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(790) 起 死 再 生

(790) 帰 死 再 生 (きしさいせい) 
    
私たちはナゼこの世に生まれて来たのだろう? また、ナゼこの世を去るのだろうか?

♣ サル(猿)は こんなことを不思議に思わない。しかしヒト(人)は昔から このことを不思議に思ってきた。ヒトが、「どうして あなたは死んだの?」という、この不思議を考えた。 一番古い史跡は この安全管理で お話しした、6万年前の「シャニダールの花粉」1) であった。

♣ 人類は1万年前に「狩猟・採集」の生活から「農耕・飼育」の生活に移ったと言われる。そこで はぐくまれた「死」の不思議を物語る遺跡は あのエジプトのピラミッド群 だ;その中に6000年の「死の歴史」が埋まっている。

♣ エジプトでは ヒトは「死にたくない」のではなく、「一時的に逝くけれど、また 戻ってくるゆえ、その時に入る体を残しておく」という思想であり、それが「ミイラ」の文化であった。2000年前の「秦の始皇帝」、彼の「兵馬俑」 (へいばよう) は見る者を圧倒する;その壮観は 私たちを「死と不死の不思議さ」の中に いざなう。

♣ ところで 科学の世界での「死と不死」は 面白い展開を示している。今日は まず 「死」とは何?から始める 。2)

2020-9-19 テロメア 2

♣ ヒトの死は ① 体の部分死と ② 体の全体死に分けて考えよう。体の部分死については「ヘイフリックの回数券 (テロメア) ()」が面白い 3) 。ヒトの体を構成する細胞は一生の間 同じものではなく、テロメア回数券を使って 約50回ほど部分的に死んで入れ替わる。

♣ 皮膚細胞・胃腸の上皮細胞などは 毎日 何億個も死に、仕事をし終わって古くなった細胞が新しい細胞に入れ替わっている。その意味で、私らの体は 毎日おびただしい組織の“部分死”によって維持されているのだ。また、その入れ替わりの回数は有限であるから(50回前後)、全体として有限となるのである。

♣ 他方、ヒトの体のうち、「脳細胞」は ナゼか 一生入れ替わらない。つまりその有効期限は「定期券」のように、ずっーと先、しかし一回ポッキリの限度で死に達っする 4) 。体の部分によって、その死が「回数券」を使い切っての“部分死”、「定期券」のように“期限切れによる全体死”で比喩的に異なって表わされるとは なんと面白い話だ。

♣ でも、細胞の死に方については、参考になる 別な「 二つの手掛かり」がある。その ③ として外因死がある; つまり、外傷・飢餓・病気・被捕食などの 本人に死の責任がない死だ。昔は外因子で死の大半が説明された が、現今の「老衰」では これらが原因となることは少ない。

♣ その ④ として内因死がある:これは「定期券の期限切れ」で「死」を説明しようとするものだ。以前 お伝えしたように 5) 、細胞は 遺伝子の指令によって部分死することがあり、「アポトーシス」と呼ばれる。ギリシャ語で「葉や花が散る」という意味だ。例によく挙げられるのが「オタマジャクシの尻尾」だ。尻尾は消えて無くなるけれど、それは吸収されて生命の前進に繋がっている。
アポビオーシス2020-9-19

♣ もう一つの細胞死は「寿命がつきる」という意味の「アポ・ビオーシス」である 。これは、細胞が “不明な理由”で ひたすら ちぢんで消え去り生命が終わる、という考えで、脳細胞や筋肉細胞の死を説明する … 脳細胞は 誰でも 毎日 10万個ずつ消えて行く。このアポ・ビオーシスは「死を司る遺伝子」の働きによるものだが、「まだ そんな遺伝子は発見されていない」という報告 6) と矛盾し、論争のあるところだ。

♣ 人々が求める「不死」のうち、「外因死」は 現在では医療・介護によって 多くは もう防がれているし、残る「内因死」に関しても、「アポトーシス」なら生命の延長に基づくものだから 長生きには関係ない。

♣ 要するに、私たちが言葉に出して言う「死」とは「内因死のうちの“アポ・ビオーシス”」だけが問題視される。人に限らず、各種の動物が ナゼ それぞれ固有の寿命(アポ・ビオーシス)持っているのか、は残念ながら 今は不明である。

・♣ つまり、もし人が「不死」=「帰死再生」を望むのであれば、まず “遺伝子” を改変せざるを得ないことに突き当たるだろう。1665字

要約:  人間は ナゼ死ぬのかを昔から不思議に思っていた。 死は「内因死」と「外因死」に分けられる。内因死はアポトーシスと呼ばれ、オタマジャクシの尻尾が消えて無くなるような死であって 生命には前進的・有益的な死である。もう一つの内因死はアポ・ビオーシスと呼ばれ、細胞が ひたすら ちじんで 不明な理由によって消えて行くことを示す。 この最後の叙述=”不明な理由” こそが真に知りたいの「死」の原因であって、多くの場合、 ”高齢の” 「臓器使い古し=設計上の期限切れ」 がそれに相当するのではなかろうか。

参考: 1) 新谷:「シャニダールと福祉」;福祉の安全管理 #23, 2010. 2) 新谷 :「人はナゼ死ぬか?」; ibid #99, 2011. 3) 新谷:「ヘイフリックの回数券」; ibid #92, 2010. 4) 田沼靖一:「死と不死のサイエンス」: Newton 4 : 74~83, 2011. 5) 新谷:「長寿とアポトーシス」;ibid #109, 2011. 6) 新谷:「1000歳時代の安全管理」;ibid #53, 2010.

職員の声

声1: 部分死 vs 全体死、内因死 vs 全体死、を初めて聞いた;「死」と言えば 死んだ人の “死” しか思い浮かべなかったが、実際には 私たちの生きた体の中に、細胞の部分死や内因死がいっぱいある事を学んだ(答:小さな部分死や内因死が重なりあって全体死につながって行く)。

声2: 内因死は、組織が遺伝子の命令によって死ぬことだが、これは生命の不思議、神秘的な部分だ;外因死は “事故や怪我など” によるものであれば、理解しやく、防ぎやすい。

声3: アポトーシスは遺伝子の命令で消えて行く細胞の死、オタマジャクシの尻尾はこの作用で消えて行く(答:これに反して アポ・ビオーシスは細胞の寿命が尽きて、小さく縮んで消えていく死であり、脳細胞や筋肉細胞の死、つまり全身の死に繋がって行く)。

声4: 寿命が尽きる、つまりアポ・ビオーシスに逆らうことは出来ないの?(答:医療や介護は これに強く逆らって長生きをもたらし、人生50年 が今や 人生100年 に倍増した … 身体・精神の健康を観察すると もうこれで 充分過ぎるほどの延命ではなかろうか?ーー 人気者のエジプトのミイラ 「ツタンカーメン」の死は19歳だったし、世界の誰もが知っている フランスのナポレオンは51歳で亡くなったのだよ)。

(788) 敬老の日 2020年

(788) 敬老の日 2020年
 
  今月の9月17日(木)は敬老の日である。パールでも例年通り4階ホールで敬老会が催される予定であったが、例によって「新型ウイルス」の「3密」を防ぐために、一箇所への集会がキャンセルされた。そこで「おさらい」だけをしておきたい。

♣ 敬老の日は昭和29年(1954年)に制定された。当初は 「年寄りの日」 と呼ばれていたそうで、その趣旨は 「多年に亙り社会に尽くした老人を敬愛し、長寿を祝う」 ことであった。固定日(9月15日)を祝日と定めたが、その後 第三木曜日に変更され、国を挙げてお祝いをした。終戦後9年目の制定の頃は まだ人生50歳の時代だったので、長寿老人はとても少なかった。

♣ さて、データによると日本の総人口のピークは 今年の統計で<総人口>1億2千596万人【令和2年3月1日現在】で,前年同月に比べ少△28万7千人 (△0.23%)、つまり、日本の人口は 年々減っていく運命である(図)。数年前、生まれた人=106万人、死んだ人=107万人で、マスコミは人口収縮を大きなショックとして報じている。

♣ まあ、従来、日本の人口は増える一方だったから、 「人の数が減る現実」 は やはりショックだったのだろう。徳川時代、日本は3千万人の人口を維持、第二次大戦の頃には 隆盛を誇る 「一億一心」 の1億人に達した。戦後 いったん六千万人程度に収縮した人口も、 戦後 アッという間に倍増の一億二千万人になったのだから凄いものである。

2020-9-19 敬老 頻度

♣ しかし、その中身を見ると 一つの「流れ」が見える。戦後は ひたすら「赤ちゃん」の増加 が人口を押し上げた。ところが、アメリカからサンガー夫人が来訪、産児制限を教えて5年もたつと、赤ちゃんの増加は一服したのだが、それにもかかわらず 総人口はやっぱり増えた——その理由は、お年寄りが 「死ななくなった」 からである !! そして「人生50歳」が わずか75年の間に「人生90歳」になってしまった —— 凄いことではないか !! それが日本経済成長の支えでもあった。しかし、もう 日本人の寿命は天寿に近く、これ以上歳をとるのが困難になった。

♣ でも 百歳老人の数は? : 1960年の100人からスタート、なんと以後 うなぎ登ってグングン増加、2020年の今年は8万人の記録だ。75年間で800倍ですゾ !! ここにこそ「敬老の日」の意味があるように思える。だって 今の老人が戦後の日本経済を支えたのだから、「もっと敬老しなければ ! 」、と思うけれど、800倍の増加と聞けば ”少々不安にもなりかねない。

♣ しかし、多くの超高齢の老人は 「長い、長がーい老後」 の時間を持て余して 暮らすのが常となった。昔から、人間の最大の望みは「元気で長生き」だった。今もこれは変わっていないが、世界一の長寿を享受した日本のご婦人たちは お元気だろうか? 最大寿命の「117歳」の方はお幸せかな?単に不自由なお体を介護して差し上げるだけではなく、やはり 生き甲斐 2) を持って頂く事も大事ではなかろうか?ご本人が「社会への貢献感のある長生き」こそが必要なのではないだろうか?

♣ 今年の「敬老の日」に当たって私は 「社会貢献感のある老後を求める ! 」 を勧めたいと思っている。1138字 Cf#341

職員の声

声 1: 質問です:① 何歳からが敬老の対象ですか? ② 「敬老」より別な良い名称は? (答: ① 65歳。② 人類の平均寿命は一万年ものあいだ40歳以下で、敬老の必要もなかった;寿命が90歳を越える老人が増えて まだ50年程度;これからカッコ良い名前を考えましょう → 英語では "Respect for the Aged" で単調ですね ! )。

声2: 長生きは素晴らしいけど、それを幸せに繋げるのは困難 です(答:少し前までは「元気で長生き」が願いだったのに、昨今は“長生き”が当然となって、その有難みよりも“辛さ”が強調される時代になってしまった ! 「長い、長がーい老後」を持てあます人が増えた)。

声3: 「長寿は悪」ではない ! 「悪いのは老人の生き甲斐の欠如、それと 若者から徴収する過度の税金」です(答: 要介護 5 なら年間 お一人500万円は必要 だ;日本の 家族持ちのサラリーマン、平均年収は500万円に至らない;全額を捧げても お年寄りお一人の支えにならない。マザー・テレサ のように「お金はないが、愛はたっぷり」 から学ぶべきだろう)。

声4: 高齢であっても「人のため・社会のため・赤の他人のため」に尽力している人は 本当に尊敬に値する(答;元気で過ごせるのなら それを志す姿勢が今後の私たちの目標となるでしょう)。

(789) ス エ ー デ ン の 認 知 症 は 優 雅 か ?

(789) スエーデンの認知症は優雅か?  

 多くの皆さん方は 進行する「認知症への対応」で、困り果てておられる。そこで私は福祉先進国の事情を思い出す。

♣ スエーデンでは、前世紀の初頭から老人福祉の先駆的な対応を実行している。彼らはその手始めに「施設介護」を始めた。しかし、大人数の老人を一箇所に集めて介護するのは良くない という結論に達し、グループ・ホームに転換した。仲間の顔や名前を覚えて付き合うためには、数人程度のグループ介護が適当である、との信念による。

♣ 近年では、それがさらに進み、要介護者には独立した 小さな一軒家を与え、ワーカーの 頻繁な訪問介護が主流になった、と聞く。「個人の人権尊重」が その理由だそうである。家族の関与は ほぼなくなっていると言う。

♣ これを実現するためには、かなりの予算が必要だが、まず市民から税金を多く取る。その上、北欧4国はいずれも、国民所得が世界のベスト10に入っていて 財政的に安定しているのだ。つまり、このスエーデンの福祉対策は「優雅」と言えるだろう。

2020--9-19 スエーデン 1

♣ 他方、老人の認知症の症状はどうだろうか? “おさらい”になるが、認知症は、まず短期記憶の喪失で始まる。続いて失見当識(しつけんとうしき)が現れる。つまり「時・所・人」の観念が この順に無くなり、立派な認知症の出来上がりになる1~3)

♣ 私はスエーデンの実情を観察してきたが 4, 5) 、「大声で叫ぶ、どこでも徘徊・放尿、むせて誤嚥」など、その症状は万国共通だった。スエーデンだからと言って、症状はちっとも「優雅」ではなかった。

♣ そこで提言:- 認知症への対応は大変かもしれないが、ケアにおけるパールの三理念(= 人権の尊重、個人の尊重、 伝え合うぬくもり)は、やはり全世界に共通だろうと思うのだ。困難を前にして「めげそう」なこともあるだろうが、それはスエーデンでも同じ ことなのである。迷うことなく、前進して行きたい。795字 Cf#247

参考: 1) 新谷:「時、所、人」、福祉における安全管理、# 30、2010.  2) 新谷、「長寿は嬉しい」、ibid # 120、2011. 3) 新谷、「親切な蛙」、ibid # 145、2011. 4) 新谷、「介護と政府のサイズ」、ibid #63、2010. 5) 新谷、「ミスのひみつ」、ibid # 84 、2010.

職員の声

声1: 介護で抱えている問題は 世界中どこでも同じと知りホッとしました;くじけず前進したい。

声2: 施設介護ではなく 在宅介護を中心とする姿勢が教訓的でした 答:日本でも「在宅介護をもっと進めたい」と政府は言っているが、それは「現在住んでいる在宅であって、その上 家族の手も借りて、安上がりにしたい」ためである;スエーデンは違う;お年寄りを高齢者に適した専用の一軒家に移してケアする ため、多くのお金をかける)。

声3: 自分が認知症であることを認知できない人は、幸ですか? 不幸ですか?(答: 幸でも不幸でもない;「ボケ勝ち」だと思う)。

声4: 税金は高く、「弱者へしわ寄せ」なのではありませんか?(答: 「しわ」は、お年よりにではなく、若い納税者に掛かっているのが実態だ ! 今も昔も お年寄りは「元気で長生き」が合言葉である;しかし 昔は長生きでさえ困難だった;今「元気」は叶わずとも、せめて「世界一 長生き」という現状に添うような ケアをしよう;そうすれば、日本もスエーデンと同格 だと思わないか)。

(787) 高 齢 者 福 祉 と 少 子 化

(787) 高齢者福祉と少子化

  少子高齢化という掛声にはウンザリしませんか?いつもの「安全管理」の話では「高齢」に視線が当たるので、今回は「少子化」に注目しよう。

♣ 子供の出生統計には「完結出生児数」という考えがあり、これは「結婚後、19年経過した夫婦の 平均的な子供の数」のことである。この数は1970年頃から以降、ずっと2.2人で経過し、最近は徐々に低下して2010年の調査で、1.96人と 初めて2.0を割り込んだ()。昔と違って、結婚して平均で二人の子供を産み育てることさえ できなくなった夫婦が増えたのだ。ご自分の周辺で観察する事実と よく一致するのが分かる。

図1
♣「高齢化」は「介護と福祉の賜物」だから、理の当然であって、説明はいらない。しかし「少子化」はナゼ 起こるのだろうか? その原因は 大きく三つある。

平均初婚年齢は2010年度調査で男性30.4歳 女性28.6歳;過去の5年間で男女とも1歳ほど直線的に高齢化している。第一子は 結婚後 すぐ生まれる(1~2年後)が、第二子がなかなか生まれない。女性が第二子を産むのは30代半ば以後が多く、そこで夫婦は「高齢不妊」に陥るようだ。つまり「晩婚化」が少子化の主な原因と言えよう——昔は30歳までに 少なくとも2~3人の子供が生まれたものだ。

「少子化の原因」は、“女性からの声”そのものを示す = 「子育て・教育にお金がかかり過ぎて、昔のように沢山は産めないわ。私も楽(らく)したいし」。政府は「育児費援助」の政策を取っているが、フランスやスエーデンほどに徹底してはいないし、また「子育て支援政策」で少子化が解消しないことは 先進諸国で実証されている。少額の「目腐れ金」では 子は生まれるハズがない。

 逆説的だが、少子化の「真の原因」は 老後を保証する「介護保険の充実」にある、と近年 理解されるようになった。「子育て」というのは、本来、自分の「老後の生活」が掛かっていた、という歴史がある;一定数の子を産まなければ、昔の夫婦の老後は悲惨なものだった。

♣ ところが、この重大な問題を 近年の社会福祉が解決してくれるのだから、苦労の多い子育てをパスする夫婦が激増するのは理の当然だろう——40年くらい前から はやったダブル・インカム・ノー・キッズ(DINKS, Double income, no kids.)(夫婦二人で稼いで、子はいない)は、なるほどラクチンそのものである。

♣ このおかげで沢山の若者が 子作りを怠り、人生を謳歌した !

♣ また、「のんきな一人暮らし」を選ぶ若者の数は この15年で2倍に増えている。でも、子や孫を生まない この人たちの老後の生活を 誰がサポートするのだろうか?

♣ 年金と老人医療制度が進歩するにつれ、人々の心は 親を看る気持ちが薄くなり、自分たちは楽(らく)を求める。社会の維持または社会に貢献する責任感は希薄化して行く。政府・行政・善意の学者たちは 真面目に「高齢者の保障」を考えるが、残念ながら視野が狭く、これが仇になって「少子化」は進み、その結果 世代間の相互扶養型の福祉プランは崩壊に直面している。

♣ 一つのエピソードを挙げよう:- サボテンは放置しておくと 季節がくれば 自然に花を咲かせ、実を結び、繁栄する。しかし もし水を与え肥料を加え、手を加えると、サボテンは大きくこそなれ 実を結ばず 増えもしない。

♣ 人間も同じことだ:老若男女とも 「過保護」 は人間の依存心を深め 心を退廃させる。 「生活の保障」も ほどほどにすべきであり、 将来展望に欠けた 用意未周到の浅知恵政策では 人の心は腐り果ててしまう。

♣ 日本は このことを 近年の福祉政策を通して 経験したハズである。社会保障は 本来の姿に戻って「身障児や生活困難者など」の 本当に困った人々を対象に絞り込むべきではないだろうか?

♣ それなのに、格差を嫌う日本人は 福祉を社会の 「全員に平等適用」 し、その結果、若者たちが 安易に結婚を遠ざけ、または 子供の数を少なく設定して ズルを決め込む現象 を誘発したのだと思う。つまり子を産むことは、昔は「自助」であったものが、だんだん「共助」になり、いまや「公助」に成り代わって来つつある。「介護保険」そのものが 少子化を促進しているのだ。

♣ パールの私たちは「高齢者福祉」の事業に携わっているが、この仕事に熱心であればあるほど「少子化が強まる」 という矛盾に なんだか割り切れないものを感じる。でも、今の「高齢者・その家族・生活保護者」の一般的反応を見ると、「生活を守られるのが当然 ! 」という驕り(おごり)の姿勢 は見られないだろうか?あなた自身も 介護保険に守られる 楽な自分の老後を夢見ていないか?

♣ 現実は厳しい。少子化が続く限り、年金も介護保険も 近い内に破綻するだろう、とささやかれている——。あなたも、新しい思考テーマ=「高齢者福祉と少子化の依存関係を認識」し直してみてはいかがだろうか? 2043字  Cf#272

要約: 完結出生児数は戦後「3」近辺であったものが1970年(昭和45年)以降「2」に落ち込み、更に近年は2を割り込み始めた。  その原因は、世界各国で見られるように 一口でいえば「平和」にある。だが、心は「自助」→「共助」→「公助」の気分に変わり、人々は子を産み育てることは「国の責任」が大きいと思うようになったのだ。 少子化は近い将来の高齢者福祉に大きな差し障りをもたらすという意味を再認識したい。

職員の声

声1: 「介護の仕事に熱心であればあるほど“少子化”が進む」とは 初めて聞きます(:介護の技を磨き、専門性が深まるのは良いことだが、それが社会の少子化に繋がる危惧(きぐ)を理解しよう)。

声2: 私は年金を信用できず、老後のために貯金をしている;今生まれた赤ちゃんが育った後、私のことを介護するなんて考えたことがない(答:昔は 還暦のころ 不安も少なく 静かに逝った、今は政府予算40兆円を掛けているのに 老後は不平・不満だらけ;この「ぬかるみ」から脱しなければいけない)。

声3:
私の解決案:① 婚外子を社会が欧米のように認める;② 若い世代の「投票率」を上げる(:今のままだと、政治家は老人跋扈(ばっこ)の政治しかしない;若者の投票を達成するためには——ここ一番という危機に際しては、W.チャーチル の主張だが、「民主主義を一日凍結」して、若者を投票所へ連れて行く;若者の票が2倍になると 政治は変わる)。

声4: サボテンは「水よ ! 肥料よ ! 」と世話すればするほど「花も咲かず、数も増えない」とのこと:なるほどナと知った(答:お年寄りには「天然介護」*、子供には「愛の誕生」が一番 望ましいだろう。

 *参考: 新谷、「天然介護」;福祉における安全管理、# 260、2012.

(786) 瞬 時 把 握

 (786) 瞬 時 把 握 (しゅんじ はあく) 
 
 今回は「心がけ」の問題として “瞬時把握” を取り上げてみよう。

♣ 私は先週、近所にある某私立中学高校のオーケストラに招待され、出席した。観客席からステージをみると、沢山の学生たちが いろんな楽器を使って演奏する。私はその人数の多さに驚いた。

♣ 私の人数の推定法は:楽器の存在が目立つ管楽器の人数をキチンと20人ほど数える。次に弦楽器は、その2倍ほどあり、その他を合わせて、合計70人程度と推定した。一種の 「一見把握」 である。

♣ 傍にいた夫に声を掛けると、彼は彼なりに人数を数えていた、その数は100人だった。彼の推定法は:観客席に近い第一バイオリンが7人×2列 = 14人、弦楽器の総数は第一バイオリンの四倍と推定できるので 弦楽器は約60人、プラス 管楽器の20人、プラス 打楽器やハープなどが20人、総計100人というものだった。後で探した正解は、コンサート・メニューに出ており、97人だった。瞬時把握において、彼の方が勝っていた。私は人々の人数を把握する彼の方法を学んだ。

♣ それは:まず20人のブロックを目視で区切り、それの何倍で全体数が近似できるか、と暗算する方法だった —— なるほど、これは賢い ! 20人が7ブロックなら ニシチ 140人などだし、30人ブロックを採用すれば サンシチ 210人などとなる計算だ。なるほど、人の話って 聞いてみるもんだ、と思った。

xxxx

♣ このように、「多い」 とは 「どのくらい多い」 のか、あるいは 「不自由」 と聞けば 「どの程度、不自由なのか」 を、根拠をもって瞬時に推定すること を、「瞬時把握」 と呼ぶ。これは介護の仕事をする上で、とても大事なことである。

♣ 頭の体操になるので、他の例を挙げよう : 人の年齢をプラスマイナス5歳で推定してみよう → たいてい当たるだろうね。同じことを「体重」について推定してみる。 さらに役立つのは「B.M.I.」(体格指数)1, 2) の推定だ。B.M.I の正常値は 22 ± 3 である —— この数値が 12 まで落ちると寿命の終点だった。この推定はモロに臨床で役立つ。自分でご利用者のB.M.I.を推定した後、資料を見て 真実を確認しよう。これで、あなたの瞬時把握の練習が一歩前進する。

♣ 把握は 「数」 だけに限らない。ご利用者の心身状態は 考えたくなくても、まず推定してみよう。たとえば「 元気さ、熱さ、笑い など」 。主観に陥らないために、何かの資料を足して、瞬時把握を完成させる。これは 「心がけ」 の問題である。

♣ 400年まえ、ガレレオ・ガリレイはこう言った: 「物事はすべて測りなさい、もし測れないものがあれば、それを測れるように工夫して測りなさい」 と。

♣ ナゼ測ることが必要かですって?私たちは 測ることによって、物事を把握するのである。そこから より正しい真実に近づくことができるのだ。日々の観察、あるいは情報をキャッチして、ケアにおける瞬時把握のゲームを楽しもう。

♣ 特にリーダーとなる人は 観察力と提案力を養うことを奨める。

参考: 1) パールの安全管理 文献 =新谷冨士雄・新谷弘子:体格指数(BMI)から見る生と死の狭間:老人ケア研究 第33号 2010年1月 p12~23. なお、この文献は「パールのホームページ」の1頁目からリンクできます。 2) # 33 : 天寿の終点は B.M.I. ≒ 12。

職員の声

声1: 瞬時把握は 「思い込み」 や 「決め付け」 とは ぜんぜん違う ものですね;私はもっともっと訓練します(:いわゆる 「第一印象」 とは根本的に異なる;瞬時把握には 「しっかりした根拠」 が必要だ——恋する娘を瞬時把握することとはは違う)。

声2: 「ヤマカン」 とも違う のですね(答:試験のときのヤマカンのことか?それは 「当たるも八卦 (はっけ) 当たらぬも八卦」 だろう —— 瞬時把握は 基本的には 「的中」 に近い ものである)。

声3: 物事を 「測る」 というガリレオの意見に納得、瞬時把握は 正確な経験を志すと理解します(答:要介護度の進んだご利用者は生命の危機を判断するのが 日々困難である。そのために 「体格指数」 (B.M.I.) の応用が開発されている;ご利用者たちを毎日見ていると、微妙な変化を見逃すことがあるが、B.M.I.の測定値をグラフで追うと、ガリレオの言う通り、見逃すことは少なくなり、その上、ご利用者を見るだけで見透しが効くように育つ)。 

声4: ご高齢の方々を対象とする私たちの生活では、現状の把握だけでは済まされず、少々先のことまで 「把握したつもり」 で臨みたいものです(答:現状を正しく把握できれば、その情報により将来を透視できるだろう。その杖歩行の方は 一瞬のちに転倒・骨折するかも知れない;さっきむせていたご利用者は 今夜 誤嚥性肺炎で高熱を出すかも知れない:こうなると 「占いの領域」 に入るが、その基礎は 「現状の正しい瞬時把握」 にある のだ)。 Cf#352

プロフィール

ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
安全管理 ふじひろのページ

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