(494) 本当 の 介護 とは ?

(494) 本当 の 介護 とは ?
  
私たちは介護の世界にトップリ漬かって いる。きのう・今日、そして明日予定に入れている仕事、それはみな介護業務なのだと思っている。

♣ ところが あるパールの職員はこうつぶやいていた:―― 「忙しい毎日を過ごしているけれど、考えてみれば { 本当の介護 }って何だろうな?」。 私は彼のその言葉を聞き逃さなかった . . . ここらで “居眠り介護” をせず、「始めの始め」 から介護のおさらい をしてみたいと思った。

♣ ご存知、2000年 には介護保険がスタート; その背景には 「小説・恍惚の人」 以後の日本社会の変遷がある。つまり三世代家族の衰退と高齢者の増加 ・ 「寝たきりや介護を必要とする老人」 も増加、 収容施設の不足と介護の長期化 (社会的入院など) の問題などへの対応が困難になった。高齢化は必然的に少子化と核家族化を招き、その上 介護者まで高齢化する勢い; 家庭介護だけでは社会の安定は維持できなくなった。 また、病気で入院後、治っても帰る家がない ・ 帰っても介護者がいないなどの社会的入院の解消にも迫られてきた。
本当の介護とは?

♣ かくして介護保険制度は、介護を必要とする高齢者の自立した生活を社会全体で支える仕組みとして生み出された制度である。頭記の {本当の介護} って何だろうな? を考えるために、ここで 法律を紐どいて、介護保険の設立趣旨を読み直してみよう; 原文そのままを音読 して欲しい:――

♣ 介護保険法 第一条 (目的 ) この法律は、加齢に伴って生ずる 心身の変化 に起因する 疾病等 により 要介護状態 となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練 並びに 看護 及び 療養上の管理 その他の医療 を要する者等について、これらの者が 尊厳 を保持 し、その有する能力に応じ 自立 した日常生活 を営むことができるよう、必要な保健医療サービス 及び 福祉サービス に係る 給付を行う ため、国民の 共同連帯の理念 に基づき 介護保険制度 を設け、その行う 保険給付等 に関して 必要な事項 を定め、もって 国民の保健医療の向上 及び 福祉の増進 を図ることを目的とする。つまり、介護保険の目的を一口で言えば 「尊厳と自立の確保」 である ! そこで 「尊厳」 と 「自立」 の意味を考えてみる。

{{ 尊厳 }} とは “人として尊重されること” であり、その反対語は 「人を卑下、冒涜 (ぼうとく) すること」だ。2 世紀前 、フランスの国民は王や僧侶の暴虐に苦しみ、革命を起こして、三つの標語を獲得した (自由 ・ 平等 ・ 友愛)。「自由」 とは “好き勝手に振舞うこと” ではなく、王や僧侶の圧政からの自由であり、フランス国民は ここで人間としての 尊厳 を手に入れた。「平等」 とは “王や僧侶が得ている人格上の平等” であり、民主主義の獲という意味である。三つ目の 「友愛」 は 仲間を大事にし、尊敬し 愛し合うことであり、介護保険の立場で言えば、要介護者は我らの 「仲間であり友である」 から、この相思相愛は絆の基本である。

♣ さて次の介護保険の目的である {{ 自立 }} は意味合いが少々違う ―― 上記の 「尊厳」 は “弱者の求める権利であったが、「自立」 は “弱者に課される義務 である。たぶん、昔は 老人の自立は可能と考えられていたのだろうが、今 「自立」 などは高嶺の花、「依存」 を許容しなければ どうにもならないのが現状である。自立が困難であれば 保護が必要となる が、「尊厳」と両立しながらの保護 は 単なる同情や慈悲とは大きく異なる。「ご利用者は ’自立’ を回復し次第 特養を去る」 という ’決まり’ があるものの、パールでは この15年間で 自立が出来たケースは一例 もない

♣ 介護保険が発足して16年、高度の要介護で長期を過ごした方の予算例を挙げれば、その経費 (年500万円 × 16年 = 8,000万円 ) は通常の家庭で負担しきれるものではない。その財源は国民の税金であり、対象の老人の数は “うなぎ登り” 、財政は疲弊し、やがて全国民は ‘とも倒れ’ の危機に瀕していく。それはナゼか? それは 「身の丈に合った 福祉の全体像」 が見つめられていないから である。

♣ 私は思う: ―― 人は 「天寿」 を全うして逝くのが最大の幸せ であろう。そもそも 「天寿」 とは 人類平等に 「ヘイフリックの限界1) の達成ではないか、と私は思う。つまり “五感の脱落、認知症と骨粗鬆症の進行” 、更に言えば 体格指数 (BM I ) ≒ 12 を伴って 2) 「天寿は達成される」 のである。この状態で 「延命に固執する介護」 は 「納税する国民の溌溂とした活力」 を奪うことになる . . . ナゼなら 「国富」 (こくふ) の総量は決まっているから である。冒頭に示された 「本当の介護」 は、“人がヘイフリックの限界に達す段階までの介護” で終わるのだ、と私は思う。 

結論: ① 介護保険は 「尊厳と自立」 を目的として設立され、「尊厳」 は老人の権利 「自立」 は義務とみなされた。② 尊厳 はおおむね守られたが、自立は超高齢のゆえに困難であり、老人介護は先行き知らずの泥沼介護となった。③ 「本当の介護」 は 天寿の達成まで を目的とする ―― それは 「ヘイフリックの限界年齢」 とみられる。

参考;">: 1) 新谷冨士雄・弘子、「不老長寿」: 福祉における安全管理、#492, 2015. 2) 新谷: 「体格指数 (BM I ) ≒ 12 」は {天寿の指標}: ibido # 489, 2015.

職員の声

声1: 多忙に紛れていたが、介護保険の設立趣旨を読み直すと、当時の「目的」から現在の 「実態」 があまりにもかけ離れている ことを痛感せざるを得ない(係り: 「尊厳」 は権利、 「自立」 は義務と承知している人がどれだけいるだろうか? 諸外国の政治家や福祉家は 日本ほど甘えさせ過ぎてはいない よ)。

声2: 「尊厳」 には ほとんどコストが掛からないが、「自立」 の値段は高価である . . . 自分でできる自立をインチキで放棄している人もあり、また脳疾患では自立なんて期待薄だし . . . 実務的には 最低限の手助けを施し、残りは自己負担とするしかないのでは?(係り: 昔の王様なら家来が多いので何とでもなっただろうが、国民の 4人 に 一人 が老人という現実の社会で 王様レベルの要求なら 納税者は倒れてしまう

声3:自立」 とは “心身・金銭” の全てを依存 しないことだから、老人には困難だろう ―― 他方 「自律」 なら自分の基準で行動することだから、老人に促すことができる(係り: 言葉の彩だけでは解決しないよ . . . 認知症の “中核症状” ( = 記憶障害 ・ 見当識障害 ・ 失行 ・ 失認 など)ならびに “周辺症状( = 徘徊 ・ 不潔 ・ 暴力など) を直視すれば、あまり格好良い目標は立てられない よ)。

声4: 国民の寿命が延びると、身体はしっかり ・ お頭はテンテン という人が多数派になる; こんな人たちに 「自立生活」 を説いても実効を期待できない ―― 彼らは 「ヘイフリック限界」 1) を越えていないか?係り: 神経系は生後 時間をかけて発達するものだが、老年期には一番先に衰える性質を持っている)。

声5: 介護保険の目的のうち 「自立」 は利用者の “義務” であるが、それは年齢とともに困難で、介護は先行き ‘泥沼’ になる、とのこと . . . でも 精一杯の介護を励めば 「自立」 も達成できるようになるのではないか? 係り: 50年前 の保険の立案者はそう考えた . . . だが現実を見よ ! 介護コストの大部分は 「自立不能者への援助」 であり、支援に励めば励むほど 心身機能と介護コストは相反するという悪循環が待っている ―― これが 関係職員の 「本当の介護とは何だろう?」 という心の葛藤を生む)。

声6: 利用者の自立義務は 寄る年波とともに泥沼化して行く ―― 「ヘイフリックの限度」 を考えると、介護は無限と考えず、“天寿まで” を目標としてはどうか? 係り: 国富(こくふ)には限度があるし、確かに コスト・パフォーマンス の原理を無視すべきではないね)。

声7: 在宅介護では、依存心が強く 自立には無関心、それでいて尊厳要求だけは旺盛という方がある . . . そんな方に対する介護は 「本当の介護」 から遠いと思う(係り: 国が派遣する “女中代わり” という意識から抜けきれないのだろう)。

声8: 依存心の強いご利用者に、私は 「介護保険は自立支援を目的としています」 と問い返す ことがある(係り: して貰わにゃ損 損 ! という人は少なくない。私たちは最後まで 介護する人に感謝の言葉をかけることが出来、またそれだけに ‘愛される老人’ でありたいと思うな)。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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