(111) 救 急 小 史

(111) 救 急 小 史

  パールに住んでいると、周辺で救急車のサイレンを耳にしない日はない、と言っても過言ではない。

♣ パールの駐車場にも、たびたび救急車が停まる。若い職員たちは、ごく普通の見慣れた風景と思うだろうが、実は違う。この風景の出発点は、元・ 総理大臣、かつノーベル平和賞をもらった 佐藤栄作氏 の病気だったのである。氏は 1975 年、築地の料亭で脳卒中の発作により意識不明となった。しかし、病院への搬送を勧める医師らの申し出を、家族は頑として拒んだ。「脳卒中は動かしてはならない」という俗説を、かたくなに信じたていたからだ。このため、栄作氏を近くの 大学病院 に運ぶことはならず、逆に病院職員を、その料亭に移した。そして、氏は 19日 後 亡くなった。

♣ 今としては信じられないだろうが、35 年 前には「救急」なんて存在しなかったのだ。昔から、急病・ 急変・ 外傷 はあった; しかし、それへの対応の基本は「絶対安静」だったた。事実、大抵のドクターは、「脳卒中で倒れたのなら、玄関であれトイレであれ、そこに布団を運べ、決して本人を動かしてはならない」と信じていた。

♣ その理由: ① CT検査は 1980 年 出現、それまでは 頭の事故は安静第一の時代、② 病院で使えるのは酸素のみ、IVH や 抗凝固療法 はなし、③ 脳卒中の外科など無し; つまり病院に運ぶメリットは少なかったのである。でも、この事件を機に 2 年後 (1977年)、「外傷救急」という概念が提唱され、その分類として、一次救急 (夜などでも病院外来で診る) 、二次 (ともかく入院できる )、三次 (病院に専門医がいる) が出来た。1980 年 ころ、CT や 心電図モニター が普及し始め、救急医療が社会に注目されるようになった。やっと 25 年 まえ(1986年) 消防法が改正され、今のような 救急車 が動き始め、それも外科疾患だけでなく、内科領域の患者さんにも適用されるようになった。
救 急 小 史

♣ それ以前の救急患者さんはどうしていたのか? 一つの例を挙げよう。佐藤総理 と同じころ、真夜中に頭痛を訴える患者さんが助けを求めて電話、私は車を運転して東京都の郊外 清瀬市 まで出かけた。その方は女性、電話で訴える方は旦那さま、顔も場所も見知らぬ関係だった。苦労しながら、患者さんと旦那さまを車に乗せ、病院 (心研) にお連れし、「クモ膜下出血の疑い」とまで診断できた。しかし、そのころには、まだ脳外科 が十分発達していなくて大騒ぎのあと、他病院の専門医 を見つけ バトンタッチ、救命ができたことを、昨日の事のように思い出す。それに比べて、現代は夢のように極楽だ。

♣ イギリスでは、治療を受けようとしても、予約制で、早くて 3ヶ月 待ち。開業医は 「ゲイト・ キーパー」と言われ、面倒な球を的に入れないように 撥ねる役目 を果たすという (無用な患者さんを病院に入れない) → サッチャー政権の医療抑止の結果である。

♣ アメリカでは 支払い困難な救急患者の運搬を「ダンピング」 (dumping, ゴミ運び) と呼び、医療費問題は深刻だ→ 去年 5 月、この「安全管理」の席で “マイケル・ ムーア監督” の「シッコ」という映画を見て、お話をした通りだ (~事故で指を 2 本 失った旋盤工! 一本 しか治すお金が無かった);人のことは言えない; 日本の厚労省は 「医療費亡国論」 を打ちたて、医療・ 介護は欧米並みにレベルを落したい、と思っているのだろうか?

♣ 本来、救急とは、まず 隣人が積極的に救命 に協力することから始まったものだろう。善意に基づく行為であり、結果責任も問われないという合意があった。それが、日本の社会の発展とともにシステム化され、効率も上がり、また皮肉なことに 「結果責任を問う」 、という時代になりつつある。でも、「国民の総幸福」を高めているのは世界の中で日本の医療が一番上だ、思われる。福祉も 北欧並み に、飛びぬけて高いレベルにあると思わないか?日本は世界の中で、「お後からお先へ !! 」を実現した 高いレベルの救急と介護を実現した社会ではないかと思っている。

参考:  新谷: 「善き (よき) サマリア人の法」; 福祉における安全管理 # 101, 2011.

職員の声  (2016.10.11)

声1: 40 年 前、私の祖父は脳卒中で倒れ、病院には行かず 家で亡くなった(係り: その頃には救急車も救急室もなく、脳卒中は水が飲めず、家で「脱水」で亡くなるのが普通だった)。

声2: 35 年 前、まだ救急車はなく、仮に救急受診があっても その日の一般当直医が臨時対応するのみだった(係り: その頃、専門医を呼び出す 「スマホ」 もなく、命は時の運に任せるしかなかった――小児科だけは専門当直のいる所もあったが、医師数は少なく、週に 2 回 も深夜当直で、やがてバテた)。

声3: 近所のおばさんが頭痛で 119 番 を呼んだら、来てくれたけど病院搬送を断られた … 救急車はタクシー代わりに呼んではいけないのだった)。

声4: 日本人は甘え過ぎで良いものを タダで 求め過ぎだと思う … 公費がかさむ割に イザ と言う時に間に合わなくなる(係り: 日本では “命は地球より重い” という信念があって、些細 (ささい) なことで医療も救急車も大繁盛だが、こんな国は世界中どこにもない)。

職員の声 (2011.2.14)

声1: その昔はどうしていたのか?(係り: 徒歩でおんぶ、自家用車、バス、パトカー . . . とにかく自力で病院にたどり着いた;しかし 病院に専門の救急外来などなく、当直医が 臨時対応 をした)。

声2: 脳卒中=絶対安静 という「俗説」は 30 年 前まで生きていたのか(係り: 皆さんのお爺様がたにお聞きになれば分かる; 先祖代々そうしていたはずだ)。

声3: いまの救急では タライマワシ などの問題が後を絶たない(係り: 救急車の充足は早かったが、受け止める医療のお手当てはゼロ、一人 の一般当直医だけ の対応では目が回るだけ)。

声4: 厚生省は モラルの低下、「医療費亡国論」をぶち上げたが、いまでも 救急車が通ると 一般車はみな 道路の傍に停止する(係り: 私は救急のモラルはまだ日本で健全だと思う)。

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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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