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(571) 延命は 子 のため ?


(571) 延 命 は 子 の た め ?

「一分でも一秒でもいいんです . . . 母の命を助けてください . . . 」 ―― 枕元で、息せき切って 熱心なご家族は ケアの担当者に頼み込む。

♣ 「モノを言えなくてもいい . . . 息をしているだけの命で いいんです . . . お願いします」。 日本人の心は 「親は少しでも長く生きていて 欲しい、死ぬのなら せめて病院で死なせたい」 なのだろうか? 子が願いを掛けるのはいいが、肝心の親の状態をどう把握しているのか … 病院や施設で働く職員は その点を一番気にするところである。
延命は 子 のため

♣ 日本で人が死亡する場所は 以前は 「家で が 80 %、病院で が 20 %」 であった。その頻度は 日本が 経済発展で金満国家になった 「福祉元年」 、1973年 を境にして 「家で が20 %、病院で が 80 %」 に逆転した (図 1) 。その逆転の理由は いろいろ検討されている。

家族構成が小さくなって 親の面倒が見きれない、 人の死に接する経験が希薄になったので、お看取りは怖い、自宅での ‘お看取り’ は経費が掛かりすぎる、 福祉の発達で病院が安く使え、世間体も楽になる、などなど。一般家庭の希望が 事実こうであるのなら、それを満たすことは政府の務めでもあり、何の問題もないだろう。だが、「」 になった反面、家族は 「横着」 になる傾向がある。つまり … 掛かる経費の多くは国家持ちで、親の臨終は病院まかせ、自分は延命のお願いをするだけで 倫理的な責任感から逃れ、世間体には ‘いい恰好’ をしたい … に成り下がるのだ。

‘延命’ は 「救命」 とは全く違う …‘延命’ は 「回復の見込みがなく死期の迫った患者に、 人工呼吸器や心肺蘇生装置を着けたり、点滴で水分補給をしたりなどして、目の前の死を延期するだけ の処置である ―― 言ってみれば 消えていく運命の命を “一時的に回避すること” だけだ。たった それだけであるが、国家の医療資源の損失は莫大となる。これに対して 「救命」 は 今 生きている命を 怪我や病気などで “一時的に失いかけた時、それを拾い戻すこと” であり、言葉は似ているが、中身も利益も 全く正反対である。

‘延命’ 行為のほうは 天然の摂理に反する行為であって、関係者の心の逡巡は少なからず 大きい。他方、「救命」 行為は医療人の天職であるから、誰もためらうことなく実行できる。両者の本質的な相違は その行為が 前者は 「家族の他力本願」 、 後者は 「医療者の天職感」 にある。今の日本の老人は すでに世界一 長生きしているし、延命と言っても 病院で出来ることは ほんの僅かしかなく、また、その副作用もあなどれない。
延命は子のため

病院は、治療する所であって、死の儀式を行う所ではない。このことは 老親自身がよく知っていて 「延命のための延命」 を望む親は少ない(図 2)。勘違いしたご家族が 延命を希望なさると、次のような不都合が起こるだろう: ―― 本人は 瀕死(ひんし)の苦悩を 余計に長く味わう、 一番よく用いられる処置は「点滴」 ―― これは “脱水” には効くが、それ以外の場合は心不全を促進する逆効果を導き、本人は うめき苦しむ。

「呼吸装置」を使い始めると、ご本人は声も出せず、意志を伝えられず、また それの中止は 法的に罰せられる。 もし 経管栄養(胃瘻など)を採用すれば、これは “誤嚥(ごえん)性肺炎の泥沼” に陥る … その上、本人の哀れな姿のゆえに 家族の面会の機会も遠のく。このように、病院での処置は体力を消耗するものばかりなのであって、ご本人にとって “幸せなこと” は 何一つなく、ご家族の自己満足 を満たすだけなのである。本当に親の幸せを望むのなら、昔のように 心の通う “自宅での 延命とお別れ” をなさるのがベストではないか。

♣ 40年前 の 1977年 、バングラデッシュ・ダッカ の空港で日本赤軍がテロ事件を起こした(図 3)。時の 総理大臣・福田赳夫(たけお)は 犯人グループを許し、「人一人の生命は地球より重い」 と言う “有名な文句” を謳(うた)って問題解決を図った。以来、この有名な文句が 経済発展に酔った当時の日本人の心を捉え、重犯人であれ 重病人であれ、「命を救うことは天命なり」 の不文律となったのである。人一人の命は 他の地球人口 70億人 の命よりも重いのだろうか? ...... 異論はあろうが 、日本国民は 完全に福田の文句に酔いしれ ‘洗脳’ されてしまったのだ。

延命は誰のため?

♣ 人 皆 平等、格差は すべて是正されるべき … 几帳面な日本人の心を包む ‘優しい’ 思想。極悪犯人の命でさえ 許し救う日本社会であるからこそ、天命が来た親を ‘延命したい’ と言う希望を述べて 何の不都合があろうか … と人々は想う。私は ここで “ミソとクソの区別” などと言って 「ヘリクツ」 を捏()ねようとは思わない … 「延命は誰のためにあるのか?」 を 皆さん方への ‘宿題’ として提供するのみである。1953字  

要約:   日本では 老人の死亡を病院で迎える比率が 過去の 20 % から今 80 % に増大した。  病院死により 親の苦しみは長引くが、これによって 親を見送る子の心は‘救われている’のだろうか? 親の天命を延ばしたいと思う子の延命願望は  哀れ … 哀れ !

   参考: 曽野綾子氏の反応: 人一人の命は 十人の命より 軽いわよ。

職員の声

声 1: 親の天命を延ばしたいと思う子の願望は ”哀れ ! 哀れ ! ”(係り: 死は誰にでも いつかは 訪れる -- しかし肉親の死は 悲しい ... 他人の目で見れば 同情はするけれど ”哀れ ! ” としか言いようがない)。

声 2: 延命は、「苦しみの延長」 に過ぎないから 本人が希望するハズもなく、ゆえに 延命は明らかに 「家族のエゴ」 である(係り: 死に行く親を相手にして、 自分の「エゴ」 を ”親孝行” と勘違いするのは ”哀れ ! ” なことだ)。

声3: 昔は 金もなく 医者も少なかった ... 今は 「国費」 が豊かで 「病院」 もいっぱいある(係り: 福祉の贅沢によって、延命は ”蕎麦の出前” のように 実に気安く注文できる ご時世になった ! )。

声4: 「意識が無くて、”息” をしているだけの命でも良いから延命して欲しい...」 と、もし 私の子たちが望んでいるとしたら 私は怖くなった ... 人工呼吸器 や 胃瘻 はイヤだ、と子たちに言明しておく。

声5: 親の年金に頼って暮らす子たちは沢山いる -- この場合、親の延命は “子のため” である(係り: 自分の親の介護を他人にさせ、その上 小姑 (こじゅうと) よろしく 細かい介護の指示をする家族がいると 蛇蝎 (だかつ) のように嫌われる)。

声6: 時代が移って行くにつれ、むやみな延命を願う子たちは減っていくだろう(係り: 問題は 「時代の変遷」 ではなく、「負担無料」 という 日本の 贅沢な福祉制度 にあるーーそれが 有料だった頃には 「延命騒動」 は ほぼ 無かった)。

声7: 老人の延命問題は、よくて一年か、せいぜい一ヶ月足らず、それのために高価な医療資源が失われる事は、第三者の目から見れば、全くの無駄に映る(係り: 私費の葬式代ならまだしも、延命代は税金(国費)だから不思議な制度だとも言える)。

声8: 無理な延命は必要ないと思う(係り: よく行われる ”食事介助” は ずいぶん無理な延命法であるが、「胃瘻」 は ちっとも無理ではなく、むしろ職員にとっては 「楽」 な延命法である ーー ”無理” とは何であろうか?)。

声9: 寿命とは ”天命” であり、それに逆らって生きることを ”無理” というのではないか ... 老人の寿命が来ても 家族は病院での救済を求めるが、天命の終わった老人は 結局 苦しんで 死んでいく ... 家庭での死を嫌がる風潮は これからも 続いていくのだろうか?(係り:日本人は バカ ではない ... 昔、病院での死は高くついた ... 今は 安価な福祉時代と共に 家族の心がすっかり変わってしまった ーー 本文の初めに記載された (1)~(4) の理由で 「横着」 になったのかも知れない)。





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Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

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