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(763) 死 因 を 囲 む 時 の 流 れ

 (763) 死 因 を 囲 む 時 の 流 れ

 人の死亡原因 (死因) は不思議とは言わないが、時の流れと共に変わり行く。

♣ 特にその原因をと考えれば、環境と医療・ 介護の変遷が大きいであろう。近年は老人の死亡が大多数だから単純な死因がありそうに思えるがが、病気の存在と死因は案外にパラレルではない。そこで今日はその流れを 五つの点 で分析し、介護における死因の実状を参考にしてみよう。

1.年齢と死因の関係図 1 を参照。死亡時の平均年齢は、明治・ 大正時代は信じ難いことながら若く、男女ともに 43 歳 ! つまり 50 歳で逝けば、それは立派な 「若年性老衰死」 であったのだ。死亡年齢は戦後、見るも驚くほど長生きするようになり、今や女性は世界一の 87 歳になった ! 言ってみれば 明治・ 大正時代の 2 倍なのですぞ ! 従って 43 歳時の死因と 87 歳時の死因が同じであるハズはない。昔は「脚気衝心かっけ・しょうしん」という病名、今は「老衰」をひっくるめた病名となった。

2. ガンと年齢の関係。 ガンは大昔からあった。日本でも 明治・ 大正・昭和 の前期まで ガンは静かな死亡原因で怖れられた。しかし、戦後になると ガンはほぼ一直線で増え始め、現在では死亡の 3 割を占める (図 2)。いったいナゼこうなったのか?いろいろ理由が考えられるが、図をじっくり見つめて欲しい。右上がりのガンの死因と並行する大きな他の現象があるではないか。それは右上がりで増える年齢である !

♣ ご存知のように、ガンは年少者には少なく、高齢になって増える。特に人々が 「ガン年齢」 と言われる 70 歳前後に達するとガンの発生が著しく増える。これはどの国であっても同じ事情である。ただしそこを越えて超高齢になるとガン症例は減る … なぜなら ガンを克服して生き延びられた幸運な年齢層が超高齢層なのであるからだ。

3. 心疾患との関係。 死因統計による 「心疾患」 は必ずしも 「心臓病」 ではない。なぜならガンは必ず死ぬから “原因と結果” が一致する。ところが 「心疾患」 という 「死亡診断書の名前」 は、 「死にました、心臓が止まってます、だから心疾患」 と柔らかに死の原因を忖度 (そんたく) するに過ぎない。本当に心臓病が死因であるのなら、それは 急性心筋梗塞・ 重症不整脈・ 重症心筋症 などであって、それは決して、図に見られるようにガンの半分の頻度より遥かに少ない。

4. 肺炎と年齢の関係。 これはケッタイである ! なぜって、図の左側、つまり肺炎は 大正・ 昭和 時代には死因として突出していた。その経過を指でなどってみると、終戦とともに 「ガタ落ち」 となった。理由は歴然 ! 抗生物質のお蔭である。その状態が1980 年頃まで続いたのに、そこから再び増え始めた。

♣ それはナゼ?その理由も簡単だ。戦前の肺炎は 「細菌感染性の肺炎」 であって、主に子供の病気であった。戦後遅くになって現われた肺炎は 「誤嚥性肺炎」 つまり 超高齢老人の ”食事中にムセる” 病 である。同じ 「肺炎」 という言葉を使っているけれど、モノは全く別のものである。

5. 老衰と年齢の関係。 これは 図2 の 「老衰」 の項目を黄色で着色してあるので参照あれ。それを見ると 明治・ 大正 時代の老衰は感染症に次いで頻度が高い。

♣ 上記 「年齢と死因の関係」 で述べたように、その頃の平均年齢は 弱冠 43 歳 … つまりこれが戦前の 「老衰年齢 = 43 歳」 に他ならないのである ! 当時の死亡は小児死亡が多かったので計算上の平均死亡年齢は実印象よりも引き下げられたであろうが、その点を考慮して 10 年ほどを上乗せしても老衰年齢は 53 歳だ ! え?還暦(60歳)はりっぱな「老衰年齢」だったのか?その原因の多くは感染症または 「脚気衝心」 と言われる。現在の老衰は 90 歳~ 100 歳だから まるで別世界の死亡原因のように見える !

♣ 最終の問題点は 「不思議な老衰の経年経過」 にある。図の黄色線を指で辿ってみると、終戦とともに 「老衰」 がガクンと減った。それはナゼ? 戦後の医療はまだ十分に進んではいないから 「高齢」 は関係ない。

♣ ガクンと減った 疾患=老衰 には、同じくガクンと増えた別な疾患が必ず対応するハズ …それは 「脳卒中・ ガン・ 心疾患」 であると見て取れる。だがこのような不連続解釈は不自然、原因は 「診断姿勢の変化」 だったのだろう。つまり 漠然とした 「老衰」 では食い足らず、もっと病気そのものに迫った医学的診断が求められたのである。

♣ これと似た現象が後の 2004 年にも発生している。あれほど戦後 60 年間 毛嫌いされた「老衰」 という診断が見事に復活し始めたのだ。嫌われていた理由、それは戦後 診断・ 治療が高度化 したから、健康保険上の対応病名が「老衰」 だけでは不足だったのだ。介護保険の今、「老衰」という第一診断名が遠慮される理由はなくなったのである。

♣ それに代わって介護保険の時代なら、医療保険時代のタブーに遠慮はいらない ...... 目の前に見てとれる現実の 「老衰」 がもっとも 「合理的な診断名」 の流れになったのである。1964

要約:  戦前の死因には 「老衰」 もベスト・ ファイブに入っていた。ここで老衰といっても平均年齢が 43 歳という不思議な 若年性老衰 であった。 戦後は高齢化に伴ってガンが延びたが、心疾患もその半分程度に頻繁であった。ただしこの場合の心疾患は 「心臓病」 ではなく、老人の死亡を儀礼的に 忖度 (そんたく) した上での 「心疾患」 であった。 戦後 「老衰」 という診断は一時的に忌避 (きひ) されていたが、介護保険のもと、高齢者介護では 目の前に見られる自然な 「老衰」 が再び採用される流れになった。

職員の声

声1: 死に至る道のりの全貌がよく分かったが、将来の理想は全員が老衰死することか?(答: 政府はその方針で指導しており、その上 100 歳老人には 花束と勲章 を下賜するのが習慣だ)。

声2: 老衰が増えたことは介護保険の存在と深い関係があるか?(答: ある ! 昔 還暦の 60 歳頃に死んだものが、今は “40 年間の幸せな年月” が加わり “100 歳” で死ぬ … 立派な福祉政策である、ただし政府は財政難で困り抜いている)。

声3: 平均年齢が 大正時代の 43 歳と平成時代の 87 歳で 生命力の差はどれくらいか?(答: 大正時代の 43 歳女性には まだ 「生理や出産」 があって 「生命進化の当事者」 だったが、平成時代の 87 歳は単なる 「馬齢」 に成り下がった)。

声4: 寿命は延びたが 「幸せ」 はどのくらい延びたか?(答: 寿命が 75 歳程度になった頃は 皆ハッピーだった … ところが 100 までに延びた今が幸せかどうかは疑問である)。

声5: 病院で病気死すれば 病名を付けるに困らないが、施設の高齢死亡の場合、寿命が終わって死ぬ訳だから病名ってあるの?(答: 寿命終了のことを 「老衰」 と名付ける習慣である)。
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
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