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(699) O 脚 の 悩 み

(699)  O (オ-) (きゃく) の 悩 み 

  デイ・サービスをご利用の M様 ( 86 歳女性 要介護 1 )は 「変形性膝関節症+病的肥満」 と言われている(身長 140 cm、体重 63 kg、体格指数――B.M.I. 32 )*

♣ ただ今は、歩行時に肩がゆれる程度の訴えだが、ご家庭では畳の上に座ってテレビを観賞、チョコレートが大好きという。先行き、膝の痛みが出てくると、どうすれば良いのだろうか? パールの嘱託医、整形外科の Y 先生 にお尋ねした」。

♣ <Y 先生 > 飽食の時代、こういう方は珍しくない。そもそも、足は重力の影響を受け止める働きをする。つまり体重の影響をモロにうける。この方は、なぜかあまり歩こうとしない。周りの方々が 「過保護」 されているのだろうか? 欧米の人は 「関節」 の障害が多いが、日本人は 「関節」 の変形が多く、しかも 「O -脚」 (オーきゃく) である(図1)。

O脚の悩み

♣ 正常な場合は、立った姿勢で 腿・膝・足首 の三点がくっ付く。 O 脚 では左右の 腿・膝 が離れ、程度にもよるが、両足が英語の 「O」 のように離れる。それにはキチンとした理由がある。

♣ 膝の解剖学を見てみよう:- 膝は 上下腿の間にある 握りこぶし大の関節であって、安静時・運動時 ともに大きな力を受ける。歩く時には 片足に全体重が乗っかる; 走る時の着地では全体重 の 5 ~ 6 倍の体重がかかる—— あなたが 60 kg であったら、300 kg 以上の力が乗っかる訳で、かなりの負荷となる。

♣ その膝関節は 「関節嚢」 (かんせつのう) という靭帯 (じんたい) の袋で覆われている。靭帯とは、強靭 (きょうじん) な 結合組織で、言ってみればテントの布地のようなものだ。

♣ その関節嚢内で上下腿の骨が接触する。骨同士が接触すると、接触部が損耗するので、骨末端の 「軟骨」 によってクッションされる —— 自動車のタイヤの役目みたいなもの。

♣ 問題はここからだ。人生 50 年の頃には問題にならなかったけれど、人の寿命が 2 倍に延びて 100 歳に近づいてくると、軟骨・靭帯は 天然の遺伝子寿命を越え、ともに著しく損耗してくる。

♣ 普通の人体組織は 「毛細血管」 によって 栄養・補強 されるが、軟骨・靭帯には毛細血管がなく、関節の中の液でゆっくり潤されて 間接栄養のみである。つまり、軟骨が擦り減るのを自動的に補充する機能は存在しない。

♣ 軟骨が摩擦によって消失すると、上下の骨同士が直接ゴリゴリ接触するようになり、骨の内側が破壊されてくる。すると、痛みとともに、O (オー) -脚 (きゃく) となる。O - 脚 という言葉は、骨の湾曲のように聞こえるが、実は 骨は湾曲せず、関節部で部分破壊されて、内側に折れているのだ。

♣ その原因は第一に 「過負荷 = 肥満」+ 高齢 による 「骨そしょう症」 であり、閉経後の女性に多く見られる。第二に日本独特の 「正座の習慣」 が原因とされたこともあるが、椅子の生活の現代でも同じ問題が残っている。

♣ これに対して紛らわしいものに 「がに股」 があり、足先・膝がしらが外に向き、柔道家歩き とも言われ、O - 脚 とは原因が違い、男に多い。

♣ 最期に、対策法 を考える:- 減量することが道理に叶うけれど、 「食い意地との闘い」 となるので、老い先の QOL維持 と考え合わせると難しいところだ。パールではせっかく体重を測定する習慣があるので、体格指数 (B.M.I.) の経過表を活用したらどうか?

この方はまだ歩けるはずだから、ご家族の協力を求めるのが良い。 ご本人が膝の痛みを訴えない限り放置することも多いが、整形外科、または整体院で相談するのも良い(図2)。姿が美しくなり、背丈も 2 ~ 3 cm伸びる。

O脚の悩み

♣ ただし、高齢女性で行なう順番は、第一に本人の希望、第二にご家族の希望;職員がヤキモキするのは 順番で言うと三番目となる。

♣ 太っている人の体脂肪は 「降ろすことのできない定期預金」 とも呼ばれる。脂肪はアブラ ….. カロリーの高い 「貯蔵用の組織」 であり、飢餓に備えるための組織であるが、平時にくっ付くアブラは降ろせない。なお脂肪のことを 「肉」 と呼ぶ女性もあるが、肉は運動に役立ち、アブラは単なるお荷物に過ぎない。

♣ 痩せた人は膝のトラブルはないのか? 介護施設で 体格指数 (B.M.I.) が 15 ~ 20 のお年寄りの場合、大抵の膝は健全である。ただし超高齢では、筋肉の痩せの問題が加わってくるので、歩行の不安定さには気を付けよう。1784字  

要約:  女性の膝には案外にO脚の問題がある。 若い人の場合は「痛み」程度の自覚ですむが、高齢者の場合は 「歩行の 不安定・転倒 」 に繋がる。 対応はまず運動、ついで肥満の解決 (B.M.I. 25以下) を目標、膝関節を内旋させる心掛けで(図2)相当な改善と背丈の増加を見る。

参考: * 新谷:「天寿の終点はB.M.I.(体格指数)≒ 12」;福祉における安全管理 # 33、1210.

職員の声

声1 : 膝への負担は重さ (重力) に比例するので高齢者の体重管理は大事である(答: パールでは 100 歳で BMI (体格指数) が 25 ~ 30 の方があるが (肥満領域)、当然のように 10 年このかた歩けない ~ 車椅子生活だ)。

声2: 走る時の着地で膝に掛かる体重は 5 ~ 6 倍 増えるとのこと、相撲取りが膝のトラブルが多いのは当たり前なのだ(答: そのことを知っていても、人間は無理をする動物だ)。

声3: 痛いから動かない 関節の可動域が制限される 関節が硬くなる、の悪循環を繰り返すのは明白 ! (答: 人間、痛みよりも食い意地が優先、特に色気が無くなった後には ! )。

O脚の悩み

声4: O 脚は ペッタンコ座り (図2)で本当に治るのか?(答: 一日に 30 秒を 3 回続けると良い、とされる ... 要するに つま先を内側に向ける、または両足を腿からくるぶしまでを帯で縛る(図3)、そんな療法が「整体」で用いられる。 

(696) 認 知 症 の 半 側 空 間 無 視

(696) 認 知 症 の 半 側 空 間 無 視

デイ・サービスでは しばしば ご利用者が手工芸の時間を楽しむ。私は従来から気付いていたのだが、認知症クラスのご利用者は、全般的に作品の稚拙(ちせつ)があるのは当然だが、86 歳女性の T 様は 「ある特徴」 をお持ちであった。

♣ たとえば、マグカップに色づけする作業をするとき、机の上で描く画用紙上での平面作業では、カップの全体像を捉え、色を塗ることができる。しかし実物の 「三次元立体」 のマグカップを手にし、色付けをしようとすると、左側半分の色を塗ることができず、途方に暮れておられる。カップの全体像が見えなくなるのかどうかをご本人に尋ねると、カップに描かれている絵柄を全部 しっかりと答えられる。なのに、ナゼ色を塗れないのか不思議でならない。嘱託医の精神科 O 先生にお尋ねした。

♣ < O先生 > この現象は認知症で有名な 「半側空間無視」 である(図1)。たとえば、この図の男性は食卓の料理がキチンと全部見えているのに、なぜか左側だけを認知できない(= 見えているのに分からない)。したがって、左側のお皿のご馳走を食べることが出来ず、今日のおかずは鮭だけ、と思っている。
認知症の半側空間無視

♣ 他の例として、目の焦点固定の障害、距離感の喪失、立体空間の喪失、ロクロ操作の困難など いろいろある。これらの機能は人間の持つ三次元の 「見当識機能」 であり、幼児 にはできない芸当である。また人が老いて認知症になれば 中核症状としてこれらが徐々にできなくなってしまう。

♣ 認知症のお年寄りはしばしば部屋の 「段差」 を認識できず転んだりする。このことを注意しても、おそるおそる足を持ち上げるだけ … これは視力低下からではなく、立体空感の喪失によるものだ。つまり、失認・失行 としての 「中核症状」 そのものなのである。小言(こごと)を言ったり、注意を促すだけでは解決せず、これからもずっと助けてあげなければならない。

♣ そもそも私らの周辺(まわり)は「三次元」であり、立体的である。これを二次元の 「絵」 に描こうとすれば 「三次元を二次元に降ろす」 ことになり、かなりの知能が必要である。この作業に必要な 「遠近法」 (パースペクティブ、Perspective) は 500 年ほど前、画家の ミケランジェロ派 が発見したと言われる。ミケランジェロ 以前の絵画と以後の絵画を比べると、その差がよく分かるはず。

♣ 人類の絵画の歴史は何万年とも言われるが、三次元を二次元に置き換える技は、やっと 500 年ほど前に発見されたものである —— 古代の絵画には 「遠近法」 の知恵がない !

♣ 現在の人間でも、幼稚園や小学一年生あたりの幼い子供は、近くにいる人と遠くにいる人を同じ大きさに描く(図2)。ところが小学生も 4 ~ 6 年生 になれば、誰でも遠近法で画けるようになる。つまり遠近法は、現代では一人の人間であっても、年齢が 10 歳の頃 自然に獲得されるものであり、逆に誰であっても年老いて認知症になれば、再び失われてゆく。

認知症の半側空間無視

♣ 冒頭に紹介された T 様の場合、二次元のお絵描きはできたけれど、三次元の理解は不可能となり、立体のマグカップの塗り絵は出来なくなった訳だ。このように、認知症では 脳細胞数が減じていくにつれ 次元がだんだん減って行く(遠近感の喪失) 。ただし、お絵描きテストをしたゆえに その実態が初めて他人に知られた訳であり、ご本人は、幼い子供と同じで、生活上 何の支障も感じておられない。

♣ 冒頭の 「左空間無視」 や上記の 「幼児のお絵かき」 で理解できるように、私たちは発達した左右の大脳と二つの眼を持っているゆえに立体空間を容易に認識できる。目が不自由な方、あるいは目が良くても景色を判定する 「脳」 に問題のある方は この三次元感覚が苦手となるのだ。このことをよく理解してお年寄りの認知症ケアに役立てたいものである。1569字  

要約:  実物のマグカップの左側に色塗りをすることが出来ない症例を提示した。 これは認知症の中核症状の一つである 「半側空間無視」 の現われである。 認知症に限らず、脳に問題のある方のケアに 「半側空間無視」 という現象があることを学んで対応することにしよう。

出典
食事:http://www.takasago-hp.jp/t_sinryou/reha_gengo_03_
網:http://camera-beginner.sakura.ne.jp/wp/?p=19856

職員の声

声1: 遠近感喪失なんて知らなかった…幼児 → 老年 へ成長の流れなのですね(答: 我々が片手で一方の眼を覆って景色を見ると 「遠近感」 は全部失われる… 同じことが老人になると両目でありながら それが起こる訳だ)。

声2: 目の前の物に気が付かない人がいる… 空間無視だろうか?(答: もう一歩よく観察して、見えない方向が右側か左側かを確かめよう ―― 右側のお皿からだけ食べる、とか、片側のおかずには全く手をつけないとか?)。

声3: 老人が転倒する場合、私は筋麻痺か視力障害が原因と思っていたが、空間認識の欠如による可能性もあるのか?(答: おお有りだ ―― 我々でも隣の人と会話しながら歩いていると、つい物につまづいたり、段差に気付かないことを経験する … 知っているハズなのに、抜けるのだ)。

声4: 目玉が二つ付いているのに、このスバラシイ脳が 齢を重ねると、有る物が無いと言い出す … 哀れでアリマス(答: 「人生 100 年時代」 という言葉がテレビから流れてくる… その100歳の中身は というと、難視・難聴・歯無しで空間無視 ! )。 

(698) ルー (Roux) の 三 法 則

(698) ルー (Roux) の 三 法 則
  
カレー料理に使う 「ルー」、あれと同じ発音の 「ルー」 (Roux) は、筋トレの世界ではドイツの生理学者の名前である(図1)。

♣ 運動や人生全般にとって、教訓的な原理を教えてくれる 「ルーの法則」 は、言葉として 皆さん方はご存知かも知れない。今日の安全管理は 「ルー」 の復習、ならびに その応用の智恵を語ってみたい。

♣ がんらい筋肉生理学の知識であった 「ルーの法則」 がパールで役立つようになったのは、介護保険が始まった 2000 年のことであり、もう 19 年も昔になった。

ルー(Roux)の三法則

♣ それを復習すると、 こうだ:―― 身体 (筋肉) の機能は、 過度に使った時には障害を起こし、 使わなければ萎縮 (退化) し、 適度に使った時のみ 発達 する。このれが「ルーの法則」であり、筋肉生理学の教えるところであるが、実際にこの法則は私たちの生活のあらゆることに応用のきく法則である。

♣ 私たちは 「体を鍛える」 と聞けば すぐに 「根性で筋肉隆々」 を期待する。思春期で体が発達中の若い時にはそれが成り立つが、大人になってしまえば あまりその事にこだわるのは賢明でない。特に 成人・老人 の運動についてはなおさらのことである。

ル ー の ① : 障害 では まず初めに、人の解剖学的な性質として重要なプロの知識を持とう。人の体重は生後 3 kg 程度であり、大人になれば 20 倍も増えて 50 ~ 70 kgに育つ。それにつれ、脳も筋も大きくなって行くが、脳細胞と筋細胞の数は増えない――育つだけである。

図2 でお判りのように、脳細胞~~そこから出る神経~~目的地の筋細胞は ワンセット として存在するのであって、運動によって大きくなるのは筋細胞の 「肥大」 であり 筋細胞の 「数」 ではない。また脳細胞も筋細胞も、成人になった後、誰しも 「年齢とともに徐々に減っていく」 。筋肉の重さで言えば、70 歳で 1/2 に、100 歳で 1/4 に減る。このことに逆らって無理に筋肉を酷使するといろんな障害が起こる ―― 相撲やスポーツ界のニュースでよくご存知の事だろう。筋肉も正しい 「鍛錬」 を越えれば {ルーの ①} に陥るのである。
ルー(Roux)の三法則

ル ー の ② : 萎縮 もし、高齢になって脳神経に故障 (脳卒中・認知症など) が発生すると、脳神経は筋肉に向かって正しい命令を発することができず、その脳神経が支配する運動筋は正しく動かなくなる。それどころか、もし脳からの命令がずっと続けて来なければ、{ルー ②} が適用されて、筋肉は萎縮する ――つまり、その筋肉は退化して小さくなる。また、筋肉が使用されない場合 (ケガをしてシーネに固定されている;宇宙旅行に行って 抗重力筋を使わない、など)、筋肉が委縮するのみならず、その筋に対応する脳神経まで萎縮して、役立たずになってしまう (虎斑融解とよばれる脳神経萎縮)。これが {ルーの ②} に対応する。

ル ー の ③ : 発達 健全な脳が健全な神経刺激を筋肉に伝えれば、当然のこと、筋肉は健全な発達を維持する――理屈の通りである。だが、問題は 「何が健全」 なのかを知ることであろう。それは 「やり過ぎず、またやり足りない」 ことを賢く認識する事であって、「知恵と経験」 に基づく {ルーの ③} に他ならない。

♣ ものごとは 「やり過ぎてはいけない」 という経験上の智恵があるが、これはルーの法則で納得できる。スポーツについては 「楽しいからやるのが一番よい」 のだ。もしスポーツが職業なのなら、ムリ してでも勝つことに専念するだろうが、いずれも 「蛸が自分の足を食べる」 行為にならない範囲で智恵を働かせたい。

♣ これと逆に、「廃用症候群」 と呼ばれる一連の無活動は 介護者の智恵を働かす対象となる。とくに、肥満者や老人の活動低下は、脳と筋肉活動の悪循環となって生命活性を落として行く。「老人に体操を勧める」 のは、筋肉の成長を促すためではなく、「廃用を防ぐため」である。やれば やるほど筋肉が付くと思ったら、{ルー ①} に陥る。

♣ 老人福祉の基礎は、日々減って行く 「脳と筋肉」 の生理学を念頭に置きながら、いかにして 「ルーの法則」 をうまく活用するか、にかかっている。

筋 肉 の 収 縮 形 式 は 三 通 り 
. . (A) : 等張 (とうちょう)収縮 ….. 収縮する筋肉が自由に延び縮みする状態。()歩く、走る、体操など。=> 筋肉と共に心臓が強く働く。
  (B) : > 等尺 (とうしゃく) 収縮 ….. 収縮する筋肉の長さ(尺度)が不変の状態。()壁や柱を押す。物を抱えて立つ。(腕)相撲など。=> 血圧が強く上がる。
 (C) : 等張 かつ 等尺 ….. () 物を抱えて歩く、柔道など。

♣ 多くの運動は 「等張収縮」 で行われ、筋肉と心臓がバランスよく働き、血圧はあまり上がらない。しかし、重量挙げ・柔道・相撲などは 「等尺収縮」 の要素が強く、血圧上昇も激しい。したがって高齢者の運動は 「等張運動」 を主体とするのが望ましい。

♣ ルーの法則 ① ② ③ と等張収縮の智恵を働かせて、老人の運動方針に活かすのが良い。2050字

要約:  適正な筋肉発達を促す 「ルーの3法則」 を述べた。 体操や運動を奨励するのは 脳~神経~筋肉の3要素が、年齢相当の機能をするためであり、筋肉だけを肥大させるためではない。 がむしゃらな 「筋トレ」 はルーの ① に陥る;過剰な安静はルーの ② となる。脳~心~筋肉の3者のバランスが「やり過ぎず、やり足らず、ちょうど良い」とき、健全かつ最適な結果 ルー ③ が得られる。

(704) エ ホ バ ・ ペ グ と 矛 盾

 (704) エ ホ バ と ペ グ と 矛 盾  
                                  
 エホバとは 「エホバの証人」 というキリスト教の一宗派である。ふだんは知られることも少ない宗派であるが、こと医療に関係すると、問題が起こる。

♣ 特に、交通事故や緊急のお産の手術で輸血の場合、初めて経験する人の天地はひっくり返ってしまう。それは、エホバが教義として輸血を許さない宗派だからなのだ。

♣ 私の経験の一端を示そう。ある中年の男性、交通損傷の出血で救急室に運ばれてきた。輸血室に連絡して係り員が血液を取りに部屋を出たら、家族と友人らが身を張ってそれを阻止する … その理由はエホバ一家だからだった(図 1)。命と宗教とどっちが大事か、の議論は簡単に蹴飛ばされ、実力の方が勝った。この方の場合、血液でない輸液で命を救った。
エホバ・ペグと矛盾

♣ もし医師が、言われるまま輸血をせずにエホバの信者を死なすと、刑事事件に問われるだろう。もし仮に、輸血を敢行して命を取り留めると、助かった患者は、聖書の教え違反を問われ仲間から 村八分 にされるので、医師側を起訴、最高裁ではその医師を有罪にするとの判例があった。ある病院は、これへの対応として 「輸血拒否の方は当院の診療をご遠慮ください」 と張り紙を出したら医師法違反でやられてしまった。

♣ 八方塞がりだ。今のパールでは輸血をすることはないが、もし、あなたがこんな場面に出会ったら、どうするか?

♣ 次に、医療とは言えない 「ペグ」 の話をしよう 1 ) 。ペグとは「胃瘻」 ( いろう) = 「経皮・内視鏡的・胃吻合術(Percutaneous Endoscopic Gastrostomy)の 頭文字 を綴った言葉である。元来は胸部の癌や外傷などで 「一時的」 に喉と胃をバイパスにする目的で工夫された「開腹手術」だった。

♣ ところが 1980 年ころ、内視鏡の発達とともに、胃と腹壁を繋ぐ手技が、外来で簡単にできるようになり、欧米で高齢者の延命に利用され、爆発的人気 を得た。しかし、すぐ反省の波で人気は凋んでしまった。なぜならペグ術は 「食べなくても生きていられる、生と死の境目を不明瞭にする手技」 だったからである。

♣ しかし、この手技が日本に紹介されると、「食べない老人の延命」 に応用され、介護保険の始まりの2000年以降、人気は持続的になった。お年寄りは、口や喉を使わずに栄養が取れるのだから、生命の維持は可能となる。

♣ しかし口から食事を取れないほど病気が進行したお年寄りは、意思の疎通ができない状態、つまり高度の 「寝たきり」 であり、ご自分の意志を表すことが出来ない。

図 2 に一例を示す。図は 「誤嚥」 によって命を失った 3 例を示すが 2 )、 ここでは一番下の 99 歳女性 ( J 氏) の説明をする。図の縦軸は BM I (体格指数) を、横軸は 1 目盛が 1 年を表す。J 氏は入所時から低栄養で BM I は 14 近辺であったが、この状態でなんとか無事に 2 年を過ごされた。

エホバ・ペグと矛盾

♣ そこで誤嚥が発生、予想通りに 1 年かけて BM I が 12 (致死域) までに低下した。ご家族は J 氏が 99 歳で骨と皮の状態であるにも拘わらず 「胃瘻」 を要求された。J 氏はBM I = 11 の瀕死レベルで 10 ヶ月を耐え、悲惨な環境の中で逝かれた。日本では 「死の領域」 にあってもペグを選択されることが少なくないのだ。

♣ パールの特養では、最近 3 人ほどペグの方がおられたが、一番長い方は 10 年 6 ヶ月ご生存だった。もちろん 3 人とも要介護 5 で、英語圏では 「呼吸する屍 (しかばね、breathing cadaver)と表現される――つまり 死体の一種 とみなされるが、年間 約 900 万円の維持費が掛かる 3 )

♣ パールでは、施設としてペグを選択することはなく、ご家族の自由な判断にまかせている。ここでぜひ知っておきたいことがある --ー ぺグの造設は外来で出来るほど簡単であり、一回ポッキリである。が、そのあと、毎日 2 ~ 3 回の栄養補給係りは 「家族または看護師」 が担当することになる。「呼吸する死体維持の作業」 が何年も続くので、たいていの場合、「人生観」がおかしくなるほどのストレスとなる。

♣ もしご家族がその任にあたられるのなら、それは重労働でもあり、10 年間も続けることは苦しい作業であろう。また、介護施設で担当する看護師の数は潤沢ではない。加えて、長期にわたる看護延命には、異栄養・褥瘡 や 低酸素症・気管吸引 などと、悩みも付きまとう。体格指数 (BM I)から観察すると、胃瘻を付けても認知症は確実に進行するし、意外にも、最後は誤嚥性・逆流性肺炎で世を去られる 3 )

♣ そこであなたにお尋ねする: あなたの祖父母・父母・血縁の方がペグを必要とされた場合、あなたはどんな意見を持つか? 多くのご家族は 「なにもせずに死なせる訳にはいかない」 とおっしゃるが、家族内の意見はたいてい対立・混乱する。介護保険の始まった2000年以前に こんな紛糾 (ふんきゅう)はなかった ! !

♣ 血液透析の場合もやや似た状況がある。エホバは 「人為生命」 を禁じ、逆に 「ペグ」は「人為生命」 を求める のだ。いずれも、人為延命の手技であり、人の命の終わりを、ご家族の一念と恣意 (しい) で、こんなに変えてよいものか、私は生き方の矛盾 に感嘆せずにはいられない。

♣ 参考まで … 胃瘻の増設代は 15 万円前後; 維持費は一年 900 万円程度 3 ) 。しかし老人の場合はほぼ全額政府負担であるため、日本の胃瘻選択は世界一である。

要約: 「エホバの証人」 の信者は 「輸血治療を拒否」; 臨死状態の老人は家族の独断で 「胃瘻が設置」 される。 個人の信条が無視され、運命も他人任せという実態をあなたはどう受け入れるか? 良かれと思うこと、思わないこと … 私らは相も変わらず 矛盾の中で生きている ようだ。1980字 

参考:
1 ) 新谷:「胃瘻と尊厳生」、福祉における安全管理 # 17, 2010. 2 ) 新谷:「体格指数からみる死の狭間」; 老人ケア研究、No.33、2010. 3 ) 佐々木英忠:「高齢者肺炎における誤嚥性肺炎の重要性」; 日本医師会雑誌、9月:1777, 2009.

職員の声

声1: 子供の頃 我が家の近くに 「エホバの証人」 という施設があり、輸血はできないとは聞き知っていた――いざという時どうするのか?と不思議だった(答: 本文で示したように、非血液剤で代用し、天運を待つ)。

声2: 命を助けたら 「有罪 ! 」 と最高裁が判決するとは、医者は罪人扱いか?(答: ある病院の部長会で この件が問われた時、皆さん方の意見 は 「罪人になって世間の声を聞きましょう」 という結論だった。

声 3: 病院が胃瘻を奨めれば家族はそれが大事な治療法であって単なる延命策、とは知らないだろう … でも、私はペグを選ばない(答: 医師は奨める前に、ペグに関する 世界事情 を説明すべきでしょうね)。

声4: 胃瘻延命は全額 (年間 900 万円) を自己負担ではいけないのか?(答: 医療財政は深刻な問題であり、イギリス・欧州 では延命胃瘻をしない; また血液透析は 60 歳以上なら自己負担 … 思い返せば、日本は非常に裕福な国家なのである)。

(702) パ ー ル の D N R 

 今日は 「DNRのミニ歴史」 をお伝えしよう。DNR とは、英語の “Do not resuscitate” (リサシテイト)の頭文字をとった言葉で、「蘇生 (そせい) を禁止」 という意味である(図1) 。

♣ 皆さん方は 「復活」 という言葉をご存知だろう。イエス・キリスト は十字架で処刑されたあと、よみがえった。それを 「復活」 (The Resurrection、リサレクション)と言い、「死からよみがえること」 つまり神の愛による人類の救いの完成という、宗教上の象徴となった。しかし宗教以外で 死者が現実に復活することはなかった。
パールのDNR

♣ それから後 二千年、人類は 麻酔術を 開発し、人の口から気管の中に カニューレ という管を 「挿管」 (そうかん) することを試みた。それは 外科手術では必須な方法であるが、半世紀前、手術のためではなく 呼吸停止 に至った 急性患者さん に対して、その術を応用し 命を 「蘇生」 ( そせい)することを試みてみた。

♣ ナゼ半世紀前かって? そのころ、ベットの傍で簡便に使用できる 小型の 「電気式呼吸器」 が開発されたからだ。これ以前に蘇生を望んだとすれば、小児麻痺の場合に使う 「鉄の肺」 という大型の装置しか利用できなかったのである。

♣ 蘇生とは、呼吸を助けるだけでなく、胸を圧迫して心臓の働きをも助ける。この行為は 「もうじき死ぬはずの人を生き返らせる」 わけだから、「蘇生」 と呼ばれ、宗教的な 「復活」 とは区別される。蘇生行為を知った人々は、やがてその適応対象を広げるようになった。つまり、超高齢、癌・老衰 の終末期や 認知症の臨死状態 などにまで広く応用され始めたのである 1)

♣ 蘇生の適応を間違えると、生死をせめぎ合う大混乱 となる ! ご家族の気持ちとしては 「もしかして奇跡がおこるかも . . . 一分でも一秒でも長く生きていて欲しい」 と念ずる。ご家族の その気持ちを察すると、DNR の実行は大決断となる。日本には ご家族の希望に応ずる 「お金も技術も」 あった。しかし、消えゆく命には 呼吸器の利用だけでは救いきれない限度がある。

♣ 餅 を喉に詰まらせた 100 歳のお爺さん、家族が救急車を呼んだ話はよく引用される。蘇生は成功し、病院で人工呼吸器につながれ、中心静脈栄養、次には胃瘻 (いろう) をつくられた。生前にご本人が望まれていた希望 = 「自然にポックリ逝きたい、自宅で家族に看取られて死にたい」 という希望とはほど遠い植物状態の様相に移行した。こんな哀れな例は頻繁にあるようだ。

♣ しかし、「もし救急車を呼んだら病院は最大の救急措置をせざるを得ません」 と何度 聞かされても、目の前で、息ができずに苦悶する身内を前に、とっさの救急車呼び出すのは自然な行為かも知れない。むしろ問題は、いったん延命治療を始めたら、それを中止することは 「犯罪だ」 とみなされる日本の社会制度にあるとも言われる。

♣ 介護保険以前には、私もこの最大の救急医療を実行する生活だった。でも その頃は 「患者さんの年齢」 は還暦前後が多く、若かった。対象が若ければ もちろん成績もよく、無事に社会復帰されたものである。
パールのDNR
 
♣ しかし、日本でも近年、同じ高齢者であっても、年齢は昔の 30 歳以上の超高齢になり、諸外国と同調 して正しい対応が再認識されるようになった . . . それが 「D.N.R.」 である。ご家族と医療者・介護者の間で 正しい 「インフォームド・コンセント」 (説明と同意) 2 ) を行い、 あらかじめ ご家族と DNR の理解が話合われる。

♣ 強調したいことは、「救命」 と 「延命」 は 「月とスッポン」 、全然レベルが違うものだ、という認識である。「救命」 とは 「生き続けるべき命を困難から救うこと」 であり、「延命」 とは 「死ぬべき状況の命を延長すること」 である。

♣ 「蘇生」 は 従来通り「 救命」 の適応のある場合に限って行われるが、適応のない場合には、枕元に “DNR” (蘇生しないで ! )というカードをベットサイドに貼っておき、関係者の了解を暗示しておく。

♣ もしこれを 「日本語で」 示しておくと、一般の面会者の気持ちが不安定になるから 暗示の言葉として DNR とする。臨死の最期のケアを行うのは 「機械ではなく人間」 だからである ! 近年では、DNR が厳かに実行される時、静かで温かい人の心のお看取りができるようになった。ご家族もこのことを静かに 理解・納得 して、お別れをなさっている。

♣ 皆さん、今日は ひとつ、物識りになったね。1830字

参考:> 1) 新谷:「エホバ ペグ あなた」;福祉における安全管理 # 42, 2010, 2) 新谷:「説明と同意の書」、ibid # 102, 2011.

職員の声

声1: DNR という言葉 (延命しない) を初めて知った(答: 救急の現場ではきっと混乱するので、入所時に I.C. (インフォームド・コンセント・説明と同意の書) を取っておき、「救命と延命の違い」、およびご家族の方針をあらかじめ良く話し合っておく)。

声2: 101 歳の老衰の女性、在宅の家庭医はキチンと急変について DNR の説明がしてあったが夜中に急変、慌てた家族は救急車を呼び病院へ、すでに死亡だったので警察に回され、すんでのことに 「病理解剖」 になるところだった(答: 急変を予期していても慌てて騒ぐのは家族の常… 病院 も 警察 も 解剖施設 も皆 困ってしまう ... 家庭医の出番を求めること)。

声3: 老衰の臨死では助からないと分かっているから、昔通り、延命操作をしない――この考えは日本の社会でどれほど根付いているのだろう?(答: 先進国の延命は、保険なしの 「有料」 だから家族は慎重に振る舞うが …)。

声4: 「延命操作」 は いったん始めた後 中止すれば医療者が 「殺人罪」 を問われる(答: 延命操作をしなかったらご家族の欲求不満が、したら結果的に 「寝たきり」 が起こる … 関係者の優柔不断はダメ ! )。
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