(633) 命 の 設 計 図

 (633) 命 の 設 計 図

もし あなたの気分が高揚していれば、私はあなたに「ヒトの生涯」の設計図を依頼してみたいと思う。

♣ そもそも「ヒト」を設計したのは誰だったのか?これには二つの答がある:―― それは 38 億年 に亙る生命の進化の賜物である、と、これは唯物論の チャールス・ダーウィン が説く進化論だ。 とんでもない ! ヒトはモノではなく 神が 特別に泥を捏ねて創られた最高の作品である、と、これは唯心論の宗教的な神による創造論である。

♣ ① と ② の考えは相互に揉めていて、未だに結論が出ていない。だが、お年寄りの命を日々観察しているあなたは、きっと「お年寄りの命」はどこから来て どこに行くのだろう、と考える日々があるハズだ。昔の優れた先人たちは「身体髪膚 (はっぷ)、これを父母に受く … 敢えて毀傷 (きしょう) せざるは、孝の始めなり」と抽象的に教えたが、介護の実務にこの教えをどう役立てればいいのか?

♣ 江戸の末期、杉田玄白 と言う人が「概念ばかりあって実態の解剖図がない日本の古典医学」に “もどかしくてイジイジ” していたが、ターヘル・アナトミアというオランダ語 の図説解剖学の書籍に出会って目が覚めた。独学でヒトの体の設計図を理解してから初めて正しい医学に進み、その 姿勢が現代にも受け継がれている。

♣ そこで、老人介護の諸問題を「各論」として “どう解決するか” が今 問われてくるが、問うだけではダメだ。ヒトには天寿があるけれど、“この老人が今 その天寿のどの位置を歩んでいるのか?” を確かめなければ話は進まない。それを明らかにするためには、杉田玄白がやったように、「解体新書」のアプローチで、つまり理論だけでなく 「ヒトという生涯の設計図」 を俯瞰 (ふかん) してみるのが手っ取り早いだろう。以下、四つの図 でそれを試みたい。
命の設計図

図1 は年齢別に見た「残歯の数」を示す。歯は「親知らず」の 4 本 を除けば、誰も 28 本 持っているハズだ。図を見れば、30 歳 までは歯の数は欠けていない。しかし 50 歳 を越える頃 から歯の数(残歯)は直線的に減り、80 歳で 10 本 だ …100 歳 ならたぶん残歯は 0 本 と見てよい。これがヒトの歯の健康実態なのである。考えても見よ … 齢とともに残歯が減る理由は何か?歯磨きがヘタだから? それも関係あろうが、遺伝子による歯の設計寿命は、子孫を残せる年齢を考えて 50 歳用 にデザインすれば十分だ、と設計されたのではなかろうか? 子孫に遺伝子を渡さなくなった更年期後の人の歯は朽ちるにまかせても 種 (しゅ) の保存には関係ないからだ。

命の設計図

図2 は年齢別に記録した脳梗塞の頻度を棒グラフにしたものである。見よ、脳梗塞は 50 歳代 で始まり 70 歳代 でピークを迎えている。その年代以後に頻度が減っている理由は、脳梗塞に間引かれて、生き残った人が少なくなるからである。この所見は高齢の動脈硬化によるものであって、心筋梗塞の頻度分布もほぼ同一である。つまり、子孫に遺伝子を渡さなくなった更年期 50 歳 を過ぎると、ヒトの命は 「進化と淘汰」 に無関係な存在となり、統計的に間引かれ始めていくという様子がうかがわれるのだ。

命の設計図

図3 は 年齢を横軸に取った「癌死亡」のグラフである。癌は男女共に 40 歳頃 から増え始め、死亡のピークは 75 歳 である ! 図 2 の脳梗塞の頻度と大変 似ていて、ピーク点が僅かに 5 年 ほど遅れているのみだ。癌は若年性のものもあり、動脈硬化疾患とは趣を異にするが、それにしても 「人生疲労病」 として一括される “三大死亡疾患” = 「脳梗塞・ 心筋梗塞・ 癌」 の頻度パターンが 相互に類似していることに驚かされる。遺伝子は人の健康を 更年期 まで守り、そのあとは 「知らん顔」 なのであろうか?遺伝子の守りが薄くなれば、老眼・骨粗しょう症・糖尿病・高血圧などがぞろぞろ出てきて、図1~図4の現象に至るのか?

命の設計図

図4 は 認知症が年齢と共に多発して行くさまを表し、上記 1~ 3 図 の頻度パターンとは本質的に異なっていて、「ピークを示す年齢」は無い !! 認知症は齢が増すほど増える のであり、このような分布パターンは他に類例を見ない ―― この有様は、頭髪の量や色・ 顔の皺の深さ・ 目耳歯の機能レベル・ 歩行のぎこちなさ など加齢性廃用状況 (歳のせい) を目で見ているような図である。

♣ 認知症は病気なのか?と問われることがあるが、あなたは「白髪・ 老眼・ 難聴・ 入れ歯など」を病気と考えることもあろうが、“歳のせい” とも思うだろう。図4 の頻度分布を見れば 、「認知症の治療」 とは 「年齢を治す」 という行為に通じるものがあり、もし認知症が病気なら治せるかもしれないが、白髪のような「齢」なら治せまい。

♣ あなたがヒトの生涯を設計するとする場合、理想と願望を盛り込む としても、「健康上の分水嶺 = 50 歳の壁」の意味を無視することはできないだろう。杉田玄白は古典医学の伝統理論に満足せず、解体新書の真実を知ることで新しい医学の道を発見した。私たちも彼のように、ヒトの生涯の真実を 「延命願望」 で歪めることなく、上記のような図として俯瞰してみよう。そうすることで、50 歳 以後の健康をより深く理解することができるのではないか?1876字  

要約:

ヒトは更年期まであまり病気をしないが、残歯の年次経過で見られるように、50 歳 以後の老化減衰は直線的である。遺伝子は 子孫を作らなくなった更年期以後の健康に ”知らん顔” をするのだろうか?

50 歳 以後 一番先に ”集団死因” となるものは 70 歳 にピークを持つ動脈硬化(脳梗塞・心筋梗塞)、75 歳 にピークを持つ癌がこれに遅れて続く。① ② を免れても、次の ③ が待っている。

認知症の発症とその経過は独特であって、まず 65 歳 でスタート、以後 5 年 ごとに倍々ゲームの高頻度となり、たぶん 110 歳 で 100 % の罹患となる。もし認知症が “病気” であるのなら必ずピーク年齢があるハズだが、図の罹患パターンは 「老化の深まり」 を示すだけである。

進化論 も 神様も ヒトの生涯を「更年期の分水嶺」で区切るような設計図で書いているように見えるが、あなたなら どう書きたいですか?

職員の声

声1: 認知症そのものは直接の死因にならず、だらだらと老人は増えるばかりか?(答: それは考え方にもよる … 老衰・ 誤嚥性肺炎・ 心不全などは 大抵 認知症が原因であり、事実 オランダの場合、死因の筆頭は 「認知症」 だと記載されている)。

声2: 動物は歯が無くなると死ぬ … その意味で 「義歯と火力調理」 は 「延命の第一方法」 と言えるだろう(答: 義歯と火力無しで 「生 (なま) の自然食」 だけで生きられる限度は 50 歳 に届くだろうか?)。

声3: 哺乳類のうち、成熟期の長い動物は長生きだ … 人間もお産を 40 歳 → 100 歳 まで延ばしたら、きっと更に長生きになるだろう(答: 歯無しの 爺・ 婆 になった後 長生きしたい、と願っても、もう遅い … 30 歳 の頃から “100 歳 まで子を産むよ” と宣言すれば、きっと長生きできると思われる)。

声4: 神様は人間の寿命を 50 歳 程度に決められたが、それを 100 歳 にまで 伸ばしたのは 欲張りの人間の知恵なのだ(答: その通り … 半世紀前まで 「人生は 50 年」 だった … それを 100 歳 までに延ばしたのは人間の知恵である。だから、神の手を借りないで、「難しい老人問題」の解決も人間の知恵で片付けよう)。

(626--2) 加 齢 と 老 後 の 今 後

(626—2) 加齢と老後の今後 (その 2)  

 → 今回の掲載は 5 月 17 日 の # 626 品質会議 の文章と同じである。たまたま、同じものを 2 度 聞きたいとの声が上がったのである。今回は本文を省略し、( 626 -- 2 ) として、「職員の声」のみを提示する。同じ講演ではあるものの、職員の声はやや調子が異なっていた。

職員の声

声1: 動物は寿命が来て ピンコロ で逝くが、人は更年期後 衰えながら「老化」し、ジワリジワリと 50 年 かけて逝く … 私の職業は、人々が求めるジワコロの助け人である(答: 高齢者福祉はすべて 「ジワコロ関連業」 であり 延命を至高目的 とする … ピンコロを望む声も少なくないが、それは 「偽りの矛盾」 である)。

声2: 人間は「老後」を獲得し、幸せになったのか・不幸せか?(答: 本人に尋ねると、“高齢が幸せ” との返事はまず無い ―― しかし、85 歳 を越えれば認知症の合併例が半数を越えてくるので、幸・不幸のような “抽象的な概念” を尋ねても真偽のほどは不明とすべきか?)。

声3: 日本人は 「老化」 を人類初めての社会現象として経験しているのか?(答: そうだと思う … その上 二千年も昔の時代錯誤・儒教 (じゅきょう) の教え(孝行)でその経験を乗り切ろうとするから、社会的な大混乱に見舞われている)。

声4: 私は長命願望だが、「それなら永く産みなさい ! 」 と言われた ... でも 4 人 家族のうち 1人 だけが働くシステムの日本、そんなにたくさんは産めないよ(答: 動物は子孫を「産育」しない年齢になると世代交代で世を去ってきた … 例外は近年の人間だけで、「産育」をやめて気楽な老年期を 50 年ほど確保した。だがそれは種 (しゅ) の繁栄と進化の本筋に違反している。もし正気で長命を求めるのであれば、「産育」を続ける事こそが筋ではないか … ”産まず” の長命には 50 年程度の限度がある ... 産めよ、さらば 命は望みに合わせて延びるであろう)。

(634) 今 の 小 児 科 と 老 人 科

(634) 今 の 小 児 科 と 老 人 科  
 
先日、東大医学部の同級会に出席し、面白い話を聞いた。小児科の同級生は 6 人ほどいるが、異口同音(いくどうおん)に次のような事を語っていた:----

小児科診療は長時間勤務で、しかも深夜などの急変に対する責任は大変重い。子供の病気にも 「ピンキリ」 があり、昔は 三世代生活 (爺婆・ 両親・ 子供)であり、お婆さんの智恵である程度の対応が家庭で出来た。今のお母さん方は 「熱・ 咳・ 汗」 程度の症状で すぐ コンビニ受診に頼り、しかもその目は大変きびしい。

ところが肝心の 「立派な小児病」 は 昔に比べて少なくなった。昔は外来診療をすると麻疹(はしか)などの子で、待合室はにぎやかだった。ところが、ドクターたちが熱心に予防注射などをしてきたせいか、最近 伝染病がすっかり減ってしまった。昔は命取りであった 下痢・ 脱水 の類(たぐい)も減っている。

元来、小児の病気は一元論 (つまり 罹っている病気は一つ) で片付けられていた。一つの病気が治れば、その子に別な病気を探しても 見つかることは ほとんどなかった !! つまり、その病気を治せば、その子とは “おさらば ! ” だったのが実情だった。
今の小児科と老人科

ところが今、私らは小児科医であるにもかかわらず、お母さん方から親の老人病の相談が多い。そこで老人を診ると、

小児科では決してみられない病気の「前立腺肥大症」とか「脳梗塞」「認知症」などがある。

その上、老人たちは 小児と違って病気の数が多く、一人の人が四つも五つもの病気を持ち、毎月 途切れず診療が続く(小児科では病気の切れ目が縁の切れ目だったのに)。つまり全国的に小児科医が老人を診る機会が増えた、というご時勢になった ―― と、このように私の同僚の小児科医たちは語っていた。

♣ また、逆に、老人医療センターで小児科を併設する例もある(東京都多摩老人病院など)。つまり、時代は診療科にとらわれず、お客様をお受けし始める時代に変わったようだ。これからは小児科医が老人を診(み)、老人科医が小児を診る時代になるのだろうか。

♣ 老人福祉でも対象を狭い老人範囲に限っていては、いつかは日干し に会うかもしれない。もっと幅広い活動 —— 保育園、青少年園など —— を念頭に置く必要がある時代に変わってきた。

♣ パールはそれを先取りして、「子供図書館」 を開始して 10 年が経ち、好評である。それに加えて、今年は 「子供テーブル」 と呼ぶ新しい活動を始めた。両親が多忙な家庭の小学・ 中学生たちは 放課後 自宅で孤独な生活を送りがちであり、孤食(夕食を一人で食べる) の淋しさがある。パールでは、夕刻 ~ 夜に空き部屋になる空間へ このような子供たちの生活の場を提供し、併せ、遊び・ 会話 ・ 宿題の時間とする。100 円 の負担で夕食をみんなで一緒に食べる… お迎えに来られる親たちも希望によりご一緒の食事とする。

♣ 私どもの夢は 「今の老人施設」 が同時に 「今の子供施設」 になって、社会の人々みんなが気持ち良く日々を暮らしていけることを目指している。

要約: 小児科はコンビニ受診が増え、昔の大掛かりな「小児病」が減ってきた。 お母さん方が自分の親の病気の相談をするようになり、小児科医は老人病をも手掛けるような時代に変わった。 パールは 「子供テーブル」 活動を始めた。今後は「小児と老人」が同じ生活の場で気持ち良く暮らせるような社会が訪れるだろう。

参考:  新谷:「コンビニ受診」;福祉における安全管理 # 57, 2010.


職員の声

声1 : 小児科医も老人を看る時代になったが、対応に問題はないだろうか?(答: 専門領域はまるで違うが、子供の場合は病気を 「治す」、老人の場合は 「遅らせる」 であって、問題は少ないだろう)。

声2: ビールス疾患などは老人・ 子供の共通の敵であるから、感染防止の責任をよく考えておく(答: 一番に基本的な注意点として認識している)。

声3: 老人は去って行くのみ、子供たちは残って社会を作っていく(答:その意味で、老人優遇と同時に子供も優遇して行きたい)。

声4: 私は 30 年間 幼稚園で働いてきたが、パールは 三世代生活の「子供テーブル」 をスタートさせた … 社会の仕組みとして理想を進んでいると感心した(答: パールは単なる老人施設ではなく 「福祉総合プラザ・パール」 であり、「特養や在宅介護・社会活動教育研究所や夏休みボランティア」などの対応項目はすでに 53 領域 に及んでいる … 「子供テーブル」は 54 番目 の対応であり、ますますプラザは発展して行く)。

(628) 健 康 寿 命 を 長 く し よ う

(628) 健 康 寿 命 を 長 く し よ う

皆さん方ご存知、「平均寿命」とは 今 産まれた赤ちゃんが あと何年生きられるか、を示す用語で、2000 年以降、全世界的に用いられている。

♣ 日本の平均寿命は世界一高くて、昨年度の集計で女性は 86.61 歳・ 男性は 80.21歳 である。世界一なのだから 日本の男女はこれで満足するかといえば、どっこい、もっと長生きしたいのだ。しかし平均寿命って何だ? … これは 「死なないでいる期間」 のことである。というと?

♣ 平均寿命は 「健康寿命」 と 「依存寿命」 に分けて考えられる。前者は、健康で活動的に暮らせる期間; WHO (世界保健機関) が提唱した指標で、平均寿命から、衰弱・ 病気・ 痴呆などによる介護期間を差し引いたものである。つまり元気で活動的な人生が健康寿命であるから、誰だって生きている限り健康でいたいのが当然である。だが、現代の高齢時代、いつかは人さまのお世話の元で生きるだろう。それを 「依存寿命」 と呼ぶ。

♣ 依存寿命は案外に長く、男 9 年・ 女 12 年に及び、これも世界一長い。つまり日本の平均寿命は長くて鼻が高いが、依存寿命(病気期間)も長く、これはあまり威張れるものではなかろう。だから人々に意見を訊くと 「私は健康なまま死にたい」 とおっしゃる。そこで私は訊ね返す … それって健康寿命 “だけ” でいいの? ―― つまり女性で言えば 「74 歳」 でポックリ逝き、その後の依存寿命 12 年間 を放棄するってことが希望なのか?すると彼女はけげんな顔で答える … 「依存寿命の全部を健康寿命に変換して、健康なまま長く生きていたい ... 依存寿命なんていりません ! 」。

♣ 冗談でしょう?人は死ぬ前に何年間かは他人に支えてもらう 新時代 になったのだ … 介護保険はそのために創られた制度である ! 昔なら、だらだら病気を長引かせる 経済余裕 なんて無く、元気さが終ったらすぐ逝ったものだ。しかし戦後、人生 50 年 時代から人生 100 年 時代に向かうにつれ、健康寿命は確かに延びたが、あたかも影を引くように依存寿命も延びて来た。

♣ 依存寿命を好む人はまず居ない … だが、いざ自分が依存寿命の身に陥ったらサッサと逝ってしまうことを望むか?と尋ねれば、実際はまったく逆。依存だろうと病気だろうと、何が何でも 死にたくない のが人情なのである。今は健康保険も介護保険も、あまつさえ冷暖房も完備する時代であり、それに背を向けてサッサトと逝きたい人は まずいない。
健康寿命を長くしよう

♣ 依存寿命を減らしてその分を健康寿命に振り換える工夫はいろいろある。それを主張する代表的な 3 人 に登場を願おう。 40 歳 のスポーツマン === 体を動かし足腰を鍛えれば元気な長生きは確実、認知症も防げる → :これは希望であって現実は異なる。商業的なスポーツは過剰負荷が寿命に差し障るし、認知症が防げるという事実もない。

50 歳 の福祉行政官 ===  禁酒・ 禁煙、成人病を防ぎ バランスの取れた食生活を実行する → : 統計をとれば “その通りの百点満点の答” だ、しかし人々は机上の建前論を聞き飽きている。

60 歳 の大学教授 === 依存状態になる原因は 図 1 の通りであるから、その一つずつを潰していこう :潰せるかどうかを確かめてみよう ... だが、これらはすべて「加齢現象による運命」であるから、これから逃れるためには 「齢をとってはいけない」 しかないではないか ! 医者や学者が大真面目にこう教え、素人はそれを聞いて、私 なんとかがんばります、 と騙される。

健康寿命を長くしよう

♣ 否定ばかりしていては生産的ではない。そこで、せめて「健康長寿の 10 ヶ 条」を紹介してみよう(図 2)。これを一項目ごとに見ると、「万能の人生訓」 を抽象的に仰ぎ見るような気がする。つまり、「依存寿命」を避けるためには聖人君子のような努力が必要なのであり、たぶん、多くの人は 「落第」 候補生だ。その上、統計によると認知症の発生頻度は … 85 歳 で人口の約半数、100 歳 で 8 割 が罹患する。つまり現実的には「寄る年波」に勝つのは容易ではない … ここでも やっぱり「齢をとってはいけない」となるのだろうか?

♣ パールではこのことを踏まえ、介護保険の対象以前で 引き籠りがちな高齢者 グループに図 2 に見られるような内容の練習を 3 年 まえからに開始している (“パールライフ活動”と呼称) 。保険適用ではないから、食事代や活動経費の実費を頂き、毎日 11am ~ 3pm の4時間、「過ごす居場所」 を確保、自主的な参加 とクラブ活動を楽しんでもらっている。これにより社交性も養われるので、調髪・ 衣服・ 言葉づかい など、初期に比べて数段も 「年寄り臭さ」が抜け、健康寿命の延長を目に見るような成功を収めている。1861字 

要約:  人の寿命は「健康寿命と依存寿命」の 2 成分 に分けられる。 依存寿命は案外に長く、男 9 年・女 12 年に及び、支える若年者側の社会的重荷となる。 健康長寿の 原則を述べるのは楽チン、それの実行は なかなか困難、一項目でも実践する事の大切さを日々実感する近年である。

職員の声

声1: みんなが言う「長生き」とは「依存寿命」のことだったのか?それなら欲しくないな(答: そう言っていた人たちも、いざご自分が依存寿命に陥ると、病院通いに熱心になる――人はもっと正直でありたいね)。

声2: 訪問先のご家庭は「健康寿命」でない人たちが主力である … もう健康寿命に戻れないのか? (答: そもそも介護保険は要介護の老人を対象とし、その依存期間を長くすればするほど介護は優秀だ、と評価される。だから、利用者の老齢からみて、健康寿命が回復する日は来ない)。

声3: 依存寿命が長すぎるのは問題だ … 私は自分の依存寿命を自分で決めて書面でしたため、その日程を過ぎたら死ぬ日を家族と医師に決めてもらう(答: 日本はオランダではないから、「死の指示」は法律違反であり、関係者はお縄頂戴となる)。

声4: 健康寿命を終わった人は 他人依存によって本当に人間らしい人生を送れるのか?(答: 「人間らしい」 の定義は何だろう? たとえあなたが 「人間らしくない人生」 と断じても、当の本人は、それでも自分の人生を生きて行きたいのである。



(622) 老 々 ・ 認 々 介 護 の 展 望

(622) 老 々 ・ 認 々介 護 の展 望

今や、戦前の「人生 50 年」から移り変わって「天寿は 100 歳」、人生は昔の 2 倍に膨れ上がった !

♣ 日本では 総人口の内、老人の占める割合は戦前 4 % 程度、戦後ぐいぐいと延びて只今 7 倍の 28 %、団塊 2 世代が加われば 10 倍の 40 % を越す勢いである。これがどんな意味をもつのか、数値で理解するよりも 「感覚」 で受け止めてみよう(図 11 ) … 右端の茶色の部分が老人層を表し、この1世紀で10 倍に増えてきた。

老々・認々介護の展望
               上図: 1920 年(大正 9 年) 
               下図: 2015 年(平成 27 年)
                      図は男性のみ;女性も同じパターン。
                      横軸: 10 歳ごと。 縦軸: 10 万人ごと。

♣ 長生き達成はみんなの希望であるから 大変お目出度いことであるが、老人層の命と生活を支えるのは若年層であるから、ここに新たな社会問題が発生した。つまり肩にずっしりとのしかかる 「ヒト・モノ・カネ」 の重さゆえに、若者たちは生活の活力を失い、晩婚・未婚・少子化 の嵐に巻き込まれてきたのである。これでは若者たちのスタミナが不足する。さらに加えて、要介護の老人層が年々増加し、悪循環が回りだす。

♣ 老々介護とは 介護する人・される人 が共に 65 歳 以上; 認々介護は同じく する人・ される人 が認知症であることを示す。老々介護は所帯総数の 約半数が(H 25 年 厚労省調べ)、認々介護は同じく1 割 前後が該当すると推定さる。一昔前にはなかったこんな現象はナゼ発生したのか?それは 図 1を見れば自明である。

♣ 私たちはお年寄りの長命を喜ぶ(図 2)。しかし長命の実現は万歳だけですむだろうか?ここで私が近日にテレビで見た 笑えない喜劇を例に挙げて考えてみる。ある一匹の日本猿、人なつっこくて他の猿よりも沢山の餌をもらうことが得意だった。その結果、なんと体重が 3 倍に増え、歩くときに でっ張ったお腹が地面に触り、歩行困難になった … そんなユーモラスな画面が紹介されていた。良い対策は? … 極めて簡単、餌を調節、行きすぎを改めればよいのだ。

♣ もう一つのテレビ画面は 猿でなくて人の話であった。食べることが大好きな あるアメリカの男性、食べに食べ、とうとう体重が 400 kgを越えた ! ところが運悪く病気に掛かって入院の運びとなった。だが 400 kg の巨体は部屋のドアにひっかかって外に出られない。みんなが知恵を絞ったあげく、重機クレーンを使って窓から外に吊り 出することになった … 人も猿も笑えない笑い話の オチ があったのだ。でも解決したのだからよかった。

♣ 話が代わって、ここで人の「老年期」の事を老々・認々介護の展望
考える。野生動物は地球始まって以来 「成育・繁殖」 の道を歩み、その後は世代を交代して逝くのみだ。人間も、半世紀前まで 野生動物と同じで、更年期の前後に世を去ったものだ。従って生命を守る遺伝子の守備範囲も 「成育期・繁殖期」 のみに特化しており、老年期を快適に過ごす役目の遺伝子なんて存在しなかった。

♣ ところがこの半世紀、大多数の人が更年期を越えて生存し、遺伝子にとって未知の問題が山積みとなった。歳をとれば 老眼・難聴・女性の閉経・骨粗鬆症 などの「老化現象」 … 更にそれは発展して 誤嚥・失禁・認知症 へ進み、従来の遺伝子では解決できない難問である。

♣ しかし、どんなに考えても今、人の長生きの流れを変えることはできまい。上に述べた例のように、「食べ過ぎ」であれば それを控えれば良いのだし、介護の需要が過大であれば、その「行きすぎ」を調節するのが理屈であろう。

♣ なるほど 図 1 を見れば、老人の数は未曽有のレベルに増えているから、みんなが総掛かりして 敬老の “建前” で頑張れば良いのかもしれない。実際、日本は「助け合いの精神」が優れた社会だと言われており、特に 「老」 を助ける 「若」 の力 は誠に優れている。この伝で、「老」~「老」の助け合い、「認」~「認」の助け合いがあっても尖ることはないだろう。

♣ 危なげで見ちゃいられないかもしれないが、「生きる」 という現実を素直に受け入れることも “本音” として許容すべきではないか?若者が年寄りを湿めっぽい敬老の建前で過保護するのではなく、明るい本音で社会を建設するのが筋ではなかろうか?1737字
 
要約:  人間は昔、繁殖期が終れば世代交代をしたが、今や老年期を享楽する人の方が主流になった。 その勢いで、命の自立ができない老人も増え、老々・認々介護の社会問題が発生している。 私たちは大きな心で建前と本音の違いを正しく認識し、新しい社会を建設しなければならないと思う。

参考: 1 )  新谷:「百歳の壁」; 福祉における安全管理、 # 619 : 2016.

職員の声

声1: 老人の人口が 30 % も存在する現在、老々介護は不自然とは言えない … 認々介護では 「早く死にたい」 と洩らす人が少なくないのに、病院通いのほうは概して熱心だ(答: 本文の 図 1 の老人増加の有様を眺めれば、みんなが理想の介護を求めても無理だろう)。

声2: むしろ、老人介護の「求め過ぎ」はないのか?(答: 昔の王様やお殿様は過剰なケアをして貰っていたが、寿命はせいぜい 51 歳 2 ) … 過ぎたる介護は及ばざるが如し)。

声3: 命の自立が出来ない老人が増えてきた … 「建前と本音」の立場を踏まえて、持続可能な社会を設計したい(答: 老いには尊敬、投資は不可)。

声4: 習慣的に、子供は二人・ 休日の数は一定・ 金曜日の労働縮少化などのマンネリ、そんな窒息感を払いのけたい(答: 私の場合、兄弟は 12 人・ 休日は日曜日だけ、金曜日の労働縮少化などは夢の外 … それでいて特別の不満もなし …みんな違ってみんな良い、ではありませんか?)。
 
参考: 2 ) 新谷:「 寿命、え? 1,000 歳 ?」; 福祉における安全管理、 # 582、2016.
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「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

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