FC2ブログ

(430) お年寄りを 大切にしましょう

 (430) お年寄りを大切にしましょう  

  笹川良一氏は「日本船舶振興会会長」、衆議院議員の右翼活動家でもあり、1970年代に「競艇」で財を成した。世界一の金持ちファシストと自称し、「一日一善」「火の用心」を標語にして、テレビ界でも名を知られた人だった。

♣ この方の有名さを高めた標語に「お年寄りを大切にしましょう」がある。右の図は彼が59歳のとき 82歳の母親テルをおんぶして四国の金毘羅(こんぴら)参りをした時の様子を示す銅像で、785段の石段を登り切った と伝えられる ―― 大切な母親に 石段を登る苦労をかけまいとする良一氏の けなげな努力 が伺われる。

♣ でも、皆さんは どう思われるか? 母親は息子の好意を感謝こそすれ その危なげな足取り不安に思っておられたのではないか? 銅像を見ると、顔や体の大きさは母子ともにほとんど違わない ―― つまり、軽々と母親を抱え上げて坂道を登ったのではなく 努力しながら一歩一歩石段を踏みしめて金毘羅参りをしたのである。この銅像を見ると、良一氏の「言わんとするところ」が良く分かるではないか?――お年寄りを大切にしましょう、とは このようにけなげな’献身で実行するもの なのだ、との見本を示す !

♣ 今から50年ほど前の初老期の男性「親孝行」を この銅像の有様のように捉えていた。それは“儒教”(じゅきょう)の教えに従っていたのだ。

♣ 儒教は第一に「忠と孝」を教える。「」とは君主に対して没我的な忠誠を示すことだ。日本の”第二国歌“である「海行かば」は次のように始まる:――海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)、山行かば 草生(くさむ)す屍 ―― つまり、君主への御恩のゆえ、私の身は、水に沈み 野に朽ち果てても御奉公申し上げる、という意味だ。

♣ 「」とは両親に対して没我的な献身を示す。親あっての子だ;子としてみれば 親から生を受けた御恩は 山よりも高く 海よりも深い。親の安全を守り抜くために子は死をも怖れてはならない;これが儒教の教えであった。笹川良一氏の銅像は このことを如実(にょじつ)に表わすものである。

♣ ところが現在の社会はこれに疑問を投げかける。「忠」の中味を調べてみると、臣下の命は鴻毛(こうもう)より軽い;一銭の価値もない赤い葉書き一枚で徴兵できる . . . と言うものだった ―― 人権無視の ひどい侮辱的な教え であったのだ。

♣ 「孝」の思想を紐解いてみれば: ―― 動物界一般で通用する親の行動は「子を守るために 自身の命を張る」というのが真実である;これに対して 親の老後を守るために子が命を張る、という教えは「進化の道」から はずれた行為であって、これを続ければ その種族の将来は滅亡となる事は明らかだ。

♣ 50年前の笹川良一氏の時代には、まだ 儒教に立脚して‘親を看る’ことは当然であっただろう。しかし、今は違う ! 何が違うか、その2点 を見ると:――

儒教の「孝」は2,500年も前の中国で発生し古代社会に適応した概念であって、現代科学の目で見れば その効用は否定的である。 お年寄りを人口の観点で見ると:―― 50年前なら老人の頻度は全人口の2~3%に過ぎず、老人は稀で尊い存在であった;しかも彼らは おおむね自立していた。これに反し、社会が安定した現在では、老人の頻度は23%、やがて40%になる勢いだ ―― つまり人口の半数近くが老人となり、しかも彼らは50歳でなく90歳と遥かに高齢であり、その上 自立はできず 生活を納税者の肩に依存している。

♣ 「お年寄りを大切にしましょう」という標語は今なお堅実に生きてはいるが、笹川氏の銅像が示すような「誇張」は もう息をひそめている:―― だって50年前に比べて 10~20倍にも増えたお年寄り を おんぶして785段の石段を登ることが現実的な理想となり得るか? さらに おんぶされるお年寄りが それを「心地よい」と述べるであろうか?

結論: 時代はうつろった。いまだに 儒教信奉時代に培(つちか)われた各種の“古い標語”は生き残っているが、私らは介護保険の「新時代にふさわしい標語と行動 を 新たに工夫して、新春を迎えようではないか !(係り声9を見よ)。

職員の声

  声1: 「一日一善」「火の用心」「お年寄りを大切にしましょう」は 聞き覚えのある標語だが、それが笹川氏の口から出た標語とは知らなかった;母親を負ぶって登る息子の姿は立派だが、むしろ母親のほうが息子の苦労を心配しているようにも見える

声2: 母親を負ぶって石段をのぼる笹川氏の銅像を 私(55歳)は「田町駅」の傍で見た覚えある;今の納税者は 一人の母親だけでなく、何人もの老人の老後を負ぶっている と思うよ !

声3: 母親をおんぶして石段を800段も登るのが「親孝行」か?そんな古い標語は あれから50年も経った現代に即した新しい標語に書き換えるべきだ(係り声9を見よ)。

声4: 50年前まで 親の面倒を最後まで看るのが子の務め であったが、今はどうなのだ?一生 親の傍で面倒を看られる環境はなくなってしまった(係り:昔は親の70歳(古希)を看れば終わりだった;今は100歳でも終わらない時代だ ―― 自分が 孫に看てもらいたいくらいだ)。

声5: お年寄りの範囲は:―― 自分の親4人+近所のご老体数人+血縁ある人+無関係な老人たち . . . いくら大切に、と言っても面倒を見きれない;自分のことは自分でなさって下さい;私(40歳)の大事な仕事は「寝かせきりを発生させないこと」だ(係り:スエーデンでは老人をむやみに医者に診せないという たとえ診せても、老人病から若返ることはなく、点滴と服薬で“寝かせきり”にしてしまう のがオチなのだ)。

声6: 寿命が延びることは喜ばしいが、並行して年金・医療・介護の出費が増える のは困ってしまう ―― 名案はないものか?(係り:従来 長寿のおめでたい部分だけが語られてきたが、百寿になるためには お一人「1億円」ほどが必要だという現実はあまり語られなかった (cf. # 428) ! お年寄りは このお金が天から降ってくると思うのだろうか?)。

声7: 先日、認知症患者が ここ20年で6倍に増えたという記事を読んだ;どう対応するのか?(係り:“認知症を病気だ”と思うと、気持ちが塞ぐ;むしろ「白髪の一種だ」と思えば気が楽だ ―― 更年期を過ぎて繁殖不能になった生命は 白髪・禿(はげ)・認知症の進行で一生を終える準備をしているのである ーー その人が「ご自分の遺伝子寿命」を全部生き抜いた証拠として”認知症”に陥る( おちいる のだ ! だから 病気とは言えない ! )。

声8: 子供を大切にするのは 道理に合う老人を大切に、の考えは生命進化の流れに逆行である;とは言え、私(60歳)は儒教の教えに洗脳されているので、お年寄りを大切にする。

声9: 昔 「数が少なく 稀で尊い」のが老人だった今 その位置には老人ではなく「子供」がいる ―― 逆説的だが、「子供を大切に致しましょう」が正しい標語 なのである !
 
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
安全管理 ふじひろのページ

最新記事
全ての記事一覧
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
QRコード
QR