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(480) あなたは 親が何歳で逝けば 満足か?

   (480) あなたは 親が何歳で逝けば 満足か?

  私が懇意にしている ある年配の御婦人、母親が高齢で亡くなり しょげておられた。彼女のお話は こうだった:―― 私の母が98歳で逝ったのは、介護士も医師も 怠慢だったからだと思う . . . 真面目にケアをしてくれていれば、当然 もっと長く生きられていたハズ、と。

♣ ご同情申し上げるが、私は オヤ? と思った; だって彼女は 福祉の世界で生きている方であるし、いろんな人々のご逝去の事情には慣れておられる方だからだ。人が 98歳 まで生きるためには、家族もさることながら 周辺の人々の協力も不可欠である。そのうえ、経済的な自活はなかっただろうから、国の補助金も少なくはない(約 8,000万円 ≒ 20万円×12ヶ月×33年)。ご自分の悲しみを主張されるのは当然だとしても、周辺の人々と社会に対する感謝の言葉はないのか?直接の介護者・医師を誹謗するのは 不遜ではないだろうか? 98歳 の親の死に直面すると 礼儀を忘れて動転してしまうものなのか?

♣ ここで私は  寿命 = “命の長さ” について想いを馳せてみた()。動物は 小さなものは 「一年の寿命」 さえもない。体が大きくなるにつれ 長生きするようになるが、それでも 河馬が40歳、象でさえ60歳だ。それに比べて体の小さい ヒト はどうだ? 戦前でさえ 50歳、今の日本は 86歳、頭記のお話の女性は 98歳 だったのだ。温血動物で 100歳 を越える寿命を持つのは ただ一つ 「人間」 だけ である ! 私たちは この事実に対して 「感謝を述べるのか?不満を表明するのか?」、あなたはどう思う?

あなたは 親が何歳で逝けば 満足か?

♣ “鶴は千年、亀は万年」 と言われるが、それは 「おとぎ話」 、現実とは はっきりと異なる。そこで私はお尋ねしたい: あなたは、親が何歳で逝けば 満足なのか? 科学の分かる人であれば おのずと答えは定まるだろう。情に走る人なら 「延命とは理外の理、しばしば 頑迷 ( がんめい ) そのもの」であろうが、そんな人とのお付き合いなら距離を置かねばなるまい。

♣ ここでヒトの寿命について 「おさらい」 をしておこう。近年 ヒトの平均寿命が延びている中で、最大寿命は意外にも頭打ちなのだ !! 1) たとえば、日本の平均寿命は 戦後で 50歳 前後、最今は 86歳 ―― つまり 36歳 も延びた。 我が国で、100歳 越えの人は 1960年 で 100人 、今年は 55,000人 、つまり 55年 で 550倍 も増えた ―― が、しかし、日本の最長寿は 大川ミサヲさん・116歳 で 延びていないし、世界一の長寿でさえ 122歳 の ジャンヌ・カルマンさん ( フランス婦人 ) を越える人は120年前のまま 延びていない 2)

ヒトの寿命は 「環境」 と 「遺伝子」 によって定まる が、環境が整えば 寿命は延びる ―― それは日本の戦後の寿命の延びを見れば分かるし、世界の先進国一般の事情でもある。だから “浅はかな研究者” は、時間を待てば ヒトの寿命は 150歳~200歳 になるのも夢ではない、と 先走ったバカな推論をする。上の図をご覧になれば分かることだが、動物の寿命は 種( しゅ )によって おおよそ定まっており、時を待っても延びることはない ―― それは遺伝子の構造で決まっているからだ。つまり、 “環境” をどんなに良くしても、遺伝子寿命には限度がある のだ。

♣ このことは 次の一例で納得出来る: ―― 石器時代の寿命は 30歳 程度であったが、化石で調べると、歯は 32本 みな揃っている。これに対して、近年の老衰 90歳 を調べると、寿命は 3倍 も延びているのに、歯は全部欠けている。前者は峻烈な環境によって早死にしたけれど 歯はまだ生命を残したのであり、後者は 単に寿命の終点に到着し、矢尽き刀折れ、歯無しになって逝ったのである。

♣ 私らは 近年の 医療・介護 の環境改良によって 90歳 や 100歳 でも まだ不足だと我儘を言う が、歯は総入れ歯になり 身の回りのことは何もできなくなるし、遺伝子寿命のほうに限度が来ることがほとんどである。ヒトの場合、最高寿命は 122歳 が上限であり、それ以上を求めるためには ‘遺伝子改良’ が必 であり、それはまた別な話題としよう。

長寿の要件は 四つ ある 3) :―― 親が長寿、 人生の活動期に無茶な生活をしない、 スポーツは “ルーの法則” に従って、健康本意に行う、 良き社会的支援を活用する。 ーー 長生きの条件を謳 ( うた )う知恵は 千も万もあるが、根っこはこれらの 4条件 に集約される。頭記 98歳 のご婦人の寿命を振り返ってみるに、日本の平均寿命 86歳 を 12年 も越えておられる。ご立派な一生であった と、お喜び申し上げて良いと思う。

♣ 高齢で亡くなった方々のほとんどは “病気が原因” ではなく 天寿が訪れたから 亡くなる” のである。したがって、死亡診断書の病名記載には常に問題が発生している ―― つまりムリに病名を探して記載すするのではなく 「天寿」 と書くべきだ、という主張に合理性がある のだ。先頁図の動物の様子を観察すれば、人の寿命の年数に一理あることが推定されるだろう。 

結論:  死亡時の年齢が平均年齢を越えていれば 「天寿」 という名前をつけたらどうか、という意見もある。その場合の平均年齢とは 男80歳 、女86歳 である。この年齢以下で逝く人が半分、それを越えて逝く人が残る半分、という意味となり、前者には死亡病名が必要、後者には不要となる。 人間、もし 「天寿」 で逝くことができれば ’もって瞑すべし’ ではないだろうか? これをもって ‘親に期待する逝去年齢’ の一件は 落着としたいものである。

参考 1) 新谷冨士雄・弘子:日本女性の平均寿命は86歳か?、福祉における安全管理: # 466, 2014.  2) 新谷:究極の寿命分布、ibido #453, 2014.  3) 新谷:長生きの秘密、ibido #428, 2014.

職員の声

声1: 本文でご紹介の ‘年配のご婦人’ は介護界に生活しておられる人なのに、いざ ご自分の母親が 98歳 で他界されたら それを介護者の怠慢によると非難しておられたようだけれど、何歳だったら満足だったのだろうか?(係り: たぶん ご自分自身の傲慢 ( ごうまん ) さに気づかない限り 満足は得られないと思う)。

声2: 若い私が親の寿命に意見を述べるのは見当違いのように感じるが、親が充実した人生を送ったのなら 何歳でも良いと思う 係り: 子が感傷的に思うほど 超高齢の親が ご自分の逝く年齢を気にすることはない; 特に認知症の進んだ 高齢の親なら 時間の認識は ゼロ ! )。

声3: 長期の寝た切りや高度な認知症の場合、ご逝去が 「不満なのか、逆に 安堵なのか」 一概に言えないと思う ―― 苦しまないご逝去なら それで十分だと思う。

声4: 介護者が “しっかり” 親の面倒を見ていれば 年齢によらず満足は得られるハズ、周りを見れば どんな苦労も 感謝の気持ちに変わるだろう(係り: 親も 人生を “生き切った方” なのであれば、それこそが天寿なのだろう)。

声5: 健康であれば 親はいつまでも長く生きていて欲しい係り: その通りであろうが、超高齢者の ‘老化’ は健康とは言えず、さりとて病気でもなく さっぱりワカラン まま 人の手を取るので問題化する のだ ―― 子はそれをこらえられるが 周辺は手を焼く)。

声6: 平均年齢を越えていれば 「天寿死」 として十分 意味深いのではないか?(係り: パールでは 108歳 のお婆ちゃまが最高齢だったが、彼女の子供世代は死に絶えており 若い孫世代のお世話で やっと逝くことができた ―― フランスのカルマンさんは 122歳 で亡くなったが、彼女を見送った家族の構成を推測すると、’親の逝去が超高齢であればあるほど有難い’ なんて有り得ない と思う ーー 祖父母や曾祖父母の逝去に至っては なおさらのことだ)。

声7: 一生懸命やった家族は悔いなく満足し、何もしなかった者ほど口を出す係り: 介護は 遠くに住む次男次女のため にある、と言われる ――たまに来て “私の親は こんな あわれな 姿のハズではない” と 介護職員を責める)。

声8人は年を取ると ‘思いやり深くなる’ と思っていたが、私の経験から見ると、逆に ‘心が狭くなって行く’ ようだ ―― 私が死ぬときは 人に感謝して逝きたいと思う(係り: 老人の肩を持つような発言ながら一言 ―― 老人は老い先が短いから短気で強欲になる、と世間は言うけれど、実はそうではない ―― 人は年を取ると必ず認知症に陥り、筋の通った発言ができなくなり、それ故の誤解を招いている に過ぎないのだ ―― 長生きすれば 君だってきっとそうなる ―― 老人と言っても ピンキリ あるが、今や 高齢になればなるほど認知症の合併を疑って掛からねばならない超高齢社会になったことに気づく)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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