは 人生50年だったから、こんな問題はなかった;本人があくまで独居死を主張するのなら、それは一種の贅沢願望ではなかろうか?)。

声2: 自宅で 本人の希望通りの最期を迎えるのは素晴らしいことであり、条件 #2の「医療・介護の専属チーム」があるのなら、本人と家族が「天使の時間」を過ごす幸せが訪れる(係り:不謹慎かもしれないが、死ぬためのコストは ほどほどにしよう;できれば それを治療に振り向けたい)。

声3: 最期の条件 #4 は「経済」の問題だ:お金のない人たちが 社会の中で どんどん増えているが、家庭でのお看取りは お金なくしては困難になった(係り:政府が自宅死を勧める理由は、病院や施設での死は 公金が掛かり過ぎるからだ:自宅死なら政府の懐の痛みが少ない ―― 昔は安く死ねた が、今のように 死ぬのにどっさり お金が掛かるようになった風習 はどこから来たのだろう? ―― 救急車の隊員から聞いた こぼれ話:―― 呼ばれて行ってみたら まだ 声のしっかりしたご老人いわく:ワシを あらゆる手段を講じて蘇生してくれ ! と)。

声4: 誰しも自宅で最期を迎えたいだろうが、それが実現できるのは ほんの一握りの方だけだろう ―― 立派な住宅も人手間もある偉い方が病院死を選ばれる御代( みよ )なのだ(係り:昔は自宅死 以外の死を考えることはなかった . . . 人の平均寿命が30年以上も延長した現代は“生き難く 死に辛い”特徴 がある !

声5: 素面( しらふ )の時に尋ねられれば、‘自宅で死にたい’と言うかもしれないが、超高齢者のターミナルを見ていると 本人は‘どこでも構わない’と思っているのではないか?係り:我々は‘可哀そう’と思うだろうが、当の認知症患者は 「見当識」が乱れている ので、死に場所について ちっとも悩んでいないハズ ! )。

声6: 人一人が死ぬとは大変なことなのだ ! 係り:大変な事を避けるためには、人が死ななければ良い;しかし人が死ななければ 社会には病気の老人が満ち溢れる し、こちらのほうが もっと大変ではないか?―― ジワコロ”には 莫大なお金が掛かる;天然を踏まえた並みコロ”を みんなが覚悟すべきだろう2) )。

声7: 家族の希望を叶えるのがベストだが、終末期入院は困難な現実がある;むしろ家族の死に対する考えを変えるのが本筋ではないか?(係り:病院は治す所」で、老人の死に場所ではない;日本がいくら裕福と言っても、死に行く老人に健康保険で‘追い銭’をつける ほどリッチではない ―― 手抜きでエゴに走る家族が“入院 ! ”と叫び、それに固執するのなら、健康保険のほかに‘死亡保険’を新設 するのが良い)。

声8: ガン告知を受けないまま在宅孤独死を遂げた人がいた:入院していたら家族に囲まれて死ねたハズなのに !(係り:その気持ちは分かるが、病院は治る予定の人を収容するので精一杯だ;死ぬ人を入院待遇すれば 医療はただちに衰退する ―― 1977年以前は 在宅死<8 >病院死<1>の比率だったが~1977年(老人医療費無料の時代)を境に在宅死<1>病院死<8>の比率に入れ替わった:つまり家族負担の多い在宅死が嫌われ 家族の手抜きが可能な病院死が選ばれたのだ;これは国民が政府に甘えた結果でもある ―― 元に戻すべきだろう)。

 参考: 2) 安全管理 “ # 393 : ピンコロか? ジワコロか?
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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