(585) 貧困 と ユートピア


(585) 貧困 と ユートピア 

私はかってドイツの福祉施設を訪問したとき、とても キビキビ 働いている若者たちが あまりに若いので年齢を聞いてみた。

♣ すると、その子たちは 18 ~ 19 歳 と答えた。若いのには 訳があったのだ:―― ドイツには 「兵役の義務」 があるが、個人の信条により 「兵役を拒否」 することができ、その場合には、福祉施設での 「福祉役」 (ふくしえき)で兵役期間を代替可能ということだった。その場合、兵役なら 2 年、福祉役なら 2 年 6ヶ月 であるとのこと。

♣ 日本は原爆以後 70 年間、戦争による死者を一人も出していない。戦死者がいない国、兵役に代わって “福祉役” を採用している国 … どちらの国もすばらしいことだと思う。しかし、私は一人想う:―― 兵役がないのなら、日本も ドイツに倣って 「福祉役」 を3 年 程度 新設したらどうだろうか?

♣ さて、今日の話題とする 「貧困」 について、福祉の現場で日々を過ごす私たちの立場で考えてみよう。貧困とは、主に経済的な理由によって生活が苦しくなり、必要最低限の生活もおぼつかない様子 を言う。しかし、どんな状態を貧困と言うのか、実際の判定基準は様々だ。たとえば、猿 や 狼 に住む家はないが、貧困問題もない。同じく、文明発達 以前 の人の歴史には 貧困問題はなかった。つまり、貧困は 「人間の脳」 がこしらえたもののようだ。

♣ 人間の歴史が始まっても、貧困が 「問題だ」 とは思われていなかった。だって、世の中には空腹な人が沢山いるのは当たり前だったし、戦争で死ぬ兵士がいるのも日常のことであった。そんな中で イギリス の トマス・モア が、やっと 16 世紀 になって 「ユートピア」 (理想郷)を発表したのは、「もし この世に 苦労 がなかったならば」 という豊かな発想があったからこそ、だったのである。

♣ 貧困は歴史的事実であるが、それが はっきり 「不当である」 と位置づけられたのは、やはりフランス革命のモットー 「自由・平等・友愛」 からではないだろうか。基本的に 「人は平等であるべき」 という自由思想が発達したからこそ、“あなたの痛みは私の痛み” にもなったのである。猿 や 狼 にはない、人間的な感覚である。

貧困とユートピア

♣ しかし、政治の問題として国民の所得を 統計的にみる と、どこからが貧困だと判定されるかは はっきりしない。貧困レベルと想定される領域は 散布図 の両端に 数パーセント ずつ 必ず存在している。つまり、貧困の領域そのものを無くすことなど できない。このことは、統計でいう 「頻度分布」 のを見ると すぐ分かる ―― 頻度分布の図では 必ず左右の両端が低くならざるを得ないのだ (上記の散布図を参照)

♣ そのうえ、人間の欲望はとどまることを知らず、生活レベルがいくら上がっても、それは すぐ 「当たり前のこと」 とされ、社会の「統計図上の貧困」 は消えることはない。なぜなら この問題は お金をかけて解決できる問題とは異なり、「生命の多様性」 に基づくものだからである。

♣ ユートピアでは、人は死ぬことなく 貧富の区別もなく 争いもない理想郷を描く。私に言わせてもらえば、「統計的に全員均等な国なんてムリ」 である。そんな統計図なんて あり得ないし、区別もなく均質であれば、それは生命現象でもなくなる。 —— もっとも、トーマス・モア は、厳然としたイギリスの階級社会の中でのユートピアを頭の中で描いたようだったが。

♣ 私は、貧困とは心の舵取り次第で裕福に感じられて来るし、理想のユートピアであっても いざ住んでみれば、貧富の差があるこの世と同じだ、と分かるのではないか と思う。大事なのは、「物ごとを きちんと 判断する能力」 、つまり “良識” (ボン・サンス) なのではないだろうか?

♣ 医療や介護の世界を見ると、昔は “貧困” こそ 悪 (わる)の根源であったが、今は ビックリするほど ‘平等’ に近づいている。私が福祉の仕事を始めた 60 年 前は「措置( そち)の時代」であって、困窮者を社会的に救済する ‘保護政策’ が当たり前であった。ところが 今は、困窮者を 「自立支援」 させる時代となり、「自己選択・ 自己決定」 で物事が運ばれ、「人間としての尊厳」 で すべてが包まれる 「介護保険」 の時代に変わった。

♣ 人々の努力によって貧困は改善され、ユートピアは目の前に近づいたかの感がある。しかし、いつの間にか、社会的な問題は「貧困とユートピア」 よりも むしろ現実的な 「老齢者への対応」 に変わってしまった … 従来 考えたこともなかった 「認知症」 が共通分母として新たに加わったのだ。その中で、人々は 「貧困」 よりも 「老齢」 という 大きな目標の前に立たされているように思う。

♣ 貧困には目標としてのユートピアがあったが、老齢にも やはり 目標とするユートピアがあるのだろうか? もし“ある”とすれば、それは何だろう? 更なる長生き? 医療? 介護?皆さん方の意見を聞かせて頂きたいと思う。 2001字 

 要約:  原始社会に “貧困” はなかったが、人々が経済的な相互関係を結ぶようになって “貧困” の問題が現れてきた。 貧困は社会的に定義されるだろうが、人々の多様性のゆえに、統計的な貧困の領域を無くすことはできない。 貧困への対応が工夫される中、時代は 「貧困とユートピア」 から 「老齢と尊厳」 へ移ってきた。 老齢にもユートピアがあるのだろうか?

職員の声

声1: この世にユートピアという国があるの?(係り: 16 世紀 には “ある” と思われたのだろうが、今は物理的に存在場所がないと判明している; 昔は 「天国・ 地獄」 なんて無い、と言えば 「火あぶり」 にされたので、ユートピアも信じられたのだろう)。

声2 : 原爆・ 終戦後 の日本は貧困だったが、希望には満ちていた; 今は衣食住が足り、エアコンまで付く御代(みよ)になったけれど、人々の心は トゲトゲ しい(係り: 人とは ほんとに難しいと思う … だって、平等が近づけば みんな 仲良しになれるかと思ったのに、“同じはイヤ、個性の区別が必要” と主張して わざわざ “差別” を求める流れもあるんだから)。

声3: 貧困か否かは 心の充足に関わる問題だと思う: マザーテレサ・ ガンジー、または 西行 ・ 良寛さんは貧困とは思えない(係り: まったくその通り ! 私たちは モノの上で平等を求めるだけではなく、良識という心の訓練も併せ勉強するべきだ)。

声4: 高齢になって介護保険だけでは不安である; 若いうちから自分のことは自分で守るべきでしょう?(係り: 政府が 「安全・ 安心」 を全部 配給するようになれば、いつまでたってもユートピアは来ないと思う; 私たちの基本は やはり 「自立心」 でスタートすべきだよね)。
プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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