FC2ブログ

(460) 死期猶予30年 と 介護界

(460) 死期猶予 30年と 介護界

 私たち‘素人頭’( しろうとあたま )で どこまで先が見通せるかは問題であるが、素人だからこそ 却って個別事情に惑わされずに 先が見えるかも知れない。

♣ 人口問題を考えるとき、いきなり抽象的な論議はムリだから まず分かりやすいサンプルを頭に描こう。今 ここに人口1億人の国があったとする。そこでは毎年100万人が生まれ、人100年の寿命を持ち 100歳で逝くとする 1) 。すると、その国の人口は ずっと1億人のまま 平坦に100歳で継続する訳だ。

♣ 実際の出生・死亡の数はまちまちだから 複雑な図が得られるが(下の図)、生まれた人は いつかは死ぬ’という因果関係は単純なハズである。人口は「生まれた数と死んだ数の差を時系列で並べたもの」で判定されるから、この順で頭を整理してみよう。

♣ まず“図の上の列” ―― 出生数の経過を観察する。明治後期(1900年)から終戦(1945年)までは「産めや増やせよ」の掛け声と共に出生数が漸増した ―― 特に日露戦争・第一次大戦・第二次大戦の時期、時を刻んだかのように著しく増えた。終戦後、人々の復員と平和の下で 出生数は「二瘤駱駝 ( ふたこぶらくだ ) 」の増加を示し(1947年、1973年)、これは“団塊の世代の親子”と呼ばれる。この増大は バブルの鎮静化(1990年)で落着し、以後 徐減を続けて現在に至る。途中、切れ込みがあるが(1966年)、これは“ひのえうま年”の迷信による出産減少である。 (図 : 厚労省 人口動態統計 2012年)。

死期猶予30年 と 介護界


♣ 次に “図の下の列” ―― 死亡数の経過を見よう。戦前死亡の特徴は三つ あって (イ) 乳児死亡の高値、(ロ) 結核による若年者死亡、(ハ) 更年期前後の早期死亡で代表される。(イ) は相当なものであり、乳児死亡率は 150~170に及び、江戸時代と大差ない高水準であった(死亡率は千人当たりの年間死亡数で、現在の日本は“2”)。(ロ)は20歳前後に多く、(ハ)は 当時の寿命年限40~50歳であった ―― つまり戦前の死亡は若年タイプであり、“多産多死”の特徴を持っていた。

♣ 驚くべきことに、戦後 出生数激増したのと対照的に 死亡数激減ーーしかも 30年の間は 低値に留まった。その原因は「平和と医療の発展」であろう。だがこの幸せも 1980年で終わった。ナゼか?その理由は、「死期猶予( ゆうよ ) 」にある。つまり こういうことだ:――人間 生まれれば、一定期間後に必ず死ぬ。明治・大正生まれの人は‘人生40~50歳’の時代の人だから、1950年頃には死ぬハズであった。ところが 戦後 平和と医療の発展が訪れ 突然‘死期が30年ほど猶予’されたのである。このことを 「人々の天寿が延びた」と錯覚してはいけない単に 環境要素の好転により死期が 平均30年ほど猶予されただけの話だ。’麦の刈入れ’の比喩 ( ひゆ ) で言えば、未成熟の刈入れではなく、完全成熟まで待って、刈入れられたようなものだと思える。

その証拠として挙げられることは、1980年以降の死亡者数の増加である。つまり50歳代を通り越し、死期猶予30年を加えてもらった後 老人たちは 天寿(86歳)に達して 予定通りのペースで 逝き始めたのである 2) 。この“死期猶予”は30年間だけ であり、それが死期延長の限度なのであろう 3) 超高齢者の 薄くて皮下出血しやすい肌に触れてみると、このことが納得される。仮に病気がなくても、ヒトは’千寿万歳’という訳にはいかないようだ。

♣ 振り返ってみれば、戦後の出生数の二瘤駱駝 ( ふたこぶらくだ ) は著しい巨峰であったが、この人たちも いずれ介護を必要とする老人期が来るその頃になれば 被介護者の著増により 介護界はますます繁盛・混雑するハズだ。問題は介護に当たる職員数の減少予想である。日本の人口は やがて1億3千万から1億を割り込み、マスコミに至っては“老人を支える若者がいなくなる”と騒いでいるが、果たしてそうだろうか?

図の右端を見れば、死亡者の主体は 平均寿命(86歳)が尽きた老人たち 2) であって、その時点の赤ちゃんは あと20年もすれば 元気で介護に従事できる。つまり総人口減少の主因は 老人の減少に原因があり、介護すべき老人数が減るのだから“老人を支える若者”は楽になるハズなのだ。だから、国の人口は ‘多々老人口’ を維持する必要はない、活力のある ‘少老構成’であれば、人口は少なくなっても元気満々の未来が開けるハズである。

結論:  戦前の人口構成は「多産多死」であった。戦後の出生数は大幅に増えたが 逆に死亡数は 著しく減少し、“死期猶予30年”の特殊現象が観察された。この結果、平均寿命は 50歳代から80歳代に猶予され、国は繁栄した。近年 この猶予年限が尽きた結果、死亡数の増加が再開した ―― 以後の半世紀 介護界は「少産多死」で大繁盛~大混乱が発生すると予想される。

 参考: 1) 新谷冨士雄・弘子:各国寿命の推移:五つのハテナ、福祉における安全管理 #439, 2014. 2) 新谷:究極の寿命分布、 ibido #453, 2014.   3) 新谷:延寿の一服論、ibido #451m 2014.  

職員の声 
 
  声1: “戦後、死期が30年ほど猶予された”という考え方は「大発見」だと思う ! 数字の30年は単なる結果として見ると面白くないが「意味づけ」して理解すると面白い係り: 人生は50年と言われてきたが それはまだ死ぬべき年齢ではなかった ―― これに30年が加わり 人生がようやく天命に熟したのだ ―― この解釈は意義深い)。

声2: ナゼ30年なのか? 40年や50年ではない理由があるのか?(係り: 想定される理由: ―― ① グラフをみると死亡低下期間は30年である; ② 戦前の平均寿命を55歳とすれば、猶予期間の30歳を加えると85歳だ ―― 他方 日本人の寿命図をみると86歳で頭打ちである1) . . . つまり日本人の平均天寿は80歳代の半ばで完熟するとみられる; ③ もし猶予期間が50年であったなら、日本人の平均寿命は105歳頃となるハズであり、事実と大きくかけ離れてしまう)。

声3: ベビーブームで生まれた人たちは もう65歳前後であり あと20年ほどで「天寿」に達して亡くなって行く(係り: もし‘死期猶予30年’がなかったのなら 今日この頃 彼らは老衰死の真っ盛り であっただろう ―― それほど 死期猶予30年は大きいインパクトを持つ)。

声4: 一次・二次の団塊世代が亡くなる頃は どんな介護事情になると予想されるか?(係り: あと15年後から40年間は、死亡数が現在の2倍以上になり、逆に若者(税源)も介護者(人手)も減って行く ―― 手厚い介護は困難となり、ロボットの出番となるだろう。

声5: 平均寿命が30年延びても 結局 人は死んでしまう;‘ヒトは死んではいけない’と思っていた私の目からウロコが落ちた ような気分である(係り: 親の延命を希望する家族は 「一分でも一秒でも命を延して欲しい」 と望む ―― 30年の死期猶予は巨大な恩恵である ―― 戦前の日本にはこれが無かったし、アフリカや低開発国では 今でもこの現象はナイ ! )。

声6: 今後は‘少産多死’の時代を経て‘少産少死’となる ―― 財政的に大丈夫か?係り: 日本は 総人口も減り、スイスのような技術・観光立国になるのだろう ―― 問題は隣の国が攻めて来る危険を防止することだ)。

声7: 私は1980年に生まれた;その年から‘死期30年の猶予’を越えた老人たちが多数 逝きはじめた、何の因縁か?(係り: 因縁はなく、たまたまの‘巡りあわせ’だろう)。

声8: 戦前は‘多産多死’、今は‘少産多老’だが、やがて高齢老人の寿命が尽きると‘少産少死’で人口は減る;日本は住み良くなるのか?(係り: 戦後 突如現れた のは団塊の世代 =‘人口の爆発’、および ② 平和と医療による死期猶予30年’だ ―― ① も ② も望ましい現象であったことは否めない、が、その混乱が2007年に やっと解消されて 出産数≒死亡数となった;現在は その揺れ戻しである ―― 問題はあったが、我々は決して‘損’はしない ! )。

声9: グラフを見ると、老人の今後の死亡増加傾向は半端ではない ―― 介護する側の肩の荷が重くなり過ぎないか?(係り: 1900年頃に生まれた明治の老人たちは1950年頃に逝く運命だったが ‘死期猶予30年‘のお蔭で 遅ればせながら1980年から逝き始めた;今後は大正~昭和初期の‘産めや増やせよ’時代の老人と 団塊世代の大量老人が逝き始める ―― この混乱を避けることは出来ない 対応に 知恵を絞れ ! )。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
安全管理 ふじひろのページ

最新記事
全ての記事一覧
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
QRコード
QR