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  (517) 延寿 の 推進論 と 一服論


(517) 延寿 の 推進論 と 一服 論 (いっぷくろん)

「 貨幣 (かへい) 」 には 表と裏が同時に両立する。人には 男女二つの区別があり、意見には 賛成 ・ 反対 がある。そこで今日の話題は 「延寿の支持論と一服論」 とする。

♣ 福祉には 「 支持論 ・ 一服論」 の両論がある。まず 福祉支持論は、① 戦後 70年間、戦死者をゼロにした ( 先進国の中で日本だけ ) 、② 国民の平均寿命の世界一を 25年間 もキープしている、等がある。逆に福祉一服論は、③ 生活力のない依存老人の数が世界一多数 . . いま2 4% . . 近かじか 40% ―― 総人口の 半数 に迫る、④ 年金 ・ 医療費 ・ 介護費 の総計は 110兆円 ―― 税収 45兆円 の 2.5倍 に及ぶ。

♣ つまり社会福祉と言えども “支持 と 一服” は 貨幣の裏表 だ、と理解されると思う。結局、有害な要素を削ぎ落とす人知の技量が天国への道 となる。そもそも “福祉のもたらす 「延寿」 は、人々を天国に導く” という 暗黙の信念 に基づくものだろうが、今のところ それに決定的な 証拠はない 1)

延寿の推進論と一服論

♣ お年寄りに聞くと、「長生き」 と 「幸せ」 はまったく別物である、と言う。長生きすることは 幸せなことと思われるが その喜びは 案外に薄く、片や 弊害としての 認知症 ・ 多愁訴 ・ 多病 ・ 骨折 ・ 誤嚥性肺炎 などの悲惨は重くのしかかってくる。人間の遺伝子は、更年期 までの健康を保証するが、子を産まなくなった古い体に発生する不具合は、 遺伝子の修復能力を遥かに越える。壊れた体の臓器修理はうまく行かず 新品に取り替えるしか手がない。そして新品 ( = 孫 )はもう十分に育っていて、取り替えの準備は用意万端だ。これを 他人から見れば “順調な世代交代” に見えるが、当の老人にとってみれば 自分が孫に置き換えられることは “ほろ苦く悲しい現実” である。

♣ パール ・ 特養入所者の実態を示すと: ―― 認知症は 100% あり、大腿骨骨頭骨折は 約半数の 48% ―― その頻度は 70代 < 80代 < 90代 と進み、 左右の重複骨折例 は全部 90歳代 だ ―― つまり ‘長期使用’ で思わぬ ‘骨折’ というのが現実であり、延寿による骨の寿命切れ が示唆される。

♣ 加えて、死亡原因の 80% は 誤嚥性肺炎だ ―― その理由は数種類の “喉神経の損耗” であり、工夫を重ねても その老化を補完することはできない。仮に そのまま 「長生き」 するとしたら、人々は 遠からず “痴呆の進行 → 骨折 → 誤嚥 → 他界” という道をたどる。

♣ パール発足以来、入居者の最高年齢は 108歳 であったが、15年間 の努力の元であっても グループの平均寿命は、いつの年でも 87 ~ 88歳 を 少しも越えない。この事実は日本全体の人口動態にそっくりである : つまり日本の女性の平均寿命 = 86歳 、その最大寿命 ≒ 115歳 前後 2) 。この実情は どの施設でもほぼ共通なのでは?と思われる。つまり 医療や介護の進歩は もう限界に来ている のだろう 3 )

♣ この不都合を根本的に解決する “幸せの方法” ? ―― それは (A) 人類の遺伝子を ガン遺伝子のように “不死” に改良する、(B) みんなで 健康寿命の維持に尽くす; これ以外の方法があるだろうか?(A)は 「山中伸弥博士の iPS細胞 のヒト受精卵への応用」を待たねばならないし、(B) は 結局 「延寿も一服 (いっぷく) 」 という 実務的な結論に妥協せざるを得ないようだ。戦前の 「人生 45年 」 の頃と、今の「人生 90年 」を比べて、今のお年寄りたちは「 2倍 ほど長生きで、2倍 ほどの幸せを満喫しているだろうか? 135歳 まで生きれば 3倍 も 幸せになるだろうか? 長生きも 過ぎたれば 苦しみも増す. . . そう思わないか?

♣ この不安を避けるためには 「保険」 という手があるが、延寿の保険は ‘命の保証’ ではなく、“子孫繁栄” であると考えよう。 人は更年期を過ぎれば、人口維持に 何の役目も果たせない。若い 大事な生産人口の生活を犠牲にしてまで、過度に老人保護に走ることは 今一度 反省するに値する。人類は個人の都合ではなく、集団的に発展していくのだ。こうすることで 「命」 の継承と繁栄は正しく行われていく。

♣  つまり、「命」 とは 一人の個人が安楽に延寿を享楽することではなく、「汗とともに生き、仲間を助け、みんなで子孫繁栄を行なうこと」 なのである。人類の進化は 「体の点では明瞭であったが、心情 の面で “目先の楽(らく) を求めるばかり” で、長い目でみると、子供の数は減るばかり、 進化どころか 「退化」 していくように思えてならない。 

結論:  ① 「元気で長生き」 という掛け声は 私たちの合言葉であるが、それを 健康寿命が終了したグループの老人に語り掛けるのは慎重でありたい。② 「幸せを受け止める感覚」 が その人に残存していれば、その人生は幸せであり 「延寿」 も尊い…しかし、本人も周辺も 辛い毎日 であるのなら、一律に 延寿 ・ 延命 にこだわるのは不敬ではなかろうか?③ 老人は個人として尊重されるが、社会の一員として 社会の繁栄ある人口維持に協力しなければならない ―― つまり若者の社会活動の 邪魔立てしない範囲 で 延寿を楽しん頂きたい。2028字

参考: 1) 新谷冨士雄・弘子:各国の寿命、五つのハテナ?:安全管理 #439, 2014. 2) 新谷; 日本女性の平均寿命は 86歳か?、ibido #466, 2014. 3) 認知症の増大に歯止め?:ibido #442, 2014.

 職員の声

声1: 介護の仕事に従事していると、“長寿には何の意味があるのか?” と思うことがしばしばである … 家族の満足の為? 誰の為? 何の為? (係り: 老人に限らず、大抵の人は 普段 生きている目的を意識していない … ところが 経費 (コスト) がかさむ事態になると、収益はどれほど? 目的は? といぶかる … 長寿の経費は莫大だけど 収益があるハズもない !!  昔なら コストが小さかったから 喜ぶだけで済んだのにね)。

声2: 「長生き と幸せは 全く別ものである」 という老人たちの意見に私は同感である(係り: 人生 50年 の時代だったら、長生きも 還暦前後の せいぜい数年 だったから、十分幸せが感じられたのだろう . . . 今は 骨折や認知症の 90~100歳代 までの ’長がーい人生’ だもの、幸せに気づくなんて 難しくなった)。

声3: 老人自身が ’長生き=幸せ’ という図式を否定しているのは 寂しい限りである(係り: 他人のことなら その訳がよく分かる; ところが自分の人生なら なぜか皆 不幸せであっても 長い人生のほうを選ぶ ―― 介護保険を当てにするからか?)。

声4: 老人を長生きさせて不幸をもたらすのは 「罪」 だと思う … そういう政策を練る 政治家や医療機関 は福祉を曲解しているのだ(係り: 彼らは 「長生き」 という言葉を “免罪符” として利用し、選挙の当選 ・ 延命医療で金稼ぎ をするのだ … 自然の命をいじくりまわしている)。

声5: ぼんやり長生きするのではなく、働き ・ 助け合い ・ 子孫繁栄 に繋がる命なら、私は長生きでなくても構わない(係り: すごい ! )。

声6: 自分の心身が壊れていくと 社会に迷惑を掛けてしまうのか?(係り: 医療レベルで治せる故障なら、その治療は福祉の真髄である; だが、介護のレベルの故障なら その対応は治療ではなく ヨーロッパ風の考え を参考にするべきだね ―― スエーデンでは、老人の 「枕元にパンとスープを置き、それを食べられない人は それで終わりです」 という国情、つまり日本と違って 「食介」 がないのだ … 日本では考えられないけれどね)。

声7: パール入居者の 最高年齢 ・ 平均年齢 が全国のそれとそっくりという事情に驚いた ―― 医療や介護の進歩が限界に来ているのであれば、延寿をこれ以上求める必要はなく、あるがままの天然で ‘生き逝く’ のが一番ではないか?(係り: この頃、その考え方に賛同する ご家族が増えて来た ! )。

声8: 「働かざるもの 食うべからず」 が真実だけれど、その体力も気力もない老人は 国が養わなければなるまい(係り: その通りだ; だが、昔は少数の老人を 多数の納税者が養ったのに、今は 多数の老人を 少数の納税者が養う羽目に陥っている . . . 老人は年金に見合った生活の工夫をしなければ、国は滅びて行く)。

声9: 大病をせず、認知症もなく 幸せな 90歳代 になれる老人は 少数派 ではないか?(係り: 日本が豊かだった 40年前 には、70歳定年 の 「姥捨て山」 を言い出すことは 「タブー」 であったが、近年の老人事情を眺めると、少なくとも 「生活を質素にダウンサイジング」 することを真面目に考えることが必要になるだろう: さもないと 皆 共倒れに陥る)。

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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