(464) 親 と 子 の 礼儀


(464) 親 と 子 の 礼儀 
  
私らの目で見る限り、子育て に一番熱心なのは 鳥類 ではないか?親がせっせと餌を運ぶたびに、黄色い嘴をいっぱいに開けて餌をねだる燕 (つばめ) の子たち …人間よりもずっと熱心なように思える。親はそんなに熱中した子育てしているが、それは 「礼儀」 として行っているのだろうか? もしそうなら子は親への礼儀として、恩返し をする可能性もある。

♣ そこで Wikipediaで 「動物の恩返し」 という項目を覗いてみたところ、そんな記事は一言もなかった ! つまり、 "親に恩返しをする動物はいない" のである ! 我々の近くにいる犬や猫も 老いた親への恩に報いている ふし は見えない。

♣ それどころか 私が知っている 「北キツネ子離れの儀式の風景」 はこうだ:―― 何匹かの子狐が育ったある日、母狐は 突然 子狐たちを襲い 噛みついて 攻撃を開始する ―― 子狐たちは驚いて逃げまどい、それを潮 ( しお ) として “子離れ・親離れ” が完了する。 ある説明によると、母親は 子離れしないと次の子を孕 ( はら ) めないから だ、という ―― そうかも知れないが、親に攻撃されて 追い払われたのでは、親への恩も ‘へちま’ もなくなる だろう。

♣ 人間の過去はどうだったのか? 5万 年前、人が まだネアンデルタール人と呼ばれていた頃、死んだ先祖のお墓に花を供える、という風習があったという。類推すると、ヒトには 子育てのほか、先祖の思い出を弔う習慣があった ようだ。 歴史時代に入っては、親への恩返しは葬祭の礼儀によっても明らかである。

♣ 注意点は “その時の親の年齢” だ。礼儀が社会に定着した千年も前なら平均寿命は 30歳 、江戸・昭和でも 45歳 程度;つまり老親の年齢がこの程度だから、親を ‘介護して看取る’ 礼儀に必要な子供の労力は タカ が知れていた。ところが最近の 30年 このかた、90歳 を越える老親への礼儀の形がかなり変わってきた。

♣ その第一の理由は “親の 極端な高齢化” であろう ―― だって 「人生 50年90年 」 とでは 「生きざま・死にざま」 は 根本的に異なる。仮に親の介護が必要であるとしても、昔は ‘食事・排泄・入浴’ に関する限り ほとんど何の援助も出来ないに等しかったし、’老衰医療’ も同様であった 1) 。老いた老親は 「酷暑・厳寒」 で間引かれ 、脱水・医療の欠如で 短期間に逝った ものである。だから 子は最大の礼儀で親を見送ることがムリなく行えた。

ところが今はどうだ? 多くのサラリーマンは 65歳 定年を迎え、伴侶とともに 徒食・年金生活 に入る。ガンのピーク年齢は 75歳 、認知症は 85歳 で人口の半数を襲う。人生 90年 とは、健康・経済の両面でアルプス登山のようなものだ。親は、身体・精神・社会的な介護を 子から受けるが、問題は 援助者の子自身も高齢による“心身劣化” のため、親介護の長期礼儀が困難になることだ。

♣ 親の長生きを 子が ‘苦痛’ と言えば それは 人倫に悖る( もとる ) ‘親不孝’ であろう。その混迷状態を解決したのが 2000年 開始の 「介護保険」 であった。それは 確かに物理的な介護の手間を専門家に委ねるという良いアイディアであった。―― しかし、 「親と子の 濡れた礼儀」 については まだ理解の余地が残されているように思う。

♣ 動物一般は ‘子を産み育てた後の更年期には寿命が尽きる’ という運命であり、人間も戦前まで そうであった。つまり親は還暦前後には逝ってしまう から、30歳 の子供から見れば 「親孝行、したい頃には 親はなし」 で済んでいた。ところが今は 親の平均年齢が‘ 死期猶予30年’ の現象 2) によって、昔よりも 30年 以上も高齢化したために、その子自身も還暦を越えた老人になり、 親孝行、したくはないのに 親が居る」 という時代に移り変わった。つまり、 ‘礼儀’ の余裕は消え去り、介護と看取りの ’実務’ の苦労 のみが子にかぶさって来たのである。疲れた子のエゴが介護保険の運営に反映される事態は 無理もない。

西欧では老親介護の法律的責任を免じ、親の老後は社会が責任をもって見る; その方式の良否は国によって異なるだろうが、考えて見ると、長命になった国での親子の礼儀の保持は この方式でこそ良い関係が維持されるのであろう。人は どんなに長命になっても やがては逝く ―― その終末期を ‘子の孝行の振る舞い’ で決着をつける 今の方法が 果たして健全と言えるであろうか? ‘西欧式の責任免除’ のほうが より人道的ではないのだろうか? 

結論 : 我々は礼儀正しい養老の配慮を試みる。しかし、日本は世界一高齢者の多い国であり 介護と看取りの業務に忙殺され、従来型の親子の礼儀は実際的でなくなっている。上記の 西欧風の解決が望まれると思うが、こればかりは 「上意下達」 ではムリであろう ―― 明日を考える国民の真意はどの辺にあるだろうか? あなたの意見を述べて欲しい。

参考: 1) 昔の親への介護 = 食事は栄養価について無知; 排泄は布オムツにゴム合羽; 入浴介助はほぼ不可能。老衰医療は’点滴’さえなく、4~5日で脱水死。 2) 新谷冨士雄・弘子:死期猶予 30 年 と介護界、福祉における安全管理、# 460、2014.

職員の声

声1: 敬老の表現は その国に固有の 「親子関係と社会制度」 に依存する ―― 子はたいてい よく頑張るものだが、親も子に依存しすぎないで、自立する心を見せて、子をねぎらって欲しい係り: その通りだが、問題は ‘認知症の合併 ’ にある ―― 親は 要介護4 あたり から 自分の子や環境を認識できなくなる)。

声2: 親が若かりし頃の子育て熱意が、のようになって 子の親に対する介護熱意に反映されて来るように思う(係り: ごく自然な ‘鶴の恩返し’ の気分だね)。

声3: 親の願いは 子が安定した 幸せな生活をしてくれること、それが ‘最大の恩返し ’ だと思う (係り:正論だ . . . ただし それは 親が認知症年齢に達するまでのことのようだ)。

声4:親孝行、したくはないが 親が居る」 という川柳 ( せんりゅう )は、先が見えない トンネル のようで気が滅入る ―― 西洋式の親子はサッパリしているが、ネチネチ した親孝行の方が日本人には向いているのかも知れない(係り: 日本の親子は しばしば ‘恋人同士’ と言われるものね ーー とにかく 触って ’お世話’ したいのだ)。

声5: 日本式の ‘いたわり’ の礼儀は親子の介護にも表れてしかるべきだ(係り: 自分が親にする介護なら是非そうあって欲しい; しかし他人にお願いする介護なら、お願い先に無茶な要求をするのは失礼である)。

声6: 人生 50年 の頃なら 親は早々と亡くなり、介護という言葉さえも なかった時代だったが、人生 90年 の今、年老いたのは親だけでなく子も年老い、親の介護ができる体力はなくなった(係り: 介護保険は このタイミングで親子を助けているのだ、有難いことだ)。

声7: 欧州 では親を国が看るというが、日本のやりかたと どう違うのか? 係り: 日本の家族は ‘金’ を出さずに ‘口’ を出し、介護の細目から医療に至るまで注文を付け ( 入院や胃瘻の指図など )無茶な延命 を懇願する場合が少なくない ―― 欧州 なら 家族は面会に来て愛情の交換をするだけであり、介護の各論にまで口を出すことはない)。

声8: 父母・義父母の 4人 の ‘多重介護’ を家庭でするために仕事を休職する若者の話をTVで見た ―― 日本では 親の老後は社会が看る方針に変更されたのではなかったか?(係り: 熱心な親子の愛情物語の放送だったのかもしれないが、 問題点を挙げると:―― キチンとした介護レベルが保てるか?―― 保てる訳がない; 継続性が保障されるか?―― 子はじきバテる; 子が奮闘するのは結構だが 社会的な損失を考慮したか?―― 大損である; 子を巻き込んで介護を期待する親の姿勢はエゴではないか?―― 認知症の親はエゴの何たるかを理解しない。→ 今後 老人たちはますます長生きになるが、子たちが介護に悩まない日常を送れるように配慮したいものだ)。

声9: 日本は世界一の長寿国、しかし医療・介護の世界一だろうか?そもそも、長生きする老人たちを在宅で または施設で観察すると、要介護度は高く、多くは 哀れで苦しんで生きている . . . そんな実態は 長生き尊厳の ‘本末転倒’ ではないか?(係り: 人間は 金持ちになるほど ‘貪欲’ になり、歳をとるほど  ’不幸’ を感じるようになる ―― それを知っていてさえ、人は 金持ちになりたいし 長生きをしたい . . . 神様が造られた “人間” は 失敗作だったようだ)。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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