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(597) 命の重さは どのくらい?

   (597) 命の重さは どのくらい?

近日、東京消防庁より ‘お知らせ’ が舞い込んできた。

♣ このところ、毎年 救急車の搬送件数がうなぎ登りであり、送り主の施設側の協力を求める、という趣旨であった。搬送件数が増えた理由は、年々の「 (イ) 高齢化と (ロ) 人命の重さ」であるとのこと。

♣ その一つのサンプル:―― 90 歳代 の男子で肺癌の末期、施設内で心肺停止となり、家族に連絡すると ‘どこぞ病院への搬送の希望’; 救急隊が接触した病院は 病歴・経過 を尋ねるが、家族も施設も しどろもどろ 。収容先が決まったのは 30 分 も後のことであった。消防庁の希望は「急変は有りうるのだから、普段から情報の準備を」とのことで、至極当たり前の要請である。

♣ 問題 (イ) の患者の高齢化:――介護の洗練化によって、施設のご利用者に限れば 高齢化は当然である … というか、介護の目的は 高齢者の ‘死期の延長’ にあるのだから、高齢化は政府の要請に沿っているのである。

♣ 問題 (ロ) の「人命の重さ」については、複雑な歴史があるので、検討しよう。上記の 90 歳 の男子例は 肺癌の末期であり、すでに 心肺停止 の知らせがあったけれど、救急を求められれば、彼の命は 他のどの命とも同じように重い のであって、万全の対応が必要となる。でも 読者は 状況によって「建て前と本音の区別」があるのでは?とおっしゃるかも知れない。そこで私は いくつかの過去を振り返ってみた。

命の重さは どのくらい?

日本の伝統は、「武士に二言はなく、間違いあれば ‘切腹’ で事を決す」であった。論争ではなく “自分の切腹” が尊いのである。

70 年前 (終戦) までの “軍人勅諭” (ちょくゆ) では、次の項目が守られていた: 義は山よりも重く 死は鴻毛 (こうもう) よりも軽し 。鴻毛とは「羽毛」という意味で()、今どきの人には理解できまい。その時代まで、男の命は「一銭五厘」の値打ち、つまり今の 82 円 ほどの切手代だけで「軍人徴兵」されて当然だったのだ。

だが これに反する情緒派もあった。それは 明治の女流作家・ 与謝野晶子 の「君死に給うことなかれ」である。これは出征して行く 24 歳 の弟に宛てた有名な言葉である。明治時代、若者が死ぬといえば「大君の 辺にこそ 死なめ !」 であって大変に尊敬された死であったが、晶子は「命の重さをわきまえよ ! 」と諭したのであった、が、日本中に “非国民 ! ” として叩かれてしまった。

この論争をすっかり変えたのが 1977 年 の 福田赳夫 (たけお) 元・ 総理大臣である 1) 。ダッカ空港で 日本赤軍 のテロ事件の時、「人の命は地球より重い」という “有名な見解” を下して犯人達を許し、あまつさえ 16 億円 の逃亡資金まで渡す 純情美談 だった。その直後に ドイツ で似たような事件があったが、犯人達は油断した隙に 全員射殺 された。世界はドイツを称賛し、日本を嗤った (わらった)

♣ 問題は 後世の「日本人への影響」である … 国の総理が「命は地球より重い」と政治的見解を下した以上、国家公務員も関連職員も 皆 ビビッてしまい、これに従わざるを得ない。医療・ 介護の法制は 福田赳夫の ‘地球より重い人の命’ という「建て前」に沿わないものは排除されていく。だから、頭記の 90 歳老人 の救急事件で分かる通り、ガン末期で心肺停止した人の命も ‘地球より重い’ 対応をなされたのである。

しかし この問題は「建て前と本音」の点で尾を曳いている。その一例 2) :――今年 2 月、90 歳代 の女性が “気分がすぐれない” の理由で「ヘリコプター救急」を要請した。これに女性作家の SA氏 が噛みついた:まずは ヘリの前に「救急車」があるハズ、ヘリなら コストは 30倍 ! … これは SA氏 の言い分に理があるのだが、世間は “ヘリで何が悪い?” と意見が分かれた!

別の例では:―― 超高級の抗癌剤 「オプジーボ」 の発売 … 一年使うと お一人 3,500 万円 の薬代だ。短期の延命のためにそんな大金を国はどう工面するの?と国中が沸騰している。それもこれも 福田の「地球より重い命」のせいであろう。

すべてがそう行くわけでもなく、ここに 大御所の 麻生太郎・財務大臣 のご登場がある。いわく、「たらたら飲んで食べて、何もしない人の分の医療費を…何で真面目にやってる国民が払うんだ?」、を皮切りに… 「死にたいと本人が言うのなら、死なしてあげるのが筋」、とか「(終末期に) さっさと死ねるようにしてあげることを考えないといけない」、「お前、いつまで生きているつもりだ?」などなど。

世界の先進国は、人の命と地球の重さを比較して 嗤い飛ばされてしまうような 非論理的な政治発言は決してしない … しかし日本では だーれも 切腹などしていないし、現実に福田赳夫氏の “建て前” が 法制上 生きていて、老人の命が量られている。

♣ 私は思う: 命に値札なんかは付いていない … 命に “善悪・軽重” の色などナイ ! 私たちは相互を敬愛するだけで 誠実に生きて行くのが良いと思うが、どうだろうか?1987字

要約: 消防庁は救急連絡にあたって「症状・ 病歴」を明瞭に、との助言、もっともなことである。 命の重さは「羽毛より軽い」と言う人から、「地球より重い」と言う人まである。 先進諸外国はこんなバカな政治論争をしない … 命に値札はついていない … お互い、現実をしっかりみつめて、自分の意見を出そうではないか。

参考: 1) 新谷:「延命は子のため?」;福祉の安全管理 # 571, 2016. 2) 新谷:「人は助かり、国は滅びる?」、ibido #580, 2016.

職員の声

声 1: 90 歳代 で心肺停止した癌末期患者の救急車要請はムリではないか?(係り: 90 歳代 の人が無体な権利の主張をされると 人は鼻白んでしまう … それも‘平等’なのか?)。

声2: イスラムの人質や登山遭難で死にそうな人たちを 仮に救わなかったら、ブーイングの嵐だ(係り: 救助賛成の人たちだけで資金集めをして助ければ気が済むのか?―― 国民の税金頼みはダメ ! )。

声3: 末期老人の延命治療 に対し 日本人は定見を持つべきであろう(係り: 建て前だけでも ‘命は尊い’ と言わなければマスコミに叩かれるよ)。

声4: 命の重さは「平等」だけれど、絶対に 「差」 はあると思う … だって見も知らない人の命って興味が湧かないし、「善きサマリア人」のような美談も生まれないでしょう(係り:)。

声5: 本音としては言い憎いことだが、人が亡くなるときの思いは、若い人と老人では やっぱり違う … 若い人の命は ‘重い’ と思う ―― いや、決して老人の命を軽視している訳ではないが(係り: 麻生太郎・ 財務大臣のように「本音」をつぶやいて頂き、有難う)。

* 新谷:「善きサマリア人の法; 福祉の安全管理 # 101, 2016.
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Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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