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(715) 認 知 症 の 健 康 と 幸 せ

  (715) 認 知 症 の 健 康と幸 せ

お年寄りに 「願いごと」 を訊くと たいていの返事は 「健康で長生き、幸せな人生を送りたい」 とおっしゃる。ここで述べられる三つの願い: ① 健康、② 長生き、③ 幸せ、は 認知症に限らず、誰しもの願いであって、ふつうこれ以上の望みはないだろう。そこで一つずつ検討してみよう。

① “健康” : 身体上の元気を表すが、実際には、 身体・ 精神・ 社会の 三要素 で判定することを W.H.O. (世界保健機構) が定めている(図 1)。つまり、まず 肉体的 な健康だけではなく、精神的 健康を尋ねる。三番目に 社会的 にも健康かどうかを見極める。

認知症の健康と幸せ

♣ たいていの人は 健康 = 身体が元気、と思うが、実は 「生き甲斐・ 楽しみ」 があることも 健康の判定には必須なのであり、ボー として家に閉じこもっているのでは健康と言えない。

♣ さらに、健康と言うからには 「人との交流・ 社会との繋がり」 も必須なのだ。 友人やお隣との付き合いも大事であって、肉体・ 精神・ 社会 三つのバランスが取れていてこそ「健康」と言えるのである。このことをお年寄りにキチンと伝えなければいけない。

② “長生き” という願いは何だろう? 人間の願いって一般に天井知らずで、 ふつう何歳になっても 「足りた ! 」 という年齢は存在しない。そうこうしている内に認知力が落ち、「時間音痴」 になって過去や将来のことは理解できなくなる。ただ 口ぐせ で 意味も分からず、“ナガイキしたい” とおっしゃるだけになる。

③ “幸せ” という気持ちは ほとんど主観の塊だから、一番 重要でありながら何とも掴みにくい願いである。「幸せ」 とは、現状に心が満ち足りており さし当りこれより上を目指さす気分でない穏やかな気持ちであろうか。これを樹木の形状に例えると、木のてっぺんにある 「幸せ」 にたどり着くまでに、途中の いくつかの 「満足」 という名の 小枝 がある、と考えてみよう。

♣ 「満足」 の小枝は一応の完成度の高い状態であって、他人にも伝えられ 同感を得ることも出来る。昔のお殿様は “余 (よ) は満足じゃ ! ” とおっしゃるが、小枝に相当する満足を想像 しよう ―― 周囲の家来 (けらい) たちも、殿様の満足を想像できるだろう。いくつかの 小枝の満足が積み重なれば 木のテッペンの 「余は 良き家来を持ち 幸せじゃ ! 」 となる。

♣ さて ここで一つのケア風景を眺めてみる:―― パールの認知症型デイサービスの お年寄り十人ばかりが 「手品」 の演技を小一時間 楽しんだ。その後、エレベーターの中で 一同 ほてって明るい顔つきで 「やー楽しかった、面白かったなー ! 」 と 大はしゃぎだ( 図 2)。
認知症の健康と幸せ
♣ 元の部屋で椅子に座って落ち着いたところ、私はニコニコと尋ねる ―― 今日の手品はおもしろかったですね。 すると十人全部がお互いの 顔を見合わせて言い合う ―― “今 何か 面白いことがあったかな? いや、何もなかったよ … なーみんな ! ” 。つまりさっき見た手品と演劇を、エレベーターから出た 5 分後には 一同全員が完全に忘れているのだ ! それは認知症に典型的な “忘却の幸せ” である(重要な認知症の中核症状)。

♣ 私は思う … 彼らは手品の面白さを 5 分後の今には覚えていないけれど 「手品を見たあの時の喜びと感情は健全だったのに ! 」 と。結局 記憶喪失と共に 「満足も幸せも」 すぐ忘れてしまった。

♣ しかし、一番 大事なことは あの時・ あの瞬間の 「彼らの喜び」 は 他のどの人とも同じだったのである。お年寄りたちは 「短い老い先」 を、その瞬間だけ楽しんでいた訳だ。

♣ 認知症では、昨日の幸せは昨日だけで終了し、今日は今日の 新しい幸せを求める。お年寄りは 「元気で長生きが幸せの元」 と 口ではおっしゃるが、もし 進んだ認知症であったなら、「明日の元気と長生き」 のために 今日の苦労を重ねるような努力は決してしないだろう。

♣ 私どもは、人々が語る 「元気で長生き・ 幸せ」 を時の流れの中で理解する。しかし、認知症の場合は、「元気や長生き」は幼児の‘つぶやき’に過ぎず、「幸せ」 すら 「今の喜びが全て」 であって、その根底には「時・ 所・ 人の見当識喪失」 が奥深く潜んでいるのである。

認知症の健康と幸せ

♣ ロシアの小説家・ トルストイ の 「戦争と平和」 の中に 「君がもし幸せになりたいのなら、そうなり給え」 という名言がある(図 3)。生きることは主体的であるべきだ、という単純なメッセージだが、認知症はある意味で 「喜び = 幸せの表現」 と単純なのか?私たちは ある意味で、すなおに学ぶべきことかも知れない。1882字
 
要約: 「元気で長生きが幸せ」 という ‘つぶやき’ は 健常者だけに意味ある語句のようだ。 認知症にとっては ‘その瞬間の幸せ’ が大事なのであり、過去や将来の喜びを語っても 幸せの感覚は呼び醒まされることはない。 つまり 認知症に ‘きのう’ はなく、また ‘あす’ もないことをよく理解して介護に当たるのが良いだろう。

職員の声

声 1: 認知症で 幸せの瞬間を長持ちさせようとする工夫は必要ありません ... 毎日 出会いのその時 「初めまして」 と告げ、「これからも宜しくお願いします」 で終わるケアで十分でしょう(答: さすがに あなたはベテラン・ナース、素晴らしいご意見です)。

声2: 認知症は進行するにつれ、「失語症」に陥ることも多い … それでも幸せなのか?(答: 犬や猫は 「幸せ」 と発語しないが、「幸せそうなひと時」 を示すこともある … 言葉を発せられない生命は 「他人の観察」 で幸せを表現できるのだろう)。

声3: 長生きが幸せの基 (もと) とは とても思い難い… 人の寿命はヨ レヨ レになる前、70 歳程度で丁度よいのではないか?(答: 70 歳なら、認知症は人口の まだ 3 % くらいの少なさであって有難い … でも どうしたら 70 歳の寿命で人々を納得させられるのだろうか?)。

声4: 認知症は神さまからの最大の贈り物 … つまり問題から 5 分も経てば、喜びも悲しみも忘れてしまって、平静な心の人になる?(答: 難しく言えば、認知症では大脳細胞が少なくなるから、俗物の心も穏やかになるのでしょう)。


プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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