(40) 食べられぬなら 無理せず

(40) 食べられぬなら 無理をせず

 私どもは、生後に獲得した行動を、歳とるとともに失って行きます。獲得した時間の丁度逆順に行動力失います。赤ちゃんは生後 第一に獲得するのは「あくび、くしゃみ、咳」です、可愛いですね。次にオッパイを求めるしぐさをします。半年で離乳食、一年で「歩く」、オムツが取れるのは丸2年後?着物を自分で着られるのは3年目? 

♣ こうして 赤ちゃんは日常生活の行動を獲得します。そして、社会で活動した後、高齢になると 私どもは、獲得した時間の逆順に行動パターンを失って行きます。したがって、「食べられない」という事態は、赤ちゃんのオッパイを求める時期に相当し、かなり深い過去へ戻ったことを表わします。私ども 生きものの二大特徴は「食べること、増えること」。この特徴の二つともが危うくなること、つまり死が近づいたことを意味します。

♣ 不思議なことに、鳥類と哺乳類の動物は、子育てのとき、食事の世話をします。しかし、いったん子が育った後には、食事介助をしません。つまり、どんな動物でも(霊長類の猿でさえ)、食べなくなった仲間に「食べさせてあげる」という行為をしません。それは不親切だからではなく、「食べる」という最も基本的な生命の基礎を、他人が補ってあげるという智恵がないからでしょう。しかし、人間は違います。昔から、ケガをして動けない人には 水を運び、ご飯を食べさせてあげたでしょう。人だけが食べる(to eat)、食べさせる(to feed)の両方ができます。

♣ 1973年は「福祉元年」でした。その年に「老人医療費」は無料になり、保険本人の自己負担分も無料になりました。その頃から高齢者の口元に食事を届ける行為 = 食事介助が社会的に必然となったのではないでしょうか?最近では まだ辞書を引いても出ていない「食介」(しょっかい)という略語までポピュラーになっています。でもね、赤ちゃんにオッパイをあげたり、離乳食をあげるのを「食介」と言いますか? 赤ちゃんに食介をする? 不自然ですね。やはり「食介」は近年の敬老造語であり、「食介」行為自体も近年の発達によることの証拠なのでしょう。

♣ 私が20年前、スエーデンの施設を視察したとき、介護職員たちは「食介」を はっきり否定しました:枕元にパンとスープを運びます、それを食べられなくなったら、その人の人生は終わりだ、と言うのです、社会的に合意された習慣です、と。つまりケガや病気で一時的に食べられない時は、食事を食べさせてあげるけれど、高齢者への食べさせることは「しない」のです。赤ちゃんに食べさせるのに“nurse” “suckle” と言う古くから用いられている言葉がありますが、”feed” は「動物に餌を与える」という意味であり、尊厳ある人間に feed するという行為は 彼らの精神構造に合わないのでしょう。「私は働いて妻子を食べさせている」の場合には ”feed” を使います(I work to feed my wife and children)が、これは 食物を口に運んであげる という意味ではありません。

♣ さて、外国は別として、日本では nurse, suckle, feed 何でもあり、です。すごい生命力です。ああ、しかし、ですよ . . . feed(餌を与える)しようとしても「口があかない、むせる、誤嚥する . . . 」などがあれば、どうしましょう? そのために、口腔体操、食事訓練などがあります。それでもダメなとき、「胃瘻」という逃げ道もあります。でも胃瘻をしても 口のほうへ逆流して 誤嚥性肺炎は起こります。「生と死」の境目を不明瞭にする 胃瘻はだんだん下火になっています。その場合、私たちは「手をこまぬく」だけでしょうか? あるグループでは「平穏死」という言葉で その状態を乗り切るようです(cf : 東京都八王子市の上川病院)。医療にも介護にも、できることには限界があることをわきまえるのです。延命介護は もうそこで終わる、安らかな人生の終末を迎える時が来ました。

♣ しかし、これってパールがずっとやって来たことなのです。そうです、スエーデンでも昔からやってきたこと、それを今、日本でも普通に行う社会的基盤が得られつつあるのです。長い年月の思考錯誤でしたが、やっと日本も「無理をするとむせて 誤嚥につながる」事が分かってきました。「食べられぬなら 無理をせず」、そこには はっきりした 人間に対する「敬愛と尊厳」が見つかると思います。

職員の声

声1: 私は“食介”とは良い事だけ と思っていたのですが、ムリをせずに限界を知ることも大事なのだと学びました、また“食介”が「敬老造語」だと初めて知りました。

声2: “食べられなくなったとき”の対応にこそ、その国の文化と心の見せ場があると思います。

声3: 20年前のスエーデンで「食介」が否定されたとのお話、私にはショックでした;でも、別な考え方をする人もある、と目が開けました(係り:食介とは、彼らの感覚では“餌をあげる”ことであり、それは耐えられない行為だったのでしょう)。

声4: スエーデンで この習慣はどうのようにして確立されたのでしょうか?(係り:日本の公式敬老精神は1973年 厚生省が定めた「福祉元年」から約40年です;他方スエーデンは100年以上前から老人が徐々に増えてきた歴史を持ち、“老人とは何か”をしっかり観ていました;「福祉元年」のころから日本では「延命治療」が盛んになりましたが、その根っこには「スエーデン製の高機能人工呼吸器と胃瘻」、これらなくして日本のスパゲッティ症候群*はあり得ませんでした;日本はそれらを輸入して便益をうけた半面、今なお深刻な泥沼にはまっています;肝心のスエーデンは そんなものを老人には使わないのです;その国民意識の相違が現今のケア方針の分かれ目になっているようです)。

声5: 私の父は胃瘻を受けました;欲を張って胃瘻液を多めに設定したら、かえって肺炎、続いて多臓器不全を併発し7カ月後に他界しました、欲張ったことを悔やんでいます(係り:胃瘻と体格指数(BMI)の関係は、パールのホームページのリンクで見ることができます)。

声6: 寿命と闘うのではなく、それを受け入れる姿勢が すべての人の幸せにつながると学びました。  

*人工呼吸の管・IVHや点滴のライン・心電図の電線・膀胱カテーテルなどの多数の管やラインが 患者さんの体に繋がっている様子を“スパゲッティのよう”と表現したニックネームです。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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