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(494) 本当 の 介護 とは ?

(494) 本当 の 介護 とは ?
  
私たちは介護の世界にトップリ漬かって いる。きのう・今日、そして明日予定に入れている仕事、それはみな介護業務なのだと思っている。

♣ ところが あるパールの職員はこうつぶやいていた:―― 「忙しい毎日を過ごしているけれど、考えてみれば { 本当の介護 }って何だろうな?」。 私は彼のその言葉を聞き逃さなかった . . . ここらで “居眠り介護” をせず、「始めの始め」 から介護のおさらい をしてみたいと思った。

♣ ご存知、2000年 には介護保険がスタート; その背景には 「小説・恍惚の人」 以後の日本社会の変遷がある。つまり三世代家族の衰退と高齢者の増加 ・ 「寝たきりや介護を必要とする老人」 も増加、 収容施設の不足と介護の長期化 (社会的入院など) の問題などへの対応が困難になった。高齢化は必然的に少子化と核家族化を招き、その上 介護者まで高齢化する勢い; 家庭介護だけでは社会の安定は維持できなくなった。 また、病気で入院後、治っても帰る家がない ・ 帰っても介護者がいないなどの社会的入院の解消にも迫られてきた。
本当の介護とは?

♣ かくして介護保険制度は、介護を必要とする高齢者の自立した生活を社会全体で支える仕組みとして生み出された制度である。頭記の {本当の介護} って何だろうな? を考えるために、ここで 法律を紐どいて、介護保険の設立趣旨を読み直してみよう; 原文そのままを音読 して欲しい:――

♣ 介護保険法 第一条 (目的 ) この法律は、加齢に伴って生ずる 心身の変化 に起因する 疾病等 により 要介護状態 となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練 並びに 看護 及び 療養上の管理 その他の医療 を要する者等について、これらの者が 尊厳 を保持 し、その有する能力に応じ 自立 した日常生活 を営むことができるよう、必要な保健医療サービス 及び 福祉サービス に係る 給付を行う ため、国民の 共同連帯の理念 に基づき 介護保険制度 を設け、その行う 保険給付等 に関して 必要な事項 を定め、もって 国民の保健医療の向上 及び 福祉の増進 を図ることを目的とする。つまり、介護保険の目的を一口で言えば 「尊厳と自立の確保」 である ! そこで 「尊厳」 と 「自立」 の意味を考えてみる。

{{ 尊厳 }} とは “人として尊重されること” であり、その反対語は 「人を卑下、冒涜 (ぼうとく) すること」だ。2 世紀前 、フランスの国民は王や僧侶の暴虐に苦しみ、革命を起こして、三つの標語を獲得した (自由 ・ 平等 ・ 友愛)。「自由」 とは “好き勝手に振舞うこと” ではなく、王や僧侶の圧政からの自由であり、フランス国民は ここで人間としての 尊厳 を手に入れた。「平等」 とは “王や僧侶が得ている人格上の平等” であり、民主主義の獲という意味である。三つ目の 「友愛」 は 仲間を大事にし、尊敬し 愛し合うことであり、介護保険の立場で言えば、要介護者は我らの 「仲間であり友である」 から、この相思相愛は絆の基本である。

♣ さて次の介護保険の目的である {{ 自立 }} は意味合いが少々違う ―― 上記の 「尊厳」 は “弱者の求める権利であったが、「自立」 は “弱者に課される義務 である。たぶん、昔は 老人の自立は可能と考えられていたのだろうが、今 「自立」 などは高嶺の花、「依存」 を許容しなければ どうにもならないのが現状である。自立が困難であれば 保護が必要となる が、「尊厳」と両立しながらの保護 は 単なる同情や慈悲とは大きく異なる。「ご利用者は ’自立’ を回復し次第 特養を去る」 という ’決まり’ があるものの、パールでは この15年間で 自立が出来たケースは一例 もない

♣ 介護保険が発足して16年、高度の要介護で長期を過ごした方の予算例を挙げれば、その経費 (年500万円 × 16年 = 8,000万円 ) は通常の家庭で負担しきれるものではない。その財源は国民の税金であり、対象の老人の数は “うなぎ登り” 、財政は疲弊し、やがて全国民は ‘とも倒れ’ の危機に瀕していく。それはナゼか? それは 「身の丈に合った 福祉の全体像」 が見つめられていないから である。

♣ 私は思う: ―― 人は 「天寿」 を全うして逝くのが最大の幸せ であろう。そもそも 「天寿」 とは 人類平等に 「ヘイフリックの限界1) の達成ではないか、と私は思う。つまり “五感の脱落、認知症と骨粗鬆症の進行” 、更に言えば 体格指数 (BM I ) ≒ 12 を伴って 2) 「天寿は達成される」 のである。この状態で 「延命に固執する介護」 は 「納税する国民の溌溂とした活力」 を奪うことになる . . . ナゼなら 「国富」 (こくふ) の総量は決まっているから である。冒頭に示された 「本当の介護」 は、“人がヘイフリックの限界に達す段階までの介護” で終わるのだ、と私は思う。 

結論: ① 介護保険は 「尊厳と自立」 を目的として設立され、「尊厳」 は老人の権利 「自立」 は義務とみなされた。② 尊厳 はおおむね守られたが、自立は超高齢のゆえに困難であり、老人介護は先行き知らずの泥沼介護となった。③ 「本当の介護」 は 天寿の達成まで を目的とする ―― それは 「ヘイフリックの限界年齢」 とみられる。

参考;">: 1) 新谷冨士雄・弘子、「不老長寿」: 福祉における安全管理、#492, 2015. 2) 新谷: 「体格指数 (BM I ) ≒ 12 」は {天寿の指標}: ibido # 489, 2015.

職員の声

声1: 多忙に紛れていたが、介護保険の設立趣旨を読み直すと、当時の「目的」から現在の 「実態」 があまりにもかけ離れている ことを痛感せざるを得ない(係り: 「尊厳」 は権利、 「自立」 は義務と承知している人がどれだけいるだろうか? 諸外国の政治家や福祉家は 日本ほど甘えさせ過ぎてはいない よ)。

声2: 「尊厳」 には ほとんどコストが掛からないが、「自立」 の値段は高価である . . . 自分でできる自立をインチキで放棄している人もあり、また脳疾患では自立なんて期待薄だし . . . 実務的には 最低限の手助けを施し、残りは自己負担とするしかないのでは?(係り: 昔の王様なら家来が多いので何とでもなっただろうが、国民の 4人 に 一人 が老人という現実の社会で 王様レベルの要求なら 納税者は倒れてしまう

声3:自立」 とは “心身・金銭” の全てを依存 しないことだから、老人には困難だろう ―― 他方 「自律」 なら自分の基準で行動することだから、老人に促すことができる(係り: 言葉の彩だけでは解決しないよ . . . 認知症の “中核症状” ( = 記憶障害 ・ 見当識障害 ・ 失行 ・ 失認 など)ならびに “周辺症状( = 徘徊 ・ 不潔 ・ 暴力など) を直視すれば、あまり格好良い目標は立てられない よ)。

声4: 国民の寿命が延びると、身体はしっかり ・ お頭はテンテン という人が多数派になる; こんな人たちに 「自立生活」 を説いても実効を期待できない ―― 彼らは 「ヘイフリック限界」 1) を越えていないか?係り: 神経系は生後 時間をかけて発達するものだが、老年期には一番先に衰える性質を持っている)。

声5: 介護保険の目的のうち 「自立」 は利用者の “義務” であるが、それは年齢とともに困難で、介護は先行き ‘泥沼’ になる、とのこと . . . でも 精一杯の介護を励めば 「自立」 も達成できるようになるのではないか? 係り: 50年前 の保険の立案者はそう考えた . . . だが現実を見よ ! 介護コストの大部分は 「自立不能者への援助」 であり、支援に励めば励むほど 心身機能と介護コストは相反するという悪循環が待っている ―― これが 関係職員の 「本当の介護とは何だろう?」 という心の葛藤を生む)。

声6: 利用者の自立義務は 寄る年波とともに泥沼化して行く ―― 「ヘイフリックの限度」 を考えると、介護は無限と考えず、“天寿まで” を目標としてはどうか? 係り: 国富(こくふ)には限度があるし、確かに コスト・パフォーマンス の原理を無視すべきではないね)。

声7: 在宅介護では、依存心が強く 自立には無関心、それでいて尊厳要求だけは旺盛という方がある . . . そんな方に対する介護は 「本当の介護」 から遠いと思う(係り: 国が派遣する “女中代わり” という意識から抜けきれないのだろう)。

声8: 依存心の強いご利用者に、私は 「介護保険は自立支援を目的としています」 と問い返す ことがある(係り: して貰わにゃ損 損 ! という人は少なくない。私たちは最後まで 介護する人に感謝の言葉をかけることが出来、またそれだけに ‘愛される老人’ でありたいと思うな)。

(492) 不 老 長 寿

(492) 不 老 長 寿

パールでは 毎週 火曜の研修会議で “リベラル・アーツ” ( 一般教養 ) の講義がなされる。話題は介護にまつわる 一般教養 が話され、範囲は介護に関する 文科 ・ 理科 のどの分野にも及び、出席職員は研修記録を提出する。

♣ ある時の職員の記録が私の心に残った。それは:―― 介護の目的 は、お年寄りが お元気で末永くお過ごしになることです: 医療は、たった数十年で大きな躍進を遂げて来ましたが、「ヒトの不老不死」 の分野にだけは 踏み込めず にいます . . . 私は 医療がそれに 取り掛かって下さることを切に希望します、と結んであった。そこで 私は まず 「不老不死」 よりも 実現が近そうな 「不老長寿」 について考えてみた。

♣ 現在、死の原因は次の四つ にまとめられる:―― (a):病気 (b:)飢餓( きが ) (c):捕食(戦争) (d):事故。さて、老人問題であるからには、 (a):病気 以外の原因は 解決したものと見られ、(a)だけが問題となる。

♣ そこで (a): 病気の内容を日本人で頻度順に分析 してみると:―― ① ガン心臓病脳卒中 ④ 誤嚥性肺炎、⑤ ヘイフリックの限界 、となる。不老長寿を願うほどの老人だから、① ② ③ は解決済み、難関は ④ と ⑤ であろう。④ の誤嚥性肺炎は ‘老衰’ の別名であり、近年 TV 新聞で見る超長寿の発表死 因は たいてこれである。

♣ そこで、未解決の ⑤ ヘイフリック限界 について説明しよう。レオナルド ・ ヘイフリック は解剖学者の名前、先日のテレビ会見では ご高齢ながら まだお元気で体操をしておられた。彼は人体の細胞が 一生のあいだ 分裂できる回数が 50回程度 であることを観察し、その回数は 遺伝子の末端に位置する テロメア ) が 調節をしていることを突き止めた。テロメアは遺伝子情報を保護する役目をする。人体にある 数十兆 の細胞は、絶えず分裂活動をすることで人間の生命を維持しているが、細胞が分裂する際、テロメア も 分裂一回 ごとに 短くなってしまう。細胞分裂が 50回 程度に達するとテロメアは消耗され、細胞分裂は終わってしまう ―― この “50回” を ヘイフリック限界 という
不老長寿

♣ 一回分裂後の細胞寿命が平均 2年 の場合、ヒトのヘイフリック限界はおよそ 100歳 に相当し、これが その人の寿命となる。ナゼ 50回 でお仕舞になるのかは未解決の問題である。ただし、ヒトの体内に存在する 「 ( みき )細胞、生殖細胞、ガン細胞」 の 3つ に付属するテロメアは短くならない。つまり、長寿希望なら 全身のテロメアの構造を長命型の 「ガン細胞」 に改良すれば長命となる。

♣ しかし全身にある 60兆個 もの細胞を 一個 ずつ改良するのには 時間が掛かる。仮に 一秒に100個 ずつ改良するとしても、全身細胞の改良にはおよそ 1万年以上 掛かり、その達成は期待できない。つまり、ヒトが大人になったあと遺伝子改良することは不可能なのだ。

♣ もし確実に遺伝子改良したいのなら、ヒトがたった 一個 の受精卵であって、母親の体内にいる時なら、一回 の改良操作で完了する。あなたが たった 一個 の受精卵であったその昔、ご両親の同意を得て その卵を顕微鏡の下に置き、どんな魔法を掛ければ改良できるのだろうか?もし失敗して 奇形児 が産まれたら、その責任は誰が取るのだろうか? 第一、まだ あなたがゼロ歳 の時に 200歳 まで生きたいと思うだろうか?

♣ さて、仮に 万事うまく行き、あなたが 100歳 になった時を考えよう。それほどの科学万能の長寿時代になったのだから、あなたの先輩には 130歳 のご両親が、その上には 160歳 の祖父母夫妻が、さらにその上の 190歳 の曽祖父母夫妻がご健在であっても不思議ではない。あなたは 御自分の介護を子や孫にしてもらうつもりだろうが、その前に まず あなたが率先してご先祖の介護をキチンとなさるのが正しい順番 ではないか?

老人とは想定外に “利己的” であって、「自分の介護は若者がしてくれて当然だが、まさか 年取った自分が苦労して 先祖の介護をするなんて ! 」 と身勝手に思うものだ。でも、そうしなければ、190歳 になった曽祖父母の介護を誰が受け持つのか? つまり長生き人生を希望する者は、まず ご自分よりも年配者の介護を率先してなさるのが だ。そして、 その実績が正しく見えてくれば、世の中は 「不老長寿」 の医療を推進する機運に包まれて行くことだろう。もし、50歳 の更年期を過ぎたあと、徒食の長い老年期 だけを求め、社会貢献に無関心な 「不老長寿」 の願いならば、将来の出口はない だろう。

結論: ① 長命の遺伝子改良は、ヒトが 単一細胞 の受精卵期なら 原理的に可能だろうが、闇雲に これを行うと奇形児の危険が大である。② もし それが実現し 誰もが 200歳 の時代になれば、老人は 100歳 になっても 3代 上のご先祖たちの介護に励まねばならないだろう。③ 要するに、そもそも ( らく )して長命達成という願い は “命の基本概念から外れる” と知るべきである。

職員の声
 
声1: 「ヘイフリックの限界」を初めて知った . . . 老人は100歳の長寿になると 親の世話を あと 100年 する必要があるってことに驚いた 係り: 不老長寿の世の中なら それ以外の方法があるだろうか?)。

声2:お元気で長生きしてください」 という挨拶は ‘まやかし’ だったのでしょうか?(係り: 英語でも “ Long live the King ! ” と言うし、まさか ‘病気で早死にしなさい’ という挨拶はないよ)。

声3: 人生 50年 の時代からみれば、現在は不老長寿の時代と言える ―― にも関わらず 老人は納税者に頼って出来もしない願いを立てる(係り: 人の願いは昔から ‘底なし’ なのだ . . . いちいち咎め立てしてもムダ ! )。

声4: 私はあれこれ加工されることのない 定められた 自分の運命を生きたい、それも社会貢献の一つ だと思う(係り: ヘイフリックの限界 が訪れたら、細胞寿命が尽きた訳で、それを 「天寿」 として受け入れるのは幸福な生き方である)。

声5: 老老介護が多い現在なのに、200歳 を 100歳 が介護するともなれば さぞ辛かろう . . . でも楽(らく)して長生きするなんて そもそも 身勝手すぎるしな(係り: 介護保険の目的は 「尊厳と自立」 と謳 (うた)っている; 「 して貰って当たり前」 の介護ではない)。

声6: 「不老長寿」 は老人の強欲 であり、若者たちは尊敬しない(係り: 無為徒食で社会貢献をしない長命は 残念ながら、イソップのキリギリスに例えられる)。

声7: 社会貢献に無関心な不老長寿なら、先行きの出口はあるハズはない係り: 360歳 まで長生きした ‘武内宿禰’ は本当に 大和朝廷 に貢献できたのだろうか?不思議に思う)。

声8: 「不老長寿」 は歴史的に ‘権力者のはかない願い’ だったが、今や ‘庶民老人の願い’ に成り下がった . . . みんなが ‘ベニクラゲ’ のように 細胞再生 して ウヨウヨ ただよって どうするつもりか?(係り: 年寄りが逝かなければ、(地球資源的に) 赤ちゃんが不必要と同じ意味だ; 若夫婦も子無しで同意するのか?)。

声9: 長命達成は “科学の問題” と言うが、とんでもない ! もし老人が逝かなかったら 莫大な福祉予算を捻出する “社会問題” となる(係り: 現行の ‘長寿胃瘻’ は手術代 20万円 ・ 維持費は年間 500万円 、国家負担は 2兆円 、これの二の舞になること必至 ―― 浅はかな結論を急いではならない)。

   参考 新谷冨士雄・弘子、福祉における安全管理  # 477: 人間の長寿願望、2015.

 

(475) 改訂 六つの 「べからず」

(475)   改訂 六っ の「べ か ら ず」
  
先週の “ヒヤリハット・レポート” から一例 を示す: 「私は K.M.さん(96F) を 夜間 トイレ付き添い をしていた時、外部で人声とアラーム音が鳴ったので、座を外して それに対応した ―― それは不眠の訴えだった。 3分後 に戻ってみると K.M.さん は 立ち上がって便器の傍に転倒、強い痛みを訴えていた。病院へ救急搬送で “大腿骨骨頭骨折” だと判明した」。 → トイレ内の介護中には 絶対に外部対応に気を取られてはならないのに、下記の 「べからず ④ 」 を繰り返してしまった。これは初心者で 第一に学ぶべき大原則である。

♣ 今日の安全管理は、私たちが 場で学んだ六つの 「べからず」 (してはいけない) を述べる。そのあと、皆さんがたに類似の教訓の有無をお訊ねする。おそらく、部署ごとで語られた教訓は いっぱいある と思う。その教訓を 門外不出 にせず、集めて、みんなの教訓にしてみたいと考える。

♣  急がずべからず : 午前4時、警報が鳴る → 毎度のことながら 居室に行ってみたら、今回は Pートイレ前でもう M.A.さん (98F) がベットの傍に倒れていた → 大腿骨骨頭骨折; 病院で手術 ---- 今まで何度も転倒されていた方だったが、今回が 「万年目の亀」 となってしまった。

♣  後ろから声を掛けるべからず: 後ろから名前を呼んで声を掛けたら、O.T.さん(84F) は、振り向きざま ゆらりと転倒、左上腕骨折; 病院で手術 ---- お年寄りの三半規管の機能 (平衡感覚) は落ちているのだ。
改訂 六つの「べからず」
♣  まさか!と油断すべからず: デイサービスの朝、流れ作業で送迎バスから玄関へ人の流れがある; お一人の M.T.さん (90F) が玄関のマットの縁 につまずいて転倒、救急で病院の診察により 鎖骨に変化; 骨折ではなく 「挫傷」 、ほっと胸をなでおろす ---- 畳の 「縁」 に足を取られて転倒する老人は よく知られている → 対策: パールの玄関のマットは 4分の1 の大きさに縮小して、置き場所は中央から横のほうへ はずした。

♣  外で呼ばれても、持ち場を離れるべからず: S.Y.さん(88F) のトイレ介助中遠くから呼び声がする; 氏に 「動かないでね!」 と念押しして、その声のほうに行き、対応をすませ、もとのトイレに戻ったら、氏はその場から移動していて、しかも 転倒 ・ 骨折。 考えてみれば、認知症に 「念押し」 しても、それは無意味だったのだ!

♣  押し問答すべからず: D.Y.さん(79F) のトイレ介助氏は私の同室を拒否、危険を感じたものの、やむなく氏を一人にして、トイレの扉を閉めたところ、氏は中で転倒、骨折 私は責任を問われてしまう( → 本人の意思を尊重したら事故になった、どうすればいいのだろう?)。

日頃「杖歩行」でも、安心すべからず: デイ・サービスが終わり、腰掛けて帰宅順番を待っているとき、A.K.さん (94F) は急に立ち上がり、杖歩行を始めて 8m 行ったところで、杖を足にからませ転倒・骨折 。ご家族は 施設内での骨折であることを理由に 許して下さらず、医療費の全額支払い を求めた。  ① ~ ⑥ は みんな 高齢の女性 !!

♣ 事故への対応 (A) 早く上司へ相談、救急車連絡も考慮、 (B) 家族やキーパーソンへ連絡、 (C) 次のべからず も非常に大事 ! ➡ 家族への報告は、事故の事実を伝えるだけ余分な状況判断を付け加えてはいけない。個人の判断で善意を伝えても、間違っているかも知れず、まして想像上の状況説明は絶対 言ってはならない ―― 後々、裁判沙汰になると 苦境に立たされてしまう。

♣ 参考までに、パールの特養での骨折の現状を述べる。入居者総数は 50名 ( 男6名、 女44名、年齢平均 88歳 )で、大腿骨の骨頭骨折は 入居者の半数近くの 44% (22例) に及んでいた。うち、2 / 3 (14例) は入所前の骨折、残りが入所後の骨折であった。全例が女性で 右骨折と左骨折は同数の 8例 ずつで 左右は 等頻度、両側の骨折は 6例 。問題は骨折の年齢分布であり、70代 = 18%(4例) 、80代 = 23% (5例) 、90代 = 59% (13例) のように 高齢であるほど骨折が多かった

♣ “90代の過半数は骨折しており、さらに 両側骨折は すべて 90代 ” という大変に怖い実情であった。つまり、“女性は高齢になるにつれ まずは骨折する運命にある” という覚悟で介護に当たらねばならないのである。それだけに 「六っの “べからず” 」 という教訓は “介護の金言” とも言えるだろう。

♣ 人間は ‘元気で長生き’ を願うけれど、三つの現実を眺めて見ると: ―― 五感(臭・聴・視・味・触)は毎年衰え、当てにならなくなる; 認知症は 85歳 で人口の半数が罹患し、100歳 で 8割 に達する; は毎年薄くなり 90歳代 では 半数がキビガラになる。これら ① ② ③ の対策は ほとんど不可能であるのに、人は 100歳 に、120歳 になる日を夢見る。

結論: ① 骨折が起こりやすい ‘ 六っの状況’ を叙述し、“油断すべからず” と注意を再度 喚起した。② 女性は高齢になるにつれ まずは ‘骨折する運命にある’ という現実を認識した上で 介護に当たるべきであろう。

職員の声

声1: お話を聞いていてゾッとしたのは ③: まさかと油断すべからず、④: 持ち場を離れるべからず ―― 業務に馴れてくると ③ ④ は盲点になる . . . 自分の仕事が再認識できた(係り: 新米の自動車運転への注意と全く同じだね)。

声2: 言われてみると、私は知らず知らずに ‘べからず’ を犯して来た; 特に高齢女性の骨の特性にはかなわない(係り: 90歳代 女性の骨折の特徴が 「大腿骨の左も右も折れた人が多いことだ」 と聞けば、長寿希望の 110歳 ・ 120歳 の暁( あかつき )達成後には いったい どうなることか、と他人事ながら不安である)。

声3: 玄関や廊下を歩くお年寄りに 私は決してお声を掛けない ―― ご挨拶は お席に着かれた後にする(係り: 大先輩のお言葉を若い新人たちは しっかり、学んでいる)。

声4: 自分がトイレ介助をしている時、もし誰かが外で転倒した音が聞こえても 私は持ち場から離れてはいけないのか?係り: 持ち場を離れてはいけない ―― なぜなら、トイレ内の事はあなたの一次責任であり、仮に外で骨折が発生しても それはあなたの責任外だからである ―― 訴訟 を念頭に置いて ご自分自身を守りなさい)。

声5: 転倒に始まり 寝たきりに至る負のスパイラル」 、 ‘六つのべからず’ は 新人・旧人ともに心すべしだ係り: 自分の勤務領域で骨折が発生すると、その傍にいた人に まず責任の目が向けられ、板挟みの説明に苦労するものだ . . . 普段から ご利用者と家族に 「転倒・骨折の教育」 をよくしておくこと)。

声6: 馴れや‘うっかり’で 「べからず」 の気持ちが薄らいでいた自分に 喝を入れ、今回の ‘六つのべからず’ をしっかりと体に刻み込んだ。

声7: 同じ失敗を繰り返さないように、全職員が ヒヤリハット・レポート の内容を頭に入れるべきだ(係り: パールでは 毎週 これを行っている . . . しかし 滑落 ・ 転倒・ 骨折 ・ 誤嚥 は ‘使いすぎたタイヤのパンク’ と同じで、いくらレポートがあっても ゼロになる日は来ない ―― 人は日々 古くなって行き、 タイヤと違い 新品に入れ替えられる日は 決して来ない ! )。

声8: 今では 私は ご利用者に手が届く範囲、身構え ができる姿勢で対応する習慣をつけた(係り: 立派 ! それでこそ ベテラン選手である)。

声9: 新人の皆さん、明日は我が身だ、 来年には 新しい新人に ご自分の経験を教えてあげて下さい。

(491) 老人 と 赤ちゃん の バランス

  (491) 老人 と 赤ちゃん の バランス 

 近年の日本は、「数年続く人口後退」の話題で花が咲いている。

♣ 明治以降、私らは “日本の人口” と聞けば “増加中 ! ” と反射的に思っていた。だって、日本は永く 「貧乏人の子沢山」 で悩んでいたからだ。ところが 厚労省統計によると、2007年で日本は 死亡者数と出生者数が合い半ばし、人口は以後 減少に転じている()。例えば 昨年 ( 2014年 ) の死亡数は 126万人 であったのに対し、赤ちゃんの出生は 約100万人 ; つまり差し引き 人口減少 26万人 の多死社会だ。この人口の自然減は ここ 8年 連続だが、昨年が最大であった。ここで たいていの国民は “少子化の世相だもの、しょうがないなー” と言う

とんでもない ! 実態は 介護保険が完備された 「金持ちの老沢山」 の悩みなのだ。 をよく見て欲しい。図の上段のカーブは出生数を表すが、確かにそれは 近年 下降しているものの、 1990年 から最近までで、20万人 レベルの低下に過ぎない。他方、死亡者の数は 1980年 から 45万人 レベルの増加となっている (差し引き 年25万人 の減少)。社会の成熟に伴って、日本の赤ちゃんの死亡率は世界最低、つまり日本の死亡者の増加は 主に 「天寿老人の死亡」 が主体なのである。この老人死亡数の増加を 過去の赤ちゃん出生数と比べてみれば、見よ、80年前 には 200万人 を越える多数の赤ちゃんが 毎年 生まれているではないか ! 普通なら 「多産は多死 によって打ち消されてしまうのだが、日本では 戦後の社会改善によって死亡数が激減、しかもそれが 30年間 の長きにわたったのである !( 死期猶予 30年 1 )。
老人と赤ちゃんのバランス

考えてもみよ . . . ヒトは無制限に長くは生きられない。戦前は ‘人生50年’ であった . . . 戦後は徐々に寿命が延び、 ‘人生80年’ になってきた。つまり、明治に生まれた人は、従来であれば昭和に亡くなったものを、今や 平成 まで長生きするようになったのである。さすがに 80歳 越え まで生存すれば、これは人類の自然輪廻の範囲であり、これ以上の長寿は個人差なのではないだろうか ( お釈迦様も昔 80歳 で亡くなられた )。

♣ 出生数が死亡数を下回ることは人口の 「自然減」 と呼ばれるが、日本の現在は 生まれ過ぎた過去の人口が 天然レベルの 「少ない人口に回帰している」 と呼ぶほうが妥当だと思う。 ところが、マスコミは 「少子社会は 現在の養老制度の根底を覆す ! 」 と騒ぎ立てるが、 赤ちゃんは 20歳 になるまで「制度を覆す」ような悪さは出来ない。その上、赤ちゃんや若者をアテにした 「賦課式税制」 で ’現在の老人’が楽をしている という方式にこそ 問題がある。老人と赤ちゃんは 今 絶妙な数のバランスに向かって調整されつつある、と解釈するのが正解ではないか?

♣ 日本の多くの知識人に尋ねてみると 「死亡者は年々減っている」 と、事実に反する答え をする人が圧倒的に多い。その根拠を訊くと、「医療・介護・福祉が過去のどの時代よりも優れている から」 と言う。なるほど 答えには一理がある。確かに、国の予算をみると、税収は 46兆円 であるのに、予算は 「年金 60兆円 ・ 医療40兆円 ・ 介護福祉20兆円 」 。このような過剰福祉でありながら死亡者が増えるのなら、それは国費の無駄遣い であろう。 だが、このような多額の予算を以てしても、天寿というものは越えにくい のが現実であり、事実 死亡者は毎年 26万人 ずつが増えているのだ。ところで、この増加を食い止めようとする 識者たちの試みは正当なのだろうか? その前に、その死亡者の正体を見極めてみよう。

♣ そこで私は 過去を振り返って 謙虚に考えてみる。手をかけ、金をかけても、ヒト寿命の延長には限度がある思う。もう一度、を見て欲しい。確かに 1920年 から 1980年 までの 60年間 、赤ちゃんは大量に産まれた。最初の 20年間 は 「多産 ・ 多死 」 で歴史的な一般過去と同じであったが、戦後になって これが 「少死」 に転じたのである。この現象は 「環境の好転」 によって得られた 「死期猶予 30年 」 と呼ばれる 1) 。この「猶予」によって 死ぬ運命だった人々が 幸せな30年の延命を獲得したあと、今や天寿の時期に至ったのである。つまり 近年 増加した死亡者の主体は ” 80 年ほど前に生まれ、30年間 の延長天寿を享受した超高齢者たちの集団” なのだ。

人は 「本来の遺伝子」 の限度を越えて生存することは出来ない。環境をこれ以上 良く出来れば、つまり 「医療 ・ 介護にもっとお金をかければ」、さらに よぶんの「 死期猶予XX年 」 が期待されるだろうか?その答えは 超高齢者の生身 (なまみ) 心身を診察すれば歴然とする。私は残念ながら それは期待薄だと思う ーー ヒトという存在は、更年期の 2倍 を生きれば 「これぞ限界」、心身は よれよれ になる。だから、過去に得られた 「猶予30年」 は 程よい “オマケ だったのである。もし、猶予年月(例えば、死期猶予 50年 )があったのなら、世の中は どうなっていたかを想像して欲しい。幸い、今は 老人と赤ちゃんの数が 絶妙のバランスの元で 本来の人口の姿に向かって回帰 しつつある、と私は見ている。

結論: ① 日本の人口の実態は 「少子高齢」 ではなく多々老 ・ 少子」である:勘違いしてはいけない。② 日本の人口は 毎年 26万人 ほど減りつつあり、それは主として 80年 以前にたくさん産まれた赤ちゃんが 天寿を迎えていることによる。③ 只今の日本人口は 老人と赤ちゃんの絶妙なバランスの元に、最適な人口状況に向かって回帰しつつあると思われる。

 参考: 新谷冨士雄・弘子:死期猶予30年と介護界、福祉における安全管理 #460, 2014.

  職員の声

声1: 少子化を心配しているのは、賦課 ( ふか ) 式税制 だからであり、それは老人の身勝手に過ぎない(係り: がんらい老人は貯金があるか、子を成したか」 によって生きる道が決まっていた ―― それが 20年前 に 若者の収入を ピンハネ して生きて行ける制度に変更された ーー ( 生きるために、貯金 も 子 も不要 ) ―― つまり 老人にとっては 誠に有難い制度になった。 しかし若者にとって それは 「強制された他人孝行」 に過ぎないし、 この制度を維持するために 若者よ 子を 沢山 産め ! ” の掛け声一つでは 誠に 割が合わないのだ)。

声2: 社会は 「少子高齢化」 と言って、子供の少ないことを嘆いているが、 実態は 「多々老」 が主体である: 老人に掛ける費用の一部を 将来を担う子供にも回す対応も考慮すべきではないか?(係り: それは なかなかできない; ナゼなら国政は 自己中心の老人票の多寡で決まるから)。

声3: 政府が発行する年金漫画で 「あんたが結婚して沢山子を産めば解決することよ ! 」 というのに 娘たちの激しい批判 が集中している(係り: 老人たちは 「オマケの30年1) のおかげで今日生きていられるのに、彼らは 「オマケの延寿」 を感謝するどころか、さらに 若い娘たちにまで寄生して 長生きをしたいと たくらむのか?)。

声4: 生まれた人だけが 死ぬ訳で、将来には 死者 ≒ 出生者 の日がくるだろう; その日までは巨大な老人経費を覚悟せざるを得ないか?(係り: マスコミは 奇を衒って(てらって)今の日本を 「多死社会」 と大見出しで呼ぶが、それは人心を乱すだけだ ―― まるで “生まれた人が二度も死んでいく” と言わんばかりの愚かな誇張 ! ―― 実態を見よ ! 100年前 、沢山生まれた老人が 100年 の天寿を享受 したあと静かに逝き始めた . . . 花が沢山咲いて . . .実がどっさり実った . . . このように 時の経過を愛でる 「果実いっぱい社会」 のような言葉を使って表現しようよ)。

声5: 赤ちゃんの死亡率は小さくて 安定しているので、人口問題とは 「単なる老人の寿命問題」 であり、彼らは 生まれてすでに 100年 も経っていることだし、慌てて騒ぐ人口問題ではない だろうが(係り: 年間 100万人 が生まれ、100年間 生きれば 人口は 1億人 となる; 日本国のサイズでは この規模が 世界的に見て 理想的と思わないか?)。

声6: グラフを見て分かったことだが、多数の老人が 100年 を生き、そして天寿をまっとう して 美しく死んで行く現状に対して 何の余分な対策 が必要なのか? それよりも少子化に予算を振り向けることこそ 立派な対策ではないか(係り: 花咲き 熟 した実は 収穫あるのみ; 若い新芽は嵐から守ろう)。

声7: 只今の日本人口構成は 最良な状況に向かって回帰しつつある . . . なるほどなー、と思った(係り: 老人も若者も 「多々益々弁ず」( たた ますます べんず = 人口爆発 )、などの極楽トンボを主張するのは 誰でもできる ーー ほんとの世の中は トレードオフ (下記の声9 抜きには生きられないよ。

声8: 医療 ・ 介護費 を消耗する多数の老人が逝ってしまえば、現在の若者は息がつけるし 未来も開ける、と思う(係り: あと 30年間 は “年老いた団塊の世代” を まじめに看取らなければならない ―― だって彼らは 60年前 、 「金の卵 」 として 日本社会の希望の星だったのだから)。

声9: 「現在の人口構成こそが 老若の正当なバランスに回帰している のだ」、という理事長の論旨が良く分かった ―― それにしても 現在の社会は みんなの希望が叶った 「多々老社会」 は のハズだったのに、その欠点を探し出 して 「少子化社会 ! 」 となじるマスコミの意見は道理に反する よ(係り: 事前に 「多々老 と 多々子」の両方を バランス良く 養う のはムリ と分かっていたのに、いざ窮地に追い込まれた日本社会は 「多々老 優先」 の旗印 を掲げた ―― 戦後のオマケ期間 1) を みんな遊び呆けて暮らして、なすべき 「少子対策」 に何の手も打たず、―― 今になって 「多々老・多々子の両方は成り立たないと 臍 (ほぞ) を噛む始末;つまり 我々には 真面目な トレードオフ 感覚( trade-off が 今 求められているのだ ―― 福祉の識者は相変わらず 「赤ちゃんも老人も増やしたい」 と極楽トンボで、トレードオフ に無関心だ ―― あなたなら どう決断するか?)。

  参考:  Trade-off = ある選択をすることで 別の何かを犠牲にするという 相反する関係; 何事も 「どの程度の リスク と リターン があるのか」 という視点で考えてみる必要がある。バランスと妥協

(487) 所 変われば 品 変わる

   (487) 所 変われば 品 変わる

 所 変われば 品 変わる、という格言がある。私が一番びっくりしたのは 今を去る 70年 前のこと。

♣ その頃 英語は 「敵性語」 と呼ばれ、敵を憎むあまり 敵の言葉を社会から無くする運動が盛んであった。例えば、ベースボールは (野球) へ、ストライク 3 (良し三つ) 、ボール (駄目)、鉛筆のHB (中庸)、ピアノ (洋琴)、パーマ (電髪)、サイダー (噴出水) などである。

♣ 笑いの頂点は 「ビー動詞の廃絶」 であった。御存知の英語 : ―― I am a boy ( amデスの意味)、You are a girl. ( areデスの意味)、He is my father .( isデスの意味) . . . 「デス」 を いちいち am, are, is の三つに分けるのは愚かだ . . .わが日本語は 「デス」 一本槍で簡単明瞭、I am a boy.は “I デス a boy. You デス a girl . .etc .” にするほうが合理的である、と主張された。 ⇒ 所 変われば 品 変わる、を地 (じ) で行くような気分だった。

♣ 同じ意味の言葉が いろんな現実を演出する . . . その例を「福祉の世界」で見てみよう。 「鶴の恩返し」 という物語がある。苦難を助けられた鶴が 助けた男に恩返しをする、という粗筋 ( あらすじ ) であるが、英語で 「恩返し」 とはどう言うか?日本語で言う 「恩」 は英語の一文字ではナイ ! 強いていえば、「借金、負債、恩恵、感謝」 などの文字を使う。「恩に着るよ」 などは 「あなたに負債があるよ」 を翻訳しなければならない。まあそうかもしれないが、つい簡単にThank you !で済ませたいところである。でも 「鶴は男にサンキューと言った」 では サマにならない なー。
所変われば品変わる

♣ 「介護 も複雑怪奇である ! 「介護」 は日本の新語である ! 英語では 「ケア」 と言うが、それは日本人の 「片想い」 である。その証拠に ”Care” を辞書でひいてみたまえ ―― 心配、気がかり、不安 . . . などから 意味は 20 も 30 も書いてあり、その末のほうに 「介護」 が出ている。だが、私がスエーデンの老人施設を見学したとき、そこの看板に 「CARE」 と英語が使われていた。CARE は英語でありながら世界語でもあるらしい。

♣ さて、あなた 「老後」 って英語でどう言うか想像できますか? “ After old” なんて言うと、腹を抱えて笑われますぞ ! 英語に限らず、「老後」 なんて、日本語でさえ不明瞭な言葉だ。 「老後に備えて貯金しておきます」 と言ったのは、双子の キンさん ・ ギンさん が100歳 のお祝いの金一封を貰った時にテレビで答えた有名な言葉だ。100歳 の人の 「老後」 って何だろうか、テレビ放送を 見ていた国民は大笑い をして拍手したという。正しい老後の英語は単に 「Old (age)」 だけ。何となく頼りないなーって感じだが、あちらでは 「オールド」 という言葉が好まれない ――好まれるのは 「オールド・パー」 (超高級ウイスキー) くらいか?

♣ 「食介」 に移ろう。 御存知、ショッカイ とは 「食事介助」 をつづめた言葉であって、日本では これ無 くして介護施設は成り立たない。ところが私がスエーデンで見学したところ、点滴もなければ食介もない。尋ねてみると答えが返ってきた ―― 「私たちはお年寄りの枕元にパンとスープを置きます . . . それを自分で食べられなければ、その方の人生は終わり なのです」、と。そんな カッコいいことで施設が成り立つのか? 実際、食介を英語にすると 「餌をあげる」 になる。鳥や獣は子に餌を与えるが、子は親に餌を与えない。だから老人への食介行為は 老人の尊厳を著しく傷つける . . . そんな感じなのだ。

徘徊 ( はいかい ) もそうだね。元来それは ‘詩人山谷をさまよって風流な詩作をすること’ だった。今の徘徊は老人にほぼ限定されて用いられる。しかし、実態は人騒がせな行為なのに、なぜか風流でユーモラスな語感があって なかなか良い。この言葉も 対応する英語は無く、 「さまよう、散歩する、遁走( とんそう )する」 で表現しなければならず、翻訳すると 誠に味気ない。 

結論: 英語にあって日本語にないもの、それは明治初期の工夫によって ほとんど片付けられた . . . 例えば、会社 ・ 社会 ・ 哲学 ・ 科学 など。これらの言葉は 江戸時代には存在しなかった。しかし、日本語にあって英語にないものも どっさりあって、その例は、恩 ・ 介護 ・ 老後 ・ 食介 などである。まあ、1 対 1 に対応しない概念だからこそ異文化なのであろうか? 福祉の世界でも 「対応するものがない」 ことを発見すると、あっち と こっち の 福祉の良否が よく見えるような気がするけど、あなたはどう思いますか? 1907字

  職員の声

声1:鶴の恩返し」 に見られるように、日本では 「国体 ・ 先祖 と個人の繋がりを “恩” と解釈」 し、「 とは過剰に お返しするもの」 という社会的了解があるようだ ―― それが日本の介護保険のあり方を支配しているのではないか?(係り: 「恩」 を英語に翻訳しにくい理由は そこにあるのかもね ―― 逆の立場で見れば、 「恩は過剰に 売られている」 のかも知れない、だから 介護予算 が膨れ上がる のかもね)。

声2: ご利用者で 90歳 の女性が英字新聞を読んでいるのでお尋ねしたら、学生の頃から津田塾で 「敵性語」 の英語に慣れているし、異なる意見にも理がある事を知るべき だし、とおっしゃっていた(係り: 京都の 「ぶぶ漬け」 と東京の 「お茶漬け」 ; 少しは違いうらしい中に 大事な意味が隠されている)。

声3: 介護業界の日本語は分かりにくい ―― 介護人 (ヘルパー) 、介護計画書企画事業所 (ケアプランセンター) などの 聞いて分かる言葉に したい(係り: 日本語には “漢字” があるから 漢字表記を求める官僚が多い; 自国語では表現できない国々のほうが多いらしい)。

声4: 海外で食介をしないというけれど、家庭で一緒に住んでいる親が、自力で食べられなくなっても、食介をしないのだろうか?不思議である(係り: 家庭で出来る範囲のことなら “食介” と呼ばないだろう . . . 乳幼児に feed = 餌をあげる’ と言うように)。

声5: スエーデンでは食介をしないというが、もしスエーデンの王様が自分で食べられなくなっても食介をしないのだろうか?(係り: 尊い方々の ‘しきたり’ は庶民には測り知れない ―― ちょうど ソロモン大王 ’ の介護 が 「若い女性の体温を活用」 した故事のように )。

声6: 日本語と外国語で 11 に対応する言葉がないものがある (例 ・ 老後、食介など) ―― その中で、良い福祉の受け止め方にヒントが得られるのか?(係り:透析」 は全世界共通語だけれど、イギリスでは 1980年 以降 老人透析はしない、「延命胃瘻」 についても同じくだ; それが福祉の幸福に繋がるという認識なのだが、日本の意見とは ずいぶん 異なる)。

声7: 同 じ介護でも、家族介護なら 「愛情はあっても知識は不足」 であろうし、施設介護なら 「知識は豊富であっても愛情は二の次」 になるかも知れず、介護における 「所」 と 「品 」は “様々” だ(係り: その昔、 “看護” がそうだったらしい ―― 150年前のクリミア戦争当時の戦病者の扱いは、敵味方は当然 差別 したし、環境は僧院ふうであって科学衛生とは ほど遠かった . . . それを改めたのがナイチンゲールであった: 近代的な “介護” も その始まりはせいぜい 30年 ほど前に過ぎない . . . 所も時代も品も みんな変わりつつある)。

声8: 外国人が行わない介護を日本人が行うのは 「文化と精神の相違」 の現れで当然のことだが、それ故に経費が掛かるとなると困る係り: つまり親孝行、食介に始まる もろもろの延命処置は日本独特であり、その基本は文化の違いよりも 経済的な裕福さにある のかな?)。

声9: 長寿化と引き換えに 「ガン患者国家」 「認知症国家」 が出現した;私は 日本 ・ 世界 に通用する 「本当に役立つケアのあり方」 を研究したい(係り: 死の原因なら、昔は結核、次にガン、そして最期は痴呆 . . . 高齢化と共に この疾病変遷の流れは、仮に予想できたとしても 変更することは出来なかった; だって所詮 ヒトはいつかは死ぬものだし、死の形態がイヤだから産まれて来たくナイ、と言っても産むのは私ではなく親だし . . . きっと一番 自然で役立つアイディアは “更年期で惜しまれて死ぬ” 戦前のパターンだろうなー、でも老人は これを激しく拒否するだろうし . . . 人間、頭が良すぎて 動物のように ‘仲良しグルーミング’ だけでは気が済まず、徹底 して 「ケア」 に励むもんなー . . . 役立つ言葉は “妥協” または “没法子=メイファーズ ” か? → )。
所変われば品変わる

参考:  新谷冨士雄・弘子:ソロモン大王の介護:福祉における安全管理 #4 ソロモン大王の介護、2010.
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ふじひろパール

Author:ふじひろパール
「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

社会福祉法人 パール
安全管理 ふじひろのページ

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