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(438) 延寿の業(ごう)を正す

(438) 延寿の業(ごう)を正す  

 私が学生だった頃、 「介護福祉」なんて言葉は存在しなかった。その頃は 大戦の後片付けが求められた時代であり、福祉は「救貧」と「結核対策で追われていた。

♣ しかし10年も経つうちに 日本はバブル経済の始まりを迎え、世間は将来の夢を見て沸き返ってきた。赤ちゃんがどんどん生まれて人口が増え、これに加えて老人が死ななくなったため 平均寿命は50歳から上へ ぐんぐん登ってきた。その頃、私の叔父は60歳の還暦を迎え、家族一同は「赤烏帽子( あかえぼし )赤い“ちゃんちゃんこ”」を贈ってお祝いをした。

♣ 彼は畳の上に正座してにこやかな顔で一同にお礼を言った:“こんな不肖( ふしょう )私も、元気で ご先祖様よりも長生きし 皆さん方にも祝ってもらい 嬉しいこと この上ありません . . . 有難うございます”。私は今でもその時の様子を思い出す:若くて働き者の あのオジチャマも とうとう めでたく長寿のお祝いを受けるようになったのだ ! その頃は60歳の還暦でこんなに興奮・感謝したものだった。

♣ あれから半世紀 ! 叔父はもう逝ってしまい、華のバブルも終わったが、国民の長寿は目を見張るほど延びた;もはや60歳の還暦は児戯に等しく、70歳の古希( こき )は簡単に突破され、88歳の傘寿( さんじゅ )でさえ 単に国民の“平均寿命”に過ぎない数値になり下がってしまった。私は まさに今昔の感 ここにあり、を実感している。その上 長寿の実態は少々変わり、2000年の介護保険とともに、その人の寿命の終わり13年間は“健康寿命ではなく”統計的に病気寿命と呼ばれるようになった。つまり 日本の長寿を短く言えば元気で長生き”ではなく、 “病気で長生き”になった のだ。

♣ お年寄りたちの語り口も変わってきた。ある92歳の男性ご利用者の聞き取りを紹介する:― 92才と言えば 戦前の45才寿命の二人分の長生きに相当するが、今の社会を風刺しておっしゃるには「人間、自然が一番良いーー 太陽と水の恩恵だけで十分なのだ。私の若い頃は“電気や石油依存”などの不自然な事”はしなかった;科学技術に甘えた生活はロクなものではない」と。これを あまり自信たっぷりに言われると、「もしそれでいいのなら、あなたは 42年前から もう この世にはいらっしゃっていません」 と言いたくなる。このかたは人為環境への感謝思考が足らない では?と私は思った。

96歳の ある女性ご利用者は「幸福について」こうおっしゃる:― 長生きなんて するもんじゃないわよ;いいことなんて ありゃしないんだから ! 1) 。でも私は思う:人間、60歳から100歳までの生存経費を計算すると:― 毎月20万円×一年12ヶ月×40年 = 9,600万円 +医療費と小遣い ≒ 1億円;つまり100歳の人の社会経費は これだけ掛かっている のだ;しかも この1億円は ほとんど若者の月給から天引きされて賄われる税金だ;他人のお金が1億円も掛かっているのに、「長生きなんてするもんじゃないわよ」とつぶやかれては 納税者は戸惑う ばかりだ。社会に感謝する気持ちはどこにあるのだろう?

♣ そこで私は思う:ここに挙げたお二人の例は わざと感謝の念を出し忘れているのではなく、それは「認知症のなせる業( わざ ) 」なのではないか? 認知症は年齢とともに増え、85歳で半数の人が、110歳で全員が罹患するという2) 。つまり人は延寿とともに、自分が置かれている今の環境に対して感謝の念を表明できなくなる ようだ。

♣ 認知症の特徴とは「時・所・人」の順に理解が困難になることだ。「時」の概念が分からなくなるから 動物と同じように「死」の訪れも分からない。そこで 私は 「感謝の念欠如」 を 「笑いの欠如」 とともに 「認知症の初期症状」 に加えたい 3) 。だって、「長生きなんて するもんじゃないわよ」とつぶやかれては 一生懸命 お世話をする若者は どうしたら良いのか 戸惑ってしまう。その言葉は本心から出たものではなく、認知症という病気がなせる業( わざ )なのだ、その人は 大脳機能が欠落した「」になったのだ 3) 、と思いたい 。

♣ 私たちは 延寿希望の有無に拘わらず、現代の社会機構では 病気で長生き”以外の選択肢は許されていない ようだ。そして上記の計算が示すように、延寿には お一人1億円もの社会経費が掛かり、しかも その経費は若者から徴収する税金で賄われる のだ。老人が 仮に長生きを拒否しても 延寿に伴う病気は 向こうからすり寄って来るし、それらを避けて通れない “善意の” 敬老社会機構 が待ち受けている。これが「延寿の業 ごう ) 」でなくて 何なのであろう。

結論:  ( ごう ) とは「 避けようとしても避けられない宿命。欲深き罪」なのかな、と思う。みんな善意のかたまり なのだが、私たちはこれを素直に 正す べきではないだろうか? 皆さん方のご意見を問う。

参考: 1) 安全管理 #428: 長生きの秘訣(声4)。 2) Brutal Truths about the Aging Brain. Robert Epstein in Discover 10: 48~76, 2012. 3) 安全管理 # 145 : 親切な蛙(声3, 4)。

 職員の声

 声1: “長生きなんてするもんじゃないわよ . . . ”の発言は悲しい、若者に向かって言うべきではない;発言者が認知症とは言え 失礼だ よ;私はあくまで老人を尊敬したいのだし。

声2: 自分の親戚を見渡すと、定年前=健康寿命、これに対し 定年後=病気寿命の だらだら生活、こんなパターンのように思える(係り:それが自然な流れ かもしれない:動物は人間も自分が食べ・増え・グループに貢献している間、寿命なんて考えもしない ―― しかし定年が来て その貢献をしなくなると、動物の場合は 若者の邪魔にならないよう 群れを去り 死ぬ人間の場合は逝きもせず キリギリスになって若者の命を分けて貰う ―― それは人間的発想であろうし、それが発展したシステムは介護福祉と呼ばれる)。

声3: 老人は病気で死ななくなったが、認知症にならない方法は?(係り認知症は「年齢依存」の“退行変性である ―― つまり長生きし過ぎの兆候だ ー― 昔のように50歳の更年期で死ねば認知症はゼロ、85歳で半数が・110歳で全員が認知症になる ―― それが人間の業( ごう )だ)。

声4: 認知症の有効な治療が可能となれば、治ったその人は雇用され社会貢献もでき、介護保険の費用が抑えられ、結構づくめな事だ(係り:問題は“生保”認定者が援助から離脱困難なように、認知症から治癒した老人が援助ボケで離脱困難になってはいけない事だ)。

声5: ある人がおっしゃった:“私はできるだけ長生きして いつまでも税金を払いたい”と ―― これ以上 前向きな言葉があるだろうか?(係り:老人の半数がそうおっしゃれば、若者も元気付けられるね)。

声6: 100歳になるまでの社会経費がお一人1億円と聞き 驚く ―― 110歳で全員が認知症だなんて、イヤだなー ! 発症を遅らせられないのか?(係り:人間の最大寿命が116歳だから こんなものだろう? ―― 問題は年齢ではない ―― 他人の財布を狙って生き延びようとする その“他力本願”が卑しい のだ ―― あなたは年額500万円を自己負担して(要介護 5 相当)見知らぬ老人をお一人扶養することに 興味があるか?--好き嫌いに拘わらず これに付き合うのも延寿の業(ごう) 」なのである)。

声7: せっかく90~100歳まで生きて認知症になるなんて 悲しい業(ごう)ではないか ! (係り:私が子供の頃、90歳代の老人なんて見たことも聞いたこともなかった ―― 昔は平均年齢50歳で それなりに平和だった ―― 今は90歳でも100歳でも不足・不満である ―― あなたは 昔と今で どっちがいいの? )。

声8: 健康寿命のまま長生きできる老人を増やしたい、生きる希望を持って欲しい(係り:現在の我々は、統計的に 病気寿命の13年間を経験しなければ死ぬことが許されていない ―― 私らは反省しようではないか ―― 介護が良質であればあるほど、 延びるのは病気寿命であって 健康寿命ではない、という現実を !

声9: 生きたい・生きさせたい、という願望はこの先も変わらないだろうが、お金も掛かる ―― それが業( ごう )ならば、業を背負って労働する しかないだろう金の切れ目が運の切れ目 なんて時代が来るかもしれない(係り:この世で一番 手厚い介護が発達した国はスエーデンだ;かの国は 2015年来年には介護福祉を停止するという ∵ 財政が破綻( はたん )したから ~ つまり とうとう 金の切れ目が訪れたのだ ∵ かの国の老人たちは自活する以外 生存の解決策が無くなった ーー これに対し 世界一幸せ なのは 裕福な日本の老人たちである ーー 当人たちは 「長生きなんてするもんじゃないわよ ! 」 と お叱りを下さるかもしれないが . . . )。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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