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(2) 痴呆以前

 私は昔の記録を知って愕然(がくぜん)としています。さてそこで、その「昔の話」をします。

700年前 兼好法師の徒然草(つれづれぐさ)の195段。時の大臣(久我内大臣— くがのないだいじん)が正装のまま、田んぼの中で、泥んこになって木の人形と遊んでいた。「変だな?」と見ていると、遠くから家来の2~3人が駆けつけてきて「やはり、ここにいらっしゃっていた!」と言いながら大臣をみんなで抱え、御殿に運び込んだ。「何事ぞ、あったのであろうか?」。

400年前 戦国時代を終わらせた徳川家康に可愛がられた「天下のご意見番・大久保彦左衛門」。歳をとると重用されなくなり、言動も怪しく、ついに自分のウンコをご主人の家の床の間に塗り付け「爺、狂ったか!」とお叱り。蟄居(ちっきょ)を命じられ、寂しく世を去った。

150年前 島崎藤村の父を摸した青山半蔵(小説・夜明け前)。幕末から維新にかけ、馬篭の宿(長野県)の村長として活躍した人。心労が続き、最期に「あがき」と見られる不審な行動が続き、ついにはお寺に火をつけた。座敷牢に閉じ込められ、抵抗空しく死を迎えた。

35年前 冨士雄医師の叔母70歳。「元気が衰え、足の力が無くなった」と病院を受診、「甲状腺機能低下症」と診断された。実際には、街を徘徊され、交番で自宅の在り場所を教えてもらう事件が何度もあった。夫の献身的な介護もむなしく、数年後、病院で亡くなった。

♣ これらの4症例は、今の知識で振り返ってみると、すべて認知症であったようです。それどころか、「痴呆の診断以前」だったようです。有吉佐和子の「恍惚の人」が世に知られるようになり、世間がこのこと(痴呆)を知ったのは、1973年でした。日本では その年に「福祉元年」が発足し、老人医療がタダになりました。

♣ 私たちの身の回りには、まだ「診断される機運にない病気」があるようです。それにしても、認知症が何百年まえからありながら、気づかれなかったことはオドロキです。これも、正確な記録が残っていたからこそ、後で分かったのですね。私たちの介護でも、「正確な記録」こそがすべてに勝ると思います。

職員の声

声1: 昔は認知症と言わなかったのですか?(答え: 厚生省が「認知症」と やわらく命名したのは2004年12月、それ以前の50年間は「痴呆」、さらに以前は「年寄りボケ、狂気、恍惚の人」などでした。外国では今でも「痴呆」(dementia)です。

声2: やっぱり認知症は昔からあったのですね、牢屋に入れられたり、手錠を掛けられたりしたのですか?(答え: 久我内大臣(くがのないだいじん)は正装のまま泥んこ遊びをしていたし、映画・アマデウス・モーツアルトを見た人は覚えているでしょうが、教会の入り口に痴呆の男たちが鉄枠の中に入れられたり、頭を鎖で縛られたりしています;今から200年くらい前のオーストリアの光景です。

声3: 私の祖父は15年前、買い物の帰り道が分からず、何度も警察のお世話になりました;認知症のような立派な病名ではなく、「ボケ」というのが当時の受け止めでした。

声4: 私の祖母の祖母は箪笥にウンチを塗り付け、周りの人を困らせた、と聞いています。

声5: 15年前、私がケアに関わっていたころ、「痴呆」は ひたすら「恥ずかしい、隠す」というのが常でした;全く今昔の感があります。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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