FC2ブログ

(473) 子無し の パラドックス

(473) 子無しのパラドックス

パラドックス”とは 「二律背反」 または 「逆説、自己矛盾」 のことである。つまり 「2つの物事が、互いに相容れない、反対の性質を持つこと」 である。たとえば、太りたくない人が 美味しいものを食べたい、と思い 我慢する 相反する気持ちが同時に成り立つ事だろう。

「ごく自然な気持ちで 私は子を産みたい。私の親は私たち兄弟姉妹 4人を産み育ててくれた」。 私は一人っ子に恵まれたら、それで十分である。我が親は 4人 の子から年金を受ける立場にあるが、私は一人の子から受けるのみとなるが、それは承知している。つまり、私の受け取る年金額は 親の額の 1/4 になるだろう。だって、育児負担は親の 1/4 だもの、それが分相応と言うものだ。しかし ‘私の連れ合い’年金を全額受け取りたい、と主張する ―― だって年金は過去の労働によって左右されるものではなく、現在の暮らし向きを 人様同様のレベルに維持することを目標とするからだ、と言う。でも 一人分の育児負担で四人分の年金を受け取るって 厚かましくないか?それは 「少産で多額報酬が当然」 というパラドックスではないか?

親の養育は、戦前までは子の義務であった。だから ‘子のない親の老後は悲惨’そのものであった。戦後、社会福祉の進歩により、この関係はずいぶん緩和され、子のない親も路頭に迷うことはなくなった。戦前は厳しい社会であったが、税金も安かった。これに反し 戦後は人間の尊厳は尊ばれるが、それを維持する税金は高くなった。どっちを選ぶべきか?

♣ これはあなたが勝手にどちらかを選べるわけではなく、「尊厳」の ・ つまり老後破産」 に対処する法律の問題である。有難いことに、日本は老後を法律が守ってくれる国になったのだ。ところが このシステムは直ちに副作用を生む ―― つまり、ディンクス (Dinks) の誕生である。

♣ Dinks とは、“二人稼ぎで子供なし” (Double income, no kids ) の略だ。上記の例では、子供一人を産み 4 人前の年金をもらう話であったが、今や 子がなくても 4人前 の年金が貰えるご時勢となったのである。共産主義や社民主義なら 「分配」 に熱を入れるから Dinks OK; しかし財源の手当てをしないと国が破産してしまう。政治としては 「分配」 は楽だから、みんながやりたがるが、もう二千年前に 「パンとサーカス」 で国民を騙し続けたローマ帝国はやがて崩壊してしまった。貧困問題まで議論すれば、只ではすまされない。では財源をどこに求めるか?

♣ 老境に入った老人に求めることはできまい。やはり、元気な納税者層を絞り取る以外の方法はない。若い納税者たちは快くそれを引き受けてくれたが、現実は厳しく、予算を消費する老人は増えるばかり、税金を引き受ける若者は減る一方。その実態は 「老人が十人増え、子供が一人減る」 状態、つまり 「多々老・少子」 の社会なのに1) 世間は 「少子高齢化」 という 間違った合言葉でこれを表現し、責任は 「少子」 であると断定をする。

♣ その少子化対策とはどんなものか?「若者よ、結婚を急げ ! 」 (今 初婚年齢の平均値は30歳)、「ご婦人がたよ、早く産み始めよ ! 」 (今 初産平均値は31歳)、「高齢初産は不健康だ ! 」. . . そんなのは皆 分かっているのに、結婚できる社会情勢が整っていないのだ。 「産め、産め ! 」 とはやし立てる指導者たちは 自分で率先して産むことはしない。第一、考えても見よ; 現在の人口構成は 「逆さピラミッド」 に近いのに、このままで赤ちゃんを産み増やせば、の 「 かみしも を着た武士に 下広がりのスカート を履かせる」 ようなもの、日本は 「 つづみ 型」の人口構成になるではないか ! それで社会が成り立つのか、考えたことがあるのか?
子無しのパラドックス
♣ 私なりの策を 2~3 述べると、日本の人口はフィボナッチのピークを迎えたばかりだから 2) 人口減衰の経過を数年 観察する あと30年程は老人が増えるが、その後は確実に減る; 少し待とう老人を支えるための協力を 「子無し人たち」 に求める ―― たとえば、介護保険の給付で “差” をつけ、「乙種介護の適応」 とする、など。 

結論: 子を産まずして “楽” な老後があるハズはない。国はすでに 1,000兆円 の借金で福祉を運営している; このままでは 20年先 の福祉はナイ ! (例: スエーデンは 2015年 に福祉から手を引く、と宣言した)。目標子供数 2.2人 以上を達成した男女は 「命の伝承」 に関する 国の 「優秀生命賞」 の授与を受け、“子無しのパラドックス” は完全に否定される。

参考:  1)   新谷冨士雄・弘子、「多々老・少子化」が正しい;福祉における安全管理、# 452, 2014.   2)  新谷、フィボナッチの‘うさぎ算’増殖、ibido # 469, 2014.

職員の声

声1: 前回の安全管理で フィボナッチのウサギ算を学んだので、日本の人口が この先 どうなるか に興味が湧いた(係り: さしずめは減少する; その後どうなるかは 若者たちのバイタリティに依存する)。

声2: 人口構成について もう一度勉強し直したい(係り: 老人過剰の現在のまま 赤ちゃんを増やしたら、 かみしも 型の人口構成に加えて 末広がりのスカートを履かせたような つづみ になり、真ん中の生産年齢の人たち は 老人と赤ちゃんの両方の面倒を見なければならない)。

声3:子は宝」 と言う諺( ことわざ )がある ―― 子無しのディンクスなら稼いだ財産は私的に消費してしまい 社会貢献しないから、老人になった時、「年金」 をもらえないのが当たり前という道理になる(係り: 私たちのアメリカ在留中の経験では、一人っ子 の夫婦、さらに養子を貰って 3人 の子宝で仲良く過ごす家庭が幾つもあった ―― 偉いことだ ! と感じ入った ―― 言い訳ばかりして社会貢献に消極的な日本人 が、歳をとって権利だけを主張するのは みっともない ! )。

声4: 在宅のご利用者の家庭経済の実態を知るにつけ、‘長生きにはお金が掛かることを思い知る; 在宅のお年寄りは 私に “子供を産んで置きなさい” と忠告される(係り: 生活費を 要介護2 とすれば、65歳~90歳 の 25年 なら 20万×12ヶ月×25年= お一人前 6,000万円 掛かる;そんなお金を あなた 準備できますか? ―― ‘他人依存の老人が 長生き’ とは 税の負担者に取って死に物狂いの重圧なのである)。

声5: 産みたくない人は 産まなくてもいいのではないの? それでは世の中が回らないの?(係り: 歳をとれば 必ず認知症になる が、昔のように 社会のお世話にならない、のなら どうぞ 自由に お乞食をしましょう ! お世話になる予定なら ‘子無し税’ を納付しておくこと ―― 貢献なくして ‘結果の平等’ はあり得ない)。

声6: 年金 (税金) 問題は福祉に直結する ―― 20年後 に自分が安心して福祉を受けられる為には、子が 二人 いてさえ不安だ ―― スエーデンが 2015年 に福祉から手を引くって本当か?係り: スエーデンがどんな手を打つのか目を見張ろう . . . それほどまでに 長命の老人福祉は経済的に深刻なのだ)。

声7: 昔の人の 寿命は 50歳 くらいだったから、子沢山が 老後の安心のためだったのかどうかは疑問だ; また介護保険ができたことと 若者の少子化は ほとんど因果関係がないと思う係り: 確かに 昔の ‘老後の不安’ は短期間だった . . . けれど、子が無く 路頭に迷った老人の哀れさは深刻だった。また “貧乏人の子沢山” という現象は有名であるが、いまの日本で ‘子無し’ の人々が ほとんど老後の心配もせずに 安心して毎日を暮らしているのは 日本が老人保障の国だからこそのパラドックスなのだ ―― もしも老人保障がなかったら、子無しの人々は 将来の不安を持って 日々を過ごすだろう)。

声8: 子無し老人の介護保険の給付に “差” を付ける ことに 私は賛成である (乙種給付) ―― 将来の福祉は 「綺麗ごと」 だけでは済まされない と思うからだ(係り: 若い時代に社会貢献をした人と しなかった人を “結果の平等” でくくるのは不公平であり、それでは社会が崩壊する -- キリギリスにはキリギリスの運命がふさわしい)。

声9: 労働人口の確保と 老人への公正な分配を成立させること が パラドックスではないように願う(係り: 人は誰しも長生きしたい し、大事に扱って欲しい ―― つまり人口構成は “逆三角型” にならざるを得ない ―― その為には上記 (声4) のように莫大な予算が必要で、その予算を確保するためには ‘長生き人口’ はムダな余剰人口 なのだ ―― つまり 事態は典型的なパラドックスである ―― この争いをどう収めるか が 今後 問われ続けるだろう)。 

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
安全管理 ふじひろのページ

最新記事
全ての記事一覧
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
QRコード
QR