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(667) 平 等 と 貧 富

   (667) 平 等 と 貧 富

  私はかって ドイツ の福祉施設を訪問したとき、とても キビキビ 働いている男子の若者たちが あまりに若いので年齢を聞いてみた。

♣ すると、その子たちは 18 ~ 19 歳、と答えた。若いのには訳があった。ドイツには 「兵役の義務」 があるが、個人の信条により 「兵役を拒否」 することができ、その場合には、2 年の兵役期間を 2 年半 の福祉施設従業で平等な義務 完遂ということだった。日本は原爆以後 72 年間、戦争による死者を一人も出していない。どちらの国も、ある意味で平等を評価していて、すばらしいことである。

♣ 貧富 とは、主に経済的な理由によって生活安定が揺らぐ様子を言う。

♣ しかし、どんな状態を貧富と言うのか、実際の判定基準は様々である。動物にたとえれば、猿や狼 に住む家はないが、貧富の問題もない。同じく、文明発達以前、一万年前の人の歴史には貧富の問題はなかった。つまり、貧富は 「人間の発達した脳」 が その後に こしらえた産物のようだ。

♣ 人間の歴史が始まっても 太古では、貧富が 「不当だ」 とは思われてはいなかった。だって、世の中は 基本的に空腹な人がいっぱいいたし、戦争で死ぬ兵士がいるのも日常のことだった。人生ってそんなものだ、と思われていた。

平等の幸福

♣ 今から 500 年ほど前 (織田信長の時代)、イギリスの トマス・モア が、「ユートピア」 (理想郷)という小説を発表した。彼はその中では ユートピア という島(図1)を想定し、「架空の理想」を描いたことで有名である。そこは 王様や農民の違い はあったが、貧富のない共産主義的社会であった。ユートピアの名称は、転じて現実には存在しない 「理想の社会」 をも意味するようになった。

♣ 200 年前までは貧富はあって当たりまえ ... それが はっきり 「不当なものである」 と位置づけられたのは、やはりフランス革命のモットー 「自由・平等・友愛」 からではないだろうか。基本的に 「平等であるべき」 という自由思想が発達したからこそ 「あなたの痛みは私の痛み」 にもなったのである。猿や狼 には平等なんて理想はなく、人間だって 「平等」 なんていう思想はごく近年の新しい産物だったのだ。

♣ しかし、文明の発達した近年の政治の中で、金銭所得 を統計的に見ると、「平等」の思想からは遠く離れ、現実には 5 % 程度の貧富の領域を無くすことなど できない。このことは、統計でいう 「頻度分布」 の図を頭に描くとすぐ分かる(図 2)。図 の ① ② では共に平均値は等しいが、分布の広がりは ② で大きい。近代政治は この ② を限りなく① の分布に近づけようとする。しかし、どんなに工夫しても、またどんな分布であっても、貧富の領域そのものを消すことはできない。それは人間自身に多様性があるからである。

平等の幸福

♣ また、人間の欲望というものは本質的に天井知らずで、生活レベルが いくら上がっても、それはすぐ 「当然」 とされ、従って社会の 「統計上の貧富領域」 は決して消えることはない。

♣ たとえば、江戸時代のお年寄りと現代の介護老人で、寿命はどちらが長いかを考えればすぐ理解される。現代の寿命は福祉政策のお蔭で、過去に比べて 2 倍に延びた ... だが、現代の長寿者はこれに満足していない。

♣ また、貧富の中央と末端の問題は どうしても消せず、現在ではその差の幅を縮める工夫の結果 、図 3下 のように、一番左端の部分を中央に寄せて 「最頻値」 に近づけることで問題を少なくするのが精一杯のようである。分布上に「裾野」が発生することを これ以上気にしても この問題はお金をかけて解決できる問題ではない。

平等の幸福

♣ トマス・モア のユートピアは、人は死ぬことなく、貧富の区別もなく 争いもない理想郷を論じた。私に言わせてもらえば、「統計的に全員均等な社会」 なんてムリである。区別もなく均質であれば、それは一本の棍棒 (こんぼう) のような分布であって、生命の本質である 「多様性」 は消え去ってしまうだろう。

♣ 私は、貧富とは心の舵取り次第で豊かさを感じられるものだと思う。仮に理想のユートピアであっても いざ住んでみれば、貧富の差があるこの世と同じように不満だ、と分かるのではないか。大事なのは、物ごとを適正に判断する能力、つまり “良識 (ボン・サンス) が必要であろう。

♣ 今の日本の福祉予算は 70 % が老人向け、4 % のみが子供向けであってバランスは 著しく老人優位 であるが、それなら老人は 「頭を転がして喜んでいる」 とあなたは思うか? 人々が求めるユートピアとは、つくずく、統計でもなく金銭でもない、人間臭い「展覧会場の平等」 のようなものだと思う。1827字

要約:  500年前、トーマス・モア は 「ユートピア」 という 「理想郷を描く小説」 を発表して世間の耳目を集めた。 現代の人々は それを参考にして、限りなく老若男女の平等と貧富を探索した。 人間が求めるものは 平等の元での多様性であり、それを一つの 「単純な貧富」として表現されることは適当でないことが判明する。

職員の声

声 1: 「貧富」と聞くだけでもう「平等」とはご縁が無いよ ! (答: 昔より今の方が「富」の多い社会だが、今の方を却って「貧」と思う人もある――本文の 「統計図」 をご覧あれ ! 「貧富」とは すべて すべて 相対的な現象ですよ)。

声2: 人々は 不平等・貧富の差 の中で生まれ育つが、現代の社会はその差が十分に補正されているか?(答: ナポレオンやリンカン は極貧の中で生まれ育ったが、比べて今の社会は素晴らしく調整されている … 上を見ればキリがないし、他力本願では答えようがない)。

声3: 高齢者は、子供よりも遥かに手厚い援助を受けているが、それでも不満が絶えない(答: 多くの今の高齢者は政治家に甘やかされており、「若返り」 の保障でない限り不満が続く)。

声4: 貧富の差を判定するとき、「基準」をどこに置くか、で結果は異なるのだろう(答: 統計上の「標準偏差」を ゼロ にすることは出来ない ―― それは 「生命の多様性」 に基づくものだからだ。もしその統計分布が「正規分布」であれば、それは まず 『不平等』 とは言えないだろう)。 
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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