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(669) 親 孝 行 て 何 だ ろ う ?

(669) 親 孝 行 て 何 だ ろ う ?  

  笹川良一氏は 「日本船舶振興会会長」、衆議院議員の右翼活動家でもあり、1970 年代に「競艇」で財を成した。世界一の金持ちファシストと自称し、「一日一善」・「火の用心」 を標語にして、テレビ界でも名を知られた人だった。

♣ この方の有名さを高めた標語に 「お年寄りを大切にしましょう」 がある。下のは彼が 59 歳のとき 82 歳の母親テル をおんぶして四国の金毘羅(こんぴら)参りをした時の様子を示す銅像で、785 段の石段を登り切ったと伝えられる ―― 大切な母親に 石段を登る苦労を掛けまいとする良一氏の けなげな努力が伺われる。

親孝行て何だろう?

♣ でも、皆さんは どう思われるか? 母親は息子の好意を感謝こそすれ その危なげな足取りを不安に思っておられたのではないか? 銅像を見ると、顔や体の大きさは母子ともにほとんど違わない ―― つまり、軽々と母親を抱え上げて坂道を登ったのではなく努力しながら 一歩一歩石段を踏みしめて 金毘羅参りをしたのである。この銅像を見ると、良一氏の 「言わんとするところ」 が良く分かるではないか? ―― お年寄りを大切にしましょう、とは このように ‘けなげな’ 献身で実行するものなのだ、との見本を示す !

♣ 今から半世紀ほど前までは、親の面倒を最後まで看るのが子の当然な勤めであり、初老期の子供たちは「親孝行」をこの銅像の有様のように捉えていた()。それは “儒教” (じゅきょう)の教えに従っていたのである。

♣ 儒教は第一に 「」 を教える。「孝」 とは両親に対して没我(ぼつが)的な献身を示す。親あっての子だ; 子としてみれば 親から生を受けた御恩は 山よりも高く海よりも深い 。親の安全を守り抜くために子は死をも怖れてはならない; これが儒教の教えであった。つまり、「子は親に尽くすために産まれてきた」 のである。笹川良一氏の銅像は このことを如実(にょじつ)に表わしている。

♣ ところが現在の社会はこれに疑問を投げかける。「孝」 の思想を紐解いてみれば: ―― 生物一般で通用する親の自然行動は 「命を懸けて子を守る」 である;これに対して儒教は 「命を懸けて親の老後を守る」 だ。この教えは「生命進化の道」から明らかにはずれた道であって、もしこれを続ければ 子々孫々の将来は滅亡となってしまう。

♣ 50 年前の笹川良一氏の時代には、まだ儒教に立脚して ‘親を看る’ ことは当然であっただろう。しかし、今は違う ! 何が違うか、その3点 を見ると:――

儒教の「孝」は 2,500 年も前の中国で発生し古代社会に適応した概念である。その頃は人生 50 年に満たず、歳をとった親の口を潤す人は子供しかいなかった。福祉社会の現代の目で見れば 状況はすっかり変わっている。 お年寄りを人口の観点で見ると:―― 50 年前なら老人の頻度は全人口の 2 ~ 3 % に過ぎず、老人は稀で尊い存在であった。しかも彼らの年齢は還暦( 60 歳)前後で おおむね自立していた。

これに反し、社会が安定した現在では、老人の人口は今 10 倍の 27 %、やがて 40 % に膨れる勢いだ ―― つまり人口の半数近くが老人となり、しかも彼らは元気な 50 歳でなく老衰した 90 歳であり、自立はできず、生活を子や孫の肩に依存する。

♣ 老人問題ではしばしば北欧、特にスエーデンの暖かい事情が語られる。しかしながら かの国では 不思議なことに老人の「食事介助」 をしない。したがって 「要介護 4」が少なく、「要介護 5」は実質的に該当者がいなくて 「寝たきり」 も存在しない。それがスエーデンの「老人に対する生命の尊厳」の表れであろうが、国が違えば “食介の事情” もこんなに違ってくる。

♣ 日本では 「親を大切にしましょう」 という標語は今なお堅実に残ってはいるが、笹川氏の銅像が示すような 「誇張」 はもう影をひそめている:―― だって半世紀前に比べて 10 倍にも増えたお年寄りを おんぶして 785 段の石段を登る子供はどこにもいないだろう。親だってそんなことを望むとは思えない。

♣ 戦後 70 余年、「孝行」を思うにしても、今の親は昔と違って、親ではあるけれど “卒寿 90 歳” を越える 「祖父母」 と同格の年配だ。介護保険時代の中、子は子でありながら、すっかり成長した社会人に育ち上がって、子というよりも親に近い。かくして、同時に生存する 爺婆・ 私ら夫婦・ 孫同然の子たち … 年齢の変わった 三世代 の間では、誰が誰に孝行をするのが自然 なのか、その感覚には戸惑うばかりになった現在である。1839字 

要約: 「お年寄りを大切にしましょう」という 古い標語 は今なお生きている。 昔「数が少なく尊い」のがお年寄りだったが、今 「少なく尊い」のは「子供」に変わった。 現代は 祖父母同然の 年老いた親、孫同然なのに齢を取った子、そして その中間の自分たち夫婦、この三世代が相互の間で新しい孝行関係を模索しているのではないか。

員の声

声1: 今でこそ、100 歳のお婆さまを介護する お孫さんの姿 は微笑ましい(答: これは親孝行ではなく祖母孝行だね … 昔の婆さまは 50 歳くらいだったから まだ元気で、孝行を受ける齢ではなかった)。

声2: 高齢者への孝行は良い習慣だと思うが、何歳まで行えば良いのか?(答: 2,500 年昔の孔子さまの時代なら 50 ~ 60 歳くらいで終わりだったろう … もし孔子さまが現在の 90 ~ 100 歳までの親孝行をご覧になると きっと腰を抜かすね)。

声3: 孝行する子の齢が 70 歳以上の高齢であることも少なくない現代 (老々介護)、さらに子供に逆孝行する人もある(答: 孝行を発明した元祖の孔子さまビックリだね … 孝行というより むしろ現代風の愛情と言うべきか)。

声4: 時代が変わって:―― 「親孝行 するよりも されたい 私なり」 (答: 私はもう老人なのに、我が親はまだ生存中で気が抜けない … 私の子はもう 30 過ぎたし、疲れた私が孝行をして貰いたいほどである)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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