(684) ど こ で 逝 き た い の ?

(684) ど こ で 逝 き た い の ?   →

近年の日本では、出生者と死亡者の均衡がとれ、小差はあるものの、いずれも毎年 約 120 万人前後だった。

♣ 総人口 1.2 億人のうち「毎年約 1 % の 120 万人が入れ替わり、100 年で一回りする」と理解すれば分かり易い。これは「逝った数だけ補充される 「健康な現象」 でああった 。「多死時代」 とか 「少死時代」 という表現はマスコミが煽っているだけで、何の騒動でもなかった。

♣ そして 老人の逝き場所 は、60 年前までは先祖代々の習慣通り、在宅以外はほとんど考えられなかった(病院・自宅の比率が「1 割: 9 割」 、図 1 )。ところが、バブルの真っ盛りの 1970 年代、在宅死は著しく減って日本人の多くは病院で死を迎えるように生活スタイルが一変し、逝き場所は 在宅:病院の比率が「 5 割: 5 割」に転じた。

どこで逝きたいの?

♣ さらに、その 20 年後の介護保険が始まった 2000 年には 想像を絶する比率、つまり在宅死が著しく減って、病院:在宅の比率が「9割: 1 割」へ、つまり 60 年前の比率の裏返しになり、日本の老人は ‘主に’ 病院で逝く社会になってしまった。ほんの半世紀の間で、天 と地が入れ替わるほどの変化 ! ここに 日本社会の病理 がある訳であって、このことは後半で検討しよう。

♣ なぜ老人は自宅で逝かななくなったのか? 厚労省はこの傾向を不満とし、在宅死は新しく 4 割を目標に増やさなければ、病院が満員となって、「年寄りの逝き場所が確保できなくなる」と考え、看取りの場所を自宅へ戻すよう誘導した。その根拠として、(イ) 成人を対象にしたアンケートで 6 割の人々が自宅で逝きたい、(ロ) 厚労省のガン終末期アンケートで、自宅で逝きたい人も 6 割であった。よって、自宅死の割合を 4 割程度に設定しよう、というものである。

♣ しかし、肝心の 「老人」 はどこで逝きたいと思うのだろうか? ――そんなデータはない。ただ言える事は、自宅死を勧められても、現実には不可能であろう。その 理由を四つ ほど述べれば:―― 一人暮らしは 40 年まえから 7 倍も増えたし、今後も女性を中心にどんどん増える (図 2 ) 。女性は男性より長生きだから、それは避けられないけれど、どうしたら一人暮らしの女性は自宅で逝けるのだろう?

どこで死にたいの?

男女共、本当の希望は自宅で看取られたいが、少ない人手間を考えて 家族に気兼ねする。

また、近年の病院死では、自宅ではできないような 「延命の儀式・処置」 が輻輳し、何となく 気が休まる。これは 「薬石 (やくせき) 効なく死に至った」 という安堵感に繋がる。

しかし最大の理由は、なにせ保険が効くので病院は 「自宅の見送りに比べれば 著しく安あがり」 、その上 「世間体」 も悪くないから人気が高い、のである。特に近年、死が近づくと 「検査や治療処置」 は控えられ、医療費は主に「観察代」だけの少額になるのも有難い。

♣ 他方、病院は「病気を治す場所であって、逝く場所ではない ! 」 と説明されているし、病院での老衰死は “自粛” されるべきだ、という主張もあり、これは もっともなことである。だが、ここにこそ 隠された問題があるのではないか?

♣ つまり、人は歳をとるにつれ 「どこで逝きたいか?」 の質問に関心を示さなくなる。なぜなら、老人性認知症によって「見当識障害」 1 ) が現れ、将来のことが理解できず、「現在の刹那 (せつな) 」 のみが大事になるからだ 2 )

♣ その上、死亡時の年齢がすっかり変わった … 昔は人生 50 年、還暦前後で世を去ったが、今ではそれが 90 歳に近い。その分、見送る側の年齢も中年から老年になり、体力・世間力 も低下し、自宅では送れなくなった。超高齢の現代、逝き場所は、逝く人が決めるものではなく、見送る人の年齢と気力で自然に決まってしまうようだ。

♣ さて、仮にガンによる死亡の場合なら、その 「終末期」 は比較的短期間であるし、本人の希望も傾聴しやすい。だが多くの高齢認知症の場合、いつが終末期なのか予想が困難だ … 終末期は 1 年から 10 年以上の先にわたる。

どこで死ぬの?

♣ 日本は戦後 30 年間 自宅でお看取りをしていたのだが、諸外国でも高齢者の逝く場所の問題は “案外に” あるのであって(図 3 )、病人の身になって考えれば簡単には解決しない問題なのかも知れない。

♣ 人は生まれる時は大変であるが、逝くときは もっと “大変” なのであり、手を抜くべきではなかろう。厚労省も一般の国民も、死ぬ時の 「ヒト・モノ・カネ」 を惜しんではならず、安易に在宅死を奨めても、その流れを変えるのには大きい工夫が必要である。1907字

要約: 介護保険が始まった 2000 年以後、病院での死亡が 10 % から 90 % に跳ね上がったことは良く知られている。 その原因は 「ヒト・モノ・カネ」 の経費高騰のほか多数が挙げられているが、逝く人・送る人の高齢化も大きな要因であろう。 先進諸外国における病院死の比率は日本の半分程度であるから(図 3 )、そこまでを当座の目標としては如何であろうか。

参考: 1 ) 新谷:「中核症状は蛙に似る?」; 福祉における安全管理 # 640, 2017. 2 ) 新谷:「ボケ勝ち」;、ibid # 31, 2010.

(682) 100 年 後 の 福 祉 を 展 望

(682)  100 年 後 の 福 祉 を 展 望
      
人は予言・予想を、するのも聞くのも大好きだ。今を去る 100 年前、報知新聞が 「二十世紀の予測 22 項目」 を発表した。

報知新聞 : 「二十世紀の予測」 1901 年 1 月 2 日(明治 34 年):順不動で―― ライオン等の野獣はもう滅亡している、 七日間で世界一周ができる、 蚊やノミが滅亡する、

♣  遠くの人と会話ができる、 写真電話で買い物をする、 電気が燃料になる、 機関車は大型化し列車が東京~神戸間を 2 時間半 で走る、 人間の身長が 180 センチ以上になる、 動物と会話ができるようになる、 犬が人間のお使いをする、 台風が1ヶ月以上前に予測されて、大砲で破壊できるようになる、など。

♣ なんと、その 7 割が当たった ! ⑯ の身長に関しては、縄文時代からごく最近まで 155 cm であったものが、戦後 10 年にして著しく伸び、予想の 180 cm には達しなかったが、プラス 15 cm は立派なものであろう。

♣ その頃の日本の人口は 4,400 万人(今の 1/3 で、今のスペイン並み)、平均寿命は 44 歳(今の半分 ! ) ―― つまり、小さな体・短い寿命・少ない人口 … 世界の中では “目立たない” 国であったのだろう。さて、そこで私は今から 100 年後の日本の福祉を 五つの点 で展望してみよう。

100年後の福祉を展望

(イ) 現在の日本では、男女とも平均の “初婚年齢” が著しく高齢になり、特に女性に至っては生理的な妊娠・出産の期間が短くなり、著しい少子化の原因となっている。図 1 をご覧になれば、過去の初婚年齢が ごく近年に 数年も遅くなった ことが分かる。その上、35歳を越える出産には「ダウン症」の赤ちゃんが増えるので、更にこのことが 少子化傾向に輪を掛けている。

( ロ) 残念ながら男女とも、出産確保のために現在の “更年期 50歳” を 60 歳程度に延長治療することは不可能である。これは人類そのものを変更する必要があるからだ。従って、‘多々老・少子’ (図 2)のアンバランスは、初婚年齢を元のように戻す以外の名案はないだろう。

100年後の福祉を展望

♣ 図の右端に示す様子は 「現在 20 歳代」 の人達が近い将来に遭遇する状態を展望するものである。どうか「自分の事」として、将来の ‘多々老少子’ の展望をしっかりイメージして欲しい。

(ハ)「自己摂食の尊厳」 が尊ばれた結果、ヨーロッパ社会のように「寝たきり老人」は一掃されるだろう。――ご存知かどうか、欧米では老人の延命食介をしない。その 第一の理由 は “人間の尊厳” を保持すること ! 彼らは食介とは 「猫や羊に餌をあげる」 ようなイメージ持つらしく、本能的にその有様を 「野蛮」 とみて嫌う。人間には猫や羊とは違い、尊厳を持って接するべきだ、と語る。日本は 「儒教思想」 の国であるが、“人間の尊厳” を将来 もっと深く考えるようになるかも知れない。

第二の理由 は “国家予算の安泰” ! つまり、延命食介が必要な人たちは要介護 4 ・ 5 に相当し、もし延命食介が無ければ、全介護予算のほぼ 1/ 2 が節約される。事実、スエーデンでは延命食介をしない歴史が既に 100 年以上もあって、「寝たきりがいない社会」という誇りを持っている――ただし、日本でそれを真似るのは時期尚早 (しょうそう) かも。日本ではやっと延命胃瘻 (いろう) の設置にブレーキが掛かり始めた社会段階だからだ。

(ニ) その結果、国民の平均寿命は日本よりやや短かめになっているが、延命食介の風習から離れ、高齢者一般の幸福はむしろ増進されている、と言われる。 (ホ) 欧米社会は 延命透析や延命胃瘻を “虐待医療” と理解しており、保険適応からは外されている(イギリス流) 。日本も 100 年後どころか、おそらく年余に して “善意の虐待” が是正されるのではないだろうか?

♣ 人類は一般動物のように 「早熟・早死」 の歴史を辿ってきたが、この半世紀、世界的に 「遅熟・遅死」 の時代に入った。それは人類の選択なのだから、とやかく言うべきことではなかろうが、一つ忘れてはならないことは 「更年期の存在は将来も不変」 であることだ。更年期を過ぎた後には子孫が出来ない。その上 高齢化に伴う「認知症」は社会の少子問題を遠くに押しやり、ひたすら社会は退化の道を歩んで行く。

図 2 を今一度ご覧頂けば納得されるが、「老人を大事にする」ことは人類の誇りでもある。だが同時に、生命は 「子孫を得る」 ことで進化と繁栄を確保することが出来るのだ … 私は 今も 100 年後も 「老人と子孫」 の両方が対等に尊重される方向に展望が開けることを祈り続けたい。1940 字  

要約:

  100 年前に報知新聞が示し「100 年後展望」の一部を紹介した。 同様に、現時点での 100 年後の福祉展望を 5 点ほど示した。 現在は 「老人隆盛」 の時期であるが、将来は 「老人と子孫」 の両方が対等に繁栄すると展望する。

職員の声

声1: 報知新聞の 100 年前の予想が 7 割も当たったのは、予想する人・その予想を実現した人、どちらもスゴイことだ(答: 19世紀に発見・発明された自然科学は主に20世紀で実用化されてきた――今後の将来展望は自然科学よりもむしろ “心の科学” の分野ではなかろか?)。

声2: 100 歳老人の身体生理を観察すれば、長命願望を数値で捉えるのではなく、“心の豊かさ” で報いるべきと思う(答: 人間 100 歳を越えると、願望が何であれ、数年以内に あらかた世を去っている現実を観察すべし)。

声3: 老人と暮らす仕事をしていると、若い人たちの活力が子孫繁栄にも役立つべきと思う(答: 今の日本は “老人の幸せ” が優先されるけれど、若い人たちの結婚や子育てなど、‘若者の幸せ’をもっと強調したい)。

声4: 理事長の「展望: (イ)~(ホ) 」が沢山 実現されるよう、僕らも頑張る(答: 「人」へのサービスは「人」 しか出来ない、将来とも機械や用具のロボット開発を活用するが、もっと「人」が中心になったサービスが優先されてくることだろう)。

(678) ボ ディ ・ ラ ン ゲ ッ ジ

(678) ボ ディ ・ ラ ン ゲッ ジ  

デイサービスをご利用中の M 様( 86歳 女性 認知症 要介護 2 )は、性格が短気で怒りっぽく、活動中に不穏になる。新人職員が対応すると、さらに怒りっぽくなるが、ベテラン職員なら、まったく同じ対応なのに落ち着いてしまう。ナゼだろう? 彼女の脳に何が起こっているのだろうか? 精神科の O 先生 のご判断を願った。

O 先生 この方の脳は 「認知症の脳」 だろう。言葉掛けは「全く同じ」と言うから、バーバル反応は新人とベテランでは同じな訳だ —— バーバル(英 Verbal)とは、“言葉の” と言う意味で、「声を使って接遇する」ことである; これに対して “non-verbal” とは 声を使わない接触、つまり “笑顔・態度・雰囲気” などで対応することである)。

♣ 例を挙げよう:―― 物語の 「桃太郎」 は、お供の 「犬・猿・雉 (きじ) 」 との会話を言語(バーバル)で行ったのではなく、心や態度 (ノン・バーバル) で伝えたのである。つまり、認知症では言葉が通じないこともあり、自分が「桃太郎」になった気分で接すれば良いのだ。

♣ だから、問題は「ノン・バーバル領域」の対応の違いにあると言える。これは、言ってみれば プロとアマの相違 なのである。たとえば、ピアノの鍵盤を指で一つ二つ叩いてみる。きっと、プロもアマも同じような音を出るだろう。でも音楽を弾くとなると、プロとアマの相違は歴然とする。

ボディ・ランゲッジ

♣ 認知症に対する接遇もプロとアマの違いは、当の本人にも 傍の他人の目にも ハッキリと違う。どこが違うのか? それはノン・バーバルの領域での行動である。上記の “笑顔・態度・雰囲気” のほかに “自信・経験・毅然とした姿勢・包容力” などが挙げられるが(図1ーーTIPSとは”秘訣”)、それを日本語では「スキンシップ」と呼ぶ 1 ) 。「目は口ほどにモノを言い」 という川柳(せんりゅう)がある。人間の意志疎通には、いかに非言語要素が多くを占めるかが分かる。

♣ 言葉は “口でしゃべる” からオーラル・ランゲッジ (oral language)と言い、他方、体で伝える会話の一つは スキンシップ であり、または “ボディ・ランゲッジ” (body language) と言う人もある。誰でも新人の頃には、先輩ベテランの振る舞いを真似るが、やはり 「場数」 (ばかず)を踏んで 自分の気持ちが落ち着けば、ご利用者も落ち着かれるだろう。

♣ 何事も 「経験は宝」 、私たちはある意味で 「俳優・女優」 として演じることも必要である。ノン・バーバルの場数を踏むこと、すなわち良い 俳優・女優 になって仕事に励むのが上達の要(かなめ)である。それだけに、新人はスキン・シップを磨くように指導される。
ボディ・ランゲッジ

♣ 上で紹介した M 様 86歳 の脳の中で何が起こっているのか?という次の質問であるが、彼女の脳の中には、珍しい出来事は何もない ! そもそも認知症とは、単なる 大脳新皮質 = 「新脳 2) の部分脱落に過ぎない(図 2 ) … つまり人間の脳がサル以下の動物の脳に近くなってしまうだけだ。

♣ 認知症の研究者は「脳細胞レベル」の研究して、その原因を掴もうとするが、他方、私たちの仕事は 認知症の行動をよく観察 して、その方の心身の安定に資することではないか。1281字

要約:  同じご利用者を接遇するのに、新人とベテランでは 結果がまるで違う。 新人は「言葉だけ」で接遇して効果 7 %、ベテランはボディ・ランゲッジで対応するので効果 90 % 認知症は新脳 (大脳新皮質) を失った状態だから、オーラル・ランゲッジだけでは十分 意思の疎通が行われず、ここにボディ・ランゲッジの活躍場があるのだ。

参考: 1) スキンシップは身体の一体感を共有しあう行為を指す言葉で、和製英語。正しくは physical contact, touching であるが、「直接 肌に触る」のではない。 2)  新脳 動物の中で人間だけが獲得した「大脳新皮質」のこと。ヒトとチンパンジーとの決定 的な違いは、脳の構造や機能として、言葉を使用できる新脳の機能があるかどうかで決まる。


(685) 30 歳 と 100 歳 の 混 乱

(685)  30 歳 と 100 歳 の 混 乱    

特養パールでは来月 100 歳になられる方がお二人ある。彼女に追い付くばかりの 98 歳・ 97 歳・ 96 歳・95歳 の方々が静かに百寿を待っておられる。

♣ 特養では現在 90 歳代の方々が 過半数 を占めているし、ふと江戸時代の あだ名(呼称)を思い出すたびに、自分たちが今どんな時代に住んでいるのか、眩暈(めまい)がしてくる。

♣ 一例を挙げよう:――江戸の御殿に勤務するとき、20 歳(はたち)前の女の子は 「娘」 (むすめ) と呼ばれたが、“はたち” を過ぎれば 「年増」 (としま) と呼ばれた。年増とは 「娘盛りを過ぎた年寄り女」 という意味であり、現在言葉では 中年女性 のことだ。さらに、25 ~ 30 歳を越すと呼び名は 「大年増」(おおどしま) になり、御殿の女役というよりむしろ 「部課長」 のような存在であった。昔は 30 歳で 「年寄り女」 だったのだ。

♣ 現代女性の統計なら平均 30 歳で やっと 初婚年齢 になる。つまり 30 歳は 「うら若き花嫁」 であって、今どき 30 歳の女性に向かって 「大年増」 とでも言おうものなら叩かれてしまう。同じ 30 歳であっても、片や「年寄り」、片や「うら若き花嫁」 … それほど 時代と共に 30 歳の意味が変わってしまった。だから、仮に江戸時代に 「 100 歳の人」 なんて言おうものなら 「どこの仙人?どんな化け物か?」 と驚かれてしまうだろう。今なら、単に 「古参のお年寄り」、に過ぎないのにね。
30歳と100歳の混乱
♣ ここで、30 歳に代わって 100 歳の話に移ろう。図 1 のように、アメリカでは 国民の平均寿命が今から 60 年後の 2080 年には 「100 歳」 に達するだろう、との成績 1 ) が発表された。その計算根拠は次のようである:―― 19 世紀以後 120 年間に平均寿命は 40 歳ほど増えた。 毎年の増加率を計算し、これを現在の 80 歳に加えると 2080 年には平均寿命が 100 歳になる、という勘定だ。この計算の問題点は、過去の成績を未来に投影する操作が果たして正統かどうか、である。
30歳と100歳の混乱

♣ そこで、日本でも同じ考えの計算がなされ、「 NHK スペシャル」 (2015.1) は「日本の平均寿命も 2045 年には 100 歳 に到達するとの予測番組を放送した(図 22 ) 。その計算は:―― 明治~平成にかけて寿命が延長してきたスピード、それを将来に投影して計算すると 2045 年には 100 歳になる勘定だという。つまりアメリカでは 60 年後に、日本では 25 年後に平均寿命が 100 歳に到達するとの推定が発表された。これは凄いことである ! 

♣ 今 日本では 100 歳以上の人口は 6 万 7 千人であり、百寿という現象そのものは珍しくない。だが、 「平均」寿命が 100 歳   といえば、話は別だ。つまり、平均値と言うものは その前後に 偏差値 のプラス・マイナス が付き、この場合は偏差値を ± 15 歳とみれば、対象人口の実年齢は上限が 115 歳となる。今 日本で 115 歳の人は、一人居るか居ないかの稀な存在だ。それが 25 年後に百寿が 400 万人程度に増える結果となり “天地を揺るがす社会問題” が発生してしまう ―― だから、そんな 「平均」寿命 100 歳の時代は たぶん来ないと思われる。

♣ さて、ここで将来予測をするときの注意点を述べる。図 3 は男女の「年齢と身長」の関係をプロットしたもので、ご存知のように、背丈は 「思春期」 に著しく延びるが、それは長続きせず、ある年齢に達すれば成長は止まる。この図の前半は直線的増加を示すが、後半は水平経過となる。
30歳と100歳の混乱

♣ 一般に 「生命データ」 を分析する場合、その分布が直線分布になることは多くない。もし背丈が延びている最中のデータだけで将来を予測すれば、背丈はどんどん延びて、30 歳の時点で 3 メートルを越すだろうし、予測とは言え、それは明らかに間違いだ。

♣ 振り返って 図 1 をもう一回見直して見よう … 前半の曲線は湾曲しているが、後半は無理やりに直線で推定している。図 2 はどうか? … 昇るこの勢いの曲線で将来を占えば、先行きが停止するなんて考え及ばない。ところが、この操作を、もし 図 3 で行えば、左半分だけの測定値で後半を推定することになり、身長は何歳になっても延びる、という とんでもない予測となる。

♣ つまり 図 1・ 図 2 は、前半は事実であるものの、後半は間違った 「勇み足」 の判定である。人間や動物の寿命は「体格」によって制約され 3 ) 、人間が 150 歳や 200 歳になることは不可能である。つまり、「生命データは生命の特質」を熟知した上で将来予想に当たるべきものなのだ。

♣ 結論的にいえば、図 1・ 2 の寿命予想法は 「勇み足」 であって、大衆の耳目を喜ばすもの かも知れないが、高齢者福祉の仕事に従事する者にとっては非科学的な見解に過ぎない。

♣ 今日のお話の前半は 「同じ 30 歳でも時代と共に 「年寄り」だったり 「若い花嫁」だったり」する。お話しの後半では、「単なる 100 歳」 と 「 平均寿命の “ 100 歳” 」 では 同じ数字の 「100 」 を扱うが その意味は天と地ほど違う ことを無視していた。

♣ 100 寿の話題は興味津々(しんしん)であるが、もう少し根拠の深い話をしたいものだ、と思う次第である。1986 字  

要約: 同じ年齢の 30 歳は「年寄り」であると共に 「うら若き花嫁」 でもあり得る。 アメリカおよび日本の NHK は、平均寿命が 100 歳になる時期を、それぞれ 60 年後・ 25 年後と推定した。 日本では「単純年齢」が 100 歳を越える人は 今 6 万人余 いるが、「平均寿命 100 歳」の時代が来ることは 決してないだろう。

参考: 1 ) 「平均寿命 100 歳の世界で人はかってないほど充実した人生を送れる」: Gigazine 2014.9.22 2) 中村一郎: 「平均寿命 100 歳の時代を考える」; コンサルタントコラム 660 NHK スペシャル Next World 3 ) 新谷: 「ライオンの 3 倍も生きる」; 福祉における安全管理 # 616, 2017.

職員の声

声 1: 30 歳という齢は、2 世紀前なら 「大年増 (おおどしま) 」、今は「若き花嫁」… 感慨深い変わりようです(答: 100 歳についても大変に変わった … 昔は 「化け物」、今は 「普通の年寄り」 )。

声 2: 平均年齢が 100 歳ということは、0 歳の赤ちゃんお一人に付き 200 歳の老人がお一人居なければ釣り合わない…そんな時代が来るのかしら?(答: なんて賢い比喩なのだろう ! )。

声 3: 平均年齢が増えれば寝たきり老人が増えるだけであり、日本は衰微して行くか?(答: 100 歳の老人が自立・健康 であることは稀であり、「人の命は地球より重い」 なんて のんきな綺麗ごとは言ってはいられないよね)。

声 4: 人生が健康寿命だけになる日は来るか?(答: 来ない ! なぜって、もしそうなれば、病院や福祉・介護制度が不必要な古代に戻るからだ)。

声 5: 100 歳で 自立・自尊 の人はまずいない … 長生きもほどほどにしましょうよ(答: 人間の長寿に関しては 「建前」 のみが幅を利かし、「本音」 が語られると大抵 ひどく叩かれる … もし自立・自尊が可能であるのなら、何百歳 であっても全く構わないのに ーー あなたも きっと、お元気な 900 歳の「清少納言」 にお逢いして、枕草子・「春はあけぼの」を聞きたいと思うだろう)。

(674) 三 つ の 言 語 障 害

(674) 三 つ の 言 語 障 害

新年度に入って五月、気分を改め その昔の新人時代を思い出そう。皆さん方は 超高齢者とお話する機会が多いと思うが、彼らの話し方の特徴はいかにも「老人風」であることに気付くだろう。

♣ その理由は、齢をとると、認知症の頻度が「85 歳で 4 割、100 歳で 8割」と増えることを反映する。高齢者であっても、認知症でない人なら普通のお喋りであるし、認知症になれば認知症風の話し方になり、後者を 「老人風」 と呼んでいるわけだ。今日はその二つの違いを勉強する。

♣ 近年、65 歳以上の人(厚労省の言う “老人”) であっても 「自分は健康だ」 と思って 活動的な人が うんと増えた。でも同時に 老人の総数も増え、高齢者との日常的な会話で、従来 知られることの少なかった 異変 に出会うことも増え、私たちを戸惑わせる。今日の話題の 「失語症」 も その一つである。

♣ 日帰りの デイ・サービス の M 様( 81 歳女性 要介護 3 )は脳卒中後、失語症が始まったと言われている。私の新聞知識であるが、「失語症の方は、平仮名は苦手で五十音は混乱する」 と記載されていた。ナゼこのようなことが起こるのか?

♣ さて、言語障害には 3 種類 がある。 運動性失語 (ブローカ失語、ブローカとは医師の名前) :「運動性」 とは、言語発声に関する顔や喉の筋肉運動のことであり、そこが故障すると言葉の異常が起こる( * 。故障の起こった脳の場所は 「前・左側頭葉」 にあり、言葉の命令が出なくなる; 特に 「最初の言葉」 が出ない。

♣ さらに、形容詞が無くなる(例: チチ…カネ…ナイ 、など) 。まるで 電報の文章のようだから 「電文様」 と表現する。また、とつとつとしているから 「非流暢性」 とも言う。読む漢字は苦手、仮名はもっと苦手である。ちなみに、左側の脳梗塞後には、ブローカ失語が伴いやすく、その場合、体の麻痺は 「右側」 に現われる。

三つの言語障害

感覚性失語(ウェルニッケ失語、ウエルニッケも医師の名前): 「感覚性」 とは、言語を理解する脳機能が故障することであり、その故障場所は やはり 「左側頭葉」 ()にある。他人の言葉を聞いても理解できない。自分の言葉は出るけれど、文法はグチャグチャである (例: 私 お芋 青い 渋谷 暑い、など) 。言葉は するする出るので「流暢性失語」という名前もある。もちろん、本人は自分の言ったことを覚えていない。

♣ これら脳の障害の主な 原因疾患は 「腫瘍・外傷・脳梗塞・脳出血」 であり、障害範囲は 「限局性」 である(病巣の大きさが “栗 ~ 卵” 程度と小さい)。多くの場合、失語 以外の症状は軽度であり、お喋り以外は一見 正常な人である。

♣ 失語症はこれら「二つ」であって、名前が有名な割に、実例は案外に少ない。もし失語が「運動性 + 感覚性」両方の特徴を持っていれば 「全失語症」 と言う。

認知症の言語障害 は驚くほど多い … ナゼなら 日本では高齢者が年々増加し、認知症もどんどん増え、今では 500 万人、やがて 800 万人に倍増していく。さらに上記の失語症は比較的に安定しているのに反し、認知症の言語障害は年々進んで行き、最後には 「全失語」 に至る特徴がある。

♣ 認知症は人間の人間たる理由の 大脳細胞の減少 によって起こる。つまり上記の ① ブローカや ② ウェルニッケは 図 に示すように狭い範囲の脳障害であるが、認知症での障害は大脳全体に広く浅く起こる のだ … このため その特徴も異なる。

♣ 認知症の周辺症状である 「大声・多弁・寡黙(かもく)常同(じょうどう) 」も一種の言語障害であり、その原因は 大脳の全範囲に及ぶ脳細胞の脱落に基づく。それ故、認知症の言語障害は 失語症 とは言わない。

♣ 中核症状の 「失見当識 = 時・所・人」 の判別不能がこの順で起こり、認知症の進行に伴って 動物と同じように「時」が分からなくなるから、「死」の恐怖もない。「所」も「人」も分からなくなるから、言語障害なのか 意識障害なのか曖昧になって、トンチンカンな会話となる。

♣ 「失」 (しつ) の文字がついた認知症の症状例を挙げてみよう: 「失読」(しつどく) = 字を見ても意味が分からない。「失書(しっしょ) = 自発文字が書けない。「失行 (しっこう) = 意味ある一連の行動ができない(ライターを渡しても、なで回すだけで、火をつけられない—— この失行の点でヒトとサルの違いがよく分かる)。「失認」 (しつにん) = 見えたり、聞こえたりするが、その意味を理解しない。

♣ 「あーうー」 と言うだけで喋れないのは 「運動性」失語症、「きょとん」として意味を分かって貰えないのは 「感覚性」失語症。「運動性」と「感覚性」失語症の両方の特徴があれば全失語症」と言って、認知症の末期にはこうなる。ただし「難聴」は「耳」の問題であって失語症とは区別される。

♣ 失語症の治療・リハビリは言語療法で対応するが、一般の「麻痺」のリハビリと同じように、その道はけわしく、忍耐を要する。 1966字

要約: 言語障害は、 一見 正常に見える人が 「しゃべれない」 = 運動性失語。 他人が しゃべっているのに 「意味の理解がない」 は 感覚性失語」である。① = ブローカ と ② = ウエルニッケ の名前はよく知られている割に 実地では 少ない。これに対して 認知症による言語障害は日常的に多数 経験される。これの原因は大脳細胞の全般的減少によるものであり、特有の「失見当識」(しつ・けんとうしき**を伴う。これは また「老人風お喋り」の特徴でもあり、認知症の目印とも言える。

参考:  看護のための症状 Q&A  https://www.kango-roo.com/sn/k/view/3518. ** 失見当識 = 時・所・人の見当が付かない状態。

職員の声

声1: ブローカ失語・ウエルニッケ失語なんて初めて聞いた … デイ・サービスには大声の人はいないが、「多弁・寡黙(かもく)・常同(じょうどう)」 の人をよく見かける(答: 福祉関係では 「認知症」 による言語障害が圧倒的に多い ! )。

声2: 脳の左側や脳全体に及ぶ障害によって、こんなにも言語障害が異なるとはとても勉強になった(答: ふつう、言葉の違いなんて 「その人の個性」 くらいにしか思わないが、キチンと原因場所による理由があるのである)。

声3: 言語障害の元は 神経細胞の脱落 にある、とは怖いことだと思った(答: そこに存在する細胞が腐ったり癌になったりするのなら まともな対応方法も考えられる… しかしそこに有る脳細胞が消えてなくなる認知症なら、「困る」以外の対応法はない)。

声4: 私は認知症の方の会話を失語症の観点から考えたことがなかった … お話を聞けば、なるほど 脳細胞が脱落 することに原因があったのか(答: 言語障害には 脳の問題と構語(発音器)の障害 があるけれど、認知症の言葉使いにも関心を示して理解をしよう)。


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「ふじ」=新谷冨士雄
「ひろ」=新谷弘子

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