(566) 和 魂 和 才 は 続 け ら れ る の ?

(# 566) 和 魂 和 才 は 続 け ら れ る の ?

今から 163年前 (1853年)、アメリカからペリー 提督が艦隊を引き連れ、神奈川県の浦賀にやってきた。

♣ その目的は、当時 「鎖国」 をしていた 徳川政府 に開国を迫ったのだ。以後、日本は欧米諸国に押されっぱなし… せめて 「日本国民ここにあり ! 」 を主張するための “言い訳” として 「和 魂 洋 才 (わこん ようさい) という言葉を発明した。つまり、日本の魂を曲げない範囲で 欧米の才覚を受け入れる、 という意識であり、たとえば、“ちょんまげ ・ 和服 ・ 親孝行” は譲れないものの例であった。

♣ しかし 日本人の良い所は 「建て前 と 本音」 を “無理なく併存させる能力” である … つまり 西洋の優れたところ洋才を取り入れる姿勢(建て前)を保ちながら、日本文化和才への執着を遠慮なく取り混ぜて 国運を盛り上げること(本音)に成功したのだ。でも今は、明治時代から遠く、“和才” と改めて意識する人はいないであろう。

♣ ――現在はグローバルな時代であって、「良い ・ 便利」 と思われるものは アッと言う間に 全世界中に広がって行く。その典型は “ハード” としては 「自動車 ・ エアコン ・ ワープロ ・ スマホ」 などがある。しかし 形のない “ソフト” の 「伝統 ・ 制度・介護」 に関しては、「和才」 の姿勢が優勢であり、それが 日本の高齢社会のあり方を複雑にしている。

和魂洋才は続けられるの?

♣ そこで 話を 「介護」 の世界に移して考えてみる。日本の伝統や介護は 「親孝行」 に集約され、それは 「建前であり、同時に 本音」 でもあった。ところが 第二次大戦後、平和の続く日本の社会事情は激変した。 は 戦後の日本の “高齢化率” の経過を示す。戦前の高齢化は人口の 4 % 程度であったが、それは 1970年 頃 (7 %)から急上昇し始め、2000年 には 4倍 増(16 %、医療性)、現在は 7倍 近く (26 %)、将来予測では 10倍 (40 %) に達する勢いである。いずこの国でも高齢化率は上昇の傾向であるが、日本のそれは 際立って顕著である。

♣ では、急上昇の始りである 1970年 頃の日本には何が起こったのか? 経済バブルの沸騰の中で 国の税収は豊富となり、老人増加の傾向に備えて 「老人福祉の増強、 老人医療の無料化」 などが推進された時期であった。同じ時期に 「老人性痴呆」 による 深刻な社会問題も初めて提示され1 ) 、「老人問題」 が社会に躍り出た時代でもあった。この時代の老人問題への ‘対応’ は 「」 通りに行えばよかった ―― つまり、”お金に糸目をつけない親孝行”を 和式の制度で実行すればよかったのである。その姿勢が 2000年 の 「介護保険 実施」 に繋がって行く … その時の高齢化率は 4倍 (16 %)にまで増えており、それへの対応は 徐々に 「優しい恩恵」 から 「緊急の介護実務」 へと変容しつつあった。

和魂洋才は続けられるの?
        岩倉具視ら 訪米視察 明治4年
♣ 日本の介護保険は その給付を 7 段階 に分類し (要支援 1 ~ 要介護 5)、世界のレベルに比較すれば “至れり尽くせり” の給付を行い、これほど ‘幸せな’ 老後は 世界に類例がない。それを可能とする経費は初期の 3兆円 から 今では 10兆円 を越え(国の税収の2割 )、やがて 20兆 になる日も近いとされる。こと ここに至って、老人福祉は ”お金に糸目をつけない和才”の実行だけでは 困難であることが論議されるようになった。

♣ そこで 見本とする 本場 欧州の 「 洋 魂 洋 才」 の例を説明しよう。ご存知のように “福祉にはお金がかかり” 、特に 高齢化率が 4 % から 40 % にも延びていく 老人福祉では 台所事情の解決が大変だ。イギリスでは 「老人性白内障」 の疑いがあっても、その診察予約は 3ヶ月先 が常識だ。国家予算の制限によって、血液透析には 60歳 の定年があり、延命の為の胃瘻などは あり得ない (要するに 個人と社会の利益が共存できることを工夫している--ドイツもこれにならった)。日本には このような制約はないが、台所は火の車である。

スエーデンは 「寝たきり老人」 がいない 明るい社会と言われるが、その内情をあかせば、要介護 4 ・ 5 の分類を行わない ―― つまり、老人の食事介助をしない のだ (西洋人は 「自分で食べる力のない老人は 生命の尊厳を維持できない」 と割り切ってしまう 2 ) )。これに比べて 日本式の介護は 「”食事介助が 本領” であるし、”延命至上主義“ が徹底」 しているので、「洋才 の考え」 とはほど遠く、むしろ 和才 と言うべきである。要介護 4 ・ 5 の存在、つまり 「親孝行の 食事介助 と 延命主義 が和才の本領」 なのである。

♣ おそらく 日本でも、40 % にまで膨れ上がる高齢化率の下で、介護における 「和才」 の存続、つまり 「和 魂 和 才の維持」 は 予算的に 困難になってくるかも知れない。しかし、介護の和才を改変するためには 日本の 「食介 ・ 延命至上主義」 を再検討せねばならず、それは 「親孝行」 の美風に反することになる。この思想的な難問を乗り切る 西洋風の決断-(洋魂洋才)- を日本が取り入れるのは 何年 先になれば可能になる、と あなたは思うか? 1998字    

要約:  江戸時代から明治時代に移る時、日本は 「和魂洋才」 を唱え、日本の魂を失わない範囲で 西洋の文物を取り入れる方法を工夫した。あれから 150年 余、日本の方針は間違っていなかったことが確認されたが、一つだけ問題が残った; それは 「和才の目玉」 である “親の介護問題” である。洋才」 は欧州で 「寝たきり老人がいない国」 をもたらしたが、「和才」は 逆に「寝たきり老人を抱え込む国」 をつくった。日本は 今後も 和魂和才の「建前」を押し通せるだろうか?

参考: 1 )   有吉佐和子:恍惚の人;新潮社、1972。 2 )   新谷:「 寝たきり老人」を無くする、福祉の安全管理 # 554, 2015. 

職員の声

声1: 和式介護 (和才) では 「寝たきり老人」 が多数だが、洋式介護 (洋才) の場合 ナゼ 「寝たきり老人」 がいなくなるのか?(係り 主な理由: 西洋の洋才は ① 人間性の尊厳維持を尊っとぶ故に 「食介」 をしない… つまり 老人介護の終点を 要介護 3 とし、要介護 4・ 5 はない; ② 同じ理由で 「胃瘻 等による延命」 もしない ―― これに対して、日本の和才は 国民性の相違により、食介を通じて 延命至上主義 を尊っとぶ。

声2: 要介護 4 ・ 5 の実施は 尊厳よりも むしろ 「実質的延命」 にあるから,「寝たきり老人」 が増えるのは 当然ではないか?(係り: つまり、家族は 気安く延命医療を要請し、 医師も簡単に応じてしまう風土 … 寝たきり老人が増える社会背景が ここにある)。

声3: 西洋式は 「食べる力のない老人は 生命の尊厳を維持できない」 と 割り切って “お看取り” に入るが、和式介護は こんなことでは 引き下がらない(係り: 介護技術の 真骨頂は 「食事介助」 であり、このあと嚥下困難の事態になれば 「胃瘻延命」 という発想が続く)。

声4: ご家族は、老人本人の気持ちを考えるより 食事の全量摂取にこだわり、食べ残しがあると クレーム になり、実状の説明に窮することが多い(係り: ご家族はご自分で食介をするではなく、注文の目だけは厳しい)。

和魂洋才は続けられるの?

声5: 日本の国民は西洋のように 「寝たきり老人がいない国」 を本当に願っているのか? ―― 本心は 「食介」 によって 「生きていて欲しい」 と願っているのではないか(係り: 食介するから “寝たきりが沢山いる” ―― 食介しないから “寝たきりがいない” … いずれも 事実通り であって、違うのは 食事についての ‘社会的姿勢’ だけだ)。

声6: 延命には 年齢制限 がある諸外国 … 日本には制限がない ! (係り: 昔は各 家庭の甲斐性で延命を工夫したが、現在は 国が延命を支持し、必要な経費も負担している … そこで日本は 世界一長寿 である)。

声7: 親を大事にしている日本のやり方を 諸外国は褒めているのか?(係り: そうでもない ! なぜなら、命の循環に関する 「自然の摂理」 を無視して 延命重視に走る日本を ‘不思議な国’ だ、と思っている)。

声8: 親を大事にするのは有難いことだが、敬老費 が莫大で、ワリ を食っているのが幼少期の若者ではないか?(係り: 政治家の都合で、日本の福祉経費の70 % は高齢者向け、4 % だけが子供向けだ ―― 明日の日本をになう子供たちにワリ を食わしてはいけない、という声も大きい)。

声9: 日本は 欧州の国々のように 先行き 「食事介助」 をしなくなるのだろうか?(係り: 今のところ、それを予想する人は いない … しかし 高齢者向けの福祉費が 現在よりも大幅に増えてくれば、「和魂和才」 を諦め、「洋魂洋才」 へと 考えが変わるかも知れない)。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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