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(601) アルツハイマー の 扉

 (601) アルツハイマーの扉 
     
  皆さん方は アルツハイマーと聞いても「耳タコ」ではないか?ところが案外にアルツハイマーには 知られなかった大事な「扉」が何枚かあり、しかも終わりの「扉」はまだ開かれていない。今日はそんな話をしよう。

アロイス・ アルツハイマーはオーストリアの精神科医()であり、約百年前 (1906年)嫉妬妄想と徘徊トラブル等をもつ 52 歳 の女性の事例を発表した。当時の医学レベルの診断は「脳梅毒による “老人性痴呆” か?」であったが、脳の解剖所見はまるで異なり、不思議な「脳萎縮と老人斑」を伴う、従来 報告の無かった所見が見られた。

アルツハイマーの扉

4 年 後にアルツハイマーの師匠である エミール・ク レペリンがこの疾患を、発見した弟子の名をとり 「アルツハイマー病」 と名付けた。

アルツハイマー病の場合、長い名前をつづめて単に “AD” (Alzheimer Disease)と呼ぶ事がある――本文でも以下 略語の AD を用いる。そんな経緯 (いきさつ) があるのにもかかわらず、その後半世紀のあいだ、AD はまるで忘れられていたかのようだ。1960年頃になって 日本で老人の認知障害は AD ではないか、との主張が増えて来た。

私が習った精神科の教科書 (1955 年版)では AD は精神科の授業では注目される疾患ではなく、当時の日本の平均寿命は 男 63 歳・ 女 67 歳 であって、AD が好発する 65 歳 以上の高齢者は少なかったのである。

「 特養」(= 特別養護老人ホーム)は 1963年 に初めて設立されたが、痴呆は「精神病」と見做されていたから福祉措置の対象ではなく、実際 1970年 以前の痴呆患者は福祉施設に入所することはできず、行く先は「家庭で看るか 精神病院」しかなかった。その上、「痴呆は家の恥」と見做される空気があり、家庭内の場合、患者は部屋に閉じ込められて生活していたようで、その症例記述の一例を次に示す 1 )

♣ 7 3歳 男性のM さんは老人性痴呆で、座敷の四畳半の部屋に閉じ込められていた: 自宅なのに帰宅願望が強く 部屋の中で徘徊・ 不眠・ オムツちぎり … 排泄はオマル、汚れた部屋で 差し入れられた食物を モグモグ 食べていた。家族は本人が外に出られないようにし、外部からも気付かれないようにしていた。

1970年代 になるとビックリするように社会状況が変わった。有名なのは 1972年 出版の「恍惚 (こうこつ) の人」という小説である。重い痴呆で舅 (しゅうと) の繁造(84歳)は、熱心に介護をしてくれる嫁の昭子をいじめたが、息子の信利は知らん顔、その哀れな実状を記述した有吉佐和子の作品は当時の社会の注目を集めた。しかし国民は「老人痴呆」の実態に ただひたすら驚くのみで、社会的救済の動きは少なかった。その頃には、有名な「痴呆の長谷川スケール」 が世に問われ、啓蒙的な病院や施設で「痴呆の現状」が記録されるようになった。

1973 年 は「福祉元年」と呼ばれ 2 ) 、老人医療費の無料化・ 寝たきり老人の保護などが始まっていたが、まだ日本の平均年齢は 男 69 歳・ 女 74 歳であって、現在の それぞれが 81 歳・ 87 歳に比べれば、老人問題は “序の口” であったようで、依然として「座敷閉じ込め」の問題は残っていた。

ここで「痴呆患者」にとって 驚くような展望が示された――1986 年、「痴呆患者が特養に入所」できるようになったのである。まだ措置制度下であったけれど、「座敷閉じ込め」の ‘哀れさ’ が少しずつ解決される機運が訪れて来た。1990年代 に入ると「宅老所・ グループホーム」などの 痴呆老人の居場所が増えて来た。

その10年 後、2000年 に何が起こったのかは 誰もがご存知の通りである (介護保険 !!!)。 さらに、差別感に悩まされていた 「痴呆」 という病名が 「認知症」 に言い換えられる事態が 2004年の事であった。これで AD は 晴れて美しい響きの「認知症」に昇格したのである。

しかし AD の扉はまだまだ厚い。その厚い扉とは何か? それは AD が 「病気」 なのか、それとも 単なる 「老化症状」 なのかの論議である。

♣ 現在のところ、AD は「脳内へアミロイドβの蓄積、神経原線維変化」等を原因とする 「病気」 として説明されるが、動物実験および人での観察で それに否定的な報告が相次いでいる 3 ) 。また、もし病気であるのなら、おのずと発症の好発年齢があるハズであるが、認知症は年齢が進むほど罹患数が直線的に増え、110歳には ほぼ全員が罹患するという “特異な罹患分布” を示している 4 ) … そんな分布を示す病気は「老化」以外にはないように思える。

♣ 以上、アルツハイマーの扉を 10 枚 ほど開いてみた。今でこそ AD は昔からあった病気のように 日常的 であるが、実はごく近年に開かれた扉だったのである。長寿になった人々の裏に秘められ AD 、国民みんなの宿命であるアルツハイマー病 … 我々の AD に対する関心と戦いは今後とも続いて止むことはないのでないか。2038字

要約: アルツハイマー博士がこの病気を 1906 年 に発見して以来 約半世紀のあいだ、「痴呆」は世間の注目を浴びなかった。 その半世紀後、日本の 1970 年代 、「痴呆は家の恥」として患者は まだ座敷に隠される事態であり、1986 年 になって初めて「痴呆」は「特養」に入所できる資格を得た。 2004 年、「痴呆」は「認知症」と改名されたが、現在でも認知症が「病気なのか 単なる老衰なのか」の論議が重ねられ、今後の対応方針が検討され続けている。

参考:  1) ケアサポ:認知症の人の歴史を学びませんか、#2 「座敷牢で暮らす認知症の人」。ネットYahoo2 ) 新谷:「福祉元年は1973年」、福祉における安全管理 #569, 2016. 3) 柳沢勝彦:「認知症最新研究」、学士会会報 # 920 p.76, 2016. 4 ) 新谷:「木を見て森も見よう」; 福祉における安全管理 # 598, 2016.

職員の声

声1: 年寄りボケは「病気」であり、その結果 脳が萎縮して行く、とは考えられないのか?(答: 例えば 白髪・老眼・老人性難聴・皮膚のしみ・しわ・残歯数減少 などを「病気」と言えるだろうか? ...もし老化が病気であるなら、治療によって治るハズだが)。

声2: 私の長年のデイサービスの経験から、認知症は「病気」というより「老化」と考えるほうが頭の整理が出来やすい… 治療の努力にも拘わらずヒトはやがて逝くではないか(答: 考え方が A であろうと B であろうと、対応や結果は何にも変わらないね)。

声3: アルツハイマーが「病気」であれば「予防や治療」も可能になるであろうが、「老化」であれば防ぎようがなく、尊厳をもってサポートするしかない(答: 60 歳 頃から始まって、罹患者はどんどん増え、 110 歳 頃には全員がかかってしまう認知症… そんな罹患分布を示す「病気」って、他にあるだろうか?)。

声4: 座敷牢に閉じ込められるか、又は施設に閉じ込められるか … いずれにせよ、認知症の根本的解決は難しい(答: 50年前に比べれば現在は明らかに進歩している ... 人々の知恵と努力は期待に値すると思う)。

図の出典: アロイス・アルツハイマー   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E...

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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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