(419) 医療の究極 ・福祉の究極

 (419) 医療の究極・福祉の究極  
 
究極( きゅうきょく )とは 物事を果て( はて )まで極めること を指す。

♣ そこで まず 医療の究極について 考えれば、それは「治すこと」、つまり 元の状態に戻すことであろう。では「何を治す」のか?医療問題だから「病気を」となろう。では「病気とは何か?」―― だんだん複雑になってくるが、ここでは 主に「身体の病気」を考える。

♣ 病気を分かり易くするために「三分類」が良い。 ① 感染症は 細菌・ウイルス・寄生虫などの生物が人間に取りつく状態である。有難いことに、感染症治療の究極は 今の日本では ほぼ達成されている。ただし、感染症の末期 ―― B肝・C肝などは手が届かないこともあり、インフルエンザなどの手ごわいものもある。今でも感染症がヒト寿命の大きな制限因子である。

② 腫瘍は「良性・悪性」に分けられ、良性はイボ で代表されるように“命取り”ではない。悪性は“ガン”であり、その撲滅は大きな社会問題だが、近年 ガンは「生活習慣病」の克服によって 6割は予防が可能ともみられるが 1) 、70歳前後で、死亡例の約35%がその犠牲となっており、発見が遅ければ 治療究極はまだ得られていない

③ 変性症 は 例で示すのが分かり易い:―― 白髪、皮膚のたるみ、視力・聴力・筋力などの低下、認知症・パーキンソン病など、つまり“擦り減り・老化”だ。今 多数の日本人が変性症で命を落とす―― 長生きし過ぎて 治せないほどガタがきている、ということだ。

♣ 戦後 医療を含む“環境”は著しく好転し、日本女性の平均寿命は 戦前の44歳から今の86歳と2倍に延長;しかし 最近の5年間は もう延びていず、‘頭打ち’だ。つまりヒト寿命は ヒトという ( しゅ ) の限界に近づいていると見られる ―― 他の例を述べれば “身長”のようなもの;戦後 環境好転で日本人の身長は “顔の長さ”ほど延びたが その後‘頭打ち’だ。

♣ つまり 日本人は、「平均寿命が著延して86歳に達し そこで頭打ち、寿命は 脳の変性症が原因で終わる」とも言える。もちろん86歳は平均値であって、プラス・マイナス20歳は当然だ。よって、医療の究極は 最大寿命ではなく 平均寿命86歳までを対象とするのが妥当であろう ―― また 今の日本は この究極に到達している

♣ では次の大きな関心を呼ぶ「福祉の究極」を考える。「福祉」の内容を「」「生き甲斐」「暮らし」の三つの主な要素に分けてみる。

♣ 第一:「命の福祉」は その年齢対象を上記の86歳までを念頭に置きたい;なぜって 寿命を無限に延ばせば 医療介護のコストも底知れずの無限になるからだ。西洋では「どうせ老人ですから . . . 」と言って、コスト無視の治療はしない のが常であるが、日本では ほぼ無限に老人優遇である。そして その老人は今後20年間で2倍に増え、コストを負担する若い現役層は半数に減る。健全な社会を存続させるためには、平均寿命は86歳で終わり、という医療限度の合意が必要ではないだろうか? もし合意できれば「命の福祉」は すでに達成されている

♣ 第二:「生き甲斐」、これは大脳の主要機能である。もし認知症によって その機能が障害されれば、「生き甲斐」そのものを認識できなくなる。つまり“寄る年波”によって「生き甲斐の何たるか」に無関心になる。そんな老人なら「生き甲斐」の大事さを説いてもムダであろう。あまり高すぎるモットーを掲げない方が良いのでは?

♣ 第三:「暮らしの福祉」は大切だ。でもここで考えて欲しい;生命とは“繁殖が終わったら逝く”のが動物界のルールである。しかし人間は「智恵」によって 更年期を過ぎても生きることを学んだ。つまり 歳をとっても「知恵」を活かして 社会に貢献できる訳だ。でも、せっかく所有する 自分の知恵に気づかず 惰性で生きていれば、人生は“ムダ飯食い”に終わり、やがて他人へのお世話もできず、更には「介護」を受けるようになって「お荷物と呼ばれる40年」を過ごす。

♣ 英国・スエーデンでは「老親の扶養は子の義務に非ず」という法律ができ(2012年)、子は身軽になり、社会が活性化された。ところが日本では予算の配分“老人 対 現役層”で “5.2 対 1” ;諸外国はおよそ “1対1” であり、日本は著しく老人優遇に偏っている2) 。「福祉の究極」とは“人・物・金”を どっさり注ぎ込んで 手厚く介護することではない ―― スエーデンはそれで失敗した経緯がある3) 。それよりも 現在の老人優先の‘建前’を改案し、老人と現役層の 両方が‘本音’で満足可能な“妥協の余地”を求めることではないだろうか?

♣ < 結論 > :(A) 医療の究極は ほぼ到達されている、それも“世界に冠たるレベルで”。(B) 福祉の究極は 主に更年期以後に獲得された老境40年を 惰性で生きるのではなく、「いかに 人様の役に立つよう生きるか」の問題であり、それを解く姿勢は 今後も工夫の余地がたくさんある。

  参考: 1) がんのひみつ:中川恵一、学士会報 No880:106~118, 2010. 2)  安全管理 # 302 : 世代会計。 3) 安全管理 # 417 : 福祉における費用対 効果。

  職員の声

声1: なるほど 医療はほぼ究極に近づいた;だが 「福祉の究極」は難しい と思う(係り:人間 だらだら無限に長生きしたいと思うから 医療福祉への不満が絶えることはない;何歳まで生きれば満足か?を自問自答させて見よ ―― 若者からの血税で生きている自分を反省させて見よ ―― スエーデンのように、福祉を達成し過ぎて「こける」例もあり3) 利用者の希望を全部受け止める事が「福祉の達成」とはいえない)。

声2: 理事長が言われるように、他人に迷惑を掛けず、社会の役に立った状態で死にたいと思う(係りいつまでも“社会貢献”では身がもたない;むしろ Give-andーTake ! で良いと思う;今の老人たちは若い頃 介護保険の掛け金を払っていない(Give-Not ! ); しかし現在 お金がかさむ要介護援助を享受している(Much-Taken ! )= Give せずTake している ―― これはフェア(fair)とは言えない ―― だから老人は不足ばかり唱えず、自分を支えてくれる若者に もっと感謝すべき ではないか?)。

声3: 医療は日々進歩しているのに、人の命の長さは86歳という「頭打ち制限」がナゼあるのか?係り:我々は「人類の特権」ばかりを意識するが、目を転じて 犬猫が50歳まで生きれるのか? 牛馬が100歳まで元気が?については無関心だ ―― お願いだけなら どんな高齢でも願って構わないが、あなた、100歳越えの人の肌に触ったことがあるか? 動物の寿命には「( しゅ )固有の寿命」があり、また からだ全体の寿命に先立ち 局所細胞が「こけてしまう」ので、医学の進歩とは関係なく ヒトの寿命は決まって来るのだ ―― 個人の‘最大寿命’なら ギネスによると 122歳、これは‘亀は万年’に相当するが、その種( しゅ )の平均寿命ではないよ)。

声4: 私は生活習慣病を克服して 適当な長命になり 生き甲斐を見つけて暮らして行きたい(係り:飲んで 遊んで 楽しんで . . . 20代から50代は人生の華、ほどほどにしないと70歳前後で ガン・心臓・脳卒中で あの世行きになる、と、いくら説得しても 聞く耳を持つ人は少なく 「うるさいな ! 無視 ! 」 だ:かくして70歳前後のガンは腐るほどあって、自業自得 ! )。

声5: 生物は歳とって老いるのが当たり前;私は老人の「頭と筋肉」を」鍛え直したい(係り:それ以前に、‘老人を大切にしましょう’という標語に ナゼ国民が染まるのだろうか? 外国には そんな標語はナイ ! もちろん外国でも老人は大切にするが、それは老人に限らず、子供・若者・なかんずく 子供と老人を支えてくれる納税者を大切にする のだ ―― 考えても見よ、ナゼ 納税者を 重税で痛めつけた上、役にも立たない老人を大事にしなければならないの? 子供・納税者・老人、この3者をバランス良く大切にすべきではないか?―― 昔 “テレビもスマホ”もなかった時代なら 街角( まちかど )のご隠居・物知り婆様の知恵が役立ったが、今では 孫たちのほうがはるかに知恵者だ;老人の出番はなく、老人を特別に大事にする理由は完全に消え失せた ! )。

声6: 役立たずの老人が多いことは歴然としているが、若者が老人と共存して生きて行こう と言う意識が希薄過ぎないか?係り:日本の福祉予算の配分“老人 対 現役層”で“5.2 対 1”、諸外国では およそ“1 対 1”であり、日本は著しく老人優遇に偏っている 2) 。共存するためには 現在の老人優先の建前を改案し、老人と若者層が 本音で満足可能な“妥協”をするのが良い;とにかく今のままでは 若者層が大損をし、社会の活性が著しく低下していることは間違いない)。

声7: これから20年 老人の数は2倍に、子供は 1/2になると聞き、不安だ;国は手を打てないのか? 係り国の政策 「老人を優遇」して その数を増やすこと、「親を優遇」して子供の数を減らすこと 、なのだから 今“打つ手”があろうハズもないよ ―― 国政選挙で政治家に あなたの希望を訴えよう)。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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