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(660) 逝 く 齢   来 た 年

(600) 逝 く 齢   来 た 年   

  江戸時代までは、人々が どんな病気で亡くなったか、統計もなく 西洋医学もなかったから推察するほかはない ―― たぶん、栄養失調・外傷・感染症などであっただろう。

♣ 明治時代に入ってから 死因の首位は「結核」、その頃の平均年齢は32歳だった。肺結核で有名な三作家を述べると、徳富蘆花の小説「ほとぎす」では、結婚したばかりの浪子は 18 歳、肺結核で逝った。新進気鋭で明治 5 年に生まれた作家・樋口一葉は 24 歳で、俳人の正岡子規は 36 歳で世を去った。

♣ 昭和も 30 年、私が学生で「公衆衛生実習」の都内会社めぐりで取材した時、会社の健康管理の関心は「社員の結核一色 ! 」だった。そこで私は会社の係り員に尋ねた:“健康管理は結核だけでなく、高血圧・糖尿病・心臓病もあるでしょう?”、と。

♣ 担当者の答が奮っていた: 「高血圧検診なども大切だが、それが原因でも死ぬ年齢は会社を退職した後だろう;会社としては経費を掛けてそこまでの責任を負わない」 、と。その頃の平均年齢は 50 歳で、以前に比べれば 寿命は延びたものの、死因のトップはやはり更年期以前の結核だったのだ !

♣ 昭和 30 年~ 40 年の間、日本では「羽田詣り( まいり) 」という現象が社会の話題を賑わせた ―― それは結核治療薬の情報を “イの一番” に入手して自分の結核を治してもらいたい、という社会の有名人たちがアメリカ帰りの日本人医学者が帰国するたびに彼を取り巻いて有効な薬を得ようとする動きであった。

♣ プロペラ旅客機が羽田に到着するたびに これが行われた。しかし新聞はいつも空振りを報じた = 「結核が薬で治った症例なんて一例もない」 と ! その頃は まだ平均寿命 50 歳を越えることだけが念願の時代だったのだ。

♣ ところが 結核に有効な ストレプトマイシン の開発が突如発表され、日本の状況はめまぐるしく変わった。やがて結核の死亡順位は 1 位から 10 位以下に落ち、社会には幸せが転げ込んだのである。だがその幸せも長く続かなかった。結核死亡率が落ち込めば、ガン・心臓病・脳卒中がバトンタッチを受け、伸び上がって来たのである。

♣ しかし感染症の結核と違い、これらの病気の罹患年齢は中年から初老期に移った。結核の後に増えたこれらの病気は「生活習慣病」と呼ばれ、かなりの程度 予防が可能であったのだが、昭和 60 年以降のバブル景気の喜びに酔った日本人は、真面目な予防に気が回らなかった。なかんずくガンは全死亡者の 35 % 程度を占め、現在でもなお 恐怖の王座を占めている。

♣ ところが、そんな状況でもガンを乗り越えて生き残る人々はどんどん増え、人口はついに戦後の 6 千万から 1 億 2 千万と倍増し、平均寿命も 50歳 から現在の 87 歳まで、40 年近く延びた。

♣ これほど短期間にこれほどの長寿が達成された例は “世界広し” といえども 日本が初めてであったと言われる。ところが残念なことながら 「40 年もの長生き」 は幸せの最期を飾るものではなかった―― 実はガンの後釜を狙っている、更に高年齢罹患の 「認知症」 が控えていたのである。

♣ 考えてみると、このような 死因首位の病気の変遷 は、昭和中期までは「若年性の感染症 = 結核」、続いて「中年性の生活習慣病 = ガン・脳卒中など」、そしてその後釜に訪れた「高齢性の変性症 = 認知症など」であった。

逝 く齢 来た年

図の上は 1920 年(大正 9 年)、図の下は 2010 年(平成 22 年)の「年齢 対 人口」を表す。約 100 年の後、中年部分(青)は結核などの感染症撲滅で著しく増え、老年部分(茶)は福祉政策などで激増、死亡時期も相当に延長したことが読み取れる 1 ) 2)

♣ ここで言う変性症とは 「使い古してガタが来た」 状態を表す言葉であり、視力で表せば “老眼”、聴力で言えば “老人性難聴”、歯の数で見れば ”残歯少数” などである。つまり “脳の変性症” とは認知症と同格の言葉なのである。

♣ そこで今後、問題になるのは「認知症への対応・治療」であろう。2004 年、我々が初めての経験となる認知症 ―― 戦後には「恍惚」 ( こうこつ )と呼ばれ、「痴呆」 (ちほう )と怖れられ、訳の分からない病気と思われた認知症。それも「介護保険」の施行により、対応に困っていた痴呆老人は 福祉の制度を介して家庭から施設へ移され、本人にも家族にも幸せがもたらされるようになった。

♣ 我々は延びた生の喜びを受け止めたが、所詮、いつかは死ぬ。つまり 「逝く齢が来たのならば、やって来たその年をいさぎ良く受け止める」 のだ。 “逝く齢を著しく延ばすこと” はできたが、“更年期の 2 倍も延びた年限を変更すること” はもうできない。我々の努力と成功の足跡は、上で述べた図の上下百年の違いを見つめることで、おのずと満足出来るだろう。しかし悔しいことながら、生命繁殖をしなくなった一個の命には程よい限度があることを素直に認めざるを得ない。

♣ 「ゆく年 くる年」は NHK 最古の番組で、もう 89 年続いているそうだ。年末の 「紅白歌合戦」 が済んだあと、23:45 から翌日の 0:15 までの 30 分間 放送される。それを聞きながら、しみじみと“来し方 行く末”を思い、「オー、とうとうワシにもその年が来たのか ! 」と自覚してみたいものである ... みっともない、だらだらずんぐりの過去を振り返ってみよう。

要約:  1920 年の図を 100 年後の図と見比べれば、結核などの感染症撲滅の努力が良く分かる。 その結果、長生きになった人々は生活習慣病、続いて認知症という試練によって困難な時期を迎えた。しかし医療と福祉の力によって、我々は寿命の根源を抉り取るほどの長命に恵まれた。 逝く齢が訪ねて来れば、来た年を素直に受け入れよう … そして自分の過去の大きさにも感謝しよう。

参考: 1 ) 新谷:「百歳の壁}; 福祉における安全管理 # 619, 2017. 2 ) 新谷:「多死社会は ”天寿死” の社会」; ibid # 649, 2017.

職員の声

声1: 昔の人が今の平均寿命を聞いたらビックリするだろうし、認知症って何?と二度驚くだろう(答: 感染症 → 生活習慣病 → 脳の変性症 という 「原因の変遷」 を説明すれば、すっかり納得するに違いない)。

声2: 人間の賢さは寿命を驚くほど延ばしたが、身体の老化を止めることは出来なかった(答: もし老化を止める術があったら、あなたの家には 500 歳や 1000 歳のご先祖が大勢お住まいだが、それを望みますか?ご自分の老化はやはりイヤだけど、広い心で人々の歴史を眺めてみましょう。

声3: 血の一滴を検査すれば認知症の診断が即座に出来るようになるそうだ … それで認知症は予防できるのか?(答: 混乱が起こるだろう … 「老い」の診断が楽になれば 「老い」 が減るか?を尋ねるようなものです)。

声4: 明るく考えると、認知症とは何か?(答: 動物は死の恐怖を知らない … 認知症の人も死を認識できない … どちらの場合も 最高な幸せが用意されていますよ)。

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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